「神の子となる」 ガラテヤ書四章一ー七節

 パウロは四章の一節でこういいます。「相続人は未成年である間は、全財産の所有者であっても僕となんら変わることがなく、父親の定めた期日がくるまでは後見人や管理人の監督の下にいます。同様にわたしたちも未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました」といいます。口語訳聖書では、新共同訳で「未成年」と訳されている所は、「子供」と訳されております。

 四節からこういいます。「しかし、時が満ちると、神はその御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした」とあります。

 口語訳によれば、われわれは救われ前は「子供」、そして救われたあとは「子」となったと訳されていて、同じ「子」という字が使われているので、まぎわしいので、新共同訳では、最初の「子供」というところを「未成年」と訳したようであります。

 しかし原語をみますと、口語訳が子供と訳している字は、英語でいうとchildで、あとの「子」というのはsonという字です。つまりチャイルドは、「子供ぽっい」とい皮肉を込めた「子供」です。しかし「son」という「子」はどんなにわれわれが大人になっも、父親に対してはいつまでも、父と子という関係では、「子」という関係は変わりないわけです。

 従って大事なのは、救われる前はチャイルド、子供じみた生き方しかできなかったけれど、救われたあとは、大人になった、自主独立して何でも自分で決められる大人になったということではないということなのです。成熟した、なにもかも訳知りの大人になった、成人になったというのではないのです。
 救われたあとは大人になったということではなく、救われたあとも、「子」であることには変わりないわけで、ただ「神の子」になったということなのです。しかし今度はチャイルドという意味の子供ぽっいという意味の「子」ではなく、「神の子」になったということなのです。

 そのことが非常に大切なところであります。ある人が指摘しておりますが、パウロは三節で「未成年であった時は」といっているけれど、すぐその後に四節では、「しかし、時が満ちると、われわれは成人になった」というようには展開していないということなのです。
 四節からは、いきなり、話しの場面が変わってイエス・キリストの誕生の話しになっていくのであります。そうしてわれわれはイエス・キリストと共にわれわれも神の子になったのだという話しになっていくのであります。

 われわれが救われるということは、子供から大人になることではないということなのです。救われるということは、世間のことになにもかも精通して、訳知りの厚顔無恥の大人になることではないということなのです。むしろ、救われるということは、自分たちには、本当の父である神の子になる、自分たちは「子」であるということでは変わりないということなのです。

 茨木のり子さんの詩の中に、「大人になるということはすれっからしになることだと思いこんでいた少女の頃」という言葉で始まる詩があります。
 もし救われるということがそのようなすれっからしの成人になること、大人になることだとするならば、救われなかったほうがよほどよいということになるのであります。

 茨木のり子さんは、その詩の中でこう歌うのです。
 「初々しさが大切なの、人に対しても世の中に対しても、人を人とも思わなくなったとき、堕落が始まるのね、堕ちていくゆくのを、隠そうとしても、隠せなくなった人を何人もみました」というのです。

 そしてこういいます。「大人になってもどきまぎしたっていいんだな、ぎこちない挨拶、醜く赤くなる失語症、なめらかでないしぐさ、子供の悪態に傷ついてしまう頼りない生牡蠣のような感受性。それを鍛える必要は少しもなかったのだな、年老いても咲きたての薔薇、柔らかく、外に向かってひらかれるのこそ難しい。あらゆる仕事の核には、震える弱いアンテナが隠されている」と歌うのであります。

われわれは子供ぽっくなる必要はもちろんないのです。そういう意味では成熟しなくてはならないのです。しかしそれはわれが訳知りの、すれからっしの大人になるということではなく、ますますわれわれが自分の弱さを知り、ますます自分たちには父なる神がおられる、そのかたの子であるという自覚を深くしなくてはならないということであります。そういう意味では、ある意味では子供ぽっさを失ってはならないと思うのです。

 今、パウロが語っているのは、クリスチャンになる前は、われわれは律法の支配下にあり、律法の奴隷であったという話しなのです。律法のもとで生きようとする限り、われわれはいつも善い行いをしないと地獄行きだといっておどされながら生きざるを得なかった。ああしろ、こうしろと律法によってがんじがらめにされて生きざるを得なかったというのです。それは監督官のもとで生きる未成年と同じだったというのです。

 三節でパウロは不思議なことをいきなりいいだします。「同様にわたしたちも未成年であったときには、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました」というのです。律法に支配され、律法のもとで奴隷であったという話しからいきなり、世を支配する諸霊の奴隷として、という話しになったのです。これはユダヤ人にとっては、びっくりしたことだと思います。

 いったいここでいわれている「世を支配する諸霊」とは何か。それは八節でもう一度この言葉は出てまいります。「しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊のもとに逆戻りし」、「あなたがたはいろいろな日、月、時節、年などを守っている」とでてきますので、ここでいわれている諸霊は、われわれの言葉でいえば、迷信的なものといってもいいと思います。われわれにとっていえば、大安とか友引とか、家の方角とか、占いとか、そういったものと考えていいと思います。
われわれは救われる前はそういうものに支配されていたというのです。

 ユダヤ人にとっては、旧約聖書を読んでいけばわかりますけれど、占いのたぐいは厳しく禁じられていたのであります。ですから、こごて諸霊のもとで支配されているというのは、むしろ異邦人の実体であります。
 しかしパウロは、律法のもとで生きようとしているユダヤ人は、ユダヤ人が軽蔑している異邦人のそうした諸霊に捕らわれている姿と全く同じなのだといいたいのではないかと思います。迷信に惑わされるのは、なにか得たいの知れない諸霊というものがあって、それにとらわれるから、迷信を捨てきれないのであります。

 律法に縛られるのも、結局は律法をまもらないと何か悪いことが起こるのではないか、地獄に突き落とされるのではないと、恐れる、それは律法を守って神に従うとするのではなく、ただ諸霊におびかされて戦々恐々としているだけだということであります。

 そして、パウロは四節で、「しかし、時が満ちると、神はその御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになった。それは律法の支配下にある者を贖いだして私達を神の子となさるためでした」というのです。

 律法のもとで、律法にがんじがらめに捕らわれている人間を救い出すためには、神はただ上から高い天上から、こうしろ、ああしろ、といって、われわれに指示をだしても、われわれにはわからないのです。従って救うことができないと、神はお考えになって、御子を女から生まれさせ、しかも律法の下に生まれさせたというのです。

 イエスは、当時のユダヤ人の律法のもとに従って八日目には割礼を受け、そして清めの期間が過ぎてからは、当時のユダヤ人の律法に従って、「初めて生まれる男子はみな主のために聖別される」という律法に従って、家ばとひとつがいを捧げたのであります。もちろんこれはイエスの意志ではなく、ヨセフとマリアの意志で行われたに違いありません。

 ともかく、イエスはいたずらに律法に反する生き方をしたのではなく、律法のもとで生き始めるのであります。しかしイエスは決して律法に縛られて生きたのではなかったのです。

 イエスが安息日にはしばしば会堂に入って聖書の話を聞いたり、また聖書の話しをなさったのです。イエスも安息日を大切になさったのです。しかしイエスは同時に安息日律法に対して、当時のユダヤ人のように、がんじがらめに縛られることはなかった。 安息日律法に対して、どんなに自由にふるまったかをわれわれは知っています。

律法に正しく生きるこということは、こういう生き方であるとイエスは身を挺して示されたのです。姦淫を犯した女に対しても、それを取り巻くユダヤ人に対してもイエスは、律法の正しい用い方を示していったのであります。イエスは律法に決して縛られた生き方をしなかったのであります。

 しかしイエスは結局は律法主義者たちによって、殺されてしまうのでりあます。自分の正しさだけを主張する律法主義のなれの果ては、神の子を自分達の手によって殺すことになるということが示されたのであります。律法は神に信頼し、神に従いながら守らなければならないものなのに、それをないがしろにし、ただ自分の正しさだけを主張する律法主義者たちによって神の子イエスは殺されたのであります。ここに律法主義の破綻があらわれたのです。

 しかし神はそのイエスをよみがえらすことによって、もう一度神の主権をわれわれに明らかにしました。それは、律法によるのではなく、神を信じる信仰によって、神に従う道を示してくださいました。そのようにしてわれわれはイエスと共に神の子にされたのであります。

われわれは律法から解放されて、大人になるのではなく、子になるのです、神の子になるのです。

 そしてパウロはわれわれが神の子であるということは何によってわかるのかというと、われわれが父なる神に向かって「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を送られたということでわかるというのです。われわれは御子の霊を与えられたことによって、神に向かって「アッバ、父よ」と祈ることができるようになったというのです。
 われわれが神の子であるということは、われわれが聖人のような顔つきになって神の子になるのではないのです。聖書のことならなんでもわかるようになって神の子になるのでもないのです。

 苦しいときに、むしろ自分の弱さと自分の罪でうちのめされそうになっているときに、素直に「アッバ」と神に祈ることができるようになる、それによってわれわれが神の子であるということがわかるというのです。

 「アッバ」というのは、ヘブル語で子供が「お父さん」と親しそうに呼びかける言葉です。今日の日本では「パパ」に当たる言葉です。なぜ聖書がギリシャ語に訳されたとき、つまりイエスはギリシャ語を話していたわけではなく、ヘブル語、くわしくいいますと、アラム語だそうですが、それをギリシャ語に訳す時にアラム語の「アッバ」はギリシャ語に訳さないで、そのまま残しているのです。

 なぜかといいますと、それはイエスがそのように父なる神に祈っていて、それがとても印象深かったからのようであります。それまではユダヤ人は「父なる神よ」とよびかけたかも知れませんが、イエスのようには、そんなに親しそうに「アッバ」と、神に対して祈ることはなかったのです。しかしイエスがそのようにしばしば祈っておられる、その印象がとても強烈で新鮮だったので、あの「アーメン」という言葉と共にイエスの言われた言葉をそのまま翻訳しないで残したのです。

 今受難節ですが、福音書を読んでいてわれわれがこの「アッバ」という言葉ですぐ思い出すのは、イエスがあのゲッセマネの園で「アッバ、父よ、この杯をとりのけてください。つまりわたしを十字架につけないでくざい」と祈られた時の「アッバ」という言葉であります。

 本当に苦しい時、本当にさびしい時、それこそ幼子のようになって、父なる神に率直に祈る、この時ばかりは、子供にようになって、幼子のようになって、父なる神に祈ることができる、そのような霊を与えられている、それがわれわれが神の子であるということの証なのだというのです。その時に訳知りの大人として振る舞おうとするならば、もはやわれわれは神の子とは言えないということであります。

 われわれは死を前にする時、そのように幼子のようになって、素直に、神様に向かって、アッバ、父よ、と祈ることが許されているということはなんという慰めではないでしょうか。われわれは死ぬ時に、聖人めいて死ぬ必要はないのです。死の床に子供たちを集めて父親としての訓辞をたれる必要もないのです。

 自分の息子のことをいうことをお許し願いたいのですが、三十三の若さで無念にも死んでいった息子のことを思いだすのです。彼は死を前にして赤ちゃんのようになって死の不安を訴えました。深夜われわれ親に、一緒に讃美歌を歌ってくれといったり、一緒に主の祈りを大きな声で唱えたりしました。彼がそらで歌える讃美歌は「きよしこの夜」だけでしたので、それを歌いました。それで、彼の葬儀のときには、クリスマスでもないのに、葬儀の讃美歌で「きよしこの夜」を歌ってもらいました。

 彼が死んだあとから考えて、わたしは、主イエスがいわれた言葉、「幼子にならなくては天国には入れない」と言ことは、こういうことだったのだなと思ったのです。そのイエスの言葉は、われわれが幼子のように純粋無垢な清らかな人間ならなくては救われないというようなことではいないのです。幼子のように父なる神に対して、「アッバ」「お父さん」と祈れるようにならないと天国にいけないということであります。われわれは生まれるとき、幼子であるように、われわれは死ぬ時にも、どんなに年とっても死ぬときにも、幼子のようにならないと死に切れないのだということをわたしは息子の死を通して知ったのであります。

 われわれが神の子であるということは、われわれが父なる神に「アッバ、父よ」と祈れるようになれるかどうかということなのです。

 律法にしばられて生きているときには、パウロは未成年として束縛の中に生きていたのだといいます。それでは救われるということは、いっさいの束縛から解き放たれて、自主独立した大人になることなのかと、われわれは予想するかもしれませんが、パウロはそういはいわないのです。大人になるのではなく、子になるのだ、神の子になるのだ、つまり自分たちには父なる神がおられて、そのかたによって生かされるのだということなのです。

 鷲田清一という哲学者がある人との対談でこういうことを言っております。「これはわたしのものである、だから自分で決定できる」ということと、「これは自分のものである。だからどのように処理してもいい」ということは、非常に微妙だけれど違う問題だ、といっているのです。

 近代はわれわれに人間には、自己決定権があると主張されてきた、確かにわれわれ人間には自己決定権はある、しかしわれわれ人間になんでも自分で処理していいのだという権利があるか、人間が命というものを自分勝手に処理するとことが許されるか、と問題を投げかけているのであります。
 その本は生命倫理を巡っての本なのです。つまり遺伝子を人間が操作して命を造ったり、改造したりする、あるいは人工授精ということが許されるかということを巡っての対談なのです。

 その同じ本の対談のなかで、柳澤桂子という生命科学者がこういうことを言っております。このかたはご自身が重い病気になって死に直面したという経験から今沢山の本を書いておりますが、こう言っているのです。
 「やはり自己決定権という考えは、他人から犯されない権利として大事な面はあるけれど、だからといってなんでも好きなようにしてもいいわけではない。自殺されるかたを責める気はないが、死や子供を産むということは自分勝手にしてはいけないと思う」というのです。

 「自分は一時点滴で栄養をとるという寝たきりの状態になった。点滴をぬけば死ぬことになる。医者は自己決定権を尊重されて、わたしが望むならいつでも抜くといわれた。それで娘婿の外科医に聞いたら、点滴を抜く医者の気持ちも考えてくれといわれた。やはりそうかと思った」というのです。治療に当たっている医者にとっても、これを抜けば患者は死ぬとわかっている点滴をはずすことがどんなにつらいことであるかということであります。
 そしてこういうのです。「私」というものは、ほかの人のみんなに入り込んでいるのであって、自分から死ぬといってはいけないのだ。死は自分のものではない。家族のものであり、医師や友人のものであり、社会のものであり、宇宙から与えられたものだと思う。子供を産むことも同じで、宇宙から授かるものだという謙虚な気持が大事だというのです。

 そしてこういいます。「病気になったことで変わったのは、死に自己決定権はないと思うようになったことだ。わたしは初めから自己決定権には否定的だったけれど、死ぬ覚悟をして、死がどういうものであるかを家族と話し合っている中で、絶対に自分から死ぬなんてことはしてはいけないと思うようになった。症状は進行しているけれど、今は、意識がなくなってもいいから、家族が納得するまで生かせてくださいと本気で思っている。それは私がそこまで経験して初めて得た考えだ。意識がないのに人工呼吸器をつけても意味はないとか、医療費はむだじゃないかと思ったこともあったが、今は考えが変わった」というのです。

 延命措置をするかどうかは、いろいろな意見があると思いますけれど、ただわたしはいままでは、延命措置などはつけるべきではないと単純に思っておりましたので、実際にその現場にいる人のこういう考えを知って、自分の考えは軽率だったということを考えさせられました。

 ともかくここで考えさせられることは、命とか死は自分勝手なものではないということ、自分のものだからといって、自分勝手に処理していいものではないということ、柳澤桂子の表現でいえば、それは宇宙から与えられたものである、という謙虚な姿勢をもたなくてはならないということなのであります。

 われわれは救われて、ただ自立した人間になったのではなく、救われて、われわれは改めて、自分達にはこの自分を造ってくださった神がおられるということ、われわれはその神の子なのだということを知るのであります。

 受難節のなかで、主イエスが、あのゲッセマネの園で、神に対して率直に、「アッバ」と、「お父さん」と呼びかけて祈られた姿を思い起こしたいと思います。