「福音を確立する」   ガラテヤ書一章一八ー

 パウロは神から啓示を受けて、御子イエス・キリストを示されて、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた時に、自分は血肉、つまり親戚のもに相談することなく、またエルサレムにいって、教会の大先輩に挨拶にいこうともしないで、アラビヤに退いて、そこから再びダマスコにもどったと書きます。

 そして一八節をみますと、パウロは「それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しました。ほかの使徒には誰にも会わず、ただ主の兄弟ヤコブだけに会いました」と書きます。

 「それから三年後」というのが、何から三年後なのかはよくわかりません。文脈からいえば、パウロがキリストにお会いして、召命を受けてからの三年後ということだと考えられます。その三年間、パウロはなにをしていたのか。ただちに「アラビアに退いて」とありますので、アラビアの砂漠で過ごし、それからまた自分がクリスチャンになり、伝道者として召された、あの信仰の原点、ダマスコにもどった、それからの三年後なのかもしれませんが、それはどちらでもいいのですが、ともかくパウロは召命を受けてからは、じっと三年間ひとりでいたということであります。もちろん、ひとりでいうのを、文字通りひとりでいたと考える必要はないと思います。アラビアでも、あるいはダマスコでも、友人や知人ができたでしょう。しかし、そうであっても、内容的にはひとりでいたことは間違いないと思います。

 ともかく、パウロは今までキリスト教徒を迫害してきたのです。その自分が迫害していたキリストから声をかけられ、百八十度、大転換をしたわけですから、その出来事をじっくりと反省し、思索し、そして祈りつつ、自分の受けた福音について考える必要があったと思います。

 神の召しを受ける、あるいは、神の導きを受けるということは、われわれは決して神の操り人形のようになるのではなく、その神の導きをわれわれ人間のほうでもじっくりと受け取り、それを吟味し、自分のものにしなくてはならないということであります。そのためには、ひとりでいるということが大切だということであります。

 そしてパウロはじっくり思索し、祈り、律法によってではなく、ただキリストの恵みのみを信じるという福音が本当に福音だということがわかり、それを信じることができるという確信を抱いた時、それまでに三年の月日がかかったということですが、それからケファ、つまりペテロに会うために、エルサレムに上ったというのです。

 ボンヘッファーという人がおりますが、このかたはナチに反抗したために、とらえられ、ついに処刑されてしまった牧師であり、神学者ですが、彼がこんなことをいっているのです。
 「ひとりでいることのできない者は、交わりに入ることを用心しなさい。」

 つまり本当に自立していないで、人と交わると、自分というものを失ってしまって、相手のご機嫌をとること、相手に媚びることになって、相手に隷属してしまうことになって、それでは、本当の意味で人と交わったことにはならないということであります。形のうえでは、どんなに交わりができ、仲良くなれたとしても、それは決して真の交わりにはならないということであります。

 だから、青春時代というのは、自分というものを確立するために、自立するためには、ひとは孤独の時をもつのではないかと思います。そういう時というものが必要なのではないか。それは親からも離れ、場合によっては、友人をつくらないで、孤独に徹するということが必要な場合もあると思います。
 
 パウロは召命を受けてから、すぐエルサレムに上ってペテロたちに会いに行かなかったということは、安易に会いにいったら、自分の受けた福音がほんものかどうか曖昧になってしまうと、恐れたからではないかと思います。

パウロは、ガラテヤ書の二章六節からみますと、自分はエルサレム教会の主だった人たちに、なびいたり、強制されなかったといい、「この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうてもいいことです、神は人を分け隔てをなさいません」と、わざわざ言っているところがありますが、それは逆にパウロはエルサレム教会の主だった人を随分気にしていたということではないかと思わせられるのであります。

 つまり、パウロは、自分は強い人とか、偉い人とかになびいてしまう、あるいは、媚びてしまう弱さを自分がもっていることをよく知っていたのではないかと思います。それでエルサレム教会にいくことを躊躇して、自分に自信ができてから、自分がこれこそ本当の福音だという確信を得て、その福音に立って自立できてから、エルサレム教会のペテロに会いにいったのではないか。
 
 自分のことをいうのもおかしいですが、わたしも自分がすぐ人に媚びる傾向があるということをよく知っていますから、わたしはいわゆるの有名な人、あるいは自分が尊敬する人には直接会うのは避けているところがあります。偉い先生に会うと、なにか自分を失うような気がするからであります。

 わたしは神学校時代の先生であります、竹森満佐一という先生を自分の信仰の師と仰いでおります。神学校を出て、牧師になってから、竹森満佐一の書いたローマ書講解説教という本が出ました。三冊の本ですが、わのたしはこの本に打たれて、もう何十回と読んでおりますが、それほど全面的に信服している先生ですが、わたしは学校を卒業してからは、先生とは恐らく個人的には二、三度しかお会いしていないのではないかと思います。
 一度は、最初に赴任した大洲教会の八十周年の記念のときに、講師としてわざわざ四国にまで来て頂いたときに、親しく交わりの時をもった時です。東京に来てからは、神学校のクラスメートが竹森さんに会いにいこうと誘われて、五、六人の仲間と会いにいったぐらいであります。

 わたしは東京にきても特別に先生のところに会いに行って交わりをもとうとは思わなかったのであります。
 ある人が新聞の連載記事のなかで言っておりましたが、その連載記事は、自分の尊敬する人は誰かというようなテーマだった思いますが、その人は自分の尊敬する師とは、書物でしか会わないと書いていて、何か共感を覚えたのを思い出します。

 わたしは神学校に行く前には、大学を卒業して二年間、英語の教師をいたしました。わたしは英語の教師をやっていて、とてもつらくて、どうしても教師をやめたいと思うようになりました。その理由の一つは、自分が英語を教える立場にいながら、自分は英語を聞いたり、話をしたりすることができない、読むことはできても、いわゆるヒヤリングが全然できない、英語の発音が正確にできないで、どうして英語の教師ができるかというのが一つの大きな理由でした。

 わたしが自分は教師というものに向いていないと思ったもうひとつの理由がありました。それは自分は教師でありながら、どうも自分は生徒に媚びる傾向があるということに気がついたということだったのです。わたしが直接教えたのは中学生なのですが、そういう小さい子供である生徒にも自分は媚びるところがあることに気がついたのです。そして、実際にはそういうことはしませんでしたが、生徒に対して好き嫌いができて、いわゆるほっておいたらえこひいきするようになるかも知れない、つまり好きな生徒に媚びるようになる傾向が自分にはあることに気がついて、これは教師として致命的な欠陥だと気がついて、教師としての資格がないと思いはじめていたということであります。

弱い人が自分を確立するということは、それなりの工夫と努力というものがいるのであります。

これは竹森満佐一の説教の中にでてくる言葉なのですが、弱い人について、こういっているのです。
 「世の中で最も扱いにくいものは、弱さではないかと思う。弱い人というのは、大事にしすぎるとつけあがるし、厳しすぎるとひねくれるし、甘やかすとまとわりついてくるというように、手に負えないものだ」というのです。
 まことに辛辣な言葉であります。そしてそういわれてみれば、誰でもおもいつくのではないか、まるで自分のことをいわれているような気がするのではないかと思うのです。

 これは要するに、自分が確立できていないということだと思います。そして自分が確立できていないから、正しく他の人に信頼できない、正しく人と交じられない、ということだと思うのです。

 パウロという人も案外弱い人で、すぐ人に媚びたがる人だった、少なくともそのことを彼は自覚していて、人と交わったのではないかと思うのです。それが、ここでの「それから三年後」と言うことになったのではないかと思います。
 
 パウロは福音を知らされてから、三年間じっとその福音によって、つまり、イエス・キリストを信じることによって、自分を確立しようとしたのではないかと思います。

 わたしも自分が人に媚びたがる弱さをもっていることをよく知っておりますので、また人に媚びたときの後味の悪さというものを知っておりますので、どうしても人とつきあう時には、ある距離をおいてつきあうというつきあい方をしてしまうのであります。

 それは人様ざまで、強い人は、自分をしっかりと確立できている人は、人に媚びることなどしないで、どんどん人と直接交わっていける、人を恐れないで、どんな偉い人とも平気でつきあえるといううらやましい人もいるわけで、わたしのやりかたがベストだなんていっているわではないのです。それは本当にひとさまざまであります。

パウロはキリストに出会ってから、三年かけて、福音によって自立することを学んだのではないか。ただ神の恵みによってのみ救われる、そのようにして自分が生かされるという福音を信じて、自立できたのではないか。だからエルサレム教会の重鎮にも会いにいくことができたのではないか。

 それまでは、パウロは律法によって自分を立てていたのであります。律法を守ることによって自信をもっていた。自分は律法の義において誰よりも落ち度がなく、それを守っているという自負があって、自信に満ちていたのです。しかしそういう自立の仕方は、つまり律法を守るという仕方での自信のつけかたは、いたずらに自分を主張することによって、かろうじて、自立するということでしかなかったのではないか。

イソップの話に、北風と太陽の話しがありますが、ひとりの人が寒さから自分を守るために、厚い外套をきていて、その外套をぬぐまいと必死になっている。北風は、自分の強風であいつの外套をはぎとってみせると息巻くのですが、強風が吹けば吹くほど、彼は頑なにして外套を脱ごうとしないのであります。
 今度は太陽が、それではというので、温かい日射しを彼にそそぐと彼は自然にその外套を脱いで、自分を解放したという話しであります。

 パウロはそれまで律法というもので自分を頑なに守ろうとしていたのであります。つまり自分で自分を守ろうとしていた。その守り方は自分を強く主張することによって自分を守り、自分を確立するという守りかたであった。その時にどんなにひとりよがりだったか、どんなに人を傷つけ、人を排除していったかということであります。

しかし、福音を知り、福音を信じたパウロは、ただ神の恵みによって救われて、ただ神の恵みによって、自分を支えられて、自分が確立できて、イエス・キリストの名によって自分の足で歩くことができるようになって、自分をいたずら主張することなく、自分を解放し、他人を受け入れる、他人と正しく交わることができるようになったのではないかと思います。

 大事なのは、なんによって自分を自立させるかということです。自分の力によって自分を自立させ、自分を確立させるか、福音によって、ただ神の恵みと赦しを信じて、神によって自立させるか、福音によって自立し、自分を確立させるかということであります。

今日は説教の題を「福音を確立する」としましたが、本当は「福音によって確立する」という題にすべきだったと思います。

 ボンへファーはそのあと、こういうことも書いていたのであります。「しかしその逆の命題もまた真である。交わりの中にいない者は、ひとりでいることを用心しなさい」といっているのです。
 つまり、人に媚びることを恐れて、人から影響を受けたり、人からなにか強制されたりするのが嫌で、いつもひとりでいようとして、交わりを絶つ人は、用心しなさいというのです。それは結局はひとりよがりなるということであります。

 ボンヘッファーはそれに続けてこういっているのです。「あなたは教会へと召されたのである。召しはあなたのみに向けられているのではなく、あなたは『召された教会の中で』、自分の十字架を負い、戦い、祈るのである」と、続けて書いているのであります。
 
 自分が確立され、自分がひとりでいることができるようになって自立できたときには、今度は進んで人と交わらなくてならないというのです。交わりの中に入って、自分が負わなくてならない自分の十字架を進んで負わなくてはならない、そういう他者の痛みを負わなくてならないということであります。人と交わるということは、楽しいことだけでなく、必ずそこでは痛みが伴うものです。それを恐れて孤独を楽しむなんてことは、もう自立した人間のやることではないというこであります。

 パウロが「それから、三年後」エルサレム教会に行って、有力な使徒、ペテロやヤコブに会いに行ったということは、やはり大切なことだった思います。しかしパウロはその時も、それ以外の使徒とは誰にも会わなかったというのは、やはりパウロはエルサレム教会の使徒たちとは、ある距離をもとうとしたということのようであります。

 それからパウロはシリアとかキリキアの地方に行って福音を宣べ伝えたといいます。そうした事実がユダヤの諸教会にも知られていって、人々が「かつてわれわれを迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」ということで、パウロは「わたしのことで神をほめたたえている」というのであります。

 パウロはここでわざわざ、「わたしのことで神をほめたたえている」と言っております。それはあんなに熱心にキリスト教徒を迫害していた者が百八十度大転換して、今度は福音を宣べ伝えている、これはいわば人間業ではなく、神業としか思えない、自分自身の生き方が、神によってのみ生かされた証としてなって、まさに福音そのものを証しているということであります。

 福音というものは、人間の律法というわざ、人間の功績とか行いを誇って、自分のことを主張したりすることではなく、ただ一方的に神の偉大な力を讃えるということであります。
 パウロという伝道者そのものが、福音の生き証人ということなのであります。

 そしてそれは、パウロがこのガラテヤ書の冒頭でしきりに、自分のことを紹介して、「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父なる神によって使徒とされたパウロ」と言って自分を紹介してきたことの証にもなったということであります。

 しかし、「わたしのことで神をほめたたえていた」と、パウロは書いておりますが、これは実際には本当に難しいことであります。

 われわれはどんな人でも、やはり、自分が人から認められること、もっと露骨にいえば、自分が称賛されることに生き甲斐を持とうとしているからであります。「わたしのことで神をほめたたえていた」といいながら、うっかりすると、「わたしのことで神をほめたたえていた、そのように証をしている自分が人からほめられている」と思いたくなるのであります。

 このことで竹森満佐一がこう記しております。
「人間が生きているというのは、いつでも、自分が認められたいということだ。自分が無視されたら、生きている気がしない。従って、われわれはいつでも自分を認めて貰おうと努力していいる。はっきりそう思って務めることもあるが、それでは他の人に非難されるので、それとなく自分をあらわそうとする。これはある意味ではやむをえないことかも知れない。しかし、それだけではすまなくなる。自分を誇ろうとするあまり、われわれは他の人を押しのけようとするだろう。ほかの人を利用しようとして、そしてついには、そのために神を利用し、神を押しのけたいとさえ思うかも知れない。しかし、そういう生活は決して幸福ではない」。  

 自分を誇ろうとして、やがては人を押しのけ、人を利用し、やがては神までも押しのけることになる、というのであります。

 「わたしのことで神をほめたたえていた」ということが、いつのまにか、「わたしのことで」というところに強調点がおかれてしまって、神ではなく、伝道者としてのパウロが讃えられることになりかねないのであります。

 竹森満佐一が、「そういう生活は決して幸福ではない」といっているところが面白いと思います。そういう生活は偽りだというのではなく、そういう生活は決して幸福ではないだろうというのです。
 
そしてなぜ幸福ではないのかということでこう続けるのです。
「なぜなら、人間はそのようには造られていないからだ。人間は神に造られたものだ。それなら、人間にとって、もっとも大切な生き方は自分が神をあらわすように用いられることだ。われわれは神を信じて、神のうちに安住できることが一番幸せなことである。しかし、神の中に安住するというのは、静かに神を信じて生きるということだけではなく、自分によって神がほめたたえられるようになることだ」というであります。