「主にある兄弟」   ピリピ二章一九−三○節

 一九節をみますと、パウロは「さて、わたしはあなたがたの様子を知って力づけられたいので、間もなく、テモテをそちらに遣わすことを、主イエスによって希望しています」書き出します。

 このテモテのことについて、パウロは最大級の言葉でほめているのです。「テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。他の人はみなイエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています。テモテがたしかにな人物であることは、あなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました」。

 パウロに弟子と言われる人が何人いたかわかりませんが、しかしパウロにとってはこのテモテは特別だったようであります。パウロの書いた手紙のいくつかは、このピリピ人への手紙もそうですが、テモテの名前をそえて、パウロとテモテからと、発信人の中に付け加えているのです。実際はパウロ一人が書いたと思われる手紙でもであります。
 
 このテモテは使徒言行録をみますと、パウロが伝道旅行でルステラに行った時に、そこにテモテという弟子がいて、そこで始めてこのテモテを知ったようであります。そこでは、信者のユダヤ人を母として、ギリシャ人を父としており、ルステラとイコニオムの兄弟の間で、評判のよい人物であった、とテモテのことが記されております。

 パウロはしばしばこのテモテのことを、「わたしの愛する子」という表現をしているので、パウロが信仰に導いたのだという説もありますが、しかし、使徒言行録をみますと、そうではなく、既に母親の信仰によってクリスチャンになっていて、そのテモテにパウロは会っているようであります。

 テモテはパウロほどの力のある伝道者ではなかったようです。いつもパウロの手足となって働いていたようであります。「子が父に仕えるように」、テモテは自分に仕えて、福音の宣教に当たってくれたと、パウロはいっております。このテモテはほぽ十年間パウロと共に伝道旅行などでパウロと行動をともにしたようなのです。

 テモテはパウロよりもずっと年下です。しかしパウロはこのテモテの信仰に敬意を覚えているのです。

 今パウロはこのテモテを褒めているのです。パウロはどうしてテモテをこんなにも高く評価し、彼を信頼しているのでしょうか。それはこのテモテから謙遜ということを学んだからではないかと思います。

 パウロは激しい性格の人だったらしく、しばしば人と激突しているのです。
 パウロは自分がキリスト教の伝道者になったとき、またなってから、大変お世話になって人にバルナバという人がおりました。パウロは最初はこのバルナバと協力して伝道活動していたのですが、ある時二人の意見が合わずに、いわば喧嘩別れして別々の活動をするようになったのです。

 それは弟子の一人マルコという若者をめぐって、彼を伝道旅行につれていくかどうかと言うことで、意見が分かれたのです。このマルコは少し気弱なところがあって、ある時伝道旅行にいくのを躊躇したことがあったのです。それでパウロはそんな臆病な者をつれて行くわけにはいかないということで、バルナバとの間に激論があって、二人は別れたというのであります。

 パウロにはそういう激しい性格があったわけです。だからパウロに、はたして何人の弟子がいたかと考えると、このテモテひとりだったのかも知れないと思うぐらいであります。

 パウロとテモテは正反対の人だったのではないかと思うのです。パウロはご承知のように熱心なユダヤ教徒からクリスチャンヘ、しかもそのクリスチャンの伝道者として、大変劇的な転換をしたのに対して、このテモテはお母さんの信仰を受け継いでいるのです。

 テモテの第二の手紙には、パウロはテモテの信仰にふれて、「あなたが抱いている偽りのない信仰を思い起こしている。この信仰はまずあなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケとに宿ったものであったが、今あなたにも宿っている」と言っているのです。つまり三代目のクリスチャンだというわけです。

 劇的に回心した人の信仰は確かに強いかも知れません。なぜならそれは自覚的だからであります。しかし、そういう信仰は強いかも知れませんが、うっかりすると、自己主張の強い信仰、傲慢な信仰に陥りがちでもあるのではないでしょうか。

 自分か信仰を獲得した、自分か神にお会いした、自分が苦闘して学び、悟ったのだというように、自分の経験、自分の悔い改めを誇るところが多いという危険があるのではないかと思うのです。

 パウロもその体験が劇的であっただけに、そういう自分を誇る気持ちと絶えず戦いながら、いつも神の前に謙遜にさせられていったのではないか。パウロはそういう戦いをいつもしていた、絶えず激しく自分の罪と戦った、それだけにその自分の戦いを良く知っておりました。そうしてそれだけ、その戦いの経験は、人に福音を宣べ伝える時に役立ったと思います。

 それに対して、テモテはそういう自覚的な戦いはあまりなかったのではないか。もちろん彼に罪の自覚がないなどというのではないのです。しかしテモテは自分の罪の自覚よりはそれ以上に神の恵みとか神の愛を信頼していく。あまり激しい戦いをしないで、自分の生まれつきの性格のように、謙遜ということが自分の身についていたのではないか。

 クリスチャンーホームに育った人に時々そういう人をみることがあって、うらやましいなと思う時があります。テモテはあまり自分を主張するところはなかったのではないか。そのためにあの我の強いパウロともあまり衝突せずにやっていけたのではないか。

クリスチャンホームに育った人は、いちがいにはいえませんが、恐らく両親からまず「神の愛」ということを身をもって教えられて育つのではないかと思うのです。
 それに対して、途中から、途中からというとおかしいですが、特に青年時代にキリスト教にふれて、クリスチャンになった人は、神の愛というよりは、自分の罪の自覚から、いわば自分の罪をもてあまして、なんとかその自分の汚れとか罪を解決したいと悪戦苦闘して、神の愛に出会い、回心するという場合が多いのではないか。
青年時代、劇的にキリスト教になったひとは、ともすると、またあっさりと信仰を捨ててしまう人が多いのではないかと思います。

 どちらが本物の信仰かということではなく、クリスチャンホームに育った人の信仰、まず神の愛ということがあって、信仰を身につけると、その信仰生活は自然なものになって、素直な信仰を養い育てるということがあるのでなはいか。

「神の愛、神は愛なり」というところから始められる子育ては、必ずうまくいくのではないでしょうか。

 パウロは長い間、このテモテと生活をすることによって、このテモテの信仰に学ぶところが多かったのではないか、なによりもこのテモテの謙遜さに学ぶところがあったのではないか。

パウロのもっていた謙遜は、自分の罪と激しく戦った末に得た謙遜、そのつどそのつど、謙遜にさせられて与えられた謙遜であったのに対して、テモテのもっている謙遜はいわば生まれつきの謙遜、ほんとうに素直な謙遜、いわばけれんみのない謙遜だったのではないか。パウロはそのテモテをみて、うらやましいと思ったのではないか。
パウロはそれをテモテから学んだのではないか。

 人を教育するということ、あるいは人と交わるということは、こういう相互関係なのではないでしょうか。どちらが一方的に教えるとか、影響を与えるということでは、本当に教えたことにはならないのではないか。
 教える事によって相手からも学ぶ、そうでなければ、人との交わりは長続きしないし、真の交わりにもならないのではないか。

これは夫婦の関係についてもいえるのではないかと思うのです。今日日本では、離婚ということが多くなっています。それにはいろいろな原因があると思います。
不倫ということもあるし、あるいは、夫の妻に対する暴力ということがあげられるかもしれません。

しかし本当は一番多い原因は、性格の不一致ということが挙げられるかもしれません。しかし考えてみれば、夫婦というのは、全く今まで生活を異にしていたふたりが同じ屋根の下で生活を共にするのですから、お互いに性格が一致していないのは当たり前のことであります。

 問題は、夫が自分の性格とか自分の考えを、自分の生活の仕方を、一方的に妻に押しつけるところにあるのではないかと思います。

 離婚の原因として、夫の妻に対する暴力が離婚の原因としてあげられていますが、それ以上に多いのは、モラルハラスメントということが、離婚の原因として多いのではないかと思います。

 モラルハラスメントという言葉はききなれない言葉かもしれませんが、それはセクシャルハラスメント、つまり男性の女性に対する性的いやがせ、あるいは、女性にたいする蔑視、という意味の言葉がありますが、そのセクシャルハラスメントに対応して使われる言葉のようなのですが、モラルハラスメントというのは、モラル、つまり道徳観です、もっとひらたくいえば、自分の生活の仕方、自分の価値観です、それを夫が妻に一方的におしつけて、妻を教育しようとするということなのです。

 それは奥さんにとっては耐えられないということであります。それが離婚の原因としてあげられるというのです。

 しかし、人を教育するというのは、教育する側からいったら、気持ちいいことかもしれませんが、教育されるほうからいったら、それは決して気持ちのいいことではないのです。

 人は生まれてから、それぞれの環境で生き、育ち、それぞれの価値観をもって生きてきているわけです。それを強引に否定されたり、訂正されたり、されることは苦痛であります。一緒に生活することに耐えられなくなるのであります。

 イエスは弟子達を確かに教育したかもしれません。しかしイエスはご自分の死を自覚した時に、弟子達に最後にしたことは、なにか訓戒をたれて教育したのではなく、いきなり、弟子達の足を洗うということだったのです。

 イエスは弟子達との最後の晩餐の途中で、いきなり弟子達の足を洗い始めたのであります。弟子達はびっくりしました。そんなことはなさらないでくださいと言ったのです。そのとき、イエスは「もしわたしがあなたを洗わないならば、あなたはわたしとなんの関係もなくなる」といわれたのであります。
 
 足というのは、人間の一番汚れているところであります。イエスはそのわれわれの一番汚れているところと関わろうとしている、それを洗ってくださった、それを受け入れてくださって、そのところを教育して直そうとしたのではなく、そのまま受け入れてくださった、そうしてわれわれと関わってくださったのであります。
 われわれの魂の一番美しいところと関わろうとしたのではなく、一番汚れているところと関わってくださって、受け入れてくださって、赦そうとして十字架につき、そのようにして、われわれと交わろうとしたのであります。

 その人の一番汚れているところ、弱点、短所をそのまま受け入れるようという覚悟というか、そういう姿勢がないところで、どんなに人を教育しようとしてもそれは教育にはならないし、それはいやがられるだけであります。

 子供には教育は必要だと思います。しかしもう大人になった人を教育する必要はないのです、受け入れることです、相手の長所も短所も受け入れることです。長所はその裏側はかならず短所になる要素をもっているからです。夫は妻を教育しようとしないことです。妻は夫を教育しようとしないことです。

 パウロはこの年下のテモテを教育したかもしれませんが、それ以上にこの年下のテモテから多くのことを学んだのです。
 
 二五節からをみますと、すぐこのテモテを派遣できないので、さしあたりエパフロデトを送り返すというのであります。このエパフロデトはピリピの教会から捕らわれの身のパウロの窮乏を補うために派遣されてきた人なのです。

 ところがこのエパフロデトはこちらにきて、病気になってしまった。瀕死の病気になってしまった。その事をこのエパフロデトはたいへん心苦しく思っているらしいのです。パウロのために来たのに、かえってパウロに自分の病気の事で迷惑をかけ、その事がピリピの教会の人々にも伝わって、どうもエパフロデトのことを非難する声も聞こえて来たようなのです。

 それでエパフロデトもピリピに帰りづらくなっているようなのです。それで今パウロはそのエパフロデトのことをかばい、彼を心から迎えてあげて欲しいというのであります。

 こういうところを読んでいますと、教会の交わりは、今も昔も変わらないという事をつくづく思います。教会の交わりは、兄弟姉妹の交わりとはいいましても、ちょっとした事でいろんな意見の違いがあって、すぐ人を非難しがちなのであります。だから教会ではないとか、教会にふさわしくないと非難するのではなく、だからこそ、教会員ひとりひとりが改めて、神の前に、キリストの前に謙遜でなければならないと思います。

 この二章は「どうか同じ思いとなり、同じ愛の心をもち、一つ思いなって」という勧めの言葉から始まり、「何事も党派心や虚栄からするのではなく、へりくだった心をもって互いに人を自分よりもすぐれた者としなさい」といい、あのキリストの謙遜と従順を学びなさい」という言葉から始まっていたのであります。

 へりくだった心をもつとか、謙遜になると言う事は何よりも、神の前に立ち、自分が神によって造られたものであることを知ることであります。それはまたあの兄弟もこの兄弟も同じ様に神によって造られたものであることを認めるということです。

 それぞれの性格の違いを認めるということ、それぞれの個性を認め合うということ、従ってそれぞれの働きの違いを認めるということです。信仰は一つですけれど、その信仰のあらわしかた、あるいはその信仰の生活の違いは人それぞれだということです。それを認めるということであります。

 なにも同じ兄弟姉妹だから教会につらなるすべての人とつきあわなくてはならないという事ではないのです。同じクリスチャンなんだから、すべての人を好きにならなくてはならないということではないと思います。

 ただ自分の好みとか自分の個性とか自分の感性とかを主張するだけであってはならない、人にはそれぞれの生活があり、それぞれの過去の習慣を背負ってクリスチャンになっているわけですから、それをお互いにゆるしあい、認めあうという事であります。

 パウロはこうした性格の違いを認め、受け入れようとしたのであります。性格の違いです、信仰の違いでなく、信仰の違いであったら困りますが、性格の違いです、性格の違いということは、信仰の表現の違いといってもいいと思うのです。性格が違えば、信仰の表現の違いもでてくると思うのです。その違いを互いに受け入れるということです。

 パウロはテモテをほめてこう言っているのであります。
 「人はみな自分のことばかりを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めていない」、しかしテモテは違うというのです。

 自分のことばかり求めるだけで、といいますから、その後には、人のことを求めていない」というのかと思いますと、「キリスト・イエスのことを求めていない」というのであります。

 つまり、自分のことばかり求めるのではなく、人のことをも求めなさいといわれても、われわれは、それは、なかなかできないことなのであります。人を愛そうと思ったら、まず、キリスト・イエスのことを求めるということが大事なのではないか。

 自分のことばかりではなく、人のことをもと言う前に、ワンクッションを置いて、なによりも、キリスト・イエスのことを思い起こす、そうすると、われわれはイエス・キリストがわれわれの足を洗ってくださったことを思い起こし、イエス・キリストがわれわれに仕えくださったことを思い起こし、自然と人のことをも思うようになるのではないかと思います。