「福音のはじめ」        一章一ー一五

 今日からマルコによる福音書を学んでいきたいと思います。その冒頭の言葉は、「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」となっております。この「はじめ」は何がはじめなのか。いろいろな取り方はあるでしょうが、内容的に言えば、やはり「はじめに光があった」「はじめに言があった」という意味にとって、すべてはこの神の子イエス・キリストの福音から始まるのだ、という意味にとっていいと思います。
 
神の子がこの地上にきたという事は、どういう事でしょうか。それは、東京で下宿している学生の所にいきなり親が来たようなものなのではないでしょうか。学生はいつも田舎にいる親に「金を送ってくれ」と手紙や電報で依頼していたのであります。しかし、いきなり親自身が東京の下宿を訪ねて来たのであります。それは学生にとって有り難いことだろうか、うれしいことだろうか。かえってそれは迷惑なことなのではないだろうか。何故ならそれは自分のだらしのない生活があらわにされてしまうことだからであります。学生の願いから言えば、ただお金だけを送ってくれた方がずっと都合がいいだろうと思うのです。

 われわれも自分の救いということを考えた時に、本当はそう思っているのではないだろうか。神様はいて欲しい、しかしその神様は、自分がお願いした時だけ姿を現し、自分の願いを聞いてくれるかたであって欲しい、そういう「打ち出の小槌」のようなかた、そういう神様を望んでいるのではないだろうか。
 
 しかし神はお金を現金封筒で送っているだけでは、ひとつも人間の救いにはならないと思われたのであります。多くの預言者を送り、預言者を通して神のみこころを伝えても、人間はひとつも悔い改めない、それでとうとう最後に神は神様の独り子イエス・キリストそのかたをわれわれの所に、この地上に送ったのであります。

 ですから、われわれが本当に救われるためには、ただ祈っていればいいというわけにはいかない。この地上にいらしたイエスというかたが何を語り、どのような生き方をし、そしてどのように死んだのか、そしてよみがえったのか、その事をいつも学ばなくてはならないのであります。それはわれわれにとって決してただ有り難いことではないのです。かえって迷惑なことであるかも知れない。自分のだらしなさ、自分の罪があらわにされていくことだからであります。

 イエスはある時、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うてわたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう」と言われたのであります。「福音のために」自分の命を失う者は、と言われたのであります。つまり、この神様がわれわれに与えてくれる喜ばしいおとずれ、福音を得るためには、イエス・キリストに従わなくてはならない。そして従う為には、自分を捨てなくてはならない。実際に自分を捨て切れるかどうかはともかくとして、少なくとも自分を捨ててみよう、そしてともかくイエスに信頼してイエスの言われた事を聞いて信じて、従ってみようという覚悟と決断が要求されるという事であります。それはわれわれの日常生活の、一杯散らかっている下宿の生活の一間に、自分にお金を出してくれる人をいれる、入っていただく、という事なのであります。

ある人が「自分の実生活に犠牲を要求しないような思想は思想でない」と言っておりますが、われわれの実生活に影響を与え、われわれに犠牲を強いないような信仰は信仰ではないのであります。

 なぜ神はご自分のひとり子をわざわざこの地上に送ったのでしょうか。それはわれわれ人間をなんとかして救おうとしたからであります。もしわれわれ人間を裁こうとしたならば、わざわざ神のひとり子が地上に来る必要はなくて、あのノアの時の大洪水のように一気に洪水を起こせばそれですむのであります。
 
しかし、神はそうをなさらなかった。パウロの言葉によれば「神は今までに犯された罪を忍耐をもって見逃しておられたが、それは今の時に神の義を示すためであった。こうして神みずから義となり、さらにイエスを信じる者を義とされるのである。」(ローマ人への手紙三章二五節)という事であります。神は忍耐して忍耐して、堪忍袋の緒が切れて大洪水を起こして裁こうとしたのではなく、忍耐の末に、徹底的に人間を救おうとしてイエス・キリストをこの世に派遣したのであります。それは神の愛が真実の愛である事、神の愛がなによりも神の義であることを示すために独り子をこの地上におくったという事であります。
 
 それは、神が遠い天上から地上のわれわれ人間を見ているだけでは、人間の事はよくわからないから、イエスをこの世に派遣したということではないのです。神は全能者ですから、人間のことは天上からでもつぶさにわかっておられるのであります。神が人間の罪や弱さ、その苦しみがおわかりにならないのではなく、人間の方がどうせ神様なんて遠い遠い天上にいてわれわれ人間の苦しみや悲しみ痛みなどがわかってくださらないのだと、人間の方がそう思っている。そういう愚かなわれわれのために神は独り子を送って、神はどんなにお前たちの弱さを知っているか、知ろうとしているかを、人間に直にわかってもらおうとして、この地上にイエスを送ったのであります。

 そのことをヘブル書では「この大祭司はわたしたちの弱さを思いやることのできないような方ではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについてわたしたちと同じように試練に会われたのだ。」(ヘブル人への手紙四章)と言っているのであります。
 われわれの方が勝手に神を遠ざけているのであります。そのために神の方から、それはお前たちの誤解だ、神はお前たちの弱さをよく知っておられるのだと言う事をわれわれにわからせるために御子を送ったのであります。

 われわれはこのマルコ福音書を通して、イエスがどれだけわれわれ人間の弱さ、罪、そこから引き起こされる悲惨、苦しみを知っておられるかを見て行きたいと思うのであります。

 パウロはコリント人への第二の手紙の中で(五章一六節ー)、「わたしたちは今後だれをも、肉によって知ることはすまい。かってはキリストを肉によって知っていてたとしても、今後はもうそのような知り方をすまい。」と言っております。
 ある神学者は、イエスがこの地上でどのように生活したかという事はもはや知ることはできないと言っております。何故なら、今日あるイエスの伝記といわれる四つの福音書はイエスのこの地上での生活を史実ににもとずいて忠実に記録したものではないからである。それはすべて教会が自分たちの都合のよいように粉飾したものであって、イエスの本当の伝記ではないからだ、もはや今日イエスの伝記を書くことはできない。われわれにとっては、イエス・キリストがこの地上に来られた事、そして十字架で死んだこと、そして復活したこと、この事実さえあればそれでよいのであって、もはやイエスそのかたを知るためには福音書は必要ないと言っております。

 しかしそれではわれわれの信仰は、はなはだ観念的抽象的な信仰になってしまうのではないでしょうか。確かにパウロは、福音書に書かれているような地上でのイエスの生きた様子には殆ど言及していないのであります。しかしそれはパウロが福音書を読んでいないからであります。といいますのは、パウロの書いた手紙は、福音書よりも文書としては先に書かれているわけであります。今日の学者の推定では、パウロの書いたとされております手紙は、西暦五六年から五七年頃であります。そして福音書の中でも最初に書かれたとされておりますマルコによる福音書は大体西暦六十年から七十年ということになっているのであります。ですからパウロはこの福音書を読んでいないのであります。

 パウロがかってはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしないというのは、イエス・キリストをかっては人間的な思いで知っていた、つまりイエスをただ律法破壊者として神殿破壊者としてしか知らなかった、しかし今はそのような知り方はしないということであります。神の子として、救い主として、自分を罪から救ってくださったかたとして知ったということであります。

 福音書は確かにイエスの文字どおりの伝記ではありません。第一マルコによる福音書にはイエスの誕生の記事はありません。恐らく三十才頃からイエスが公に活動し始めて十字架にかかる時まで、一年か二年とも言われておりますが、その期間のことが書いてあるのです。

 そしてマルコによる福音書とマタイによる福音書、ルカによる福音書を比較検討してみれば、共通の部分は勿論ありますが、違っている部分もあるわけです。一番著しいのは、あの十字架の上でイエスが何を言われたかという事であります。マルコとマタイでは、「わが神わが神、どうしてお見捨てになったのですか」と絶叫したことが記されておりますが、ルカにはそれがなく、その代わりに「わたしの霊を御手に委ねます。」と言って、息を引き取られた、とあるのであります。

 そういうことから言えば、福音書は忠実なイエスの伝記ではないのです。ある人が「福音書を書いた人たちは伝記作者であるよりは、生きた礼拝者であった」と言っているのであります。イエスを神の子として礼拝している人が自分の信仰に基づいて、イエスの地上での生き方を書いたのであります。ですから、それは写真を写す様にしてイエスの生活をそのままあるがままに写しだしたのではなく、ちょうど優れた画家が、自分の感性に即して、自分の出会った対象を描くのに、その形のまま写し取るのではなく、その対象から受けた感動を描き表そうとしたようなものであります。画家は自分の感動の真実を伝えようとして、ある時は、その対象をデフォルメ、誇張するでしょうし、余計な部分は切り捨て、捨象し、象徴化するかも知れません。画家は自分の感性に沿って自分の出会った対象をなんとかして真実に伝えようとしているのであります。それは写真のように、ありのままを映し出すよりは、よほどどんなにか真実を映し出すかということであります。本当は、優れた写真家だって自分の感性に従って対象を構成して、写真にするのであります。

 マルコもマタイもルカも、そしてヨハネもその様にしてイエスという対象に迫り、その真実を伝えようとしたのであります。そういう意味では、この四人とも伝記作者ではなく、礼拝者だったのであります。

 最後に、お話しておきたい事は、このマルコとは誰かという事であります。結論を言えば、今日もうその正確なことはわからないのですが、マルコ福音書を読むと、パレスチナの地理について、ずいぶん無知な所がある、またユダヤ人の慣習に対して鋭い攻撃を加えたり、この習慣を異邦人にくわしく説明しようとしているところがあって、恐らくマルコは異邦人で、そして異邦人キリスト者にイエスのことを伝えようとしたのだろうと言われております。

 マルコについての唯一の報道は、紀元一三0年頃小アジヤの監督であったパピアスの書いた文書にある記事だというのです。
 「ペテロの通訳者であったマルコは、記憶していたすべてを正確に書きおろしたが、キリストが語り為された事を、その順序に従つて書いたわけではない。何故なら彼は主イエスから直接聞いたことはなく、イエスに従ったわけでもなく、あとでペテロに従っただけだからである。ペテロは必要に応じて教えの言葉を述べたのだが、主の言葉の編纂を企てたわけではない。従ってマルコは想い出すままに、いくつかの事を書いた時、間違うことはなかった。何故なら自分の聞いたことを何一つ脱落させず、改ざんすることもないようにという一事のみ意を用いたからである。」

 このパピアスの証言は今日の学者の間では、そのまま信頼するわけにはいかないだろうという事ですが、マルコは少なくともペテロからイエスのいろいろな事を聞いて、そしてマルコは自分の信仰に即して、この福音書を書いたのだろうと言う事であります。
 そして書かれた時期は、マルコによる福音書には、エルサレム神殿の崩壊のことを暗示されるような記事はないから、ローマによるエルサレム神殿が破壊される前、紀元七十年よりも前と推定されています。

 そして恐らくマタイとルカもこのマルコによる福音書を土台にして、それぞれ自分たちのもっているイエスに関する資料をもとにして、福音書を書いたのだろうと推定されています。

 これからこのマルコによる福音書を通して、イエス・キリストそのかたについて学んでいきたいと思います。礼拝者としてマルコがイエスを書いたのであれば、われわれもこの礼拝の場において、マルコによる福音書を学ぶのが一番正しい学びかたであると思います。