「主イエスのみもとに」         三章一三ー一九節

 元旦の新聞に、森毅という数学者が、数学者といっても、最近はエッセイストといった方がいい人ですが、こんな事を書いておりました。少しわたしの言葉に直して紹介しますと、「人に話を話をする時に、『説得』と『納得』という方法がある。説得は、相手に反論を許さない、説得されたからといっても、説得されたから納得したとは限らない。納得していないのに、説得されたというのは、非常に不愉快なものだ。相手を説得するのではなく、相手に納得してもらう方を自分は選びたい」という意味の事を書いていて、大変おもしろいなと思ったのであります。
 
この森毅というかたの書いたものは、わたしはいつも好きで考えさせられるのですが、このかたは、著者紹介などで、東京に生まれ、となっておりますが、現在は確か、京都に住んでいるのではないかと思います。わたしは、四国に行くまでは、東京を一歩も離れた事はなく、もっとも小学校二年から三年にかけて集団疎開で山梨にいた事はありますが、ともかく関東中心の生活をしていたわけであります。ですから、四国に行くまでは、わたしはいわゆる関西弁というものが嫌いでした。大阪の漫才とか落語を聞いていてもなじめなくて、何がおもしろいんだろうか、と思ったものですが、四国で生活するようになって、四国はまた関西弁とは違うとは思いますが、ともかく関西系ですから、そのうち大阪弁というもののおもしろさがよくわかるようになったのであります。関西弁、関西的思考方法というもののおもしろさがよくわかる様になったのであります。考えてみれば、私の好きな評論家の鶴見俊輔も生まれは東京ですが、もう長い間、京都に生活していて、その思考方法はまさに関西風なのであります。

 その新聞の森毅の文章も、最後の方に、「みんな因果関係で理屈をつけたがるけど、関西には『縁のもんや』という言葉がある。理屈じゃないけど、しゃあないがな、という。『こうだからこうなる』とか『なぜ、何のために』って理由をつけたがるけれど、実は、人間はかなり、偶然で生きてるんですよ」と言って、終わっているのであります。

 東京の人は黒白をつけたがり、従ってすぐ人を批判し、自分と合わない人を裁きたがりますけれど、関西的思考は「しゃあない」と言って、相手を受け入れるという、柔軟性といいますか、いいかげんさといいますか、そういう所があってとてもおもしろいと思います。

 関西の人は「納得」を目指し、東京の人は「説得」を目指すとは、森毅は言ってはおりませんけれど、しかし東京の人は理詰めで、相手を説得にかかろうとする傾向があるのではないかと思います。それに対して関西の人は、相手が納得するまで、のんびりと待とうとするところがあるのかも知れません。

 新しい年を迎えて、この一年も同じように、今年の目標などかかげないで、昨年と同じ事をマンネリになることを少しも恐れないで、繰り返し繰り返し、同じ歩みを続けていきたいと思いますが、それはやはり、日曜日毎の聖日礼拝を中心に松原教会を形成していきたいという事になると思います。そして礼拝の中心は説教では必ずしもないとは思いますが、少なくとも牧師の心構えとしては、説教を中心に礼拝を考えていかざるを得ないのですが、その説教でわたしがいつも心がけている事は、説教は「相手を説得するのではなく、相手に納得してもらおう」、そういう説教を心がけているつもりであります。

私自身、人から説得されるのは嫌いで、それこそ自分が納得していないのに、説得されてこうしなさい、ああしなさいと言われるのは、わたしにとっては一番不愉快で、また苦痛なのです。自分の嫌いなものを無理に食べさせられるというあの戦後の給食を思い出して、生理的にいやなのです。ですから、わたしは人に対しては、説得して導こうと言う事は、牧師になってから、もう始めから放棄しております。わたしは説教において、なにか人をアジルというような、洗脳するような、人を酔わす様な説教をして、人を説得するのではなく、納得してもらう事を目指すという方向で、説教をしようとこころがけているつもりであります。
 
その時に、どうしても私が使う手段というか、武器は、森毅が批判する「理屈」になりがちであります。理屈ぽい説教になってしまう、そのことはいつも気をつけているつもりですが、しかし相手を説得するという、いわば相手を洗脳してどこかに導くという方法ではなく、相手に納得してもらうという方法を目指す限り、その手段としては、言葉という手段を用いるのが一番よいと考えております。人格的な感化を与えるなどということは願っておりません。もちろん私にはそんな人に感化を与えるような人格もないし、また与えたいとも思いませんし、与える事はたいへん危険な事だと考えております。
 
その「言葉」による説教ですが、それはこちらが何か大声をあげたりして強圧するのではなく、聞く人がそれぞれの個性に応じて説教を受けとめてまらいたい。自分の場所に持ち帰って、自分のペースにあわせて、その「言葉」を納得してもらいたいと願っております。聖書の真理に生きてもらうためには、聖書の論理をわかってもらいたい。理屈というよりは、論理という言葉を使いたいのです。理屈という言葉は、すぐ「屁理屈」という言葉と結びつきますので、理屈というよりは、論理という言葉を使いたいのです。つまりそれは、筋道を立てるという方法です。それが説教の一番よい方法だと、私は考えているのです。その聖書の論理を自分が納得できるまでじっとあたためて貰う、それが一番よい方法なのではないか、それが一番押しつけがましくない方法なのではないかと、考えいるのであります。

 さて、今日学ぼうとしております聖書の箇所は、イエスが十二人の弟子を選ばれたという聖書の箇所であります。何故イエスは十二人の弟子を立てたのかと言いますと、他の福音書を見ますと、言うまでもなく、宣教のため、伝道のために十二人を選んだのあります。ただマルコによる福音書だけは、その前に「そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばにおくためであり、さらに宣教につかわし、」となっております。目的は宣教のためかも知れませんが、その宣教という任務につかせるためには何よりも自分のそばに置くということが一番大切であったという事であります。あるドイツ語の聖書の訳には、ここに原文にない「つねに」という言葉をいれているそうであります。「自分のそばにいつでもいるように」という意味をこめて訳しているのだそうであります。

 イエスは弟子達を常にいつも自分のそばにおいておられた。それはただ弟子達を宣教につかわすための教育ということではなく、それ以上にイエスご自身が弟子達とともに生活するということを欲しておられたという事ではないかと思います。そしてそれが福音そのものの中身なのではないか。福音というのは、共に生活するということだからであります。イエスはご自分のそばに弟子達をおいて、弟子達と共に生活をしたかった、そのためになによりもまず十二人の弟子を選び、自分のそばに置いたのであります。そしてそれが自分の生き方考え方を学ばせる一番よい方法だったのであります。
 
 よく落語家や将棋指しの弟子が、師匠に弟子入りしても、師匠からは何も教わらなかった、四六時中掃除洗濯、お使いをさせられるだけだった、芸は教えられるのではなくて、師匠から盗むものだと言われたという話を聞きますが、それはまさに師匠のそばにいて、始めてできることであります。その時、弟子は師匠の芸を納得して自分のものにするのではないかと思うのであります。

 イエスも福音というものを弟子達に説得したりするというよりは、弟子に自分との生活を通して納得してもらいたかったのではないか。そしてもし弟子達がイエスからただ福音の真理を「説得」されるだけだったならば、あの十字架を前にしてイエスを裏切ったあと、復活のイエスにお会いした時、立ち直れただろうか。単なる洗脳とか、説得ということだけならば、何かが崩れた時には、挫折した時には、つきものが落ちたように、いっぺんに熱がさめてしまうのではないでしょうか。
 
 あの戦争が終わって日本人はいっぺんにアメリカが持ち込んだ民主主義になびいてしまったという事、戦争中の天皇を中心にしたあの皇国史観というものがいっぺんに熱がさめたように、それこそ一日で崩れてしまったという言う事は、日本の指導者たちが国民をあらゆる手段を使って、説得しようとしただけで、国民の方は説得はされたが納得はしていなかったという不愉快な思いだけが残っていた、だからあんなにあっさりとそれを捨ててしまったということなのではないか。

 弟子達が一度は自分達の弱さと卑怯さのためにイエスを裏切った後も、再びイエスとお会いして、そのイエスの福音を宣べ伝え始めたという事は、弟子達がイエスのみそばにいてじかにイエスの話を聞き、イエスの生き方を学び、福音を納得して受け入れていた、だから一度は挫折しても、いや何度も挫折しても、熱がさめたようにそれを捨てないで、再びその福音に生き、その福音を宣べつたえようとしたのではないか。イエスの弟子達はいつもイエスのそばにいて福音を納得して受け入れていたのであります。そして、それが十字架と復活という出来事を通して、決定的に納得できたということなのではないか。
 
 イエスの弟子達はイエスのみそばにいて、確かにイエスから人格的感化を受けたと思いますが、しかしそれはただ人格的な感化というだけでなく、その人格的なものが一つの「論理」として、福音の論理として、言葉として弟子達の中に形成されていたのではないか。人格的感化だけでは、人は説得されることはあっても、納得するまでにはいたらないのではないか。

 何かを「納得」するということには、時間がかかります、また納得する方からいうと、何か痛い思いをしないと、納得しないという事もあるかもしれません。しかし福音は、納得して受け入れないと自分のものにはならないし、それはひとつも力にはならないのであります。

 イエスは十二人の弟子を選ぶ時に、みこころにかなった人々を呼び寄せて、十二人を選ばれたと記されております。この時イエスは、始めから十二人だけを選んで、山に登らせたのか、あるいはもっと多くのイエスのみこころにかなった人を山に連れて登り、その中から十二人を選んだのか、はっきりしないのですが、ルカによる福音書では、はっきりと「弟子達を呼び寄せて、その中から十二人を選び」となっておりますので、やはり山に連れて登ったのは十二人だけではなく、多くの弟子達を連れて登り、その中から十二人を選ばれたと考えた方がよさそうであります。

 渡辺信夫がこれを説明して、「これは息もとまるほどの厳粛な場面だ。山上のキリストは威厳に満ちて弟子達の前に立たれる。おごそかな御声がひびく。『シモンよ、前に出なさい。』『アンデレよ、前に出なさい。』こうして十二人が前に出されたのだ。そこで、主は他の弟子達が列席している場で、この十二人をお立てになったのだ」というのであります。

 そう考えてみれば、十二人が選ばれた厳粛さがよくわかります。ここには、選んだイエス・キリストの方に絶対的な権威があるのであります。もしこれがイエスではなく、誰か人間が誰かを選び、そして選ばれたとしたら、どうでしようか。選ばれなかった人間はひねくれ、劣等感におちいり、選ばれた人間を妬む事になるかも知れないし、選ばれた人間は自分は特別に選ばれたのだと自分の事を誇り、傲慢になるかもしれないのであります。

 選ばれたこの十二人は、ある時には大変傲慢になった、そのような心境に立ってしまった事があったようであります。あの弟子達の中では、自分達の中で、だれが一番偉いか、という事がいつも論争の中心だったようですし、イエスが天国にいった時には、自分を天国の上席に置いてくださいと頼んだこともあったのであります。それはこの弟子達が自分達を選んでくださったのは、イエス・キリストだという事を忘れ、自分が選ばれたのは何か自分達の中にその理由があるのではないかと思い始めたために、そのような論争になったのであります。

 しかし、この十二人が選ばれたのは、彼らが何か優秀だったからでもないし、何かのテストに合格して選抜されたわけでもないし、あるいはみんなの選挙で選ばれたわけでもなかったのであります。ただ、イエスのみこころにかなって、イエスがお考えになって選ばれたのであります。

 選ばれた方は、ただイエスが自分を選んでくださったという事、その事だけが自分がイエスの弟子である資格であり、根拠だと思わなくてはならないのであります。この中には、後にイエスを十字架へと売り渡したイスカリオテのユダも入っているのであります。あるいは三度イエスを知らないと言ったペテロもいるのであります。弟子達はみんなイエスを見捨てていってしまうのです。ですから弟子達は、決して人間的に優秀でも強いわけでもないのであります。ただイエスが選ばれた。そのことだけがイエスの弟子であることの根拠がなのであります。
 
 われわれが神によって救われた理由もまた、神がわたしを選び、神がわたしを救ってくださったという事だけであります。その事を信じないで、自分がキリスト教が一番高尚な宗教だと思ったからキリスト教を選んだのだなどと思っておりますと、教会の色々な事につまずいて失望して、容易にキリスト教を捨ててしまうし、自分が選んだのだから、自分がいやになったらいつでも捨てられると思ってしまうのであります。

 しかし神様が選んでくださった、そうであるなら、こちらがどんなに失敗しても神様から離れようとしても、神様の方が最後までわたしを追い求めてやまないのであります。その事を思い出して、そのことを思い出せたら、何度転んでもまたそこから立ち直ることができるのであります。

 ユダが、イエスを裏切ろうとした時、イエスは「お前を選んだのはわたしではなかったか」といったのであります。それを忘れたのかと言われたのであります。ユダはイエスを裏切ったあと、そういう自分に絶望して自殺してしまったのであります。自分を選んでくださったのはイエスなのだという事を思いださないで、自分で責任をとろうとして自殺してしまつたのであります。しかしペテロはイエスを裏切ったあとも自殺しなかった。そうしてもう一度、イエスに自分は選ばれていたんだという事を復活の主から確認させられて、見違えるように強くなったのであります。もうペテロは自分が偉いから選ばれたのだなどとはみじんも思わないで、イエスに従っていくのであります。確かさは、自分の意志の強さとか、こちらの決断の正しさなどにあるのではなく、あくまでイエスの側にある事を知っておりますので、何度でもそこに立ち帰ることができたのであります。

 イエスと弟子達の関係、イエスとわれわれの関係は、ある意味では、家族のような血のつながりのようなものかも知れません。親子の関係は、親はどんな問題をもった子供でも最後まで見捨てないないで、守ろうといたします。子供がどんなに親から離れようとしてもであります。いわば運命共同体みたいに、一度親子関係ができてしまうと、そのつながりは切れないのであります。

 神とわれわれとの関係は、勿論、血のつながりではありません。人格関係であります。しかしその結びつきの形としては、まるで血のつながりのように、確かなものだという事、親の子に対する責任のような関係にあるといってもいいのではないでしようか。
 わたしが神を選んだのではない、神様の方で、われわれひとりひとり選んでくださったのであります。そのことをいつも思い出し、そこに立ち帰り、そこから勇気と慰めと、また畏れとおののきを覚えたいと思うのであります。