「主の道を備えよ」           一章一ー一五節

 主イエスがこの地上でいよいよ公に活動する前に、ヨハネという人があらわれて、イエスの道備えをしたのであります。そしてそれは預言者イザヤが預言していた通りであったというのであります。二節は本当はイザヤ書ではなく、マラキ書で、三節の「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」がイザヤ書の預言なのです。
 このヨハネという人は、どのような道備えをしたのでしょうか。主の道を備えるということ、神の子が現れる前に、その準備をするということはどういうことなのでしょうか。

 このヨハネはらくだの毛衣を身にまとい、腰に皮の帯をしめ、イナゴと野蜜とを食物にして、そして人里離れた荒野に現れて、罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていたというのであります。いかにも預言者の風貌をもって人々に訴えていたのであります。しかも場所は荒野であります。それで人々はその噂を聞いて、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが彼のもとにぞくぞくと出て行って自分の罪を告白したというのであります。ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、というのはいかにも大げさであります。ともかくそれこそぞくぞくとみんなが荒野にいるヨハネの所にわざわざ足を運んで、罪を告白しに行ったというのであります。
 
 われわれ人間はどこか宗教的なところがあって、やはり罪を告白したい気持ちがあるものであります。宗教的な雰囲気にあこがれを持っているものであります。荒野とか、預言者風な風貌とかにあこがれるのであります。あるいはステンドグラスがあって、パイプオルガンが美しく鳴って、紫とか赤とかのストールが垂らされているガウンを着ている神父がいたら、みんな一度は行ってみたくなるものであります。そしてそういう所でなら、罪の告白もしてみたくなるものであります。自分の方から、自分の都合に合わせてなら、罪の告白をして、いい気持ちになりたい、そういう気持をわれわれみんな持っているものであります。

 そしてこのヨハネはそういう人々の気持ちを見抜いて、このヨハネからバプテスマを受けようとして、はるばると荒野にまでやって来た人々に向かって、マタイ福音書やルカ福音書では「まむしの子らよ、迫つて来ている神の怒りから逃れられると思うのか」と激しく怒ったというのであります。 わざわざバプテスマを受けに来た人々に「まむしの子らよ、」といって怒ったというのです。ヨハネも人間の悔い改めの実体を見抜いていたのであります。ただ自分の誠実さとか、自分の宗教的な感情から、自分の真面目さから、罪を告白し、バプテスマを受けたとしても、それだけではあまりたいしたことにはならない、それだけでは真の悔い改めにはならない事をヨハネも充分知っていたのであります。それがどんなに真面目であっても、自分からという所には、結局は自分の都合に合わせてという所があるからであります。
 
 マタイやルカでは、このヨハネがその様にして怒った内容が記されておりますが、このマルコによる福音書はそうしたことは一切記されておりません。これから学んで行くとわかりますが、マルコ福音書は非常に簡潔に書いてあります。たとえば、イエスが荒野でサタンの誘惑に会ったのだという記事も、その内容は書かないで、サタンの誘惑に会ったのだという事実だけを書いているのであります。ある意味で、非常に抽象的であります。しかしそれだけ余計な事を一切省いてしまって、その事柄の本質だけを書こうとしたのだということであるかも知れません。

 先週の説教で、マタイ福音書やルカ福音書は、このマルコ福音書を土台にして、自分達の福音書を書いたのだと説明しましたが、学者によつては、いや、その逆なのだ説く人もいるのであります。つまり、マルコはマタイ福音書ルカ福音書をよく読んでいて、その本質だけ、そのエッセンスだけを抽出して書いたのだという説を立てる学者もいるのであります。そういう意味では、マルコ福音書はマタイ福音書ルカ福音書よりも後でできたのだというのであります。この説はさすがにあまり受け入れられてはおりませんが、それはともかくとして、マルコ福音書はある意味では、ものの本質だけを描き出そうとしたという事はできるかも知れません。

 このマルコ福音書には、一つ奇妙な事が書かれております。それはヨハネは、「罪の赦しを得させるバプテスマを宣べ伝えていた」という表現です。これはルカもそのまま用いておりますが、「バプテスマを宣べ伝える」とは、奇妙な表現ではないでしょうか。バプテスマは施すべきものであって、宣べ伝えるべきものではないからであります。しかしヨハネはバプテスマを宣べ伝えていたというのですから、ただバプテスマを施していただけでなく、バプテスマの本当の意味について説教していたという事なのではないかと思われます。その内容をマタイやルカが書き記したのかもしれません。

 ただバプテスマを受けたって何にもならない、バプテスマを受けるという事は本当に悔い改める事で、悔い改めの実を結ぶことなのだ、それは罪の赦しを得させるバプテスマなのであって、罪の赦しを目指すバプテスマなのであって、バプテスマそれ自体に何か魔術的な効果があるわけでないのだ、と説教していたのかも知れません。
 
 そしてヨハネが何よりも言いたかった事をマルコは書き記しているのであります。「わたしよりも力のあるかたが後からおいでになる。わたしはかがんで、そのくつのひもを解く値打ちもない。わたしは水でバプテスマを授けたが、このかたは聖霊でバプテスマをお授けになるであろう。」といったのであります。ヨハネは自分の水によるバプテスマの限界を宣べ伝えていたのであります。後に主イエスはこのヨハネのことを評して「女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネよりも大きい人物は起こらなかった」と言って、彼は預言者以上の預言者だと言っておほめになっているのであります。そしてすぐその後で「しかし天国で最も小さい者も、彼よりは大きい」と言い、「すべての預言者と律法が預言したのはヨハネの時までである」と言われたのであります。

 バプテスマのヨハネは人間として最高の真面目さと誠実さをもって神の正しさを説いた。そしてヨハネのすばらしいところは、そうしながら人間のもっている真面目さとか誠実さとか、正しさとかの限界も同時に知っていて、それを人々に説き、水によるバプテスマの限界を説き、人間の真面目な悔い改めの限界を示したという事であります。その様にして、神から来る本当の救い主であるイエスを証したということであります。

 主の道を備えるためには、人間の最大級の誠実さ真面目さをもって、主の道を備えなくてはならないのであります。さんざん悪い事をしてきた人間がある時、突然神にお会いして、百八十度転換して改心して、それ以後人が変わったようにして、真面目なクリスチャンになったという話をよく聞きます。そしてそういう話を聞くと、神の恵みの大きさ、神の赦しの力強さにふれて、われわれは感動するものであります。しかしそういう話には、何かうさんくさい所があって、何かあまり劇的効果をねらった作為的な話が感じられるものであります。もちろん神がその様にして、人間を劇的に悔い改めに導くということはあるに違いないと思います。しかしたとえば、多くの人を殺して来た殺人犯が後に改心してクリスチャンになって、自分がいかに悔い改めたかを証して、その悔い改めの激しさを表すために、自分がいかに大罪を犯して来たかを告白し、全国を伝道旅行するとかという話を聞くと、何かやりきれないものを感じるのであります。われわれが本当に悔い改め、本当に神の恵みを知るためには、人を殺すとかという大罪を犯さないと、神の恵みとか罪の赦しとか、実感できないのでしょうか。

 私が以前いた四国の教会で経験したことですが、その教会で中心的な役割をしていたかたが亡くなった時のことを思い出します。そのかたは教会では役員もしていて、教会のいわば大黒柱的な存在でしたが、町の中でも医者として信頼があつく、戦後始めて行われた公選の教育委員長をしたくらいの立派なかたです。そのかたが脳溢血かなにかで倒れて、半身不随になり、しばらく病床生活をするようになりました。自分の死期を悟り、ある晩自分の家族を呼んで、ひとりひとりに最後の言葉を語ったというのです。いわば遺言をしたのであります。そしてこの地上でのお別れの言葉を語り、自分の死に備えた。あとからの奥さんからの話では、それは立派だったと、奥さん自身感動し、主人の死を覚悟したというのです。しかし不思議な事に、それからそのかたの病状はかえってよくなって、教会の礼拝にも何回か出られるようになったのであります。それから半年たったある日、その病人の枕元にいつも立てられている屏風があるのですが、その屏風には詩編の二三篇の聖書の言葉が書かれていますが、その詩編二三篇を奥さんに読んで欲しいと言われ、奥さんがそれを読んでいるうちに、ご主人は安らか に眠りについた。それで奥さんは今日は大丈夫だろうという事で、久しぶりにお風呂にもはいった。その時から、病状は急変して、それっきり眠るようにして、息を引き取ったのであります。私も亡くなる前に呼ばれて、最期を家族の人と一緒に看取りましたが、それは真に静かな最期だったのであります。

 わたしはこのかたの死を通して、人間が死を準備するということは何か、という事をいつも考えさせられるのであります。人間がどんなに準備万端整えて死の時期をあらかじめ予想し、また別れの言葉を用意して、これで死の準備ができましたと、いったとしても、人間の方が死を備えることはできないという事であります。死はやはり神様が備えることなのであって、神が支配なさることなのであって、われわれ人間は、その神が備える死を受け入れる準備をしていく以外にないのだ、神が備える死を受け入れようとする事が、われわれ人間が死を準備するということなのだという事であります。

 あの詩編二三篇には、「たとい死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたが、神が共におられるからです。」と歌われているのであります。

 そのかたは、最後には、幼子が母のふところに休むようにして、主のみ手の中で守られて死んでいったのであります。そのかたは大変真面目な誠実なかただったのであります。そして明治時代のクリスチャンらしい真面目さで、自分の死を精一杯準備しようとしたのであります。しかし神はそのかたのそうした真面目さを静かに押し戻して、神が最善の時に、そのかたを神のみもとにに引き上げたのであります。

そのかたが不真面目なだらしのないクリスチャンだったならば、そのような事があっても印象に残らなかったでしょうが、そのかたが人間として真面目な真剣な信仰者であったから、私はその一連の経過を通して、人間の真面目さの限界と、神の大きな支配を感じたのであります。

 「何を着ようか、何を食べようかと、命のことで思い煩うな。思い煩ったからとて、お前は自分の寿命を一日でも延ばすことができるか。そんな小さな事さえできないのに、どうして思い煩うのか。」と言われたイエスの言葉がよくわかるようになったのであります。

 バプテスマのヨハネは、人間として最高の真面目さと真剣さと誠実さをもって、主の道を備えようとしたのであります。ヨハネは真面目で誠実だったからこそ、自分の誠実さの限界を自ら悟り、「わたしよりも力のあるかたが後からおいでになる。わたしはかかんでその靴の紐を解く値打ちもない」と言って、神から遣わされた本当の救い主イエスを証したのであります、証できたのであります。その真面目さは、あのパリサイ人律法学者たちの真面目さとは違って、本当に謙遜な真面目さ、自分の限界をよく知っている真面目さであります。

 人を殺したりしないと人間の罪は本当はわからないのだとか、大罪を犯した時に始めて神の罪の赦しという事が身に沁みてわかるのだと言われるかも知れませんが、そういう事もあるかも知れませんが、しかし本当は真面目にものを考え、真剣に生きようとしている人が、自分の罪に敏感に気づき、自分の罪に深刻に悩むのであります。

 「罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた」とパウロは言っておりますが、そのことがわかるのは、自分の罪に気づいた真面目な人間が、そう告白できるのであって、平気で人を殺すような人が自分の罪に敏感になれる筈はないのであります。

 バプテスマのヨハネは女の産んだ者の中で、最大の人物であったとイエスは評価したのであります。そのヨハネによって主の道が備えられた事をわれわれは心にとめておきたいと思います。
 われわれはやはり真面目に真剣に誠実に生きなければならないのです。しかし同時に「誠実であればよいのか」と、絶えず自分自身に問いかけていかなくてはならないのであります。本当の救い主イエスから、聖霊のバプテスマを受けたいと切に願いたいと思うのであります。