「郷里の人々の不信仰」  マルコ福音書六章一ー六節

 イエスはご自分の故郷でありますナザレに行かれました。イエスは、始めは自分の故郷であるナザレを出て、宣教を開始したのであります。弟子達もまた自分の家族、故郷を捨ててイエスに従ったのであります。また、イエスが宣教していた時、イエスの身内の人々は、イエスが気が狂ったのではないかと思って、イエスを取り抑え、郷里に連れ戻そうとしたという事もありました。その時、イエスは「わたしの母、わたしの兄弟とはだれのことか。神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」と、言われて、イエスはそういう身内とか、郷里という関係を切ったのであります。

 そのイエスが今ご自分の故郷に帰ったのであります。
 われわれにとって、故郷というのは有り難いものであります。時々帰りたいと思うものであります。なぜ故郷に帰りたいと思うのか。それは恐らく、故郷に帰ると、自分が子供の時代に帰ったような気分になって、ほっとするからではないかと思います。それだけ、普段の生活では、どこか意地を張ったところがあって、緊張し、疲れているのであります。そういう時に、故郷に帰りますと少年時代にもどった気になって、肩の力が抜けて、ほっとするのではないかと思います。そして故郷の人々も、そのように、肩の力を抜き、子供時代に戻っているわれわれを温かく迎えてくれるのではないかと思います。

 イエスもそうだったのでしょうか。そうではないようです。なぜならイエスはこの時、弟子達も一緒に連れて郷里に帰っているのですから、いわば私的に帰ったのではなく、公的に郷里にいったという事であります。つまり伝道しに帰ったという事であります。しかし郷里の人々はそのイエスを歓迎しなかったようなのであります。

 イエスが郷里に帰って、最初の安息日に会堂に入って、聖書の話をしますと、それを聞いた郷里の人々は驚いたというのです。「この人は、これらのことをどこで習ってきたのか。また、この人の授かった知恵はどこで習ってきたのか。このような力あるわざがその手で行われているのは、どうしてか。」と言ってイエスにつまずいたのであります。彼らは、イエスが非常に力強く、権威をもって語るので、まずひっくりしたのであります。その知恵の深さに驚いたのであります。そしてイエスが力あるわざ、つまり奇跡を行う事も自分の目で見ているのであります。しかしそれでもイエスを受け入れようとはしなかった。尊敬しようとはしなかったのであります。なぜなのでしょうか。

 それは郷里の人々は、イエスの事を小さい時からよく知っているからであります。イエスは三十才の頃までは郷里で、お父さんの後をついで大工の仕事をしていたようなのであります。ここには、イエスは「マリヤの息子で」とあって、父親であるヨセフの名前は出てまいりませんので、恐らく父親のヨセフは早く亡くなったのではないかと思われます。イエスはその父親に代わって、その兄弟たちの面倒をみて、大工の仕事をしながら、母親を助けて生計を立てていたのではないか、と推察されるのであります。人々は、そういうイエスを知っていたのであります。郷里の人々は自分達と同じ生活をしていたイエスを知っていたのであります。そのイエスが突然変わってしまった。まるで神の子のような権威ある話をし、力あるわざをしているのであります。それでイエスを受け入れられず、つまずいたのであります。

 もしイエスが、郷里を離れた所で、たとえばエルサレムにいって、立派な預言者とか教師とかして、活躍し、そして故郷に帰ってくるというのてあれば、子どもにかえるようにしてくつろぐために帰ってきたのであれば、人々は心からイエスを歓迎したかも知れません。しかしイエスはそういう姿勢は示しませんでした。故郷でも権威をもって、福音を示そうとされたのであります。

 イエスは、権力の座に座っている律法学者、パリサイ人や、祭司達、長老達から拒否され、迫害されましたが、また同じようにイエスの一番身近な、郷里の人々からも拒否されたのであります。郷里の人々にとっては、自分達と同じ生活をしていた仲間から優れた人が出たという事は、一面うれしいことに違いないのですが、しかしそれはまたある意味では、うれしくない事でもあるのです。その人に対する妬みとかやっかみみたいなものがあるからであります。その偉くなった人が、ただ少年時代にもどってくつろいでくれているだけならばいいのですが、その人から自分達がお説教されたり、批判されたりしたら、その人が親しい身近かな人だけに素直に聞けないで、頭から拒否反応を示してしまうのであります。

 ルカによる福音書では、イエスが郷里のナザレで会堂で聖書の朗読し、イザヤ書の恵みの年の預言の箇所を朗読し、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と言いますと、始めはイエスの恵みの説教にみんな歓迎したと記されています。しかしそのうちにある人々が、しかしこのイエスはもとはと言えばヨセフの子ではないか、と言い始め、イエスの神の子としての権威を疑うようになる。それでイエスがそうした郷里の人々のかたくなな姿勢を批判し、悔い改めを迫ることを言いますと、一転してイエスを町の外に追い出し、その町の丘の崖にまで引っ張っていって突き落とそうとしたと言うのであります。

 いわば自分達と同じ釜の飯を食った仲間から優れた人が出ますと、たとえばそれが政治家だったならば、その政治性を利用しようとしてちやほやするかも知れませんが、そういう自分達の利益にならないことが分かりますと、その優れた人に対する妬みとかが出てくる、ましてその人が少しでも自分達に批判めいた事を言い出したら、もう拒否反応を示してしまうのであります。

 それはつまり自分達の安住の場を、安閑として生活している場所を批判されたくないという事なのではないかと思います。自分達のよく知っている人、同じ釜の飯を食っていた仲間から、自分達の現状を批判される事は一番こたえるのであります。自分達のあぐらをかいて眠っているいるような状態、安閑としている状態を根底から批判されるような気がするのではないかと思います。
 
 クリスチャンの詩人で、石原吉郎という人がおりますが、このかたは戦争犯罪人として二十五年の刑を言い渡され、シベリヤの密林地帯に囚人として労働に携わったという人であります。寒さと食料不足のために、多くの囚人が死んだ。彼は身に覚えのない刑罰を、あの戦争の当事者だった日本人の誰かが負わなければならなものとして納得して刑に服していた。そしてスターリンの死に伴う恩赦によって十三年ぶりに日本に帰って来た。日本に帰って来たら「ご苦労だった」と、ねぎらいの言葉をかけられる事を期待していた。しかし敗戦から八年たっていた日本は、もう戦争の事を忘れて誰もそのような事を言ってくれる人はなかった。

 石原吉郎は「肉親へあてた手紙」という文章の中で、こういう事を書いております。彼は故郷の伊豆に十三年ぶりに帰った時に、親戚の長老格の人から、自分が何も話さないうちに、居住まいをただされて、最初にこう言われたというのです。「きみは、アカではないか。もしアカである場合は、この先おつきあいするわけにはいかない。」次に「きみには父も母もいないのだから、自分が親代わりになってもよい。ただし物質的な親代わりはできない。精神的な親代りにならなる」と言い、そして最後に「祖先の供養をしなさい」と言われたというのです。

「私は、自分のただ一つの故郷で、劈頭に告げられた言葉に対し、その無礼と無理解とを憤る前に、絶望した。そうでなくても、ひどく他人の言葉に敏感になっており、傷つきやすくなっていた私の気持ちはこれですっかり暗いものになってしまった。戦争の責任をまがりにも身をもって背負ってきたという一抹の誇りのようなものをもって、はるばる郷里にやって来た私は、ここでまず最初に『危険人物』であるかどうかのテストをうけたわけだ。さらに『精神的親代り』にいたってはいうべき言葉はなかった。そして『祖先の供養をしなさい』という三番目の言葉は、その時の自分の精神状況を無視して、自分が姿を現すやいなや、まずこれに逃れえない責任を課そうとする態度で一に二もなく、反感をもった」「とにかく、私は伊豆へ着くや否やいきなり絶望した。伊豆にいる間、もう帰ろう、もう帰ろうと思いながらそれでも予定の半分だけでも滞在したのは、おそらくは、十三年ぶりで見る故郷の山河に強くひかれたからにほかならない。」

 「そして自分は伊豆にいる間、祖先のまつられている墓地をうろついていた。土地の人々はある種の揶揄と悪意をもって噂した。その人たちは、自分が墓地で何を考えようとしていたか、またなぜ人の顔を見るのを嫌って墓地へでかけたかを考えてみようともしない人たちだ。自分はその墓地をうろつきながら『もはや墓地と、はっきり離れなければならない』という事、それを墓地をうろつきながら考え、決心した。伊豆から帰った自分は、急に暗い人間に変わった。」

 そしてこの事を取り上げて、鶴見俊輔はこういうのです。
「復員青年が故郷の親戚に会った時に、物質的親代りになれないと言われたのは、戦後の当然の倫理となったマイ・ホーム主義の立場からのしめだしなのだ。十数年前に青年を日本から外地の戦場に送りだした時には、日本民族は一億一心火の玉となって鬼畜米英を倒すというような共同体の倫理があった。しかしそういう共同体の倫理は、敗戦とともに消えた。鬼畜と呼ばれた米国は占領軍となり、日本の秩序の保護者となった。その新しい秩序は、共産主義による撹乱をおそれ、アカにたいして身を守ろうした。アカにたいして身を守ることを通して、日本の平和だけでなく、一家の平和を守るかとができるのだと考えるようになっていたのだ。」

 イエスの郷里の人々が、イエスの中に神の権威をある程度認めておりながら、そうであるが故に、かえって、イエスを遠ざけたいと思うのは、自分たちの安閑としたぬくもりを、つまり自分達の一家の平和を乱されたくないという思いからなのではないか、と思います。

 イエスを激しく拒否した律法学者を始め、権威の座にしがみついている人たち、そして同じようにイエスを拒否した故郷の人々、家族の人々は、共に、今いる自分たちの立場を乱され、壊されるのを恐れて、イエスを拒否するのであります。それは逆に言いますと、イエスというかたは、イエスにふれるという事は、それほど今いる私の立場が根底からゆさぶられるという事であります。

 そしてもう一つ郷里の人々がイエスにつまずいたのは、同じ釜の飯を食った、自分達と同じ仲間なのに、そんな大それた事ができる筈がないという疑いの目があったのではないか。イエスは「預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない」と言われたというのであります。預言者は郷里では敬われないものだということであります。同じような言葉に「医者は自分を知っている人々には効き目をあらわすことができない」いう言葉があるそうです。病気は医者に対する信頼がないと、効く薬もきかないのであります。なぜ、小さい時から知っている人が医者になった時、その医者を信頼できないかと言えば、小さい時は洟垂れ小僧だったのに、医者になったからといって急に信頼できるかという事であります。つまり自分達のレベルでしか相手を見ようとしないという事であります。自分達が怠けている間に、彼の方は一生懸命勉強して立派な医者になっている事を認めようとしないのであります。 

 つまりそれは、相手を信用出来かねるから、相手を信頼出来ずにつまずいたというのではなく、自分達の浅はかな視野の狭さが、相手を信頼できなくさせているという事なのであります。

 不信仰と言う事、われわれが神を信じられない、イエス・キリストを信じられないのは、神様が信用できないとか、聖書が信用できないというように、神様の方に、聖書の方に何か欠陥があって、信用できないのではなく、自分達の方に欠陥があって、自分達のかたくなささが神を信頼出来なくさせているのであります。その自分達の欠陥とは何でしょうか。それは、イエスの郷里の人々が自分達の考えに固執したように、自分の考え自分の経験しか信じようとしないという事であります。

 イエスは、その故郷では力あるわざを一つもすることができなかったというのであります。それはイエスが故郷ではその力を突然失ったというのではなく、奇跡によって人々の不信仰の壁を突き崩そうとはされなかったという事であります。奇跡は、イエスに対する人格的な信頼のないところでは、ただご利益信仰に堕落してしまうことをイエスはよくご存知だったということであります。