「十二弟子の派遣」        六章六ー一三節

 イエス・キリストは十二弟子を呼び寄せ、ふたりずつ遣わす事にしたのであります。三章の所では、イエスはみこころにかなった十二人を弟子として立てたと記されておりましたが、それからしばらくして、いよいよ弟子達をこの世に遣わしたのであります。マタイやルカによる福音書では、イエスは弟子達を選んだ後、すぐ宣教のために送り出したとなっております。マルコだけは、十二弟子を選んだ後、すぐは派遣しないで、しばらくイエスのもとにとどめておられたように書いてあります。ある人は、これはその間イエスは弟子達を教育しておられたのだと説明しております。いずれにせよ、そんなに長い期間、つまり一年二年と長い期間、イエスは弟子達をご自分のもとにとどめておられたわけではないだろうと思います。せいぜい一カ月か二カ月と言う期間だったろうと思われます。それでもその短い期間だったとしても、イエスのもとにとどまっていたという事は大変大事な事だったのかも知れません。

 イエスは弟子達をこの世に送り出すにあたって、宣教の内容については、つまりこういう事を宣べ伝えなさいという、福音の内容については一言も言わないで、伝道するにあたっての弟子達の態度、伝道の姿勢とか生活態度のことだけを教えられたという事は不思議な事であります。これはマタイによる福音書もルカによる福音書も同じで、マタイやルカでは「天国は近づいた」と宣べ伝えなさいとイエスは言っただけであります。後はやはり伝道の姿勢について<あれこれと注意するのであります。
 
特にマルコでは、宣教の内容については一言も触れずに、ふたりずつ組になっていく事、旅のために杖一本のほかなにも持つな、パンも袋も、、帯の中に銭も持たずに、ただわらじをはくだけで、下着も二枚は着ないように、と注意するのであります。
 宣教の内容については「天国は近づいた」「神の国は近づいた」という事だけでよかったのかも知れません。そのようにして、悔い改めを迫るという事でよかったのかも知れません。聞く方もそれだけで充分、なにを自分達がしなければならないかは分かるのかも知れません。なによりもイエスご自身がおられるわけですから、あれこれいうよりもイエス・キリストそのかたを指し示せばよかったわけです。

 イエスにとっては、宣教の内容よりも弟子達の宣教の仕方の方が、弟子達の生活態度の方が気になってしかなかったのではないかと思います。弟子達は知的階級に属していたわけではないし、むしろ漁師とか取税人というわけで、社会的地位が高いわけでもなく、そうかといって、とりたてて人格的に品格があったわけではないのです。イエスとしたら、宣教の内容の事よりも、宣教の仕方、弟子達の生活態度の方が気になって仕方なかっただろうと思います。ある意味では、それは今日でも言える事であって、牧師がどんな説教をするかというよりは、牧師がどんな人柄か、どんな生活態度をしているのかという方が、伝道に大きな影響を与えるのであります。

 私が神学校を卒業して最初に赴任した教会で、まず教会の長老に言われた事は、ともかく夫婦が仲良くやって欲しい、夫婦喧嘩さえしないでくれたらいいといわれたのであります。前任者がどうも外に聞こえる位に、派手に夫婦喧嘩をやっていたらしいのです。

 イエスは弟子達を遣わすに当たって、二人づつ遣わしました。これは当時のユダヤ教の教師の間でも行われていた事だったそうです。二人づつ遣わすという事は確かに理にかなった事であるかも知れません。一人が病気で弱った時に、一人が助けてあげる事ができるかも知れません。それは精神的な意味でも、ひとりが意気消沈していた時に、一人が励ましてあげるという事で、二人で伝道旅行に出るという事は、有益であると思います。

 しかしまた二人でチームを組むというのは、うまくいくというのは案外難しいのではないでしょうか。牧師と副牧師との間がうまくいくというのは、日本の教会では珍しいのであります。うまく行かない例の方が多いのです。船頭がふたりいては、船は進まないと言われるのと同じであります。

 吉祥寺教会の牧師の竹森満佐一の副牧師は、奥さんの竹森トヨでした。奥さんが亡くなられた後、吉祥寺教会では、竹森トヨの説教集を出しましたが、その後書きをご主人の竹森満佐一が書いておりますが、先生は奥さんの説教は一度も聞いた事がないと書いております。それは先生が留守の時、伝道集会とかで他の教会の説教の奉仕に当たる時とか、先生が外国での客員教授をなさった時とか、竹森牧師がいないときだけ、奥さんが説教したからであります。ご自分が教会におられる時には、副牧師には説教させないというのが竹森牧師のやり方だったのであります。それは船頭はふたりはいらないという事なのであります。その奥さんの説教集の後書きで、竹森満佐一は奥さんの説教はすばらしいと書いております。自分が外国にいって留守の時に奥さんの説教によって教会は力をつけた。教勢ものびて、今日の吉祥寺教会の基礎を作ったのだと述べています。しかしそれでも、自分が教会にいる時は、奥さんには説教はさせなかった。そして奥さんも決して説教をしようとはしなかったというのです。そしてこう書いております。
 「彼女は決して、自分を表に出そうとはしなかった。いつも蔭にまわって、教会に仕えた。それが教会の大きな力になっていた。二度、会堂建築をしたが二度とも彼女は実質的な中心になっていた。自分なりの牧会計画をたてて、それぞれの立場の人に、励ましを与えていた。表面にあらわれては来ないが、わかる人はみな感心していた。自分の主張を決してまげない人だった。筋の通らないことは、決して承知しなかった。しかし、自分を抑制し、自分を殺すことを知ってした。それが多くのひとの信用を博した原因だったのだろう。礼拝の時に、受付のところにいて、ニコニコしながら、みんなを迎えることがどんなに力になったか、を語り草にしたいる人が、何人もあるほどだ」と書いているのであります。

 ふたりで、組みになって伝道に当たるという事は、こういうように、お互いに相手を尊敬し、そして謙遜にならなければうまくいかないのであります。竹森トヨが主人が教会にいる時には、絶対に説教しようとしなかったという事、表にでようとはしなかったという事は、主人が自分の事をしっかりと評価し、重んじてくれている事を知っているからこそ、夫人は心から謙遜になる事ができたのでしょうし、自分を抑制することができたのではないかと思います。

 初代の教会で大きな働きをした夫婦に、プリスキラとアクラという夫婦がいた事を使徒行伝は記しております。これはプリスキラの方が奥さんの方で、アクラの方が主人なのです。使徒行伝では、最初はアクラとプリスキラと、主人の方を先に名前を記しておりますが、その途中でいつのまにか、奥さんの名前プリスキラの方を先に書き、プリスキラとアクラという書き方になります。これは奥さんの方のプリスキラの方が有能で力のある働きをしたから、こうなったのではないかと言われております。しかし必ず、その主人であるアクラの名前がちゃんと記されているという事は、逆にいうと、この主人のアクラがどんなに謙遜であったかという事であります。自分よりも力のある奥さんの働きを、自分を抑えて、支えていたという事だからであります。

 ふたりで働くという事は、どんなに難しいか、と言う事であります。そしてふたりを組にして遣わしたという事は、イエスが弟子達に何よりもお互いに自分を抑制し、お互いを尊敬しあう事を学ばせ、何よりもそのようにして謙遜を学ばせたという事てばないかと思います。謙遜でなければ、絶対に福音を宣べ伝える事はできないのであります。

 そしてイエスは弟子達に、汚れた霊を制する権威を与えたと記されております。この事についてはすでに、三章で弟子の召命の所で学んだと思います。汚れた霊とは、悪霊のことであります。神に対抗する霊の事であります。福音は当然神に反抗する力に勝つ権威をもって宣べ伝えられなくてはならないのであります。

 この事を竹森満佐一がこう言っています。「汚れた霊を追い出す力が与えられたとは書かれていなくて、汚れた霊を制する権威が与えられたという事である。力はないけれど、権威は与えられているという事である。」
 つまり悪霊に形の上では負ける事はいくらでもあるのです。しかし負ける時でも、権威をもって、堂々と負けることができる、そういう威厳を弟子達に与えたという事であります。

 そして次にイエスは、「旅のために杖一本のほかに何ももっていくな」と言われるのであります。マタイでは杖ももっていくな、と言われております。これは清貧に甘んじろということなのでしょうか。イエスはしばしばみんなと食事をする事を楽しんでおられます。そういうイエスを見て、人々はバプテスマのヨハネは禁欲に清貧に甘んじたが、イエスは大食漢だと悪口を言われたようなのであります。イエスは決して禁欲主義者ではありませんでした。「旅のほかに杖一本のほかに何ももっていくな、パンも袋も銭ももっていくな」という事は、自分の中に何も持たずに神だけを頼りにしていきなさい、という事であります。

 しかし神だけを頼りにして生きるという事は、具体的にはどういう事なのでしょうか。お祈りしたら、パンは天から降ってくるというのでしょうか。伝道者はかすみを食っていけばいい、と言うことなのでしょうか。

 十節をみますと、「どこへ行っても、家に入ったら、その土地を去るまでは、そこにとどまっていなさい。」と言われております。つまり神だけを頼っていきなさい、という事は、具体的には、人を頼って伝道の旅をしなさい、という事であります。人の世話になりなさい、という事であります。
 マタイではここのところは、もう少し詳しく書いてあります。「旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持っていくな、働き人がその食物を得るのは当然である。どの町、どの村にはいっても、その中でだれがふさわしい人か、尋ねだして、立ち去るまではその人のところにとどまっておれ。」と記されております。つまり「働き人がその食物を得るのは当然である」というのです。パンの世話を受けなさいというのです。パンを喜んで提供してくれる家を見いだしたら、その家にとどまって、家をあっちこっちわたり歩くな、というのです。それは待遇がいい家を捜し求めて、渡り歩くなという意味だそうであります。その町で伝道者を快く迎えてくれる家があったなら、その家一箇所にとどまれ、というのです。その人の誠実さを裏切るような事をしてはいけない、というのです。その人の誠実さを裏切るような事をして、待遇がいい家を捜し求めるようなみっともない事はするな、と言うのです。

 伝道者は、人の世話にならなくてはならないと言うのです。この事は大切な事であります。人からパンの世話を受けると言う事、つまりお金をいただくという事、この事がどんなに大切なことか、という事であります。それは人を謙遜にさせるからであります。お金を貰うと言う事は、確かに人を卑しくさせるという面もありますが、しかしお金をいただくという事は人を本当に謙遜にさせるのであります。

 鈴木正久という牧師がしきりにいっておりましたが、牧師はなによりも謙遜でなければいけないというのです。自分は大病して、若い看護婦さんから下の世話になって、始めて謙遜になるという事を知ったというのです。牧師というのはいつでも教える立場、与える立場に立ちたがるけれど、それではだめだ、それてば牧師は傲慢になってしまう、人の世話になるという事、人の世話にならないと人間は生きていけないんだという事を牧師自身が身をもって体験しないといけないと言っていたのを思い出します。

 神だけに頼るという事は、具体的には、人の世話になるという事でもあるのです。人の誠実さを信じて、その人を信頼するという事であります。神のみを信頼して、人を信頼しないというのはおかしな事であります。神を信頼するという事は、神が用意してくださる人を信頼するという事であります。

 しかし人の世話になるという事は、難しい事でもあります。甘えたり、卑屈になったりしてしまうからであります。それでイエスはこういうのであります。
 「あなたがたを迎えず、あなたがたの話を聞きもしない所があったなら、そこを出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに、足のちりを払い落としなさい。」

 福音を宣べ伝えるものは、謙遜でなければならないが、卑屈になってはいけないというのです。毅然としていなくてはならないというのであります。謙遜であるという事は、卑屈になりやすいし、毅然としているという事は、傲慢になりやすいのであります。謙遜でなければならないのは、福音を伝える者が弱さを抱えた人間だからであります。毅然でなければならないのは、その弱い人間が伝えようとしているのがイエス・キリストの十字架の福音だからであります。十字架の福音は、それを受け入れたければ受け入れればいい、というようなのんきなものではなく、それを受け入れる者にとっても、拒否する者にとっても、人間の罪に対する激しい憤りをも含んでいるのであります。それは裁きなのであります。

 人の世話を受けながら、しかも卑屈にならないでいられるのは、福音がわれわれにそうさせてくれるのであります。