「準備の時」          一章一ー一五節

 ヘブル人への手紙の中で、イエスのこの地上での生活にふれてこういう風に言っている所があります。
 「キリストはその肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈りと願いとを捧げ、そしてその深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人にたいして、永遠の救いの源となり、神によって、メルキゼデクに等しい大祭司と、となえられたのである。」(ヘブル人への手紙五章七ー一○節)

 われわれはここを読むと、イエスは始めは普通の人だったのであるが、あらゆる試練に会って、その苦しみを通して鍛えられ、その試練に合格して、全き神の子になっていったのだと思うかも知れませんが、ここで言われている事はそうではなく、それとは逆で、「彼は御子であられたにもかかわらず」というのですから、イエスは始めから神の子として生まれ、神の子であったのであります。その神の子であったイエスがわれわれと同じ試練に会い、激しい叫びと涙で、ご自分を死から救う力のあるかたに祈りと願いをささげ、「その深い信仰の故に」ここは新共同訳では、「その畏れ敬う態度のゆえに」となっておりますが、その深い信仰、神を畏れ敬う信仰の故に父なる神に聞きいれられたというのであります。つまりイエスは神の子として、われわれ人間と同じ試練に会われて、人として生きることを学ばれたのだという事であります。それは下から上へという上昇指向ではなく、上から下にという下降指向なのであります。

 それはパウロの手紙によれば、「キリストは神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有り様は人と異ならず、おのれを低くして」(ピリピ人への手紙二章六ー)ということであります。

 その「深い信仰のゆえに、聞きいれられた」という信仰とは、何か敬虔深い信仰とか慈善をするような信仰ではなく、激しい叫びと涙で、父なる神に、ひとりの人間として、ただ神に頼ることしかない弱い人間として、祈り願い続けた、新共同訳の聖書がいう所の「畏れ敬う」信仰であります。

 イエスがこの地上に神の子として生まれ、そして公に活動し始めたのがおおよそ三十才とルカによる福音書が書いておりますが、その三十年間何をしていたのか、公に救い主として活動するまでの準備の時、何をしていたのかと言えば、お父さんの大工の職を受け継ぎ、大工の子として三十年を過ごしていたのではないか。たぶん父は早くなくなったので、(といいますのは、福音書をみますとお父さんはあの誕生の時以来殆ど登場してきませんので、早い時になくなったのではないかと推察されるのですが)、母と兄弟たちを支えるために大工の仕事をしていたのではないかと考えられます。

 あのマタイが記しております「わたしのくびきは負いやすく」という表現はその大工として、くびきを作った経験から出た言葉なのではないか。またルカが書いている「銀貨十枚のうち一枚をなくして懸命に探し求める女」の姿も、イエスが一枚の銀貨にも事欠く、貧しい生活をしていた経験から出た言葉なのではないかと、言う人もいるのであります。もちろんこうした事は推測にすぎませんが、その三十年間なにをしていたかと言えば、ともかく人として暮らし、生活していたという事だけは確かだろうと思います。そこには神の子らしい神々しい姿は一つもあらわれなかったのであります。

 イエスの少年時代を伝える唯一の記事がルカによる福音書にありますが、そこでは十二才の時、イエスが神殿で盛んに学者たちを相手に聖書について聞いたり質問したりしている姿がでてくるのであります。人々はイエスの賢さに驚嘆したとありますが、それはイエスがなによりも人間として、ひとりの少年として一生懸命学者たちに質問したり、学んだりした姿に、その賢さに感心しているのであります。

 そうして、いよいよ三十才になった時、イエスがしたことは何かというと、バプテスマのヨハネの所に出向いて、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けたという事なのであります。そしてそれから荒野で悪魔の試練に会われたというのであります。この二つの事は、イエスが人間として生きた事の締めくくりのような事かも知れないと思います。

 ここでも大事な事は、バプテスマを受けてから、悪魔の試練に会われたのであって、その逆ではないという事であります。つまり、あらゆる試練に合格してから、その卒業証書を貰うようにして、バプテスマを受けられたのではないという事であります。バプテスマを受けるという事は、何か資格を受けるとか、もうこれで一人前になったとか、そういう卒業証書を貰う事ではなく、これから自分は生涯神に頼って生きていきます、激しい叫びと涙をもって父なる神に祈り頼る生活をしていきますという宣誓の行為なのであります。

 マルコは、「そのころイエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった」と記しております。「そして水から上がられると天が裂けて、聖霊がはとのように自分に下ってくるのをごらんになって」とあります。ここをみるとイエスは民衆の一人として、ヨハネからバプテスマを受けたのではないかと思われます。そのイエスが神の子であるとか、救い主であるとか、誰もヨハネも気づかなかったのではないかと思われるのであります。天が裂け、聖霊がはとのように下って来たのを見たというのも、それはイエスだけがご自分ひとりでそういう体験しただけであって、ほかの人は誰も気がつかなかった事なのであります。ルカ福音書もそのように書いております。

 ただマタイ福音書だけが、ヨハネがびっくりして「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」と言ったと記しているのであります。しかしこれはマタイがこのイエスの行為を後から神学的に解釈した言葉であって、事実としては、イエスはひとりの無名の庶民としてヨハネからバプテスマを受けられたのではないか。そして、そこにこの洗礼の大事な所があるのではないか。洗礼を受けるという事は、一人の無力な人間として、ただの人として、神の前に畏れおののいて立つという事、そこに何の資格も持ち出さないで、ただの人として神の前に立つという事であります。罪人のひとりとして立つという事であります。

 このヨハネのバプテスマは、「罪のゆるしを得させる悔い改めのバプテスマ」というのです。ですからわれわれがこのバプテスマを受けるには、自分の罪を悔いるという事が必要でありましょう、それをいちいち言葉に出す出さないは別として。しかしイエスはヘブル書によれば「罪は犯さなかったが」とありますから、イエスは、あの時こういう過ちをした、この時こういう罪を犯したという悔い改めをしたわけではなかっただろうと思います。この時のイエスの洗礼は、いわば幼児洗礼のようなもので、具体的な罪の告白がともなうものではなく、ただ神の前に立ち、これから神の恵みのもとで生きていきますという告白としての洗礼だったのではないかと思います。そして、洗礼の一番大切な点も実はそこにあるのであります。罪の告白が大事なのではなく、これから自覚的に神の恵みと導きを信じて歩きますという表明が大切なのであります。罪の告白ごっこは滑稽であります、偽善的であります。

 イエスは徹頭徹尾、人間としてわれわれ人間の低さに立たれた、そしてヨハネからバプテスマを受けられた。それが神のみこころにかない、天から聖霊がくだり「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」という父なる神からの承認があったのであります。それはイエスが悪魔の試練に勝利したからでなく、何か献身的な業をしたからでもなく、ただ一人の人間として庶民の一人になりきって、ヨハネからバプテスマを受けたというだけなのであります。

 そしてそれから悪魔の試練に会われたのであります。この順序は大切であります。悪魔の試練に打ち勝ってから、バプテスマを受けることができたのでない。もしわれわれが、そのようにして悪魔の試練に会おうとするならば、われわれは必ず悪魔の試練に敗北するだろうという事であります。バプテスマを受けて、自分はどんな時にも、神に信頼し、必ず神が助けてくださる事を信じますと告白し、洗礼を受けてから、悪魔の試みに会うのでなければ、われわれは敗北するだろうと思います。

 イエスはみずから進んで荒野に出向いて、悪魔の試練に会われたのではないのであります。「御霊がイエスを荒野に追いやった」とマルコは記しているのであります。マタイは「御霊に導かれて」と書いています。ルカはもっと激しく「御霊に引き回されて」と記しております。ともかくイエスは自分の信仰の力を試すために自ら進んで、荒野に出向いて、悪魔に戦いを挑んだというような事ではない。試練というのはみずから進んで挑むものではないのであります。向こうからやって来るものが試練なのであります。

 ある人の言葉に「人間が事件を選ぶのではなく、事件が人間を選ぶのだ」とありますが、そういう事から言えば、人間が試練を選ぶのではなく、試練が試練の方が人間を選ぶのであります。

 生涯平凡に暮らして一生を静かに終える人もいれば、次から次と試練がその人に襲いかかって、波乱万丈の人生を送る人もおります。それは試練の方がその人を選んでいるのであります。それはその人がそうした試練に耐えられる人だからではないでしょうか。そして不思議にその人は、その試練にいつのまにか耐えて、そして成長しているのではないでしょうか。自分から求める試練などは試練ではないのであります。神がいわばいやがるイエスを無理やりに荒野に追いやって、悪魔の試みに会わせられたのであります。

 「イエスは四十日の間、荒野にいてサタンの試みに会われた。そして獣もそこにいたが、御使たちはイエスに仕えていた。」
 マタイやルカでは、このサタンの誘惑の内容について書いておりますが、マルコはその内容にはふれておりません。ただサタンの試みに会われたという事実だけを書いております。マタイやルカでは、ご承知のように、悪魔は三つの誘惑でイエスを試みたのであります。断食して、おなかをすかしているイエスに「この石に命じてパンにしてみろ」といい、それに対してイエスは「人はパンのみに生きるのではなく、神の言葉によって生きるのだ」といって、それを拒否し、次に悪魔は高い所にイエスをつれていって「ここから飛び降りてみろ。神の使いがお前を支えてくれるだろうから」というと、イエスは、「主なる神を試みてはならない」といい、そして最後に悪魔は、この世の富と栄華を見せて、「わたしにひざまずけば、これをお前にあげよう」と言いますと、イエスは「『ただ神にのみ仕えよ』と聖書はいっている」と、最後まで悪魔の誘惑を拒否したというのであります。

 そして悪魔はイエスを離れ去ったとマタイとルカは書くのであります。イエスは悪魔に勝ったのだと書くのであります。
 しかしマルコには、そのような事は一切書いていないで、「サタンの試みに会われた。獣もそこにいたが、御使たちはイエスに仕えていた」と書くだけであります。いったいイエスは悪魔の誘惑に勝ったのか勝たなかったのか、どちらなのでしょうか。

 獣もそこにいたが、という獣は何をあらわしているのでしょうか。荒野の獣、それは人間を脅かす存在で、それは悪魔の使いだという解釈もあります。現行訳の聖書は、そういう意味にとって、「しかし御使たちはイエスに仕えていた」つまり御使たちはイエスを守ったと、ここを解釈して、そう訳しているのであります。しかし原文をみますと、ここには「しかし」という言葉はなく、「獣はそこにいた、そして御使たちはイエスに仕えていた」と書いているだけであります。それはあのイザヤ書が神が支配する理想的な社会として「狼と小羊は共に伏し」(イザヤ十一章)と書いているように、獣も小羊も、獣もイエスも平和共存している事をあらわしているのだと説明する人もおります。どちらにもとれますが、いずれにせよ、明らかな事は、御使たちはイエスに仕えていたという事であります。そしてそれがイエスが悪魔の誘惑に勝った、勝っているということなのだ、という事なのであります。

 イエスが力をふるって悪魔を追い出して、悪魔に勝利したのではない。たとえそこに悪魔がいたとしても、そこに御使たちがいてイエスを守っている、神が共にいてくださる、それがわれわれがサタンに勝利するという事なのであります。
 マタイやルカも、イエスが悪魔に勝利したのは、結局は、自分はあくまで神に信頼するんだという姿勢を貫いて、悪魔に勝利しているのだと書こうとしているのであります。その事をマルコは、非常に簡潔に、そして絵画的に、獣もそこにいたが御使たちはイエスに仕えていたと記しているのであります。

 イエスはバプテスマを受けて、神のみを畏れ敬うという信仰を与えられて、そのバプテスマという武器を与えられてから、悪魔の誘惑に会わせられ、本当に神のみを信じ通すことを、身をもって体験させられたのであります。そしてそれがイエスがいよいよ公に救い主としての使命を歩み始める準備の時だったのであります。