「自分を捨て、自分の十字架を負うて」        八章三四ー三八節

 主イエスは「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思うものは、それを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。」といわれるのであります。

 若い時、この聖書の言葉にふれて、感激して、キリスト教を求め始めた人は多いのではないかと思います。そしてまたこの言葉が重圧となって、キリスト教から離れていった人も多いのではないかと思います。結局は自分を捨てきれない事を知り、結局は実際に自分の十字架を負うて生きて行く事は容易ではないことを知るからであります。

 「自分を捨て、自分の十字架を負うてわたしに従って来なさい」と主イエスが呼びかけた人は、特別な人なのでしょうか。カトリックの解釈では、信者には普通の信仰者と聖職者になろうと誓願を立てた人と分けて、この言葉はそのように誓願を立てて、修道院にでも入ろうという人に対して呼びかけたのであって、一般の信者に呼びかけている言葉ではないと考えるようであります。そのように言われたら、われわれはずいぶん気が休まるかも知れません。しかしここには、三四節を見ますと、「それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて」と書いてあるのであります。つまりこの言葉は特別な弟子たちだけに言われた言葉ではなく、群衆に対して、わざわざ群衆を呼び寄せて、そう言われたというのであります。

 しかし本当は、ここに突然、群衆が出てくるのは非常におかしいのです。イエスは弟子達だけを連れてピリポ・カイザリヤの村に出かけているからであります。この時イエスは弟子達だけに重要な事を告げるために、わざわざ弟子達を群衆から切り離して、ガリラヤから離れたこの村に来ているのであります。そして弟子達に「あなたがたはわたしのことを誰だと思っているか」と問い、それに対して弟子達も「あなたこそキリストです」と告白する。

 それに対して、この事は誰にも言うな、つまり、群衆に対しては言うな、と言われたのであります。それからイエスは自分が多くの苦しみを受け、そして十字架で殺されるのだと告げるのであります。ここには本当は弟子達だけがいるのであります。それなのに、いきなり群衆を呼び寄せというのはおかしいのであります。これは明らかに後の教会が付け加えた言葉であります。マタイによる福音書の方には群衆は出で来ないで、弟子達に告げられた言葉になっております。もっともルカによる福音書は「みんなの者に言われた」となっております。
 
 つまり後の教会が、この「自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従って来なさい」というイエスの呼びかけは、決して弟子達だけに呼びかけられた言葉ではない、修道院にでも入ろうと誓願を立てた人にだけ呼びかけられた言葉ではない、どんな人に対しても、キリストに従おうとする人に対して呼びかけられた言葉なのだ、と言いたいために、ここにはわざわざ「群衆を弟子達と一緒に呼び寄せて」という、ある意味では不自然を承知で、この句を付け加えたのではないかと思います。
この言葉は、「すべて重荷を負うて苦労しているものは、わたしのところに来なさい」と、イエスが大変心優しく呼びかけた同じ群衆に対して、呼びかけている言葉なのであります。

 この「自分を捨て、自分の十字架を負うてわたしに従って来なさい」という箇所での説教とか、聖書の注解書をみまとす、決まって殉教者の例がでて来ます。ある特殊な、ある意味では英雄的な人が例にあげられて、わたしはうんざりさせられるのであります。たとえば、ある注解書には、こう書いてあります。

 ナチズムにに反対して、捕らえられて獄死したボンヘッファというドイツノの牧師の事を取りあげて、彼はこう言っているというのです。「イエスが人を招くとき、彼はその人に来て死ぬことを命ずる。私は何者なのか、この孤独な問いが私をあざ笑う。私が何者であるにせよ、ああ神よ、あなたは私を知りたもう。わたしはあなたのものである。」とボンヘッフアーは獄中から出した手紙の中で言っているというのであります。「イエスが人を招くとき、彼はその人に来て死ぬことを命ずる」という言葉は、これから処刑されようとする彼にとってまさにその通りの言葉でしょうが、そしてそのようにして死んでいったボンヘッフアという人に感動を覚えますが、この言葉を自分自身の言葉に当てはめてみた時に、この言葉は何か自分の現実からは遠い言葉に感じられるのではないでしょうか。

 そしてその注解書では続いてこう書かれているのであります。「これを理解した者がみな偉人であったり殉教者であるわけではない。家庭を必要とする子供たちを育てることに自分を捧げる母親、精神的な病をもつ妻に対して静かに変わることなく誠実に身を捧げる夫、良心のゆえに公民としての服従を拒み、投獄されたり追放される青年、そのような人々は、何世紀をもとおして多種多様な状況のなかで、自分達の生活によってこのテキストを解釈したのである。」

 確かにボンヘッフアは特殊な例だと認めているのであります。しかしその後に出している例、親のない子を引き取って養子として育てようとする母親、心の病を持っている妻を献身的に看病している夫、良心的徴兵拒否者、そういう人々だって特殊と言えば特殊ではないでしょうか。

 わたしは自分が学生であった時に、よく自分の牧師から言われました。あなたは、理想主義的だ、観念的だ、あなたの信仰は地についてないと言われたものであります。若い時というのは誰でもそういうところがあるし、若い時は多少理想主義的なところがあったり、観念的なところがあった方がいいと思いますが、わたしはそのために信仰がどうしても自分のものにならなかったということがありまして、この牧師の言葉は自分の頭にこびりついているのであります。そして自分が牧師になって説教者として立った時に、一番気をつけた事は聖書を観念的に読むのはやめよう、なんとかして自分の現実の生活に即して語ろうということだったのであります。

 ですから三浦綾子の小説に出てくるような信仰的な美談というものに近づきたくないのであります。とうや丸台風の時に自分の命を捨てて、自分の救命袋を若い人に譲って死んでいった宣教者の話とか、列車事故を身を挺して防いで、自分は死んでいった国鉄の職員の話とか、そういう人の愛の行為に感激するのは結構な事かも知れませんが、そういう人の生き方と自分の現実の生活のとのあまりの落差の大きさをどうするのか。信仰をもったら、みんなそういう生き方ができるのか、そういう生き方ができていない自分、これからも出来そうもない自分の信仰というのは偽物なのか、いつもそうい問をつきつけられながら、説教して来たのであります。いや、ただ説教者としてでなく、信仰者としてその落差をどうしたらいいのかという事であります。
 
 この「自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従って来なさい」という言葉を、ある特別な人だけに語られるイエスの言葉としてでなく、群衆に語られる言葉として受けとめるためにはどうしたらいいか、という事であります。

 この言葉は、マタイによる福音書がそうでありますように、もともとは始めは弟子達に語られた言葉であります。この言葉を聞いた弟子達は、感激しただろうと思います。少なくともペテロは感激しただろうと思います。
 
 イエスがこれから十字架で自分は死ぬんだと言っために、ペテロがそのイエスをいさめた時、ペテロはイエスから「おまえは神のことを思わないで、人の事を思っている。サタンよ、しりぞけ」とひどく叱られてしまったのであります。その直後に「自分の十字架を負え」と言われたという事もあって、ペテロにとってこの言葉は特別に印象深かったと思います。そのため、後にイエスが自分は十字架で殺されるともう一度弟子達に告げた時、今度はペテロは前と違って、「わたしもあなたと一緒に死にます」というのであります。わたしもあなたが言われたように、自分の十字架をとってあなたに従っていきます、と誓うのであります。
 
 その時イエスはなんと言われたか。よく言った、と言ってペテロの事をほめたか、そうでなかったのです。「おまえはそんな強がりをいっているけれど、いざという時には、わたしを見捨てて逃げ出すだろう、おまえは十字架などとても負えないだろう」という意味の事を言われたのであります。
 
 イエスは弟子達に「わたしについて来たいと思うならば、自分を捨て、自分の十字架を負うてわたしに従って来なさい」と言われているのであります。そしてペテロはそのイエスの言葉を受けとめて、その通りの事をしますと言うのであります。それなのにイエスは水をかけるような事をいうのであります。イエスもまた「自分を捨て、自分の十字架を負うて」ということがどんなに難しいかという事はよくご存知であったという事であります。
 
 ヨハネによる福音書には、後に復活のイエスがこのペテロに「私を愛するか」と三度にわたって、聞き、ペテロが「わたしがあなたを愛する事はあなたがよくご存知です」と、多少遠慮がちに答えますと、そのペテロにイエスは「おまえが若かった時には、自分で帯をしめて思いのままに歩きまわっていたが、しかしこれからはほかの人がおまえに帯を結び付けて行きたくないところにつれていかれる事になるだろう」と不思議な事をいわれるのであります。そしてこれはペテロがどんな死にかたで神の栄光をあらわすかを示すために言われたのだと、聖書は説明するのであります。(ヨハネ福音書二一章一五ー)
 
 つまり、自分の十字架を負うなんていう事は、自分の決心とか、自分の気負いで、できることではない。それが出来ると思うのは、若気の至りで、そんなことはできるものではない。自分の十字架を負うという事は、他人がおまえに帯を結び付けて、おまえがいやだいやだといっても、おまえが行きたくない行きたくないと言っても、他人が負わせるものなのだ、自分の十字架を負うという事は、その他人がおまえに無理矢理に負わせるもので、そのように運命のようにやってくる十字架を負うていくという事なのだ、という事であります。
 
 自分の十字架を負うという事は、自分で自分の十字架を探し出すものではないということであります。運命のように、それは他から、上から負わされるものであります。その十字架を負うということであります。
 
 ある人の言葉に「人間が事件を引き起こすのではなく、事件の方が人間を選ぶのだ」と言う言葉があります。波乱万丈な人生を送る人もあれば、一生を非常に平凡に送る人もおります。それはその人がそのような波乱万丈な事件を引き起こしているのではなく、事件の方が次から次へとその人を選んでその人に襲いかかっているのだというのであります。つまりその人が非常に器量が大きい、容量が大きいので、その人がそういう波乱万丈に耐えられるからそういう事件が次々に襲いかかってくるのではないかというのであります。さまざまな試練に会う人というのは、ある意味では立派にその試練に耐えられる人が試練にあっているのではないかでしょうか。

 少なくとも神が与えられる試練はそうであります。神は、その人が耐えられないような試練にあわせないばかりか、試練と同時にそれに耐えられるように、逃れる道も備えてくださるというからであります。
 
 その人が負わされる十字架は、その人が負う事の出来る十字架なのだと考えていいのではないでしょうか。少なくとも英雄心とか自分の気負いで負う十字架ではなく、神のみこころに従っていくという中で負う十字架、負わされる十字架、それは神がこのわたしに負わそうとしている十字架なのですから、負えるのだという事は信じていいのではないでしょうか。そう信じなくてはいけないのではないでしょうか。
 
 大事な事は、あの若い時のペテロ、自分の弱さを知らない時のペテロではなく、「わたしがあなたを愛している事は、あなたがご存知です」と非常に謙遜になっているペテロ、そしてイエスに従って歩み続けようとしているペテロの姿であります。つまり十字架を負うんだとか、自分を捨てるんだという事ではなく、とにもかくにも、イエスに従い、神に従って、信仰生活をし続けていくということなのであります。

 わたしが前にいた四国の大洲教会のある婦人の事を思い出すのですが、その婦人はもうなくなりましたが、その教会の大黒柱で、神学校出たてのわたしなどは、その婦人がいなかったならば、果たして牧師をつづけられたかどうか分からなかったかと思えるほどに、そのかたには支えられ、信仰についても教えられたかたですが、その人の家庭はクリスチヤン・ホームでご主人は耳鼻科のお医者さんで、市の教育委員会の教育長をやったような立派なかたで、子供達もみな立派なかたばかりであります。経済的にも不自由するということはないわけです。夫婦仲が悪い事もない。大病をしたこともなかったと思います。町の人々からも親しまれ、尊敬されていたのであります。
 
 客観的にいって、その人の人生をみておりますと、十字架を負うという表現とむすびつくような事のない、大変幸福な生涯だったと思います。もちろんその人なりに苦しい事もあったでしょうし、その人なりに自分の十字架を負うと言う事もあったと思いますけれど、しかし客観的にみて十字架を負うという表現はどうも当たらないのではないかと思うのです。しかしそのかたの生涯はイエス・キリストに従っていった生涯である事は間違いがないし、「自分を捨てて」いった生涯であった事は間違いないと思うのであります。そしてそれは世間的にみていわゆる苦しみ抜くような十字架を負うというような事ではなかったと思いますが、しかしそのかたは、神のみこころに謙遜に従順に従ったという意味で、立派に十字架を負った生涯であったと思うのです。そういう十字架の負いかたもあるのではないかと思います。
 
 竹森満佐一の説教にこういう説教がありました。信仰は守り続けなくてはならないという説教なのですが、その結びの所でこういうのです。「アメリカの話だけれど、ある人のお墓にこう書いてあった。『彼は、信仰を守りとおした』と書いてあった。英語では、たった三文字だ。しかし、その中に、輝かしい朽ちない冠を受けるこの人の人生が見えるではないか。」というのです。

  その婦人の生涯もまた「彼女は信仰を守りとおした」という墓碑名にふさわしい生涯だったと思うのです。ちなみにそのかたが今入っているお墓は、お寺の片隅にありますが、その墓碑名は、大きな字で「静かに眠ろう、覚むる日まで」と書かれているのであります。