「王としてのイエス」         十一章一ー十一節


 今日の聖書の箇所から、十字架にかかるまでの一週間のイエスの行動を学ぶことになります。
 自分を殺そうと待ちかまえている人たちがいるエルサレムに、イエスは入ろうとするのであります。その時、イエスは弟子に、ロバの子を手配してあるから連れて来てくれという。そしてそのロバの子に乗ってエルサレムに入るのであります。なぜイエスはそんな事をしたのかといいますと、それは旧約聖書のゼカリヤ書という所にこう預言がされているからであります。

 「シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ、見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。わたしはエフライムから戦車を断ち、エルサレムから軍馬を断つ。また、いくさ弓も断たれる。彼は国々の民に平和を告げ、その政治は海から海に及び、大川から地の果てにまで及ぶ。」(ゼカリヤ書九章九ー一0節)

 イエスは今エルサレムに入るに当たって、自分はそういう平和の王としてエルサレムに入城しようとしている事を、いわば態度で示そうとされたのであります。王様が自分の国に入城する時は馬に乗って入るのであります。しかしロバに乗って入るという事は、ゼカリヤ書が預言しておりますように、戦いのためではなく、あるいは戦いに勝って、勝利の凱旋のためではなく、平和の君として入城する事を表すわけであります。

 イエスは、宝石がちりばめられた王冠をかぶりはしませんでしたが、茨であんだ王冠をかぶせられて、イスラエルの王として、「ユダヤ人の王」という罪状書きを張られて十字架の上で死んで行くのですが、それはまさにあの小さい身体のロバが重い重い荷物を背負って、とぼとぼと歩いていく「平和の君の王」の様子とよく似ているのであります。

 この世に本当の平和をもたらすためには、戦争に勝利し、敵を木っ端みじんに打ち倒して、そのようにして戦いに勝っても、平和を達成するわけにはいかなかったのであります。なぜなら、われわれの本当の敵はわれわれの中に根強く潜んでいる罪だからであります。その罪をやっつけないと人間には本当の平和はこないのであります。

 罪は、「お前は罪人だ」と厳しく、激しく糾弾されて、だから悔い改めなさいと言われても、その場では悔い改めたとしても、それは形を変えて、もっとゆがんだ形で、もっと強力な形で、罪はわれわれの心の中に根付くのであります。自分の心の中をきれいにそうじして、さあこれで自分の中にはもう汚れたものは一つもないと思っていたら、汚れた霊はその清めたと思ったわれわれの心の中が一番居心地のよい場所であることを発見して、他の七つの汚れた霊を引き連れて住み込んでしまった(マタイ福音書一二章四三ー四六節)、というような事になるのであります。

 罪を解決する道は、罪を犯した相手から赦して貰う以外にない。罪は誰かに負っていただく以外にない。罪は自分の力では克服できなかった、自分では解決できなかったと、その事をしっかりと認め、その自分の罪を身代わりになって背負ってくださったかたの愛に気づき、そのかたに感謝し続ける生活をする事が、罪を克服する道なのであります。われわれ人間にとって、罪の反対語は、清さではなく、謙遜であります。
 
 イエスは今ロバの子に乗ってエルサレムに向かうのであります。人々はロバの子に乗ったイエスを見て、あのゼカリヤ書の預言の言葉をよく知っておりましたから、イエスは自分達に平和をもたらす王として、いよいよ立ち上がってくださるのだと期待して、「ホサナ、ホサナ」と、いって歓呼してイエスを迎えたのであります。ホサナという意味は、もともとの意味は「今救ってください」という意味ですが、この時代には、もうそういう厳密な意味は失われて「栄光あれ」という意味に使われていたそうであります。日本語で言えば、万歳と同じぐらいの意味になっていたようであります。ともかく人々はロバにのったイエスを見て喜んで歓呼して迎えたのであります。しかし、イエスの方からしてみれば、ロバの上のイエスではなく、イエスを乗せているロバの方を見て貰いたかったのではないか。重い荷物を背負いながらとぼとぼと歩いていくロバこそ、これから十字架の道へと歩む自分の姿なのだと人々に訴えたかったのではないかと思います。あのイエスを乗せて歩くロバの姿こそ、これから十字架の道を歩むイエスの姿であります。それにしてもそのようなロバに乗ってエルサレムに入るイエス の姿は人々に強い印象を残したようであります。

 しかし、イエスはなぜこんな行動をしたのでしょうか。人々はイエスの本当の気持ちとか、イエスの意図は理解しなかったし、理解できなかったのであります。ヨハネによる福音書には、はっきりとイエスの弟子達はイエスがなぜロパの子に乗ってエルサレムに入ろうとしたか理解できなかったと記されております。このことがわかったのはイエスが十字架で死んで、復活してから始めて、この事の意味がわかったのだと記されております。まして群衆はこのイエスの行動を理解しなかったのであります。

 なぜイエスはこんな派手な行動をわざわざなさったのだろうか。しかもイエスはこんな派手な格好してエルサレムに入りながら、夜にはエルサレムを抜け出して弟子たちと共に郊外のベタニヤの町に逃げ出しているのであります。そして翌日改めてエルサレムに入る時には、もうこんな事はしないのであります。

 これは明らかに今日風の言葉で言えば、イエスのパフォーマンス、一種のデモンステレイションであります。イエスはなぜそんな芝
居じみた事をしたのだろうか。イエスがロバの子に乗ってエルサレムに入城し、一気に王としてふるまうのなら、この行動も意味があったかも知れませんが、たとえそれが失敗しても意味があったと思いますが、その夜は再びエルサレムから抜け出すというのですから、これはもう一種のお芝居に過ぎないのであります。

 われわれ日本人の感覚からすれば、こんな芝居じみた行動なんかしないで、みんなに知れないように黙々と十字架の道を歩んで行かれるイエスの方が、感銘深いのではないでしょうか。
 たとえば、イザヤ書に預言されている「苦難のしもべ」の姿であります。そこには「彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、その声をちまたに聞こえさせず、また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道を示す」といわれているのであります。そこには、ただ黙々とご自分の道を歩まれる神のしもべの姿が預言されているのであります。他の箇所では、「彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口をひらかなかった。ほふり場にひかれていく小羊のように、また毛を着る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった」というのであります。だから人々は、それがわれわれの罪をになって、われわれの代わりに十字架で死んでくださる神のしもべの忠実な姿である事に、誰も気がつかなかったというのであります。

 イエスは確かに捕らえられてからは、裁判にかけられて十字架につくまで、黙々とその道を歩まれたようですが、十字架の上でわずかに七つの言葉を発しただけのようですが、しかし、その前にはイエスは弟子たちには三度にわたって自分の死の予告をし、今またエルサレムに入るに当たっては、わざわざロバの子にのって入城しているのですから、イザヤ書に預言されているような意味で、黙々と死に向かうようではなかったのであります。そして群衆から王として迎えられようとするのであります。なぜそんな派手な芝居じみた事をイエスは最後になさったのでしょうか。
 
 芝居じみた事と言えば、ヨハネによる福音書によれば、イエスは弟子達との最後の食事のとき、いきなり食事を中断して弟子達の足を洗い始めるのであります。弟子達がびっくりしてそんな事はしないでくださいと言うと、イエスは「わたしのしている事は今はあなたには分からないが、あとでわかるようになるであろう」というのであります。
 また、その食事の席では、パンを裂き、ぶどう酒を分け、「これはわたしのからだである」「これは多くの人のために流すわたしの契約の血だ」というのであります。これも弟子達にはこの時はなんの事かわからなかったのであります。
 
 こうした事は芝居じみていると言えば、大変芝居じみているのではないでしょうか。なぜイエスはそんな事をなさったのでしょうか。それはイエスがご自分の十字架の死の意味をなんとかして分かって貰おうとしたと言う事ではないかと思います。自分の十字架の死が、ただ権力者に憎まれて殺されるという事ではなく、それは人間の罪をご自分が身代わりに負うという事であり、それはイエスがわれわれ人間のいちばん汚れている足を洗う事によって、われわれと関わろうとする事を意味するんだという事を、わかって貰おうとしたのであります。イエスは自分ひとりが犠牲になって死んでいけばいいなどと、自己満足なぞしなかったと言う事であります。
 
 河合隼雄がこんな事を書いております。「『黙って耐える』と言う事は、日本人にとっての美徳であった。そこに美学を発見する人さえあった。辛いことにあくまでも耐え、しかもそれについて語らない、不平を言わない、という事が大切なのだという。このような倫理観は、今でも多くの日本人を支えている。しかし最近少し日本人も変わり始めて、ものを言うようになった。アメリカ人の夫と日本人の妻との間に生じた離婚事件の相談を受けてこんな事があった。妻の話によると、夫の友人で妻の嫌いなタイプの人がいた。家に遊びに来たときには、我慢してつきあっていたが、とうとう辛抱できなくなって、あの友人は大嫌いだ、と夫に告げた。夫は反対せずにそれを聞いていた。ところが暫くたって、夫はその友人を家に連れてきた。妻は激怒した。この前あれほど、はっきりと嫌いだといっておいたのに、また連れてくるというのは、自分の気持ちを無視している、と。これは夫が自分を愛していないからだというのが彼女の言い分だった。これに対して夫はこういった。妻が自分の友人を嫌いなのはよくわかった。しかし、妻はただあんな人は大嫌いというだけで、話を打ち切ってしまい、それで はどうするのかを話し合おうとしない。妻が嫌いでも、自分は友人としてつきあいたいと思っている。それでは、その葛藤を解決するために、友人を連れてくる回数をもっと少なくするとか、友人がくるのはいいが、そのときは自分は一緒に話し合ったりしないとか、何らかの妥協点を見いだすことができたはずだ。それを妻はただ自分の気持ちを言うだけで妥協点を見いだすための努力を払おうとしないのは、妻の方こそ愛情がないのではないかと、言った。」

 そして河合隼雄はこれを取り上げてこういうのであります。「妻の方は、最初は日本人流に夫の友人に黙って耐えていた。しかし日本人も変化してきて、それではおさまらなくなって、口に出して自分の気持ちを主張した。その一歩を踏み出したのなら、そこでやめてしまわずに、相手の言い分も聞き、さらに話し合いを続けるべきだったのではないか。黙っている事は辛いことだ、だからと言って発言すれば楽になるというものではない。話し合いを続けるという事は、黙っているのと同じくらい苦しさに耐える力を必要とするだろう。」
 黙っているという事も辛いかも知れないが、口に出すと言う事はもっとつらいことなのかも知れないというのであります。

 イエスはご自分の死の意味を黙っていようとは思わなかった。自分だけ苦しみに耐えていればいいなどという、自己満足的なセンチメンタルな美学をもっていなかった。イエスはなんとかして人間に自分の罪を分かってもらい、悔い改めて貰うことを切実に求めておられた。自分の美学に酔いしれるのではなく、われわれ人間を救おうとされた。そのためには、どうしても神の子の死という「あがない」が必要なのだという事を知って貰おうとしたのであります。

 それを分かって貰う、分かるという事は、その本人が自分の個性に即して自分なりに心の底から納得して分かるというわかりかたでなければならないのであります。それは動物や小さい子どもをしつけるという事とは違うのです。あるいは人をむりやりに洗脳するという事とも違うのであります。

 しつけるという時には、動物が何か間違いをした時に、その場でしからないと動物はわからないのです。間違いをして少し時間を置いてから動物をしかったって動物は自分が何のためにしかられたか分からないのです。間違いをした時に、頭をたたかれ痛い思いをさせて、こういう事をしたらこういう痛い目に合うと条件反射的に覚えさせる、そのためには、その場で直ちにしからないと駄目なのであります。

 しかし「分かる」という事は、しつけられるという事ではなく、心底に自分が納得してわかるということでなければならない。という事は、自分の個性に合わせて、自分の時間感覚に沿って、自分の思考過程に沿って、納得するという事であります。
 ですからキリストの救いが分かるという事は、人それぞれの違う分かり方をする、人によっては、ぱっとわかる分かり方をするかもしれないし、人によっては、ああでもないこうでもないと、ゆっくりと考えてようやくわかるというわかりかたをするかも知れないと思います。

 わかるという事は、そういう事だと思います。それはイエスが弟子達の足を洗った後、「この事は今は分からないが、後でわかるようになるだろう」と言われたように、いつでも「あとでわかる」ようになるという事ではないかと思います。そしてそのためには、あらゆる手段をつくして、言葉をもって、あるいは芝居じみた行動を通して、ともかくメッセージを伝えておくという事ではないかと思います。イエス・キリストがご自分の死について、あんなにいわば死のメッセージを残そうとされた事は、イエス・キリストがわれわれ人間をどんなに救おうとなさっていたかの証拠ではないでしょうか。