「侮られて人に捨てられ」       十五章一六ー三二節


 イエスは死刑の判決がくだされると、ローマの兵士達に渡されました。兵士達はイエスを、総督の官邸の内庭につれていき、全部隊を呼び集めた。そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼をした。また、葦の棒でその頭をたたき、つばきをかけ、ひざまずいて拝んだ。そのようにして嘲弄したあげく、紫の衣をはぎとり、元の上着を着せ、それから十字架につけるために、ゴルゴダの丘へと引っ張っていったというのであります。このイエスの十字架を預言したと言われておりますイザヤ書の五十三章の「苦難のしもべ」と言われております詩には、「彼は侮られて人に捨てられ」と歌われているのであります。イザヤ書五十三章ではこう預言されているのであります。

 「彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌み嫌われる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれのたのだ。彼はみずから懲らしめを受けて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれていく小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。」 

 われわれがいちばん心に傷を受けるのは、人に侮られることではないでしょうか。人に軽蔑されることであります。アウシュビッツの強制収容所で、囚人たちが一番耐えられなかったのは、看守たちにまるで犬を扱われるように扱われたことだったと記しているのを読んだ記憶があります。看守はまともに命令したりするのではなく、まるで犬に石を投げるようにして、小さな石を投げて人を整列させたり、いろんな事を命じる、それが一番胸に応えたというのであります。
 
 人を侮る人はどんな立場にいる人でしょうか。人を憎む場合には、必死になって、つまりおかしな表現かもしれませんが、自分の全存在を賭けて人を憎むだろうと思います。憎む方も必死であります。しかし人を侮る時、人を軽蔑する時は、自分が優位にある時ではないでしょうか。自分には余裕がある。こちらは相手よりも一段高い所にいる。そういう時に、相手を軽蔑し、侮るのであります。

 姦淫を犯した女を捕まえて、みんなでよってたかかって、この女をなぶりものしようとして、イエスの所に連れてきた人たちがおります。彼らには自分たちはこの女のように淫ら人間でない、ちゃんとした生活をしているという自負があったろうと思います。誇りがあった。余裕があった。だから今恥ずかしさのあまりうずくまっている女を取り囲んで、みんなは立ってこの女を見おろして、「こういう女は石で打ち殺してしまいたいが、あなたはどう思われますか」とイエスに聞いたのであります。その時、イエスはどうしたか。その時イエスはその女の低さにまで、身を低くし、女と同じようにしてうずくまったのであります。そしてみんなの執拗な問いにイエスはこう言われたのであります。「あなたがたのうち罪のない者がまずこの女に石を投げるがよい」。自分には罪がない、自分は高い所にいる、そういう自負が、そういう誇りが侮りを生むのであります。自分に罪があると思ったら、到底人を侮ることなどできない筈であります。
 
 人を侮る時、侮られた人間よりも、侮る人間の心の卑しさがあらわにされるものであります。侮られた人間の罪よりも、侮る人間の罪の方がどんなに深いか、どんなに卑劣かということであります。

 今ローマの兵士達は、退屈で困っていたのだ、その退屈をまぎらわすためにイエスをからかっているのだと、ある人が説明しております。そういう意味では今ローマの兵士たちには余裕があるのであります。わざわざ全部隊を集めたというのですから、念の入ったことであります。

 侮られるという事は、侮る方から言えば、一段高い所に立っているという事ですが、侮られる側から言えば、低い所に立たされる、見下げられるという事で、これが屈辱であり、つらいのであります。ですからこの侮りに耐えるには、よほど強い誇りと、確かな自負心、自分は正しい事をしているんだ、神はこの自分の生き方を支持してくれるのだという確信がないと耐えられないと思います。そしてもう一つこの侮りを耐えるとすれば、自分は人から侮られてもしかたないのだ、それだけの事をしてきたのだからという自分の罪にたいする深い自覚であります。その罪の自覚がある時に、ひとからの侮りを甘んじて受けられるのだと思います。
 
 イエスは今この両方の思いをもって、人々の侮りを受け、ゴルゴダの道へ歩んで行こうとしているのではないでしょうか。両方の思いというのは、一つは自分は神の使命を受けて、十字架の道を歩んでいるんだという自負であります。イエスはそのようにして自分を侮辱する人々の罪を「父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのかわからないのです」と言って、赦そうとするのであります。だから、イスカリオテのユダが先頭に立って自分を捕らえに来た時は、イエスは「時がきた。見よ、人の子は罪人の手に渡されるのだ。立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた」と、いわば胸を張って、十字架への道を歩み始めるのであります。

 しかし一方では、イエスは罪人の一人になりきって、罪人の一人に数えられて、その罪を背負い、人に捨てられ、そして神にまで捨てられて、「罪の支払う報酬は死だ」という死、罪の罰としての死を引き受けて、十字架への道を歩むのであります。その思いが、あの裁判の時、ピラトが不思議に思うほどに、何も答えなかったという、堅い沈黙の中に示されるのであります。そして十字架の道を歩み始めれば始めるほど、神の使命の道を歩んでいるのだという自負はどこかに消えてしまうほどに、人間の罪の深刻さ、人間の罪の重さにうちひしがれていくのではないでしょうか。

 イエスはそのようにして心身ともに疲労困憊していたようであります。その頃の死刑囚は、自分が掛けられる十字架の横木、十字架の縦の杭は既に処刑所に設置されていて、その横木を人々の目に晒されながら、処刑場まで背負って行かなくてはならなかったのであります。イエスもそれを背負っていった。しかしイエスはあまりに疲れて、あえぎあえぎ背負っていたので、そばにいた兵士がいらだって、たまたまそこを通りかかったクレネ人シモンに代わりに背負わせたのであります。

 考えてみれば、このシモンほど気の毒な人はいなかったのであります。たまたまそこを通りかかり、自分はなんの罪もないのに、まるで自分が大罪を犯している死刑囚として、十字架を背負いながら、人々の軽蔑の眼を浴びる事になるからであります。われわれはこのシモンの気の毒さはすぐ想像がつくのであります。

 しかしイエスが十字架を負うという事は、このシモンがしている事と同じ事をやろうとしているのであります。イエスこそご自分はなんの罪もないのに、十字架を担うのであります。シモンはただ死刑所まで十字架の横木を運ぶだけですが、イエスは実際にその十字架の上に掛けられて、死ぬのであります。われわれはイエスは神の子なのだから、それくらいはなんでもないと、思ってしまっているところがないでしょうか。シモンの受けた屈辱に同情するのならば、われわれはイエスの受けた屈辱にもっと敏感にならなくていいのでしょうか。

イスラエルの王ダビデが息子アブサロムの反逆を受けて、王宮を明け渡して、オリブ山の坂道を登る時、ダビデはその頭をおおい、泣きながら、はだしで登ったというのであります。そこを前の王様サウルの残党シメイが、ここぞとばかりに、「血を流す人よ、よこしまな人よ、立ち去れ、立ち去れ。あなたが代わって王となったサウルの家の血をすべて主があなたに報いられたのだ。主は王国をあなたの子アブサロムの手に渡された。見よ、あなたは血を流す人だから、災いにあうのだ」とダビデ王にまとわりついて呪ったというのです。ダビデの部下が「この者の首をはねましょうか」と、王に言うと、ダビデは「彼が呪うのは主が彼に『ダビデをのろえ』と言われたからであるならば、だれが、『あなたはどうしてこういう事をするのか』と言ってよいであろうか」と言ったというのであります。ダビデはシメイの呪いを甘んじて受けるのであります。自分はそれだけのことをしてきたからだと考えているのです。

 アレキサンダー・ホワイトという説教家が言っておりますが、「自分は若い時は、ゴリアテを倒したダビデが好きだったが、年をとってからは、シメイに呪われて、泣きながら山を登るダビデの方が好きだ、自分の子どもにもそうあって欲しい」と言っているそうであります。
 
 ゴルゴダへと歩むイエス・キリストの姿こそ、この時のダビデの姿ではないでしょうか。
 
 イエスはされこうべと呼ばれているゴルゴダの丘につきました。婦人達が死刑囚にその痛みを和らげるための没薬をまぜたぶどう酒を差し出しましたが、イエスはそれを受けなかったというのであります。十字架の苦しみをあくまで素面で受けとめようとされたのであります。
 
「それからイエスを十字架につけた。」聖書は実にあっさりとその事を記すのであります。

 兵士達はイエスの着ていた衣を奪い合った。みんなが十字架の上のイエスをののしった。三一節をみますと、なんと祭司長たちまでも、律法学者たちまでも一緒になってかわるがわる十字架の上のイエスを嘲弄したというのであります。こんな事が実際問題として有り得るでしょうか。彼らはイエスの死を確認するために、わざわざこのゴルゴダの丘までやって来たのであります。人間は自分の地位の安泰を計るためには、どんなに破廉恥な事でも平気でやってのけると言う事なのでしょうか。
このようにしてイエスは死んだのであります。

 このイエスを預言して「彼は侮られて人に捨てられ」と書くイザヤ書は、その後続けて、「彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ、彼はみずから懲らしめを受けて、わわわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ」と言うのであります。
「その打たれた傷によっていやされた」、この言葉くらいイエス・キリストの十字架の救いをよく説明している言葉はないと思います。そしてこの言葉くらい不思議な言葉はないと思います。どうしてわれわれの傷が、他人の受けた傷によって、いやされるのでしょうか。
 われわれの代わりに懲らしめを受け、われわれの代わりに死んでくれる、それによってわれわれが救われる、この「身代わり」という十字架の救いの事実くらいわかりにくい事はないのではないでしょうか。

 この事が分かるのは、いろいろな経験をして自分の罪、自分の弱さを身に沁みてわかった人だけにわかる事なのではないでしょうか。自分の罪は自分ではどうにも償うことができないという事、その事が本当に分かった人は、この自分の代わりに、懲らしめを受け、呪いを受け、死んでくれる人がいるという事が本当に有り難いと思うのであります。

 考えてみれば、全ての愛はなんらかの意味で、この「身代わり」という要素を含んでいるのではないでしょうか。子どもが生まれるために母親は陣痛の苦しみを味わう。そしてどんなに我慢して忍耐して子どもを育てていくことか。忍耐を必要としない愛などというものはないし、なんらかの意味で犠牲をともなわない愛は有り得ないのではないでしょうか。愛する方はいつもそのように忍耐しているのに、愛を受ける方はいつも鈍感なのでのであります。

 この「打たれた傷によって、いやされたのだ」という十字架の救いを自分のものとするためには、自分の罪と、そして人の愛ということがわからないと、理解する事はできないのではないでしょうか。