「泣く者と共に泣きなさい」 ローマ書一二章九ー二一節


  ローマの信徒への手紙の一二章の一五節に、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」という勧めの言葉があります。

 この勧めの言葉が、「あなたを迫害する者のために、呪うのではなく、祝福を祈りなさい」という勧めの言葉のあとに言われているということは、大変興味深いというか、考えさせられることであります。「自分を迫害する者にために呪うではなく、祝福を祈る」ということは大変難しいことであります。これくらい難しいことはないかもしれません。しかしそのあとにすぐ続けて、「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」という、この勧めの言葉があるということは、このことが、迫害する者のために祈ることと同じくらい難しいことなのだということがわかると思います。
 「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」ためには、本当にそうするためには、「自分を迫害する者のために祝福を祈る」覚悟と深い愛がなければ、到底できることではないということであります。

 これは愛するということの一番深い愛し方だと思うのです。ある人が言っているそうです。「喜ぶ人と共に喜ぶ、悲しむ人と共に悲しむというのは、相手が一番深い自分になっている時に、その人と交わることだ」と、いっているそうです。
 
 自分が心からうれしくて、うれしくて喜んでいるとき、あるいは、悲しくて、悲しくて、泣きたい気持ちになっている時というのは、もう周りの人の視線など気にしないで、裸の自分になっているときであるかもしれません。それは、ある意味では、一番深い自分に立っている時といえるのかもしれません。

 そういうときに、一緒に喜んでくれる人がいる、一緒に悲しんでくれる人がいたら、こんなにありがたいことはないし、こんなに励まされることはないと思います。そのときには、本当に自分のことを思い、心配してくれ、自分のことを愛してくれている人がいると思えるからであります。

 「喜ぶ人と共に喜びなさい」と勧められています。これは、「泣く人と共に泣く」ということに比べたら、比較的に容易にできることかもしれません。しかし本当にそうだろうか。

 主イエスが徴税人や罪人たちと親しく交わっていたときに、それをみたファリサイ派の人や律法学者たちが「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」とイエスを非難しました。そのとき、主イエスは三つのたとえ話をしたのです。

一つは、百匹のうち、迷い出たたった一匹の小羊を見いだした時の喜びの話、そして十枚のうち一枚の銀貨をなくして、それを見つけた時のの喜びの話、そして三つ目は、いわゆる放蕩息子の話をなさったのであります。

 それはみな、一人の人間が悔い改めて、救われたことを共に喜ぶことのできないファリサイ派の人、律法学者たちに対するイエスの嘆きの記事であります。

 そこでは「見失った一匹を見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください」というだろうと述べるのであります。
 放蕩息子が、理由はともかく、ともかく家に帰ってきたときに、心から大歓迎をして、迎えたときに、それに不満をもって家に入ろうとしない兄に対して、「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」と、嘆くのであります。どうして一緒に喜べないのかというのです。天の父なる神が喜んでいるのに、どうしてあなたがたは一緒に喜んであげられないのか、と主イエスはいっているのです。

 われわれが「喜ぶ人と共に喜ぶ」ことがどんなに難しいかということであります。

 そして喜びというものは、共に喜んでくれる人があって、はじめて真の喜びになるということであります。たった一枚の銀貨をなくし、それをさんざん探し回って見つけたときの喜びについて、主イエスは「見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて『なくした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』というだろう」と語るのです。このイエスの話は、少し大げさではないかと思われるかもしれません。ある聖書学者がいうには、これは、イエスの少年時代の大工の子としての庶民の生活の経験を語るような話ではないかと推測するのであります。

 たった一枚の銀貨をみつけて、近所の女達を呼び集めて一緒に喜んでくださいというような喜びかたは、これはインテリの人間関係、律法学者たちの人間関係のなかでは起こりようがないことなのかもしれません。それこそ落語にでてくる長屋の近所づきあいをほうふつとさせる話であります。

 喜びというのは、真の喜びというものは、共に一緒に喜んでくれる人と一緒に喜ぶときに、真の喜びというのがあるのではないか。

 音楽会などは、わたしはひとりでいくのが好きです。それは、だれにも気兼ねすることなく、演奏に浸りたいからであります。しかしその演奏がすばらしかったときには、その喜びを語り会う人が欲しくなるものであります。だれかと一緒にくればよかったと思うものであります。

 もし宝くじで一億円でもあたったら、どうでしょうか。恐らくその時には、そのことはだれにも告げずに、ひとりでひそかにほくそ笑むのではないか、しかしそんな喜びは本当の喜びといえるかどうかであります。

 イエスを非難したファリサイ派の人や律法学者たちは、まさにいつもひとりでほくそ笑む、自分だけが幸福であればいいという自己本位の喜びしか味会うことのできないひとたちだったのではないか。彼らはいつも自分の正しさにしか関心はなかったからであります。
 
 そしてパウロは続いて、「泣く人と共に泣きなさい」といいます。
 主イエスは、喜ぶ者と共に喜びなさい、それがどうしてできないのかといわれましたが、しかし考えてみれば、イエスは、パウロが勧めているように、「泣く者と共に泣きなさい」といわれたことがあるでしょうか。

 福音書には、イエスご自身が泣いたという記事は二カ所でてきます。その一つは、イエスが愛していたラザロが死に、その姉妹たちが泣き、一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのを見て、イエスは涙を流されたという記事であります。

 もっとも新共同訳では、イエスは彼らの涙をみて、心に憤りを覚え、興奮してイエスは涙を流されたとありますので、この涙が「泣く者と共に泣く」という、いわば同情の涙というよりは、むしろ、死に対する憤りの涙だったのかもしれません。

もう一カ所は、ルカによる福音書の一九章四一節にあります。それはイエスがエルサレムに近づき、都が見えたときに、「イエスはその都のために泣いて、いわれた」というところであります。その涙は、泣く者と共に泣いたという涙よりは、むしろ、本当は、自分の罪のために泣かなくてはならないエルサレムの人々の代わり、涙を流されたということで、それは嘆きの涙であります。

 もちろん、イエスは泣く人と共に泣かなかったということではありません。ヘブ人への手紙五章には「キリストは肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙をながしながら、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈りと願いとをささげ」とありますから、イエスは悲しみの中にある人のその悲しみの奥深くまで入り込んで悲しまれたことは確かであります。そうでなければ、われわれ人間の罪を嘆き、悲しみ、十字架にご自分を献げる筈はなかったからであります。

 しかし、それにしても「泣く者と共に泣く、悲しむ者と共に悲しむ」ということがどんなに難しいことか。だから、主イエスは、「どうして喜ぶ者と共に喜べないのか」とはいいましたが、「どうして泣く者と共に泣けないのか」とは、いわなかったのかもしれません。

 「泣く人と共に泣く」ということがなぜ難しいのか。それは泣く者は、その悲しみを慰めてもらうことを拒否しようとするからであります。

 イエスが誕生したときに、将来のイスラエルの王が生まれたというので、ヘロデ王はそのイエスを抹殺しようとして、ベツレヘムの付近の二歳以下の幼子を殺した。その殺された母親たちの悲しみを表して、マタイ福音書では、旧約聖書の言葉を引用してこう記すのであります。「ラケルはその子のために嘆いた。子らがもはやいないので、慰められることさえ願わなかった」と記しているのでりあます。

 泣いている人、悲しんでいる人は、その悲しみがあまりに深いときには、慰められることを拒否するのであります。慰められることを願わないのです。そういう人と共に泣き、悲しむということは本当に難しいことであります。
喜びの中にある人は、共に喜んでくださいと、喜びのなかに招こうとしますが、悲しみのなかにある人は、むしろそれを拒否するところがあるのです。

 前にもお話したことがあると思いますが、わたしの友人の牧師で、三歳になったばかりの娘さんが隣の家に遊びにいって、その庭の池にはまって、死なせてしまったという経験をした人がおります。
 そのときに、近所の牧師仲間がきて、自分も同じように子供を亡くした経験があるから、あなたの悲しみはよくわかる、一緒に祈りましょう、一緒に賛美歌を歌いましょうと言いに来た牧師がいたというのです。そのとき、彼はそれがとてもわずらわしかったというのです。

 そのとき、彼はこう思ったとわたしに話してくれました。「自分は娘を死なせたという悲しい経験をしてわかったことは、同じ悲しい経験をしたからといって、人の悲しみがよくわかるなんていうことは、到底言えない」といったのです。

 悲しむ者と共に悲しむなんてことは、到底できないことだということを、自分自身が悲しい経験をしてみてはじめてわかったというのです。悲しみはみなそれぞれに悲しいのであって、人の悲しみなどわかるものではないということであります。

それならば、泣く人と共に泣く、悲しむ人と共に悲しむ、というこの勧めの言葉を受けて、われわれはどうしたらいいのか。

 「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」ということは、相手が一番深い自分になっているときに、その人と交わることなのだと先ほどいいましたけれど、それは、その悲しんでいる人の深さにまで、われわれもまた立たなくてはならないということであります。

娘を失った牧師を慰めに来た近隣の牧師に、愛がなかったわけではないと思うのです、本当に心から慰めようとしにきたのだと思うのです、しかし彼には想像力がなかったのではないか。想像力、イマジネーションという意味の想像力です、つまり、相手の深いところに立つ、相手の立場に立つという想像力であります。その想像力がなかった。

 愛には想像力が必要であります。相手の深い所に立つという想像力が必要であります。ただ相手を愛そうとする意志だけでは、それは愛の押しつけになってしまうのではないか。親切の押しつけになってしまうのではないか。それはかえって、悲しんでいる人を煩わせることになるのではないか。そういう愛、そういう慰めならば、もう放っておいてくれと、慰められることを拒否したくなるのでなはいか。

 愛には想像力が必要であります。相手の立場に立つという想像力が必要であります。それならば、その相手の深い所にたって、同じ立場にたって、われわれは何ができるのか。

 主イエスが十字架を前にして、ゲッセマネの園で、自分は本当に十字架で殺されねばならないのかと苦しみ、そのことを父なる神に祈り、「これは本当にあなたの御心なのですか。できることなら、自分を十字架にかけないでください」と、必死に祈っていたときに、天使が現れて、イエスを力づけた、とルカによる福音書は記しております。

 そのときに、天使は、苦しみ、悩み抜いているイエスをどのように力づけたのかは記されていないのです。ただ天使がイエスを力づけたあと、イエスはいよいよ切に祈り、汗が血の滴りのように地面に落ちたと、記されているのであります。天使がきても、イエスの苦しみ、イエスの悩み、イエスの悲しみはひとつも軽減されなかったのです。ますますイエスは苦しみ、そしてますます、イエスは切に祈ったというのです。天使は恐らく、イエスに何も言わずに、あるいは、何も言えずに、ただそのかたわらにいただけかもしれないと思います。

 われわれも本当に悲しんでいる人の前にいたときに、その人を本当に愛しているならば、言葉ではなにも励ますことはできないし、できなくなると思うのです。ただその人の傍らに立つ以外なにもできないかもしれない。そしてその人がその悲しみのなかで、神に切に祈り、神様から慰められることを祈る以外に、なにもできないのではないかと思うのです。

 わたしは、お子さんを亡くされた牧師のところに、一年くらい経ったとおもいますが、近所までいったついでに、お見舞いにいきました。遠かったので、お葬式にはいけなかったもので、そのときにお見舞いにいったのであります。一晩泊めてもらったのですが、最初の日は奥さんは顔をだしませんでした。四国時代には、奥さんとも親しく交わっていたのです。牧師の話によるとこの一年間買い物にもいけないでいるというのです。翌日の朝はさすがに顔をだして朝食の準備はしてくれました。朝の挨拶だけで、会話はできませんでした。その亡くなられたお子さんの写真の前には、奥さんが造ったぬいぐるみが山のように一杯飾ってあって、それは異様でした。

 奥さんが外に買い物にいけるようになるまでには、一年以上かかったというのです。その一年間、主人である牧師は奥さんに対して、どのように慰めたのかは聞くことはできませんでした。一昨年でしたか、大分にいったときに、彼は最後は大分の教会に赴任してそこで引退したのですが、彼に会いにいきました。さすがに奥さんも元気になってしました。

 奥さんが立ち直るまで、主人である牧師はどのように彼女を慰めたかは聞くことはできませんでした。恐らく、彼も最愛の娘を失った父親として共に泣きながら、奥さんを支えたのではないか。外に買い物にいけない奥さんのために、黙々と自分が買い物にでかけていって、奥さんを支えただけなのではないか。
言葉で慰めようとはしなかったのではないかと思います。

 娘を事故で失ってしまうという深い悲しみがいやされためは、一年以上の時が必要でした。コヘレトの言葉に、「なにごとにも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」といっております、そして「生まるるに時があり、死ぬるに時があり、殺すに時があり、いやすに時がある」といって、そして「神のなされることはみなその時に適って美しい」と続くのであります。

 「時が解決してくれる」という言葉があります。これは英語にもあるようで、辞書をひきましたら、Time is the best medicine とありました。「時」は最上のクスリだというのです。その「時」「時というもの」は神が用意してくださる時なのだと聖書はいうのです。神を信じるということは、ある意味では、時を信じる、神様が与えてくださる時を信じる、時を待つということであるかもしれません。

 前にもお話したことがあると思いますが、ずっと以前にある看護婦さんが「真の安楽死とは何か」という新聞記事のことを思いだします。

 看護婦さんは、重い患者さんからもう苦しいから、いっそのこと早く注射をうって眠らせて死なせくれと、しばしば訴えられるそうです。そのときに、患者はどの看護婦に対しても、そのように訴えるわけではないというのです。そう訴えて、はいそれではそれは医者に言っておきましょうというような看護婦には絶対にそんなことは訴えないというのです。そう訴えられて、困惑し、それはできなのよね、といって一緒に苦しみを受け止めてくれる看護婦さんを選んで患者は訴えるといのです。
 そしてその人は、「真の安楽死とはモルヒネとか、そういう注射を打って挙げることではない。真の安楽死とは、自分を愛してくれていた人、家族とか、それまで献身的に治療にあたってくれた医者とか看護婦が傍らにいてくれることだ」と書いていたのであります。

以前にテレビドラマに「ぼくの生きる道」というドラマがありました。余命あと一年と宣告された教師の話なのですが、その婚約者がそのことを告げられて、婚約を解消しようといわれて、婚約者が彼の担当医に聞きに行く場面があります。「余命一年というのは、本当ですか。彼はどんな気持ちでいるのでしょう」と医者に尋ねるのです。すると医者は「彼がどんな気持ちでいるかは、彼にしかわからない。彼の苦しみは彼にしかわかりません。彼の苦しみをあなたが理解することはできません」と医者はいうのです。それで婚約者は「わたしは彼のために何ができるでしょうか」と尋ねますと、医者は「彼の話し相手になってください。彼がつらいというときには、彼がつらいと言える話し相手になってあげてください」と告げるのであります。

悲しんでいる人は、その悲しみがあまりにも深いときには、慰められるのを拒否するのだとさきほどいいましたが、しかしまた、悲しんでいる人は、実は、本当は切実に自分の悲しみを聞いてくれる人を求めているのだということも確かだと思うのです。つらいときに、つらいと訴えることのできる人がいて欲しいと切実に願っていることも確かだと思います。

一度は婚約を発揮しようとした彼は、のちにその婚約者に自分がつらいときにそのつらさを聞いてくれる人になってくださいといって、その人と結婚するのであります。

悲しみが深い時には、慰められることを拒みたくなりますけれど、またわれわれは自分の悲しみを訴えることのできる人を切実に求めるのであります。

われわれにそういう人はいるだろうか。その人こそイエス・キリストではないか。
 われわれの羊飼いであるイエス・キリスト、われわれの大祭司であるイエス・キリストは、わたしたちの弱さを思いやることのできないかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことにおいて、わたしたちと同じような試練に遭われたかただ、だから、わたしたちは憐れみを受け、恵みにあずかろうではないかと、ヘブル人への手紙では述べられているのです。

 詩編の二三篇は多くの人の愛唱の詩編になっております。それは「主はわたしの牧者、わたしには何も欠けることがない」という句で始まって、「主はわたしを緑の牧場に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」と続いて「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れない。あなたがわたしと共におられるからだ」と、歌うのであります。

 主は、われわれが死の陰の谷、死ぬときにも共に傍らに立ち、歩んでくださるというのです。

 われわれはやがて死ぬのです。われわれの復活信仰というのは、死なない信仰ではないのです。われわれ死ぬのです、そしてあるいは陰府にまでいくかもしれない、恐ろしい地獄までくだるのかもしれません、しかしそのときにも、主は共にいてくださる、だから、われわれは恐れない、安心だというのです。復活信仰というのは、死なないという信仰ではなく、死んでも、そのわれわれの死の傍らに立ち、われわれを慰め、励まし、そうして生かしてくださるかたがおられるという信仰であります。それはよみがりということを信じる信仰ではなく、よみがえらせてくださる神を信じる信仰であります。

イエスは、幼子を躓かせてはならないといわれました。なぜか、それは幼子たちの背後には、天使たちがいて、その天使たちは天にいる父なる神の御顔をいつも仰いでいるからだ、そのようにして天使たちが必死に守ろうしている幼子を躓かせてはならないというのです。

 幼子を守る守護神である天使は、幼子をどのようにして守っているか、天使は幼子のほうに顔を向けているのでなはないのです、幼子には背を向けて、幼子に代わって、いつも天の父なる神の御顔を仰いで、とりなしの祈りをささげているということであります。そのようにして守護神である天使が守っている幼子なんだから、幼子を躓かせてはならないというのです。

 ゲッセマネの園で苦しんでいるイエスを励ますために、天から降りてきた天使たちも、同じであります。彼らもまたイエスがますます父なる神に祈れるように励ましたのであります。

 「泣く人共に泣きなさい」と勧めたパウロは、コリントの教会の人々に対してこういうのです。「神はあらゆる苦難に際して、わたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただく慰めによって、あらゆる苦難のなかにある人をを慰めることができる」といっております。

 「泣いていると共に泣く」ということは、泣いている人をなんとかして、神からの慰めを受けられるように、その人が神に顔を向け、その人が切に祈れるように、その人の傍らに立つということなのではないか。

 われわれは本当の慰め主、イエス・キリストにはなれないでしょう。しかし、われわれにもイエス・キリストを指し示すことはできるのではないか。イエス・キリストの手助けはできるのではないか。