「主にある兄弟」ピリピ2章19−30節

 一九節をみますと、パウロは「わたしはまもなくテモテをあなたがたのところに送りたい」と書き出します。そして二四節には「わたし自身もまもなく行けるものと、主にあって確信している」とも書いております。

 先週学んだところでは、「あなたがたの信仰の供え物を捧げる祭壇に、わたしの血を注ぐことがあっても、わたしは喜ぼう、あなたがた一同と共に喜ぼう。同じよ
うに、あなたがたも喜びなさい。わかしと共に喜びなさい」と書いたばかりであります。つまり、自分が殉教の死を遂げることになっても、自分は喜ぶ、一緒に喜んでくれ、と書いているのであります。

 ところが、一九節からは、一転して、弟子のテモテをあなたがたのところに送りたいという大変日常的な話になっているのであります。ずいぶんその落差が大きいのではないでしょうか。

 殉教の死のことを書いた一八節から、手紙を中断して、しばらく時が経って、それから一九節以下を書いて、テモテを送る、後ではエパフロデトを送るということを書いたとも考えられます。

 しかしどうも三章の一節までの流れからみますと、その三章の一節では、「最後にわたしの兄弟だちよ、主にあって喜びなさい」と書いているところをみますと、ここまでは同じ時間の中で書かれたようであります。

 そしてこの三章一節をみますと「最後に」とありますから、パウロの気持ちでは、本当はここでこの手紙を終わるつもりだったようであります。時間的隔たりがあるとしたら、むしろ三章の二節から、少し時間をおいて、またパウロは書き足したと考えた方がよさそうであります。

 パウロが殉教の死を覚悟し、それをも喜ぶという気持ちと、ピリピの教会のことを心配したり、あるいは、ピリピの教会から送られてきたエパフロデトのことを気遣ったりする気持ちとの間には、少しもかけ離れたことではなかったという事であります。つまりパウロの気持ちでは、殉教という事はもちろん大変な事であるには違いないけれど、それはなにも自分から進んでその道を悲壮な気持ちでそれを引き受けるということではなく、場合によってはそうなる、というだけのことで、それほど大げさに考えているわけではないということです。

 殉教などというものは自分から堂々と引き受けるものではなく、場合によっては、つまり神がそれを強いられるならば、そうなるというだけのことです。そうでなければ、殉教の死などというものは、福音の宣教には一つも役に立たないということです。パウロは「私自身もまもなくそちらに行けるものと主にあって確信している」といっているのです。殉教の死のことばかり考えたり、覚悟したりしているわけではないのであります。

 さて、パウロは弟子のテモテをあなたがたの所に送りたいというのであります。そしてあなたがたの様子を知ってわたしも力づけられたいと言っております。
 
 このテモテのことについて、パウロは最大級の言葉でほめているのです。「テモテのような心で、親身になってあなたがたのことを心配している者は他に一人もない。人はみな、自分のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことは求めていない。しかし、テモテの練達ぶりは、あなたがたの知っているとおりである。すなわち、子が父に対するようにして、わたしと一緒に福音に仕えてきたのである」とほめているのです。

 パウロにどれだけ弟子と言われる人がいたかわかりませんが、しかしパウロにとってはこのテモテは特別だったようであります。パウロの書いた手紙のいくつかは、このピリピ人への手紙もそうですが、テモテの名前をそえて、パウロとテモテからと、発信人の中に付け加えているのです。実際はパウロ一人が書いたと思われる手紙でも。
 
 あるいはテモテはパウロの口述筆記をつとめたのかも知れません。パウロの書いたとされております手紙の中にテモテヘの手紙というのが、二つあります。最近の聖書学ではどうもその内容からすると、これは実際のパウロの手紙ではなかろうという事であります。その手紙の中の教会の様子は、もう教会の制度が出来上がっていて、パウロが活躍した時代よりももっと後ではないかと、推察されているからであります。

 しかし、それがパウロがテモテにあてた手紙になっているという事は、パウロとテモテの関係の深さを示しているところです。

 このテモテは使徒行伝をみますと、パウロが伝道旅行でルステラに行った時に、そこにテモテという弟子がいて、そこで始めてこのテモテを知ったようであります。そこでは、信者のユダヤ人を母として、ギリシャ人を父としており、ルステラとイコニオムの兄弟の間で、評判のよい人物であった、とテモテのことが記されております。

 パウロはしばしばこのテモテのことを、「わたしの愛する子」という表現をしているので、パウロが信仰に導いたのだという説もありますが、しかし、使徒行伝をみますと、そうではなく、既に母親の信仰によってクリスチャンになっていて、そのテモテにパウロは会っているようであります。

 テモテはパウロほど力のある伝道者ではなかったようです。いつもパウロの手足となって働いていたようであります。「子が父に対するように」テモテはパウロに仕えて、福音の宣教に当たってくれたと、パウロはいっております。このテモテはほぽ十年間パウロと共に伝道旅行などでパウロと行動をともにしたようなのです。

 テモテはパウロよりもずっと年下です。しかしパウロはこのテモテの信仰に敬意を覚えているのです。竹森満佐一がこの事にふれて、「自分よりも年少の者をほめるという事はある人びとにとっては大変難しいのに」と言っておりますが、確かにそういう事もあるかも知れませんが、しかし自分よりも年下の人のことをほめるというのは、ある意味ではやさしいのではないでしょうか。

 一番難しいのは、自分と同年輩の人、自分の同僚をほめるということが難しいのであって、年下の人ならば、ある種の余裕があって、むしろほめやすいのではないでしょうか。自分のライバルでないから、ほめることができるという面があるのではないかと思います。

 しかしそういう事から言えば、そうしたほめかたが、本当に人をほめた事になるかどうかという事を考えたら、確かに竹森満佐一が言うように、年下の人を、ある種の余裕からなんかではなく、本気になって心からほめるという事は難しいことかも知れないと思います。

 今パウロはこのテモテを褒めているのです。パウロはどうしてテモテをこんなにも高く評価し、彼を信頼しているのでしょうか。それはこのテモテから謙遜ということを学んだからではないかと思います。

 パウロは激しい性格の人だったらしく、しばしば人と激突しているのです。パウロはキリストにお会いする前には熱心なユダヤ教徒として、クリスチャンを迫害しておりました。そして彼がキリストに出会って、それまで自分が迫害していたキリストの伝道者として立つにあたって、そのとりもちをしてくれた一人にバルナバという人かおりましたが、最初は二人は協力して伝道活動していたのですが、ある時二人の意見が合わずに、いわば喧嘩別れして別々の活動をするようになったのです。

 それは弟子の一人マルコという若者をめぐって、彼を伝道旅行につれていくかどうかと言うことで、意見が分かれたのです。このマルコは少し気弱なところがあって、ある時伝道旅行にいくのを躊躇したことがあったのです。それでパウロはそんな臆病な者をつれて行くわけにはいかないということで、バルナバとの間に激論があって、二人は別れたというのであります。

 パウロにはそういう激しい性格があったわけです。だからパウロに果たして何人の弟子がいたかと考えると、このテモテひとりだったのかも知れないのであります。

 パウロとテモテは正反対の人だったのではないか。パウロはご承知のように熱心なユダヤ教徒からクリスチャンヘ、しかもそのクリスチャンの伝道者として、大変劇的な転換をしたのに対して、このテモテはお母さんの信仰を受け継いでいるのです。

 テモテの第二の手紙には、これは先ほどにもいいましたが、パウロが実際に書いたかどうかは疑問があるのですが、その中でテモテの信仰にふれて、「あなたが抱いている偽りのない信仰を思い起こしている。この信仰はまずあなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケとに宿ったものであったが、今あなたにも宿っている」と言っているのです。つまり三代目のクリスチャンだというわけです。

 劇的に回心した人の信仰は確かに強いかも知れません。なぜならそれは自覚的だからであります。しかしそういう信仰は強いかも知れませんが、うっかりすると、自己主張の強い信仰、傲慢な信仰に陥りがちでもあるのではないでしょうか。

 自分か信仰を獲得した、自分か神にお会いした、自分が苦闘して学び、悟ったのだ、というように自分の経験、自分の悔い改めを誇るところが多いという危険があるのではないでしょうか。パウロもその体験が劇的であっただけに、そういう自分を誇る気持ちと絶えず戦いながら、いつも神の前に謙遜にさせられていったのではないか。パウロはそういう戦いをいつもしていた、絶えず激しく自分の罪と戦った、それだけにその自分の戦いを良く知っておりました。その戦いの経験は、人に福音を宣べ伝える時に役立ったと思います。

 それに対して、テモテはそういう自覚的な戦いはあまりなかったのではないか。もちろん彼に罪の自覚がないなどというのではないのです。しかしテモテは自分の罪の自覚よりはそれ以上に神の恵みとか神の愛を信頼していく。あまり激しい戦いをしないで、自分の生まれつきの性格のように、謙遜ということが自分の身についていたのではないか。

 クリスチャンーホームに育った人に時々そういう人をみることがあって、うらやましいなと思う時があります。テモテはあまり自分を主張するところはなかったのではないか。そのためにあの我の強いパウロともあまり衝突
せずにやっていけたのではないか。

 そしてパウロは長い間、このテモテと生活をすることによって、このテモテの信仰に本当に学ぶところが多かったのではないか、なによりもこのテモテの謙遜さに学ぶところがあったのではないか。

 もちろんいろんな面でパウロはこのテモテを信仰のことで導いたと思います。「子が父に対するように、」とパウロはいっておりますから、テモテは
パウロに忠実だったと思います。

 コリント人への手紙では、このテモテについて言及しているところがあって、こう言っております。「わたしは主にあって愛する忠実なわたしの子テモテをあなたがたのところにつかわした。彼はキリスト・イエスにおけるわたしの生活のしかたをわたしが至るところの教会で教えているとおりに、あなたがたに思い起こさせてくれるだろう」と言っております。

 テモテはパウロからキリスト・イエスにおける生活の仕方を学んで、それをコリントの教会の人々に、言葉ではなく、身をもって示してくれるだろうというのであります。

 それはまたパウロの側からも言えることなのではないか。パウロもまたテモテからキリスト・イエスにおける生活の仕方から学ぶところが多かったのではないか。

 人を教育するということ、あるいは人と交わるということは、こういう相互関係なのではないでしょうか。どちらが一方的に教えるとか影響を与えるということでは、本当に教えたことにはならないのではないか、教える事によって相手からも学ぶ、そうでなければ、人との交わりは長続きしないし、真の交わりにもならないのではないか。パウロはこのテモテから、何よりも謙遜な信仰を学んできたのではないだろうか。

 パウロももちろん謙遜な信仰をもっていたのです。しかしそれは彼にとっては彼の生来もっていた勝ち気さ傲慢さと悪戦苦闘して勝ち取った謙遜であるのに対して、テモテのもっていた謙遜は始めから神の前に身につけていた謙遜さであったのではないか。
 だからパウロはこの年下のテモテを今心からほめることができたのではないか。
 
 二五節からをみますと、すぐこのテモテを派遣できないので、さしあたりエパフロデトを送り返すというのであります。このエパフロデトはピリピの教会から捕らわれの身のパウロの窮乏を補うために派遣されてきた人なのです。

 ところがこのエパフロデトはこちらにきて、病気になってしまった。瀕死の病気になってしまった。その事をこのエパフロデトはたいへん心苦しく思っているらしいのです。パウロのために来たのに、かえってパウロに自分の病気の事で迷惑をかけ、その事がピリピの教会の人々にも伝わって、どうもエパフロデトのことを非難する声も聞こえて来たようなのです。

 それでエパフロデトもピリピに帰りづらくなっているようなのです。それで今パウロはそのエパフロデトのことをかばい、彼を心から迎えてあげて欲しいというのであります。

 こういうところを読んでいますと、教会の交わりは、今も昔も変わらないという事をつくづく思います。教会の交わりは、兄弟姉妹の交わりとはいいましても、ちょっとした事でいろんな意見の違いがあって、すぐ人を非難しがちなのであります。だから教会ではないとか、教会にふさわしくないと非難するのではなく、だからこそ、教会員ひとりひとりが改めて、神の前に、キリストの前に謙遜でなければならないと思います。

 この二章は「どうか同じ思いとなり、同じ愛の心をもち、一つ思いなって」という勧めの言葉から始まり、「何事も党派心や虚栄からするのではなく、へりくだった心をもって互いに人を自分よりもすぐれた者としなさい」といい、あのキリストの謙遜と従順を学びなさい」という言葉から始まっていたのであります。

 へりくだった心をもつとか、謙遜になると言う事は何よりも、神の前に立ち、自分が神によって造られたものであることを知ることであります。それはまたあの兄弟もこの兄弟も同じ様に神によって造られたものであることを認めるということです。

 それぞれの性格の違いを認めるということ、それぞれの個性を認め合うということ、従ってそれぞれの働きの違いを認めるということです。信仰は一つですけれど、その信仰のあらわしかた、あるいはその信仰の生活の違いは人それぞれだということです。それを認めるということであります。

 なにも同じ兄弟姉妹だから教会につらなるすべての人とつきあわなくてはならないという事ではないのです。同じクリスチャンなんだから、すべての人を好きにならなくてはならないということではないのです。ただ自分の好みとか自分の個性とか自分の感性とかを主張するだけであってはならない、人にはそれぞれの生活があり、それぞれの過去の習慣を背負ってクリスチャンになっているわけですから、それをお互いにゆるしあい、認めあうという事であります。

 パウロはこうした性格の違い、信仰の違いでなく、信仰の違いであったら困りますが、信仰の表現の違い、それをテモテから具体的に学んだのではないか、なによりもこのテモテから謙遜とということを学んだのではないか。パウロはこのテモテをほめてこう言っているのであります。
 「人はみな自分のことばかりを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めていない」、しかしテモテは違うというのです。

 自分のことばかり求めるだけで、といいますから、その後には、人のことも求めなさいとパウロはいうのかと思いましたら、自分のことばかりでなく、キリスト・イエスのことを求めているというのです。

 ここのところで、竹森満佐一はここでパウロはテモテのことを「自分のことだけでなく、神を求めると言わないで、キリスト・イエスの事を求めるといっているところが大事だ」と言っております。

 神を求める事とキリストを求める事は、同じ事だと言えば同じ事かも知れませんが、少し違うのではないかというのです。「神のことを求めて、神の名において人を批判する事が多い、神のことを求めるから正義とか公正を求めると言って、人や社会を裁くことをしがちだ。しかしキリストを求めるということは、いつでもキリストに救いを求めるということだ」というのです。

 キリスト・イエスのことを求めるという事はこのキリスト・イエスに自分も救ってもらいたいと求めることなのです。その時われわれは謙遜になれるのであります