「霊による従順」  ローマ書八章一二ー一七節


 先日学んだところですが、ローマの信徒への手紙の八章四節を見ますと、「それは、肉ではなく、霊に従って歩むわたしたちのうちに、律法の要求が満たされるためでした」とパウロはいいます。

 これは七章から読んで来たわれわれにとっては、大変不思議な気がいたします。といいますのは、七章では、パウロは律法はわれわれを死に導くだけだと、いわば律法の悪口をずっと言ってきたのであります。それどころか、七章の二節では「夫が死ねば、夫の律法から解放された」のであると言って、律法の死について言っているのであります。われわれはもう律法から解放されたというだけでなく、律法そのものがもう死んだのだと言っているのであります。

 それなのにここに来て、律法の要求が満たされる道を示そうとするからであります。
律法の要求が肉によらず、霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされる、とはどういうことなのでしょうか。

 こう考えてみてはどうでしょうか。われわれは今までは、肉という船に乗っていた。その船長は罪という船長だった。その行く先は死であった。ですから、その船に乗ってる限りは、その船のなかでその船の方向とどんなに違った方向に走ろうとしても、結局はその船の方向にどんどんと向かっていくほかはなかったのであります。

 つまり罪に支配されている限りは、われわれがどんなに善行をしようが、人に自分の善行を示そうという気がそこに働いてしまって、本当に人のためにしようとしているのか、それとも自分の心を満足させるためにしているのかわからなくなってしまうのであります。

 祈る時にも、断食する時にも、人にみせびからして、自分の宗教性、敬虔深さをみせようとして、祈り断食するというジレンマから逃れられなかったのであります。

 どんなに良いことをしようとしても、その船にのっている限りは、罪という船長が行こうとしている行く先、死という行く先に向かって走らせられていたのであります。ですから、その船の甲板で、その船の行く先と正反対に走っていっても、結局はどうにもならなかったのであります。それはもうむなしい努力、みじめなあがきでしかなかったのであります。それが「わたしはなんというみじめな人間なのだろう。だれがこの死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」という嘆きなのであります。

 そして今や、船長が代わったのだというのです。罪という船長ではなく、船長が罪から御霊に代わった。従って、行く先も代わった。それは、いのちと平安であるというのであります。六節に「肉の思いは死であるが、霊の思いはいのちと平安とである」というのです。

それならば、われわれは船底にとじこもったり、甲板の上で、船とは違う方向に走ろうと悪あがきをするのを止めて、甲板に出て、広々とした海、その上に広がる青空をみながら、そしてその船の行く先のいのちと平安という島の方向を見つめて、船と同じ方向に歩んでいけばいいのであります。

それが律法の要求が、肉に従って歩むわれわれにではなく、霊によって歩む私達に満たされるということであります。

 八章の十二節をみますと「それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません」とあります。
 ここのところは口語訳では、義務というところを「果たすべき責任」と訳されております。また他の訳では、「負い目」と訳しているのもあります。

 それはともかく、新共同訳聖書では、まず始めに「わたしたちには一つの義務があります」という言葉から始められ、しかしその義務は肉に対する義務ではないのだとなってりおます。それは口語訳でも同じで、「わたしたちは果たすべき責任を負っている者であるが」となっております。

 しかしその後、その義務にせよ、責任にせよ、あるいは、負い目にせよ、肉に対する義務とか責任とか負い目ではないとは言うのですが、それでは何に対する義務なのか、責任なのか、負い目なのか、ということについてはその後触れてこないのであります。

 話の流れからすると、肉に対する責任とか義務ではないならば、当然霊に対する義務、責任ということになるのだと思いますが、パウロはそれをはっきりと言葉に出して言おうとはしないのであります。

 ここのところを説明して、カール・バルトという神学者がこう言っております。「今や、イエス・キリストにある者が果たすべき負い目となっているような従順、果たすべきであり、果たさなければならないような従順については、もはや一言も問題にされていない。キリスト・イエスにある者は、まさにこのような負い目と義務から自由である」というのであります。
 負い目とか責任とか義務ということからもう一切解き放たれたのだといわんばかりなのです。

 義務とか責任ということがもちだされた時に、すぐにわれわれがいだく感情は、重荷、重圧ではないでしょうか。そしてその重荷を担えないということから起こる恐れとかおびえではないかと思います。ああ、いやだなあ、という感情ではないかと思います。

 それを見越しているかのように、パウロは、口語訳でいいますと、「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく」というのであります。われわれが律法に従うとして生きていた時は、義務とか責任とか負い目とかという重荷をいつも背負わされ、息絶え絶えに生きていたのであります。それはいつも戦々恐々としている奴隷のような状態だったのです。しかしもはやそうした義務とか責任とか負い目から自由になったのだというのであります。

 わたしがまだ現役の頃、ある人から献金を要請するパンフレットが送られてきて、その中に同封されていた新聞のコピーがあって面白く読みました。そのかたは私の神学校時代の後輩ですが、東京神学大学を卒業してから、牧師にならないで、教育者として生きようと志していたのです。今、ニュウライフカレッジという私塾を福島県の山奥の廃校を借りてしております。現在では七人の生徒の教育に当たっているという記事であります。

彼のおばあさんに当たる人が女子学院の創立者にあたる人で、明治時代に女子教育に情熱を傾けた人なのです。彼はその志をついで、どうも神学校時代から自分もそういう理想の教育をしたいと情熱をもやしていたようなのです。そしてその自分の理想を実現するために、それこそなにもないところから、そういう私塾を造っていったのです。

 彼は最初その私塾を造った時に、幕末の志士を育てたあの吉田松蔭の松下村塾のような、上から゛世直しをする優れた人を育てるという理想の教育をしたいと願っていた。ところが来た子供たちは現在の学校から落ちこぼれた登校拒否をしている子供たちばかりだったというのです。

 彼は最初はそういう子供たちを鍛え直そうと厳しい規則で教育しようとした。しかしそうすればするほど、子供たちは心を閉ざしていった。自分はこんな子を対象に学校を造ったのではないという思いが自分のなかにあったというのです。

 その学校が開かれてから、六年目に彼は自転車のブレーキ故障で大けがをするという事故にあった。その事故は、生徒の一人が故意にブレーキをゆるめたために起こったということを、その二年後に知ったというのです。

 そしてその時「なぜそれほどまでに自分が憎まれていたのか」と考えたというのです。その時こう考えた。人間形成などと歌い、人間が人間をこねて理想の型に造りあげようという自分がいかに思い上がっていたか、鼻持ちならない人間であったかということにその時気がついたというのです。

 そして教育方針をすっかり変えてしまった。いっさいの規則をなくし、外側からの強制を取り払った。生徒は起きるのも寝るのも自由、学校でのスケジュールもすべて自分で組む、教師はそれに手を貸すだけにした。もちろんそれからもいろいろと試行錯誤はあったけれど、すでに百人以上がその学校を卒業していっているというのです。最初は夫婦だけで始められた塾でしたが、今では専任スタッフも六人になって、生徒は七人だそうです。この学校はもちろん生徒の学費でなりたっているのではなく、全国の支援者からの基金で運営されているわけであります。

 われわれ人間にとって、義務とか責任というものが押しつけられるということがどんなに重圧か、どんなに傷つけられることか、場合によっては自転車のブレーキをゆるめて人を殺しかねないほどに人を憎ませてしまうことになるということなのであります。

 パウロはここでは、律法で苦しめられてきたわれわれに対して、もうそのように律法による肉に従う果たすべき責任、負い目、義務というものはいっさいないのだというのです。恐れとかおびえとかという奴隷の霊を受けたのではないというのです。

 最初の十二節に帰りますと、「わたしたちには一つの義務がある」といっておきながら、もうその言ったことをまるで忘れたように、その後その義務とか責任については触れてこないのであります。

 その代わりにパウロは、信頼する親に喜んで従う子供の従順について語るのであります。責任とか義務とか、負い目という言葉の代わりに、神の子としての従順について語るのであります。

 ここには「従順」という言葉そのものは使われていませんが、パウロとしたら、あの十二節で言おうとした「一つの義務、果たすべき責任」という代わりに、「従順」という言葉を使いたかったのではないかと思います。

 内容的には、一七節をみますと「もし子であれば、相続人でもある。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人だ。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからだ」とありますから、その神の子であるわれわれにも相続人としての責任とか義務というのはあるということになります。

 子供として、とうぜん親の苦労を一緒に担うという子供としての責任とか義務があるというのです。しかしパウロはそのことをいう時その責任とか義務という言葉をできるだけ避けて語ろうとしているのではないかと思います。

われわれはもう律法による義務とか責任を押しつけられる奴隷としての生き方から解放されて、神の御霊に導かれる生き方に変えられたのだというのです。それではその神の御霊に導かれる生き方とはどういう生き方なのか。

 御霊とか聖霊という言葉からわれわれがすぐ想像するのは、それはなにか神秘的な霊的な生活のことではないかと思います。なにかマインドコントロールされるような超能力に支配されるような生き方を想像するかもしれません。

 一三節をみますと、「肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます」といいます。

 パウロは決して禁欲主義者ではないのです。酒を飲んではいけない、たばこをすってはいけない、肉を食べてはいけないとはいわないのです。他の手紙の中では、「食物それ自体に汚れたものは一つもないというのです。ただもし食物のことで兄弟をつまずかせるならば、自分は肉は食べない」、酒は飲まない、たばこはすわないというだけであります。

 「からだの仕業を絶つ」というのは、人間の自己中心的な生き方を止めるということであります。自分さえよければいい、あるいはただ自分の立派さを誇るような生き方を止めるということであります。

 そしてその「からだの仕業を絶つ」ということは、これは決して受け身的な生き方、つまりなにか神秘的な霊に夢うつつのうちに動かされていくような生き方ではない、主体的な生き方、つまり、われわれがいつも決断して物事を決めていくというような生き方であります。

 パウロが「ガラテヤの信徒への手紙」で、御霊による生活と肉の働きによる生活の問題をとりあげて、肉の生活は「不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、ねたみ、泥酔」などといい、御霊の生活は「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意」とかあげていきますが、このことをある人が説明して、肉の生活としてあげられているものは、これはみなわれわれが決断をしないでずるずると自分の欲望に従っていく生活のことだ、人はだれも決心してよし好色になろうとか、泥酔しようとかということはしない、ずるずるとそれに引きずられてそういう方向に生きてしまう。

 しかしそれに対して、御霊の生活は、愛にせよ、寛容にせよ、慈愛にせよ、これはみなわれわれが決断しないと、つまり本当に意志をもってこうしようとしないとできない生き方だと説明しております。そしてそれはただ自分の意志一つ、決断ひとつで、できることではなく、そこに御霊の導き、御霊の助けがないとできないことなのであります。

 一四節をみますとこう書かれております。「神の霊によって導かれる者は、皆神の子なのです。あなたがたは人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです」といいます。

そしてパウロは「すべて神の霊に導かれる者は神の子である」と言ったあと、「その霊によって、わたしたちは『アッバ、父よ』と呼ぶのである。この霊こそは、わたしたちが神の子であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくれる」というのです。

 われわれが神の子であるという証はどこにあるか。それはわれわれが御霊に促されて、父なる神にむかって「アッバ、父よ」と祈れる時だというのです。

 「アッバ」というのは、イエスが使っていたアラム語、ヘブライ語の一                                                                    種ですが、アラム語で、「アッバ」というのは、子供が父親に親しそうに呼びかける言葉で、今日でいえば、「おとうさん」という言葉、あるいは「パパ」という言葉にあたるのだそうです。イエスは祈るときに、そういう言葉で父なる神に呼びかけていたようなのです。

 当時ユダヤ人は父なる神に祈る時に、そんな親しそうな呼びかけで、祈ることはなかったのです。「神よ」とか「父なる神よ」とか厳粛な思いで祈ったのです。しかしイエスはその「アッバ」という言葉で神に呼びかけた。
 それで人々この「アッバ」という言葉が非常に印象深かったので、後に聖書がギリシャ語に訳された時にも、イエスが用いた「アッバ」という言葉がそのまま残ったのだろうと言われております。それは「アーメン」という言葉がそのまま残ったのと同じであります。

 われわれが神の子であるというしるしは、われわれがなにか神の子にふさわしいような立派な行いができた時ではないのです。なにか神秘的な体験した時でもない。敬虔深い祈りができた時でもない。われわれが天使のような神の子になった時ではないのです。
 ただひとこと、本当に親しく父なる神に「アッバ」と祈れた時、神様に対して「お父さん」と親しく語りかけるように祈ることができたときなのです。

前の西方町教会の牧師だった鈴木正久が娘さんから肝臓ガンの告知を受けたときに、さすがにその夜は寝付けなかったというのです。そのとき、
彼は祈った。今までそういうことは余りなかったのですけれど、ただ「天の父よ」というだけではなく、子どもの時自分の父親を呼んだように「天のお父さん、お父さん」、何回もそういうふうに言ってみたりもしました。

そういう呼びかけは、甘えたような感じでそういう言葉で祈ったことはなかったというのです。しかし、そのときは「天のお父さん、お父さん」と呼びかけたというのてす。そうしたらやがて眠れました。明け方までかなりよく静かに眠りました。そして目が覚めたらば不思議な力が心の中に与えられていましたというのです。

 ここでは、「霊によってからだの仕業を絶つなら」と、そういう時にわれわれが神の子であることが証しされるとはいわないのです。何かそういう禁欲的な生き方ができたら、神の子になるのだとはいわないのです。

 そうではなくて、神の御霊に導かれて、奴隷のように恐れたり、おびえたり、ひくつになったりしないで、神様に対して、「アッバ、おとうさん」と親しく祈った時、われわれはなによりも神の子であることがわかるのだというのです。

われわれが律法という重圧のもとで生きている時、われわれが最後に叫びだす言葉は「わたしはなんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうかろ」という叫びでした。しかし今、御霊に導かれた者の最初の言葉は、そして最後の言葉も、「アッバ、父よ」という祈りの言葉なのだということであります。