「死にて葬られ、陰府にくだり」 ペテロの第一の手紙三章一八ー二二節

 使徒信条は、「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ」と告白したあと「死にて葬られ、陰府にくだり」と続けられております。「十字架につけられ、死にて」と言ったあと、なぜわざわざ「葬られ」と告白するのでしょうか。どうして、十字架で死んだ、それだけではいけないのでしょうか。
 
それは、「葬られ」ということで、使徒信条は、イエス・キリストは十字架の上で死んで、そして本当に死んだのだということをいうために、わざわざ、「葬られ」と付け加えたのであります。
 
といいますのは、死ぬということがただちに葬られということにはならない場合もあるからであります。特に偉大な人の死は葬られないで、死んだ後、そのまま天に昇ったということもあるからであります。たとえば、預言者エリヤは、嵐のなかで天にあげられたと聖書は記しております。エリヤとその後継者のエリシャが話ながら歩いておりますと、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分け、エリヤは嵐の中を天に上っていった。エリシャはそれを見て、「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と叫んだが、もう見えなかったというのであります。これはエリヤという預言者がいかにな偉大な預言者であったかを示すひとつの神話的伝説だと言ってもいいと思います。
 
あるいはモーセが死んだときは、百二十歳でしたが、活力もうせてはいなかった。モーセはカナンの手前、モアブの地で死んだ。主はモーセをペト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない、と記されております。

 モーセの場合には、「主が彼を葬られた」と、神みずからがモーセを葬られたと記しているのであります。大変不思議な言い方であります。
 
 それに対して、神の子イエスは本当に人間の手によって葬られたのであります。

 イエスが十字架の上で息を引き取りますと、その日は安息日の前の日でしたので、そのまま遺体を十字架の上で放置しておくことは律法で禁じられていたので、アリマタヤのヨセフという人がイエスの遺体を取り下ろして葬りたいとピラトに願い出て、ピラトが許したので、イエスの遺体を十字架から取り下ろし、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて、亜麻布で包んで、だれも葬られたことのない新しい墓に葬ったと記されております。このアリマタヤのヨセフは地位の高い議員だったというのです。しかし彼はイエスの弟子であったとヨハネによる福音書は記しております。そのために彼はユダヤ人を恐れてイエスが十字架につけられる一連の出来事の間だ、身を隠していたというのです。

その埋葬の時にはかつて、夜ユダヤ人を恐れてひそかにイエスを訪ねたことのあるニコデモも没薬と沈香を混ぜた香料をもってきたというのであります。あのイエスの十二弟子はもうすっかりイエスからとおざかりましたが、このふたりはイエスの最後の後始末をしてあげたというのであります。十二弟子達は、イエスとあまりにも密接に接していただけに、十字架で処刑されるイエスを見たくなかったでしょうし、それ以上に自分たちがイエスの仲間だということで逮捕されることを恐れたから、その埋葬にも参加できなかったということだと思います。
 
このふたりともイエスをひそかに尊敬し、そしてそうであるが故に、イエスを処刑することに反対していた人と思われます。しかしそれをあからさまにいったら、ユダヤ人から非難される、自分たちの地位が危うくなることを恐れていたのであります。それを公の場でいうことはできなかったようなのであります。それで、イエスが死んだあと、せめてその遺体を丁重に葬ってあげたい思って、イエスの死体に塗る高価な香料を用意し、また新しい墓を用意したのであります。

 死体に香料を塗るということは、死体から発する悪臭を抑えるためにそうするのであります。イエスもまた死んでしまえば、ただの人で、やはりその死体から悪臭を発するのであります。イエスはかつて逮捕される前にナルドの香油を捧げた女の行為を大変喜ばれて、弟子達が非難するなかで、この女はわたしの葬りの用意をしてくれたのだといわれたのであります。イエスご自身、自分が他の人たちと同じように葬られることを望んでおられたのであります。それは自分もまたみんなと同じように、死ねばその死体から悪臭が放たれることを知っていたのであります。
 
ドストエフスキーの小説の「カラマーゾフの兄弟」という小説がありますが、そのなかで大変みんなから尊敬されていたゾシマ長老が死んでいく場面があります。ゾシマ長老は修道院の司祭なのです。修道院の人たちは彼のことを神のようにして尊敬していたのです。その修道院に学んでいる神学生のひとりにアリョーシャという大変純朴な青年がいるのですが、彼はカラマーゾフの兄弟なのですが、彼はゾシマ長老を神のように崇拝していたのです。その修道院では、ゾシマ長老は神のような人だから死んでも普通の人とは違って決して悪臭は放たないだろうという噂が広がっていた。

ところがそのゾシマ長老が死んでしまうとその遺体からみんなと同じように悪臭がただよい始めた。そのことが修道院全体に伝わるとアリョーシャは大変なショックを受けて信仰がぐらついてくるという場面があります。そして意地の悪い神学生が長老の遺体から悪臭が漂うということは、彼はみんに知られなかったが、何か生前悪いことをひそかにしていた証拠だということをアリョーシャに吹き込む。そしてアリョーシャは信仰を失いそうになるのであります。
 
死ねばどんな偉大な人間からも死臭が出るのであります。それが死ぬということであり、そのために香油を塗って葬る必要があるわけであります。イエスの死体からも死臭が出たのであります。なぜならイエスは真の人間として死んだからであります。

 そのイエスの葬りの用意をしたのが、アリマタヤのヨセフであり、ニコデモでした。共に有力な議員だったようであります。しかしひそかにイエスを尊敬していた。イエスの隠れた弟子だった。彼らがもっと積極的にイエスの逮捕と処刑に反対していれば、事態は変わっていたのかもしれません。しかし彼らは恐れて身を隠していた。そしてイエスが処刑されてしまいますと、その時になって、出てきて、せめてそのイエスの死体を葬ってあげようとするのであります。そのことを願い出るということは、それだけでも確かに勇気のいることでした。それならば、なぜその勇気をもっと前にださなかったのか。イエスが処刑される前にその勇気を出して、それに反対しなかったのか。口の悪いある説教者が、こういうアリマタヤのヨセフのような人を「あとの祭り的人間」というのだと皮肉っておりました。確かにまさにお祭りが済んでからのこのこと現れたのであります。善意な人間です。しかし善意な人間というのは、いつも「あとの祭り的」な役割しか果たせないのだとその人は批判するのであります。

 われわれ人間のやることは、考えてみれば、いつでもあとの祭り的なことばかりしているのではないか。

 しかしイエスの死に関していえば、われわれ人間がそれを阻止するなんてことはできないことなのです。これは神の深いご計画によるものだからであります。本当をいえば、イエスの死に関してだけでなく、おおよそ、人間の死をわれわれは阻止することはできない。死を阻止するなんてはことはできないのです。われわれにできることは、死んだ人間をせめて手厚く葬ってやることだけかもしれません。そういう後始末をすることも、またわれわれ人間の大切な仕事かもしれないと思います。
 
たびたび紹介してりおますが、永瀬清子さんの詩、「女性は男性よりもさきに死んではいけない。男性よりも一日でもあとに残って、挫折する彼を見送り、またそれを覆わなければならない。男性がひとりあとへ残ったならば、誰が十字架からおろし埋葬するであろうか」という詩を思い出します。永瀬清子さんはそしてこういうのであります。「あとへ残って悲しむ女性は、女性の本当の仕事をしているのだ」。「葬りをする」ということは、ある意味では、人間の本当の仕事をしているのだといってもいいと思います。

 イエスを丁重に今葬っているアリマタヤのヨセフとニコデモは、確かに善意のある人間のもつあとの祭り的な性格を示しているかもしれませんが、やはり大事なことをしているのであります。イエスご自身が生きている時に、ナルドの香油を注いでくれた女の行為に感謝して、「この女はわたしの葬りの用意をしてくれたのだ」と感謝しているのであります。

 われわれにできることは、死を阻止することではない、そんなことは到底できないことです。われわれにできることは、ただ死の後始末を丁重にしてあげることだけであります。葬ってあげるだけであります。
 人間のできるとはそこまでであります。

 しかしイエス・キリストはもっともっと先まで進んで行かれたというのが、その後に続く、「陰府にくだり」であります。
 人間が丁重にイエスを葬っている時に、イエス・キリストはもっと先まで突き進んでおられた、陰府にまでくだっていかれたというのであります。

 「陰府にくだり」という使徒信条の条文は、最初の信条文にはなかったようであります。最初の条文にはないのだそうです。後に加えられたのだともいわれております。だからあまり重要視しなくてもいいのだとも言われております。
 しかしこれは大切なわれわれの信仰の告白であります。

 陰府とは何か。旧約聖書では死んでから人間が行く世界のことのようであります。それはただちに地獄と結びつくとは限らないようで、そこはむしろ無の世界、闇の世界、忘れの世界のようであります。それが地獄や煉獄と結びつくようになったのは後の時代、異教の世界の影響だろうといわれております。しかしこの使徒信条の英語訳では、ここは「地獄にくだり」と訳されているそうであります。やはりそこは神の光が差し込んでいない世界ですから、救いのない世界であります。ある意味では地獄と同じように、神に裁かれて死んだ者の世界であります。

 ペテロの第一の手紙をみますと、「キリストは肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。そして霊においてキリストは捕らわれていた霊たちのところに行って宣教されました。この霊たちは、ノアの時代に箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です」と記されております。箱船に入ろうとしなかった者たちの霊というのですから、やはり神の裁きを受けて陰府にくだった者たちのことですから、地獄と考えもそう間違いはないと思います。
 
陰府にくだったというこのキリストは、復活したあとのキリストなのか、それとも復活する前のキリストなのか、神学者の間で議論があるそうですが、使徒信条の告白の仕方からいうと、イエス・キリストは十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、そして、三日目によみがえり」と告白されておりますから、父なる神によってよみがえられる前のキリストと考えたほうがいいと思います。「霊においてキリストは捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました」と、ここに「宣教」という言葉があるから、それはやはり復活後のキリストだということになるのだと思いますが、使徒信条の告白の仕方からすれば、イエス・キリストはまことの人間として、死に、そしてすべての人間と同じようにその死体から悪臭を放つために、香料をぬられ、そして手厚く墓に葬られなければならなかった。そしてすべての人と同じように、死んでからみんながいく世界、特に神の裁きを受けて死んで行く者の世界、地獄といってもいいかもしれない陰府の世界に、イエス・キリストは真の人間になりきってくだってこられたのだということではないかと思います。そしてそれが実はもっとも強力な宣教に なるのではないか。
 
つまりそこまで、神の子が身を低くしてくださったということだからであります。われわれのいく陰府にまで来てくださったということだからであります。それはそこでイエス・キリストがするどんな説教よりも、イエス・キリストがその陰府に来てくださったということ、それだけでも陰府にいる者にとっては大きな慰めであり、それにまさる宣教はないのではないかと思います。
 
詩篇の一三九篇には、絶望したある人が、神にも絶望し、もういっそのこと神の御手から逃れようと「天に上ろうとしても、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとしても、あなたはそこにいました」と歌われております。
 陰府にまで、神の御手は伸ばされているのだということを知ってこの詩人は慰められ、救われるのであります。

 竹森満佐一はこのところでこう述べているのであります。「ここは今日十分に理解できないことが多くある。従って説明もいくつかできる。しかしおそらく、キリストの十字架の救いから考えるのが、もっとも適当ではないかと思う。キリストは十字架につくほどにして、人間を救おうとされた。それはすべての人がそれによって救われるためだ。そのことをあらわすために、陰府にまで行って、福音を宣べたといわれるのだろう。それが実際にどういうことかは、聖書の語るところが少ないのだから、勝手に想像するわけにはいかない。ただ、キリストが十字架にかかって、どんなに大きなあわれみと熱心とをもって、人間を救おうとなさったかを知るべきである」と記しているのであります。」
 
われわれ人間のやることはすべて後手後手に回ります。イエスが処刑されてしまったあとになって、あとの祭り的に葬りの用意をしにいく。罪を犯したあと、われわれはその罪をなぜ犯してしまったのかと後になって深刻に反省する。すべてが後手、後手に回ってしまって、それが結局はイエスを十字架へと追いやってしまったのであります。われわれのすることは、あのアリマタヤのヨセフのように、あるいはニコデモのように、後始末だけなのかもしれません。しかしそれも大変大事なことであります。後始末ということは、ある意味では、もっとも面倒なことであります。そしてそうであるが故に、もっとも大事なことであるかもしれません。
 
イエス・キリストが死んで葬られ、陰府にまで行ってくださったということは、いわば人間の犯してきた罪の、最後の後始末をしにいらしてくださったということではないか。十字架につく前には、イエスは弟子達の足を洗ってくださった。そして死んでからは、陰府にまでくだってくださって、われわれの尻ぬぐいをしてくださったということではないでしょうか。
 
そのようにして陰府にまでくだっていかれたイエスを神は三日後によみがえらせたのであります。