「すべて称賛に値するもの」4章8−9節

 
 パウロは「終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いことを、また、徳や、称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい」といいます。

 もう信仰にとって大事なことは、言ってきたのです。終わりに、最後に、付け足しのようにして最後にいいたいことがあるというのです。

 ここで列挙されていることは、誰の心をもうつ言葉であります。つまり、それほど一般的な勧めの言葉で、ここでいわれている「すべて真実なこと、すべて気高いこと」という言葉で始まる言葉は、竹森満佐一の説明では、「ここに書いてあることは、特に信仰者だからしなければならないということではない。実はこれは聖書にだけ出てくる言葉ではなく、その当時、普通にみんなが大事なことだと言われていることが、ここに書かれている。その時代の人ならばみなこれこそ正しい生活だといっていた事が、ここに列挙されているのである」ということであります。

 たとえば、ここに「徳」があげられておりますが、この「徳」という字は、この当時のギリシャの教師たちが非常に大事だとしきりに言っていたことだそうです。

 パウロはしかしこの字はここにしか使っていないのだそうです。当時一番みんなが使っている言葉、つまり立派な生活をするためには一番重要だとみんなが使っている言葉をパウロは今までわざと使わなかったのだ、そしてここでただ一回使っているのだのだと竹森満佐一はいうのであります。

 ここには、「すべて」という言葉が一つ一つの言葉の前についていますが、それは極端に言えば、どんなことでもいいから、いいことならどんなことでも、すべてという意昧なのだということだそうです。これは、その時代の人ならば、みな、これこそ正しい、よい生活だと言っていた事を、そのうちのいくつかを抜き出して書いてあるだけで、さらに言えばこれはまだいくつもふやすことができる事だ、教会の外の信仰のない人でも、当然しなければならないことだと思っている事で、世間の生活の全体の中から拾ってくれば、いくらでも書き加えることのできる事がここに書かれているだけだという事であります。

 つまりここにあげられている事は、普通の良識のある市民生活をしようとする人ならば誰でもしていること、しなければならないことが列挙されていることなのです。それをパウロは「終わりに、兄弟だちよ」という言葉で、勧めているのです。つまり、信仰者はこの世の市民生活もきちんと良識をもって生活しなさいという事が勧められているのであります。

 京都にある清水寺の住職だった大西良慶が、あるインタビューに答えてこう言っているそうです。「平凡から非凡になるのは、努力さえすればある程度のところまでは行けるが、それから再び平凡に戻るのが、むつかしい。」

 平凡から非凡に、そして再び平凡へと、平凡にもどることが大切だというのです。そして武者小路実篤がこの最後にもどる平凡のことを「大凡」と言ったそうです。この平凡をわざわざ大凡と言ってしまっては、折角の平凡が平凡でなくなってしまうと思いますが、やはり、ただの平凡というのでは物足りないということなのかも知れません。

 この平凡を大凡と言い替えたくなるところがいかにも理想主義者だった武者小路実篤らしいところだったのかも知れません。

 パウロがここで勧めている事も、ある意味ではその平凡なことをないがしろにしてはいけないということなのではないかと思います。信仰者はこの世の価値基準とは違ったところで生きているのだから、この世の道徳とか、常識、その価値基準を無視していいということではないのです。この世の人々がこれは大切だと称賛していること、すべて真実なこと、徳といわれていることをみな心にとめていきなさいというのであります。

 信仰者は奇異であってはならないのです。イエス・キリストは、ルカによる福音書(二章五二節)によれば、その少年時代は「ますます知恵が加わり、背丈も伸び、そして神と人から愛された」というのです。

 イエスは神から愛されただけではなく、人々からも愛されたのです。それはごく平凡な少年だったという事であります。抜きんでて優秀な才能をもっていても、あまり奇異に振る舞う人は、人々には好かれないと思います。まして愛されることはないと思います。

 福音書にはイエスの少年時代の事は、殆ど、というよりは何も残っていないのは、イエスがごく普通の少年だったということであります。突出するよな少年でなかったから、それは伝承として残らなかったということであります。

 イエスがなさったたとえ話などは、イエスがごく普通の生活を送ったことをうかがえさせる話がいくつも出てくるのです。種まきのたとえ話とか、あるいは、十枚のうち一枚の銀貨をなくして、それをみつけた時の喜びをあらわす主婦の話とか、「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」という言葉は、イエスが大工さんのお父さんのあとを継いで、イエスが実際にくびきを造り、それが評判だったことから出た言葉ではないかと言われているのです。ある新約学者の想像ですが、イエスの大工の店の看板には、「わたしのくびきは負いやすい」という言葉が掲げられていたのではないかというのです。

 そしてそれは大人になって宣教を開始してからも同じだったと思います。
 あのイエスの道備えをしたバプテスマのヨハネは毛衣の着物を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜とを食物としていたというのに比べると、イエスはそういう事はしなかったのです。

 しばしばイエスはみんなと食事をともにし、そのためにイエスの悪口を言う人は「彼は大酒飲みで、大食漢だ」とイエスに対して言ったのです。イエスはことさら奇をてらうようなことはしなかったのです。

 それはパウロも同じです。コリント教会にあてた手紙のなかで、パウロは「自分は自分の伝道者としての勤めがそしりを招かないように、どんなことにも人に躓きを与えないようにし、かえって、あらゆる場合に、神のしもべとして自分を人々に示している」(コリント第二6章)と言っています。

 もちろんそれだからパウロはどんな人々にも愛されたわけではなく、ある時には人につまずさを与えたし、迫害にもあったし、妬まれたりしたのです。しかしそれはパウロの伝えた福音の内容が人々を裁いていったので、彼の生活とか行動が人々に奇異なものを与えたということではなかったのであります。

 イエスはしばしば激しい事を言われました。「自分は地上に平和をもたらすために、来だのではない」と言い、「平和ではなく、つるぎを投げ込むために来かのだ。わたしは敵対させるために来たのだ。わたしが来たのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をその姑と仲たがいさせるために来た」と言われたのであります。

 福音に生きる、信仰をもって生きるという事は、神を中心にして生きるという事ですから、この世の価値基準とは違った価値基準をもって生きるという事ですから、当然この世とは違った生き方が出てくると思います。そういう意味ではただ平凡に生活すればいいというわけにはいかないと思います。

 この世の常識と戦わなくてはならない事も出てくるわけです。それを非凡という言葉で表現していいかどうかはわかりませんが、そういう非凡と言われる事も出てくるかもしれません。ただお金を第一にし、老人になって、ただ健康だけが話の中心になる、健康にしか関心がいかないという生き方とは違った生き方が出てくるでしょうし、また出て来なくてはならないと思います。

 しかし、福音の、信仰の目指すところは、自分の人格的な向上ではなく、自分の隣人を愛するということにあるのですから、この世を超絶するような生き方が求められているのではなく、神を愛し、そうであるが故に人を愛するという事で、ある意味では、縁の下の力持ちのような存在であることが求められているのです。

そういう意味では、イエスは弟子達に対して、まず、「あなたがたは地の塩である」といい、そしてその次に「あなたがたは世の光である」と言われたのです。まず地の塩になる、つまり、縁の下の力もちのような存在なりなさいというのです。塩はそれ自体があまり目立ってはいけないのです。いわば隠し味的な存在です。そのようにして、「世の光になさい」といわれたのです。その順序は意義が深いと思います。

 「平凡から非凡になるのは、努力すればある程度なれるけれど、その非凡から平凡にもどるのは難しい」という言葉は面白い言葉だと思います。

 旧約聖書にナアマンという将軍の話があります。それはイスラエルと戦って勝利を収めたスリヤの将軍ナアマンの話です。そのナアマンは皮膚病にかかって苦しんでいた。ある時、敗戦国のイスラエルから連れてきた一人の少女がナアマンの奥さんに、「あなたのご主人はかわいそうだ。もしご主人がイスラエルの人であったならば、そのイスラエルには、エリシャという大変すぐれた預言者がいて、その人ならあなたのご主人の皮膚病くらい、なんなく治すことができるのに」と言ったのです。

 それで奥さんは夫のナアマンにその事を告げ、ナアマンは王様に申し出て、家来をつれてイスラエルまで出向き、預言者エリシャの家の入り口に立った。すると預言者は自分は出てこないで、使いの者を出させて、「あなたはヨルダンの川にいって七度身を洗いなさい、そうすれば皮膚はきれいになるでしょう」と言わせた。

 すると将軍ナアマンは怒ってしまった。「わたしはエリシャがじきじき出てきて、自分の患部に手をおいていやしてくれるものだと思っていた。それなのに、使いの者をよこし、しかもあの汚いヨルダン川でからだを洗えとは何事か。自分たちの国のダマスコにはヨルダン川よりももっときれいな川があるではないか」といって怒り、自分の国へ帰ろうとする。自分は戦いに勝った将軍で、相手は負けた国の預言者ではないかという思いがあった。

 すると、家来がこう言って将軍を諌めるのです。「わが父よ、あの預言者があなたに大変なことを命じたとしても、あなたはその通りになさったにちがいありません。あの預言者はあなたに、ただヨルダン川にいってからだを洗って清くなれ、と言ったたげではありませんか」と言ったのです。

 ナアマンはそれでその家来の言葉を受け入れて、ヨルダン川にいって身を浸すと皮膚病はきれいに治ってしまったというのであります。

 ナアマン将軍はそれこそ努力して努力して、将軍の地位を獲得したのです。ある意味では、努力して非凡な地位を得たのでしょう。しかし彼はその高い地位から降りるのは難しかった。人に頭を下げることはいさぎよしとしなかったのです。そこを家来に指摘されて、自分の尊大さに気づき、みずからヨルダン川に身を浸したというのであります。

 自分の命を捨てるという英雄的なことなら、すすんで出来た将軍であります。しかし自分の身を低くして、ヨルダン川に身を浸すというごくごく平凡な事はなかなか容易にはできなかったのです。

 非凡から平凡にもどると言う事の難しさであります。

アシジの聖フランシスという人は祈りの聖人として有名です。平和の祈りとか有名な祈りがあります。そのフランシスの逸話のなかにこういう逸話があるそうです。ある人が旅の途中で、フランシスと一緒の宿の部屋で寝ることになった。その旅人は、フランシスがさぞかし立派なお祈りをして寝るのではないかと期待して待っていたというのです。そうしたら、フランシスはただ一言、「今日も安らかな眠りを与えてください」と、祈って眠りについたというのです。それは誰でもが、寝る前に祈る平凡な祈りだったというのです。

この平凡な祈りが、あの非凡な祈りを祈らせていたということであります。

 パウロはこの世で、みんなが真実だといっている事、気高いといっていること、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、名誉あること、徳といわれること、つまりこの世的に称賛に価するもの、みんながほめていることを心にとめなさいというのです。

 心にとめるということは、心を配るという意味だそうです。つまり、それはなにがなんでも、その通りに実行しなさい、ということではないのです。心を配って、良いことは受け入れていけばいいのです。

 やはり、福音の倫理とこの世の倫理とは違ってくるところは出てくるのです。あるときには、家族を捨ててまで、信仰を大事にするということもでてくるわけです。福音の倫理とこの世の倫理と全く同じというわけではないと思います。

 そしてパウロはすぐ続いて、「わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことはを実行しなさい」というのです。

 こちらの方は「心にとめなさい」ではなく、「実行しなさい」というのです。「わたしから受けたこと」とパウロはいいます。パウロが威張って、自分の言ったことはなんでも正しいのだから、実行しなさいというのではないのです。「わたしから学んだこと、受けたこと」とパウロは言っておりますが、それはパウロ自身もまた教会から学んだこと、受けたことなのであります。

 パウロはある手紙のなかで、「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、私自身も受けたことであった。」と言っているのです。パウロが今ピリピの教会に伝えようとしている事は、彼自身が教会から受けたことなのです。パウロ自身が教会から受けたことを今フィリピの教会の人に伝え、それを実行しなさいというのであります。

 そういう意味では信仰というのは、ある優れた人の悟りとか、思索ではなく、教会の伝統というものを重んじなければならないのです。その教会の伝統のなかに、優れた人の悟りとか思索というものが組み込まれていって、共有の財産になって、伝統が深まり、豊にされ、あるいは新しくされ、ある時には改革されていくのです。そういう意味で教会の伝統ということは重んじられなければならないのです。

 そしてそうすれば、「平和の神が、あなたがたと共にいますであろう」というのです。平和の神とか、神の平安、「人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安」というものは、この世の常識、この世的に称賛に価するものをまもっていたら、与えられるものではないのであって、やはり、信仰的に生きる、福音に生きることによって与えられ、守られるのであります。