「労苦の果てに」 創世記三一章三六ー四二節

 

ヤコブは父と兄を卑劣な手段で騙して、長子の祝福を奪ったために、兄エサウに殺されそうになって、故郷を去って、母リベカの兄、彼からは叔父であるラバンのところに逃げていくのであります。ヤコブはそこで大変苦労いたします。ラケルを自分の妻としてめとりますが、それもすんなりできたわけではなく、叔父ラバンに騙されて、姉のレアのほうを妻として押しつけられ、ラケルを自分の妻とするためには、叔父ラバンのところで十四年仕えなくてはならなかったのであります。二人の妻を自分の妻としたために、妻どうしの争いのなかにヤコブは巻き込まれて、苦渋をなめます。そうした中でヤコブには十一人の子供が与えられます。この後、ラケルにベニヤミンという子供が与えられて、ヤコブの子は十二人になるわけですが、それはずっと後のことであります。ラケルにヨセフという子供が与えられた時に、ヤコブはラバンに「わたしを去らせて、わたしの故郷、わたしの国へ行かせてください」と、申し出ます。ヤコブは結局ラバンのところで二十年いたことになります。その間、恋するラケルを自分の妻にすることはできましたが、後は苦労の連続だったようであります。

 ヤコブがラバンにここを去らせて、故郷に帰らせてくださいと申し出ましても、ラバンはすんなりと去らせてはくれませんでした。ヤコブは貴重な労働力であったのであります。ヤコブは単なる労働力であっただけでなく、大変な知恵者であって、ラバンの家畜をどんどん増やしてあげたのであります。それはまた主なる神がヤコブを祝福してそうさせたということでもあります。ヤコブはラバンにこういうのです。「わたしがどのようにあなたに仕えたか、またどのようにあなたの家畜を飼ったかは、あなたがご存じです。わたしが来る前には、あなたの持っているものはわずかでしたが、ふえて多くなりました。主はわたしの行く所どこでも、あなたを恵まれました。いつになったらわたしも自分の家を成すようになるでしょうか」と言っております。

 ラバンとしたら、ヤコブがいることによって自分の財産が増えたので、ヤコブを去らせたくなかったのであります。それでいろいろと難癖をつけます。報酬をあげるから、ここにいてくれと遠回しにいうのです。それでヤコブは家畜のなかでまだらの家畜を自分の報酬としてくださいと申し出ます。このへんの事情はよくわからないのですが、まだらの家畜というのは数がすくないようなのです。しかしヤコブはいろいろな知恵を使ってラバンの嫌がらせをはねつけて、数を増やしてしまいます。しかもまだらの家畜を強い家畜だけにしたのであります。この聖書の記事はどんな注解書を読んでもよくわかりません。三十章にくわしく書いてありますが、読んでもよくわかりません。ただ何をしてもヤコブに有利に働いたというのであります。

 それでラバンの子らもヤコブを妬んで、「ヤコブはわれわれの父の物をことごとく奪い、父の物によってのあすべて富を得たのだ」と言っているのをヤコブは聞くのであります。ラバンも自分に対して以前のように好意的な顔しなくなったというのです。その時、主なる神はヤコブに現れて、「お前の先祖の国に帰り、親族のもとに行きなさい。わたしはお前と共にいる」と告げます。

 ヤコブは兄エサウから殺されそうになって、その難を逃れるために、叔父のところに逃げて来たわけですが、その叔父ラバンのところでもやはり苦労を担うのであります。ヤコブが二人の妻に自分がなぜお前達の父ラバンのところを去らなければならいかの理由を語りますが、こういっております。「わたしは力の限り、あなたがたの父に仕えてきた。しかしあなたがたの父はわたしを欺いて、十度もわたしの報酬を変えた」というのです。十度も騙されたとヤコブは言っておりますが、そのことについては、聖書は具体的には記しておりません。ラケルを妻にしたかったのに、姉のレアを押しつけられて騙されたこと、また報酬をめぐってのやりとりで騙されたことは記されておりますが、十度もだまされたかは記されておりません。ヤコブは父イサクと兄エサウを騙して、故郷を去らなくてはならないはめになるのですが、今度はその罰を受けるように叔父から十度も騙されるわけです。人間はやはり自分の蒔いた物は自分で刈り取ることになるわけであります。

 それでヤコブは今度は叔父ラバンにだまって、ひそかに妻たちと子供たちをらくだに乗せ、そこで得た家畜と財産もすべてもって、ラバンのところから逃亡するのであります。その際、ラケルは自分の父の家の守護神ともいうべきテラピムを盗みだした。テラピムというのはおそらく偶像で手の平に載るぐらいの彫刻だったのではないかと思われます。

 ラバンもヤコブたちが逃亡したことを知らされて後を追ってきます。そして追いつきますと、「なぜひそかに逃げようとするのか。もし去りたいのならわたしは手鼓や琴で喜び歌ってあなたを送りだしたのに」と心にもないことを言って非難します。また「なぜわたしの孫や娘に口づけして別れることを許さなかったのか」と非難します。「しかし昨夜あなたがたの神が自分に夢に現れて『お前は心してヤコブによしあしを言ってはならない』と告げられた。」といいます。新共同訳聖書では、「ヤコブを非難するなと告げられた」となっております。「だから、あなたが去ることにはもう文句はいわない」というのです。「しかしどうしてわたしの神を盗んだのか」と言うのです。ヤコブは自分の妻ラケルがテラピムを盗んだことをしらないので、「そんなことはしていない。なんなら自分たちの持ち物をさがしてくれてもいい」といいます。しかしそのテラピムはラケルがらくだの下にいれて、そのくらにラケルが座り込んでいたので、それを見つけられなかったというユーモラスなやりとりが詳しく記されております。ラケルは自分の神を自分の尻の下に敷いていたのだという皮肉がここにはあると聖書 の注解者は言っております。ともかく、そのようにして結局はラバンもヤコブ一族が去ることを承知せざるを得なかったのであります。
 
 ヤコブは結局は自分が逃げていったあの故郷に帰らなくてはならなかったのであります。父と兄をだましたという罪、そこから引き起こされる様々な問題、それは罰といってもいいかもしれないものであります、そこから逃れようとして叔父のところに逃亡してきたのですが、結局はそこで自分の犯した罪の結果を別の形で担わされるのであります。そこは決して楽なことが待っていたわけではない。兄をだまして自分が長子になろうとした、しかし自分が妻にしたいと思った妹ラケルをめとることができないで、姉のレアを妻にめとらされるという苦渋をなめさせられて、自分の犯した罪の姿を改めて知らされるのであります。

 ヤコブは二十年間、自分の犯した罪から逃れようとしてラバンの所に来た。しかし今そこを去って自分の故郷に帰ろうとするのであります。彼にとって故郷に帰るということは、自分を殺そうと待ちかまえている兄エサウのところに帰るということであります。その自分の犯した罪を真っ正面から見つめさせられるということであります。ヤコブは兄エサウに謝らない限り、自分の故郷には帰ることはできないのでりあます。ヤコブにとって故郷に帰るということはその覚悟が必要だったのであります。それを避けてはヤコブのこれからの人生はなかったのであります。
 叔父ラバンでの二十年間というものは、ヤコブにその覚悟をさせる二十年間であったのかもしれません。

 もうだいぶ前に亡くなりましたが、森有正という哲学者が、ある小さな本でインタビューに答えてこう言っております。「はるかに出かけて行くことは、遠くから自分に帰っていくことだ。それは言葉を変えていうと、遠くから自分に帰ってくるために、はるかに出かけていく、それでまた自分に帰ってくるということだ。」と言っております。「自分が少年の時に淀橋の浄水場の近くに住んでいた時に、二階の窓から大きな樫の木が見えた。その樫の木は実に美しく、その樫の木を見るためにどうしてももう一度ここへ帰って来なければならないと覚悟した。それから十年たって、またもとのうちへ帰ったとき、真っ先に見にいくとやっぱり樫の木は立っていた。非常にうれしく思った。動かなくて、しかも年々成長している。それでこうしたものはそれを一生を通じてみている人に対して、ある一つの、その場だけに終わらない共感を呼びかけてくる」と言っているのであります。

 森有正という人は東大の助教授の時に、パスカルの勉強をするためにはどうしてもパリに行かなくてはならないということで留学をするのですが、始めは一年、二年のつもりで留学をするのですが、しかしとうとう最後まずパリでその生涯を終えるのであります。さいさいに渡って、東大の学長の南原繁から帰って来なさいいわれながら、学長がパリに行った時に、学校にもどれといわれたけれど、とうとう東大の教授の職を捨てて、そして東京に残してきた奥さんと子供とも別れて、フランスで大変厳しい学者としての生活をするわけであります。晩年になって再々日本にも帰ってきて、日本の大学の客員教授や講演などをしたりして、また大変すぐれた本を書いております。

 彼はそうした自分の歩みを振り返って、「はるかに行くことは、遠くから自分に帰っていくことだ」というのであります。こういう事も言っております。「私はひとりで座っているのが好きだ。そういうひとりでいる瞬間を、できるだけ豊かにするために、ほうぼうを歩き回る。歩いて回るのは、つまりはもとへ戻って、またそこにゆっくり座るためなのだ。座っていたのでは自分が豊かにならないから、いろんなものを見たり、いろんなものを聞いたり、いろんな人と交わったりして、またもとのところへ帰ってきてそういうふうなものを思い出したり、そういったものを深めながら、結局、じっと座っている自分をもっと豊かにしたいためにあちこち歩き回る」「だから旅行しながら、飛行機の中から、汽車の窓からみながら、あるいは、道を歩きながら、自分の心の中を眺めている。自分自身を訪ねるのか、あるいは、自分ではないものを訪ねるか、それはわからないのですが」と言っているのです。この最後の言葉、「訪ねるのは自分自身か、あるいは自分ではないものを訪ねているのかわからない」という言葉は意味深長ですが、おそらく森有正は「自分ではないもの」という言葉で、神のことを暗 示しているのです。


 われわれはどんなに自分から逃れようとして、どこかに行っても結局帰ってくるのは自分自身なのであります。自分が引き起こしたものから逃れようしてヤコブは故郷を去りますが、二十年経って、しかしもう一度自分の犯した罪を真っ正面から見るために自分の故郷に帰ってくることになるのであります。

この事はヤコブだけでなく、モーセもそうでした。彼は自分の同胞の民がエジプト人にいじめられているのを見て、その同胞の人を助けようとして、たまらなくなってそのエジプト人を密かに殺してしまうのですが、それがいつのまにか知られてしまった時に、こわくなってミデアンの荒野に逃亡するのであります。それから何十年経ったかはわかりませんが、そのミデアンの地で妻をめとり子供をもうけますが、その場所で神からの召命を受けて、彼はイスラエル民族をエジプトの地から導き出す使命をおわされるのであります。

 預言者ヨナもそうであります。彼も神から「ニネベの町に行って悔い改めを預言せよ」と命ぜられるのですが、そんな事はいやだと言って、それを拒否して逃亡を計ってタルシシに逃れようとして船に乗り込みますが、その船は大嵐に会い、彼は責任をとらされて海の中に投げ込まれますが、
ヨナは大魚の腹の中に三日三晩、過ごしますが、結局はそこから助けられて、ニネベで悔い改めを迫りにいくことになるわけであります。

 ペテロもそうであります。十字架を前にしてイエスを三度「そんな人のことは知らない」と、イエスを否認して、十字架から逃亡を計りますが、復活の主イエスにお会いして、その主イエスから「わたしを愛するか」と三度まで言われて、そして最後に主イエスから「よくよくあなたにいってく。あなたが若かった時には自分で帯をしめて、自分の思いのままに歩き回っていたが、年をとってからは、これからはほかの人があなたに帯をつけて、ゆきたくないところへつれてゆくだろう」と言われるのであります。そして「わたしの羊を養いなさい」といわれるのであります。これはペテロがどんな死にかたをして神の栄光をあらわすかを暗示したのだということであります。

 ペテロはイエスが自分が十字架で殺されるのだといわれた時、「わたしも一緒に死にます、あなたについていきます」と、大見得を切ったのであります。しかしペテロはそれができずに、イエスが逮捕されると逃亡したのであります。十字架を前にして逃げ出したのであります。しかしその後、ペテロは結局はほかの人がお前に帯びを結びつけて、ゆきたくない所につれていくよ、とイエスから言われ、その通りにペテロは最後は殉教の死をとげることになったようであります。その間、二十年という長い月日は経ちませんでしたが、イエスの十字架の死とその三日後のよみがえりというたった三日間だけかもしれませんが、しかしペテロはヤコブの二十年に匹敵するほどの大きな経験をして、遠いところからまた自分の問題に帰ることになるわけであります。遠いところから自分のところに帰る、その間どんなにか自分を豊かにする経験を積んで、自分のところに帰ってくるのであります。それは自分の弱さを徹底的に見つめさせられ、自分の罪をしっかりと見つめさせられて、自分のところに帰ってくるということであります。それが「遠いところから自分に帰ってくる」ということであります。


 ヤコブの叔父ラバンのところでの二十年は決して無駄ではなかったのではないかと思います。その間自分の罪のために自分に蒔いたものを自分で刈り取るという労苦を担わせられ、自分の犯した罪を知らされる二十年だったのではないか。人が年をとるということはそのことでなくてなんのためでしょうか。

 ヤコブは自分を殺そうと待ちかまえているエサウのところに帰る途中でヤボクの渡し場で神の使と出会い、格闘いたします。それはこの次の週で学びますが、それはまさにヤコブのこの二十年の集大成の神との格闘であります。どんなに自分の罪から逃れていっても、結局は自分の罪の問題に直面しなくてはならない。しかしそれはただ二十年の苦労をすればそれで自分の罪を克服できるという問題ではなく、最後のところでは、神と出会わなければ、結局は自分の罪を解決できないということであります。

 森有正が「旅行しながら、飛行機の中から汽車の窓からみながら、あるいは道を歩きながら、自分の心の中を眺めている、自分自身を訪ねているのか、あるいは、自分ではないものを訪ねているのか」と言っているのはそのことではないかと思うのであります。