喰いしんぼうのヒロコにおくるパリ・グルメだより

1989年 作成

 フランスにきてつくづく良かったと思う時に、飯を喰っている時があります。とにかく食物が豊富で美味しいところです。たとえばパンひとつとっても、焼きたてを食べるのが当たり前になっていて、街中いたるところにパン屋さんがあります。そしてどこのパン屋さんも本物のフランスパンを売っていて(あたりまえか)とってもおいしいのです。朝早くから開いていて、みんな朝食のクロワッサンや夕方にはパンを買いに行きます。ものの本にはすべてのフランス人が朝起きたらクロワッサンと新聞を買いに行くと書いてあったりするが、もちろんフランス人にも朝寝坊はいくらでもいて、そういうひとはカンパンみたいなのとかコーンフレークとか買い置きの効く食パンふうのものを食べているらしい。さてパン屋でアンパンと言うと長さ1mもあるフランスパンが出てきて、これが4F(1F〜20円)、少し細身のバゲなら3Fです。日本で、フランス料理店へいったらパンが食べ放題だった、と言って感激してた人がいましたが、フランスではレストランであれで金を取った店を見たことがありません。とられるとしたらセルフサービスの店の丸パンかカフェのクロワッサンぐらいです。ほとんど日本でのしぶ茶の感覚で、研究所のカフェテリアですら大きなバスケットに山積みになっています。ちなみにこの食堂、アントレ2つにメインディシュ、チーズまたはヨーグルト、それにサラダとデザート(アルコール類は別料金)で私の場合16Fです。「私の場合」というのはとなりあわせの席で全く同じものを食べていても給料により料金が違うのです。私の場合の料金はビジター料金で高い方に属します。この国では収入の多い者はそれなりに多く支払うのが当たり前と考えられているようで、このようなことは団体旅行の料金などさまざまな場面に登場しますし、きちんとした身なりの人は道端の乞食に小銭を恵んでやらなければなりません。他の研究所でも似たような状況の様で、私が会った範囲では日本人研究者は一様に安くてうまいので感激していました。大体において伝統的なフランス料理は一度に大量に作った方が美味しくできるものが多いので、学生も含めて何百人もが一度に食事をするような所でも美味しくできるのでしょう。

 さて話をパン屋さんに戻します。大抵のパン屋さんはお菓子やさんも兼ねていてショーウィンドーには見るからにおいしそうなガトやショコラ、タルト、ムースなどさまざまな種類のお菓子がずらりと並んでいます。ただしヒロコの好きなショートケーキ、つまりスポンジの上に生クリームののったやつ、あれはパリでは日本食品店に行かないと売っていません。してみると日本で食べた高級フランス洋菓子店のケーキ、あれは一体何だったのでしょう。

 ちなみにクリスマスにもデコレーションケーキは登場しません。かわりにブュシュがでてきます。また、これはイギリスへいって調べてみたいのですが、食パンも見当りません。似たような形のはあるのですが、食べてみると日本のとは似ても似つかぬ味がします。フランスでは一応レストランと名のつく店は食事時以外は店を閉じてしまい、日本のようにだらしなく一日中店を開けていません。そのため喰いはぐれるとカフェでサンドイッチでもということになるのですが、日本のやつを思い浮べるとあてがはずれます。そのカフェのコーヒーですが、どこの店でも同じようにおいしいのですが、どこでも同じようなイタリア製の機械で入れていて、彼らが特に味にこだわっているようには思われません。もっとも日本ではこの味をだすのは難しいでしょう。水の味が違いますから。逆にフランスにいると日本のあのコーヒーもたまには飲んでみたくもなります。そして砂糖はある理由により必ず角砂糖が出てきます。紅茶も大抵はティーバッグで、フォーションで缶入りの紅茶を買っているのは地元のフランス人よりも日本人観光客の方が多いようです。それにしてもあの紅茶、高島屋へ来ると何であんな値段になるのでしょう。

 さて、レストランですが、週末毎に結構あちこち食べ歩いています。もっともレストランは星の数ほどありますから、そのほんの一部ということになりますが。ただ残念ながら日本の旅行ガイドブックに載っているような星マークのいっぱいついた店にはまだ行ったことがありません。日本ではレストランのランク付けで最も権威があるのはミシュランのガイドブックであるとされていますが、フランス人も一応あのガイドブックのことは知っています。先に述べたようにフランスは貧富の差のある国ですから、普通のフランス人という表現はあてはまらないのですが、一応我々と同じかやや上のクラスの人、つまり研究所の室長や、大学の教授に話を限ります。うちの室長に聞いたら、「そういう高級レストランには一度だけ行ったことがあるけど、何ヶ月も前から予約をとらなければならないし、料理が出てきて食事をし終わるまでにやたらに時間がかかるし、大変だよ。」と言っていた。他の人たちも、「そんな所へ行かなくても安くてうまい所は他にいくらでもある。」ということでした。外で食事をするとすれば100〜200Fが普通といった所です。実際、そのぐらいで日本の高級フランス料理を充分に超越したものが味わえると思います。また都心よりも郊外の方が同じ値段でうまいものが見つかるのは日本のとんかつ屋なんかとおなじ理屈です。だいたいにおいて、ガイドブックに載っている店がどんなものかというのはあなたがあなたの住んでいる街、あるいは良く知っている街、たとえば東京のガイドブックを読んでみればわかると思う。どの本にも載っていなくても知る人ぞ知るうまい店もあれば、見せ掛け倒しで中身の程は大した事無くても、たくさんのガイドブックに載っています、テレビでも紹介されました、といってそのコピーがべたべたと貼って宣伝している店もあるという事を御存じのはず。結局どこの国でも同じ事ですが、安くてうまいものは口コミで聞いたり自分の足で探したりする以外に手がないようです。で、menu、日本語にするとフルコースと言うか、セットメニューと言うか、定食が50Fの店と500Fの店では味が10倍違うかと言うと、せいぜい2倍ぐらい。もっともセルフサービスの店はさすがにまずいけれど。それでもロンドンの高級レストランよりうまいという人もいるぐらい。値段が高いと絶対に違うのは雰囲気でしょう。そして雰囲気がミシュランの判定基準や何割かのフランス人にとって重要な事も確かですが。そういった高級な雰囲気の所へいく人にはやはりそれに見合った外見と中身が必要だと思います。よく日本人はフランスのレストランではマナーがどうのとかチップがどうのとか言いますが、普段日本では外食といえばカツ丼か精々張りこんでファミリーレストラン程度、旅行と言えば共済か安民宿といった人が、パリに来たからといって、いやしくも天皇陛下が召し上がったのと同じ鴨を食べようとしたり、本物の貴族と同じホテルに泊まろうとするから問題が起こる。もし赤坂に行きつけの高級料亭があり、いつも一流旅館を常宿としているような人なら、仲居さんや女中さんに心付けを渡す事ぐらい心得ているだろうし、そういう心構えを持っている人ならば、細かなマナーを知らなくとも充分通用する。逆にフランスでも安い店ならばチップは置かなくても文句は言われないし、フランス人もお釣りの小銭を全部持って行くと財布がやたらに重くなるからとか、割勘が割り切れないからとかいった感じでしか置いて行かない。安ホテルではボーイが荷物を運んでくれるような事はないし、へたに部屋にチップを置くと落とし物と間違われる。マナーについては、日本の本には、スープを飲む時に皿を向こうに傾けるのはイギリス式でフランス式は…… などと麗々しく書いてあるけれども、実はフランスではさらに入ったスープにはまずお目にかからない。何しろフランス人にはスープを飲むという習慣が無い。従ってメニューのなかにスープのない店が結構ある。あったとしても大抵は魚のスープとたまねぎのグラタンである。魚のスープというとコンソメスープの中に白身の魚かなんかが浮いているイメージになるが、出て来るのはイワシかなんかの赤身の魚のすりつぶしたどろどろとしたもので、とっても生臭い。これに比べるとたまねぎのグラタンは醤油味に近くて日本人にも馴染みやすいが、これはスープというよりはグラタンである。ただ、魚のスープ以外に何かスープはないのかと注文するとこれが出て来る。何れも大抵はドンブリに入って出て来るので皿を傾ける方向を考える必要は無い。そして駅の立ち喰いそば一杯分ぐらいの量があるから日本人はこれだけで満腹になる。フランス人にも育ちのよしあしによってマナーのいいのや悪いのがいるのは日本人とおんなじで、これは大学を出ているとかいった教育の程度とはあまり関係が無い。ただ日本の本に書いてあるようなナイフとフォークの使い方をする人は少数派で、大抵のフランス人は「パンで食べてる」。最後にパンで皿をきれいになめてしまうのは結構いるけど、あれは喰いしん坊だからと理解している。日本人の胃袋であれは無理だ。

 パリに何ヶ月か滞在して何度か外食をした日本人がだれしも思う事。「日本で食べたフランス料理、あれは一体なんだったんだろう」。それほどに違う。しいて探せばヌーベルクイジンヌといわれる一部の奇をてらった料理の中に似たものが見つかるほかは、日本人観光客向けの店ぐらい。多くのフランス人が愛好する伝統的なフランス料理とは可成の差があります。ではフランス料理の特徴とは何か。それはまず第一に量が多い事。これは客の入りが多く、人気のある店に特にその傾向が強い。前述のようにスープはドンブリ一杯分もあるし、しかも水分よりも具の方が多い。前菜にムール貝のワイン蒸しを注文したらバケツ一杯分ほども出て来て、二人で食べたけどそれだけで満腹になってしまった。またある時はトマトのサラダを注文したら直径30pもある大きなお皿の上で、トマトが幾重にもとぐろを巻いていた。で、メインディッシュはとても味わうなんて余裕もなく、申し訳程度に食べると、最後に巨大なデザートやワゴンの上に並んだ日本では手に入らないいろんな種類のチーズをただ眺めているだけ、なんて事になる。しかしながらこの巨大なデザート、これが無いとフランス料理じゃない、という気もする。値段もいいけど、それなりに素晴らしい。そしてブランデーだったら似合いそうないい男がこれをほおばっていたりする。みんな甘いものが大好きだし、作る方も力を入れている所が結構多い。

 さて、世界に名立たる食通の人たちのどこが偉いかと言うと、私の感ずる所、その器量の大きさ、ダイナミックレンジの広さである。こうしてみると日本人がグルメとかいったって、その味覚は適度な塩味が効いていればうまいといった程度のものであるし、刺身、つまり生で魚が喰えるなんていうのは自慢にも何にもならない。フランス人は生魚だってたべるし、日本人には馬刺しや牛たたきが限界なのに、彼らは巨大な生肉の固まりが食べられる。さらに彼らは豚の鼻から牛の尻尾まで日本人には信じられない、ありとあらゆるものを食べてしまい、それぞれにうまさを発見している。こうなると魚ならマグロのトロ、肉なら牛の霜降りがうまいという固定観念に凝り固まっている日本人グルメのなんと貧弱な事。この他に日本にだって材料は豊富にあるのにお目にかからないフランス料理に、豚の足、豚の血液と脂肪を固めたソーセージ、内蔵のパテなんかもある。これらのメニューは別にゲテモノの店のものでもなく、駅の食堂なんかにもごくありふれてあるし、材料はスーパーマーケットで売っている。パテのたぐいでは日本人はフォアグラぐらいしか知らないが、実はものすごくたくさんの種類がある。もちろんトリュフ入りフォアグラはその中でいちばん高いけど。私も大晦日には近所のお惣菜屋さんへ行って、真ん中に大きなトリュフの入ったのを100グラム買ったら130Fもした。もっともあんなもの100グラムも食べるとずいぶん胃にもたれるけど。さらにウサギ、カエル、ウズラ、ハト、シカ、その他もろもろの生きものの肉もごく普通に売っているし、研究所の食堂に登場したりする。フランス料理だけでこれだけのバラエティがありながら、さらに彼らは世界中のありとあらゆるものを食べようとする。パリには日本料理店が何十軒かあり、大抵のパリジャンは一度くらいは日本料理を食べた事があるのだが、これは彼らが日本に関心を持っているという事ではない。彼らは、インド、アラブ、ギリシャ、アフリカ、スペイン、イタリア、中国、と世界中のものを食べており、日本はその中の一つにしか過ぎない。

 味覚について言うならば、彼らは前述のとっても甘いデザートからとっても塩辛い塩ハムまで、それぞれに甘くてうまいとか、塩辛くてうまいとか、感じる能力を持っていて、日本人より器量が大きいのだが、それよりも驚くべき事は、むしろ味の無いものが喰える、という点の方であろう。

 全般に薄味であっさりしたものが多い。ハンバーグですら塩分脂肪分ゼロパーセントといった感じのものが出て来るぐらいで、霜降り牛肉のすき焼きの方がよっぽどこってりしている。特に最近は脂肪分が嫌われる傾向にあり、牛乳やチーズも脂肪分を表示してその低さを宣伝している。

 「フランス料理なんてソース次第で味は同にでも成るものだから……」とわけ知り顔で書いていた日本人評論家がいたが、彼女は自分で料理などした事が無いのだろう。「とんかつソース」みたいに全然別に作って後からかけるものじゃなくて、大抵の場合素材からしみだしてきたものをベースにしているものが多い。従って良い材料を上手に調理しないと美味しいソースはできない。

 おいしい高級フランス料理には事欠かない場所ではあるが、それよりも全然期待していないくだらないものがうまくて、しばしば感激する。たとえばメインディシュのおまけについてくるポテトフライ、ゆで卵、どこにでもありふれているただの菜っ葉、前述のパン、1瓶11Fのワイン…………。ここではあまりにありふれすぎていて誰も気にも止めないようなものなのに、なぜ同じ味のものが日本に無いのだろう。

 フランス料理の最大の欠点はなんといっても食べ過ぎる事です。毎日120%食べている私は、いまにもフォアグラになってしまいそう。はたして無事に帰れるでしょうか。

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