8月15日(木曜日)ピサ、ボローニャ、ヴェネチア

 


 

ホテルで朝飯を済ませ、いつものようにホテルの前でバスに乗り込んだ。最初にピサに行き、それからボローニャを見学してからヴェネチアに入る旅程である。

 

有名なピサの斜塔は、補修中で中に入れなかった。うまい具合に、傾いた状態を維持するのが、なかなか困難らしい。まあ、そうだろうね。しかたないので、お寺の本堂を見学して、ピサ観光はおしまいになった。

 

バスは、東へ向かって高速道路を快調に走る。俺は、雑貨屋で買い込んだ100円の白ワイン(お気に入りなのだ)を車内でラッパ飲みして、脳内で べートーヴェンの『第9交響曲』を演奏したりして退屈を紛らわせた。

 

途中で、高速道路のサービスエリアに併置されたショッピングセンターでの買い物タイムとなった。俺は、パスタ麺やお菓子類に加えて、ヨーロッパ全土の道路地図帳を買った。この地図帳は、ツアー仲間たちと親睦を図る上で大いに貢献したのだった。

 

やがて、高速道路を降りたバスは、ボローニャ市街に入った。有名なネプチューンの噴水を見て、大学を外から見学して、それから、やっぱりお寺見学かい!その後、やはりレストランでパスタの昼食となった。

 

食事の後、たまたま野菜市場が開いていたので、みんなで見に行った。店頭の品々を見やると、汚い黄色のキュウリは、グネグネとひん曲がっている。巨大なスイカの縞は、融けて流れ出したように醜い。レタスは虫食いだらけだ。でも、これらの野菜や果物は、日本のものより遥かに美味なのだ。

 

俺は、日本の農業の在り方が根本的に間違っていることをここで知った。本当の美食とは、あくまでも自然と共存することで得られるのだ。日本人が当然だと考えている品種改良、農薬、そしてラテックスは、クスリ臭い味をした無味乾燥な食材を作るのみならず、人の健康を確実に害しているに違いない。子供たちの間にアトピーが急増し、花粉症被害が年々ひどくなるのは、食生活に原因があると考えるのは俺だけだろうか?

 

懐かしさに惹かれて「野いちご」を1パック買った。その場で実をつまむと、パックの下のほうから小さな蟻がウジャウジャと這い出てくる。それを指で弾きながら食べるのだ。面倒くさいけど、本当に美味しい果物はこうでなければならない。俺は、懐かしい酸っぱい香ばしい野いちごを、ツアーの仲間たちに振舞ってあげたのだった。これは、なかなか良い想い出になっている。

 

さて、バスは再び高速道路に乗る。俺は、例の地図帳を開いてバスの針路を把握して楽しんだ。

 

やがてバスは、海を越える巨大な鉄橋の上を爆走した。行く手に見える島こそ、我らが目的地ヴェネチアなのである。この小さな島には自動車道が存在しない。そこでバスは、島の入口に置かれたサンタ・ルチア駅前のローマ広場に停車し、そこから先は歩きということになった。もっとも、ホテルはローマ広場の近くにあったので、何も問題なかった。とりあえず、みんなでチェックインする。

 

しかし、まだ午後3時である。6時の夕食まで間があったので、それまでは自由行動ということになった。自由行動。なんて素晴らしい響きなのだろうか。

 

俺はバンちゃんと4時にロビー集合ということにして、しばらくホテルの部屋でくつろいだ。俺の部屋は、たまたま最上階の角部屋だったので、シャワー室の天井がガラス張りのオープンルーフになっていて、そこから屋根の上に出られるようになっていた。これは楽しいぞ。シャワーを浴びた俺は、全裸で赤屋根の上に寝そべって、青々とした空の下、しばし日光浴を楽しんだのであった。

 

やがて、時間になったので、相棒と一緒に散歩に出かけた。沿道の土産屋などを冷やかしつつ、迷路のような路地をいくつも抜ける。

 

いやあ、楽しい街だなあ。なにしろ、全ての交通機関が「船」なのだ。バスもタクシーもパトカーや消防車でさえも、みな運河を走るボートなのであった。運河に面した家屋には必ず桟橋があって、そこに自家用車ならぬ自家用船が係留されている。

 

人間が歩く道は、運河と運河の間、そして人家と人家の間を走る狭い路地でしかない。俺はこの街で、世界観が逆転するような感動を味わったのである。

 

ウキウキしながら夢中になって散歩しているうちに、自分たちの現在地が分からなくなった。

 

「ここは丸い島なんだから、まっすぐ歩けば、そのうち海に出るだろう」「道が入り組んでいて、まっすぐに歩けないじゃないか。それに、もう5時半だよ。このままだと6時の夕食の時間に間に合わないぜ」「遅れたって、後で西川さんに謝れば良いだけの話じゃん」などと気楽な会話をしているうちに、幸運にも海に出た。水上バス(ヴァポレット)の船着場が近くにあったので、係員に英語で航路を聞いてみたところ、この路線はローマ広場まで行くことが判明。ここが、ヴェネチア島の東端であることも判明。

 

「バンちゃん、見たかよ!この俺様の幸運を!」「さすがは冒険家だなあ!」などと言い合いながら、水上バスに乗り込む。反時計回りに島の北岸を進むバスは、ちょうど6時前にローマ広場に到着した。ダッシュでホテルに駆け込んだ二人は、ちょうど団体でのホテルの夕食に間に合ったのであった。

 

さて、ここから先は団体行動だ。みんなで、ゴンドラに乗ってゴンドラ乗りの歌を聴くのだという。

 

俺は、ゴンドラに興味が無いわけではない。しかし、どうせ混むだろうし、もう「団体行動」自体に完全に嫌気が差していたのだ。そこでバンちゃんに、「西川さんに頼んで自由行動させてもらおうぜ」と提案した。しかしバンちゃんは、「どうしてもゴンドラの歌を聴くのだ」と言い張る。そこで俺は、一人で行動することにした。

 

この事件が契機となって、俺とバンちゃんの間に少しずつ隙間風が吹くのであった。

 

ともあれ、俺は水上バスを使って島のあらゆる場所を探検したいと考えていた。そこで、部屋に帰って観光ガイドを精読してから、ローマ広場に面したバス停に向かった。たまたま仲間たちやバンちゃんがその場で待機していたので、手を振って彼らに応えた。しかし、俺の心は揺らぐことが無い。あくまでも一人で水上バスに乗り込み、サン・マルコ広場に向かったのである。

 

サン・マルコ広場は、ヴェネチアの中心というだけに、美麗で素晴らしいところだった。しかし、明日は団体行動でこの名所を回る予定であるから、今から一人で先走っても詰まらない。そこで、広場の散歩は早めに切り上げて、別の水上バスでさらに先に進むことにした。

 

たまたま、広場のバス停に「リド島行き」が到着したので、我ながら行き当たりばったりだとは思ったが、これに乗り込んだ。リド島は、ヴェネチアの東南の沖に浮かぶ南北に細長い島である。トーマス・マンの『ヴェニスに死す』の舞台となったこの島は、カジノや海水浴場でも有名らしい。

 

大運河を抜けて外海に出たバスは、夕闇の中を次第に増速し、水先案内のために立てられた棒くいに沿ってリド島に接近する。ほとんどの棒くいの上には、カモメなどの水鳥がとまって羽を休めていて、そのとぼけた姿が微笑ましかった。

 

しかし、俺の大きな誤算は、島にバスが着いた時点で陽が落ちていたことである。桟橋の周辺は真っ暗で、とても散歩どころではない。そこで、桟橋周辺で時間待ちして、次の便で本土に帰ることにした。いったい、何のために来たのやら。

 

元来た順路でサン・マルコ広場に到着。しかし、こう周囲が暗いのでは観光どころじゃないし、一人きりだから身の危険もある。しょうがないからホテルに戻ろうと思って、またローマ広場行きのバスに乗って大運河に浮かんだ。

 

夜のヴェネチアも美しい。大運河沿いに屹立するビルからはネオンサインが輝き、とてもロマンティックな気分になる。

 

俺は、大型船の後部デッキの手すりにもたれていたのだが、たまたま隣に若いラテン系美女が一人居合わせたので、彼女をナンパしてみることにした。俺も25歳で、血気盛んなお年頃。ナンパくらいは普通にするのだ。

 

ビルのネオンに「SONY」の文字が光るのを指差して、「あれは日本の会社なんだよ」と英語で話しかけたら、なんと、その娘はイタリア語しか出来ない人だった。しょうがないので、覚えたての下手なイタリア語とボディランゲージで挑んだのだが、彼女はSONYが日本の会社だということをどうしても信じてくれないのだ!ううむ、国辱だ。ナンパどころじゃないぞ。愛国心を燃やした俺が、SONYについて熱く語ろうとしたとき、長身で筋肉ムキムキのハンサムガイが現れて、美女に親しげに話しかけたではないか!「どうしたの?」「この日本人が、SONYを日本の会社だとか言うのよ」とか会話してやがる。・・・彼氏がいたのね(泣)。

 

でも、コミュニケーションに失敗していて幸運だった。中途半端にナンパ出来ていたら、筋肉ムキムキ男に「俺の女に何しやがる!」とばかりに簀巻きにされて、今ごろは大運河の泥の中に沈んでいたかもしれぬ。我ながら、変なところでツイているぜ!

 そうこうするうちに、大型ヴァポレットはローマ広場に着いた。

 俺は、ホテルに帰って適当にテレビを見てからそのまま寝た。