あとがき

 


 

 

今回は、乗りに乗って本当に楽しんで書いた。久しぶりに「成功した英雄の物語」だからだろう。久しぶりっていうか、初めてじゃないか(笑)?菊池一族もヒトラーも劉備もフス派も、歴史上の勝ち組とは言えないからな。

 

200412月に書き始めて、2005年5月に書き終えた。その間、仕事以外の時間は、ほとんど全て執筆か参考文献の収集と熟読に充てていたから、我ながら、ちょっと寂しい人生なのかもね(泣)。

 

今回は、「トルコ革命」がテーマ。相変わらずマイナーなテーマを選ぶものだから(笑)、参考文献がなかなか集まらなくて本当に苦労した。意外なことに、トルコに関する日本語の文献って、チェコ関係よりも少ないのだ。もともと日本は、アジア・アフリカ圏ないしイスラム圏について興味を持たない社会だから仕方ないのだが、本来はこれってヤバイと思う。

 

私が、いつもマイナーなテーマばかり選ぶ理由は、日本社会の閉鎖性にウンザリしているからである。世の中には、もっともっと楽しいことや学べることが多いのに、前例踏襲主義の食わず嫌いが全盛なのは、いかがなものか?「三国志」なんて、似たような内容のものが何百種類も出ている。もっとも、自分でも「三国志」ものを書いているから(昭烈三国志)、人のことは全然言えないのだが(笑)。世の中には、「三国志」よりも遥かに面白くてためになる物語がゴロゴロしているのに、誰もそれを知ろうともしない。映画やテレビドラマも、昔の名作漫画やアニメを焼き直しして使い回すだけ。みんな、創造力が枯渇して脳みそが官僚化しちゃったんでしょうか?

 

こういうのを「文化の衰退」という。

 

で、ケマル・アタチュルクが本編の主人公。意外なことに、この人の伝記小説って、未だかつて日本で書かれたことがないらしい。しょうがないから、私が挑戦したというわけ。

 

みんな誤解しているけど、アタチュルクはトルコのローカル英雄ではなくて、世界史的な大人物なのだ。その理由は、有色人種の半植民地を、世界の歴史上で初めて、白人列強の支配から実力で独立させた人物だからだ。白人のグローバルスタンダード「帝国主義」は、アタチュルクの活躍によって歴史の闇に永遠に葬られたのである。

 

そういうわけで、トルコ革命とアタチュルクの活躍は、欧米世界では極めて評判が悪い。彼らの気持ちは分からないではないが、同じアジアに住む日本まで、それに引きずられてこの歴史的大事件に無関心なのは感心できない。日本人は明治維新以来(特に太平洋戦争以後)、いつも白人の顔色ばかり窺っている文化だから、欧米がトルコ嫌いなら、日本人もトルコ嫌いになって当然っていうわけなんだね、きっと(悲)。

 

そういう私は、幼少のころからヒネクレ者だったので、中学校の歴史教科書でアタチュルクを知って以来、彼のことを心から尊敬していた。子供心に、「こんなに偉い人は他にはいない」と思って憧れていた。彼を尊敬するあまり、当時書いていたSF漫画の脇役に「ケマル」という人物を出して活躍させたりした。最近も、友人宅でテレビを見ていたら、たまたま「ガリポリ半島の戦い」が衛星放送で特集されてケマル大佐の活躍が出ていたので、思わず興奮して大騒ぎを演じた記憶がある。

 

ただ、アタチュルクはあまりにも偉大すぎて、小説に書く気にはなかなかなれなかった。私は、人間的に弱いところや偏ったところのある人物を主人公にしたがる。その方が、物語に深みが出て面白いからである。しかし、アタチュルクは物凄く心が強いし、バランス感覚も並大抵じゃないし、あえて欠点を探しても、大酒のみで好色なところだけ。でも、それって、考えようによったら欠点じゃないじゃん!(笑)

 

それなのに、こうしてアタチュルクの小説を書くことになった理由は二つある。

 

第一は、昨年の夏にモンゴルを旅行して、アジアの遊牧民族文化に深い好意と興味を抱いたこと。このとき、次回作はモンゴルかトルコかハンガリーを舞台にしようと決めたのだった。

 

第二は、デイヴィッド・フロムキン教授の大著「平和を破滅させた和平」に巡り会ったこと。オスマントルコ帝国の滅亡とその分割解体を描いたこれは、本当に面白くてためになる本だった。私の頭の中で「アタチュルク=世界史上の人物」という確証が得られたのはこの本のお陰と言って良い。

 

そういうわけで、アタチュルクを「トルコの英雄」ではなく「世界史を変えた人物」として、大きな広い視点で描いてみたいという意欲が湧いたのだった。

 

また、我が国で何年も前から話題になっている「構造改革」についても、いろいろと言いたいことがあって、それをアタチュルクの見事な改革手腕と比較してみたかった。アタチュルクは、それほど大きな流血を伴わずに、抜本的構造改革を成功させた人物であるから、現代の日本人も大いに参考にすべきと思われる。

 

なお、私はエンヴェル・パシャの生き様が結構好きである。主人公のライバルではあるけれど、彼が死ぬ場面など、かなり思い入れたっぷりに書いてしまった。作中でも触れたが、ケマルとエンヴェルは、写真のポジとネガというのか、磁石のNとSというのか、互いに反発しあうことで歴史に影響を与えているところがある。こういう友情(?)も有りかと思うと感慨深い。

 

また、時代が被るため、拙著『千年帝国の魔王』の登場人物が大勢登場するのが、筆者としてはとても懐かしかった。また、意図的に拙著『ボヘミア物語』の登場人物の名前も出したりしたが、私は、歴史というのは全て一本の因果で繋がっていると考えているので、なるべく既存の作品との関連性を持たせたいと心がけているのだ。

 

念のために言うが、ケマルがチェコの温泉に保養に行ったのは史実である。看護婦との関係などはすべて創作だが、筆者が「チェコのファン」だから歴史を曲げたなどと誤解しないでいただきたい(笑)。

 

踊り子のザラは創作である。史実のアタチュルクは、踊り子なんかと恋愛しなかったのかもね。私は、ドストエフスキーの諸作品の影響で「純情な水商売系の女性」を書きたがる傾向がある人なのだ。

 

養女でパイロットのサビハは、いちおう実在の人物である。結婚してすぐに別れたラティフェも実在の女性である。アタチュルクの私生活は謎が多いので、ちょっと中途半端な書き方になったのが残念だ。近代史の人物って、実は案外と細かいことまで知られているから、あんまり「創作」を全開しすぎると、後で困るからね。

 

ともあれ、こうして無事に書き上げられただけで、今は大満足なのであった。

 

どうか読者のみなさんも、楽しんで読んでください。

 

2005年6月10