第二十九章 国父は眠る

 


 

 

 

 

ケマルとイスメットの決定的な対立は、経済政策の面に現れた。

 

首相イスメットと党書記長レジェップ・ペケルは、現在の計画経済体制を維持強化して行きたいと考えていた。つまり、国家企業主義をとことん追求しようとしていたのである。

 

これに対して、大統領ケマルと経済相ジェラール・バヤルは、国家企業主義を、民間資本が育つまでの過渡的な政策だと位置づけていた。彼らは、時期を見はからって国営企業を民営化し、自由経済を発展させたいと考えていたのである。

 

なんだか、21世紀のどこかの島国で盛んに議論されていることのようである。

 

大統領と首相の見解は平行線を辿り、あくまでも国営企業の民営化を進めたいケマルは、ついに1937年9月、イスメットを首相から解任し、経済相バヤルを新たな首相に任命した。ジェラール・バヤルは、もともと「青年トルコ党」の要人だった人物だが、その経済に関する能力を買われ、中央銀行の総裁を兼任するなど、大統領に深く信頼されていたのであった。

 

「イスメットは優秀だが、しょせんはゼネラリストに過ぎない。これからの経済政策は、スペシャリストのバヤルの出番だろう」

 

この大統領の言葉を知ったイスメットは、激怒して自宅に閉じこもり、彼を訪問するのは勇気が要るとされた。

 

「またか」ケマルは、つぶやいた。「また、同じことの繰り返しだ」

 

かつてシシリー地区の借家やペラパレス・ホテルで語り合った友は、みんな去ってしまった。イスメット、フェトヒ、レフェト、アリフ。みんな疎遠になった。アリフにいたっては、他ならぬケマルによって処刑されてしまった。

 

「俺は、なんという人間なんだろうな」若かったころのみんなの笑顔を思い返し、ケマルは心を痛めた。「俺は、結局、建設者ではなく破壊者なのだろうか」

 

こんなことを思うこと自体、歳をとった証拠かもしれない。過去を懐かしむことなんて無かったのに。

 

灰色の狼は、56歳になっていた。

 

最近、ふとした拍子に孤独を感じる。

 

 

 

 

 

ある孤独な夜、執務室でラクを舐めながら、大統領は激動の15年間を思い返していた。

 

この15年の祖国の歩みは、「近代化」のために全てを犠牲にするものだった。

 

「近代化は、本当に人類を幸せにするのだろうか?」

 

過去に、何度も何度も自問自答したことである。

 

この時代において、近代化とは西欧化と同義だ。そして西欧化とは、産業革命であり鉄鋼であり石炭であり石油であり、煎じ詰めれば軍事力と戦争に行き着く。案の定、西欧列強は世界征服に乗り出し、トルコも15年前には分割解体される寸前に陥っていた。

 

かつてオスマントルコ帝国は、西欧の侵略に対抗するために、数度にわたって構造改革を発動して近代化を目指したものの、試みはことごとく失敗した。それは、既得権益を握るスルタンカリフの存在と、律法を盾にとって改革を妨害する宗教勢力のせいだった。だから、ケマルは彼らを国外に追放した。だからこそ、祖国は今、近代化に成功し、西欧列強も一目置くような強国に成長できたのである。しかし。

 

「西欧化と近代化は、やがて、モノとカネの価値ばかりを追及する愚かな人間を量産するだろう」ケマルは考える。「本当は、イスラムの優しい教えを胸に抱き、戒律と隣人愛を忘れずに、貧しくとも正直に生きることが幸せなのだ。カネとモノのために文化も愛も犠牲にして恥じない社会は、その存在を否定されるべきなのだ。しかし、人類はあまりにも愚かだから、神はあまりにも無情だから、この腐りきった世界では、近代化に乗り遅れた人々は、負け犬となって強者の奴隷になるしかない。だから今は、すべてを捨てて近代化に邁進するしかない。割り切って、ルシファー(悪鬼)になるしかないのだ」

 

ケマルは、ラクのグラスをじっと見つめた。

 

「近代化は、それ自体が必要悪なのだ。俺の独裁体制と同じことだ。いつか必ず役割を終え、あるべき美しい世界が訪れるだろう。俺の存在は、それまでの道標であれば良い。俺は捨石なのだ。だからこそ、友を失い、妻を失い、こうして一人で暗闇の中で酒を飲んでいる。それが当然なのだ」

 

彼は静かに、自分自身のために、ささやかな酒盃を掲げた。

 

 

 

 

 

ケマル大統領は、ほとんど毎年のように全国遊説を行った。

 

一党独裁なのだから、選挙活動をするわけではない。

 

彼は、政策の意義や目的を分かりやすく国民に説明するとともに、政策の成果を自分の目と耳で確認するために遊説を行うのであった。なぜなら、彼は国民のために独裁者となったのだから、国民のために妻や大勢の友を失ったのだから、常に国民と一体でなければならない。この決意が彼を強く動かすのであった。

 

大統領は、しばしばお忍びで居酒屋や村祭りに出没し、市井の人々の暮らし向きを聞き、ともに集いを楽しんだ。

 

もしも誰かに「暗殺が恐くないのですか?」と訊ねられたら、ケマルはこう応えただろう。「ガリポリ半島の戦場に立ったあの日から、私はとっくに命を捨てているのだ」と。

 

民衆は、このような大統領を父親のように思って深く愛した。

 

あるとき、イギリスの特派員が、トルコの市民にインタビューをした。

 

「どうして、皆さんはアタチュルク大統領をここまで深く信頼するのですか?」

 

バザーの商店主は、少し考えてから応えた。

 

「アタチュルクは、わしら以上にわしらのことを良く知っているからです」

 

1938年の初頭、イズミルで遊説中のケマルは、公民館での演説後に不調を訴えて入院した。肝硬変が、著しく悪化しているのだった。

 

それを知ったアンカラのバヤル首相は、自由経済を目指す改革を先送りにする決意をした。後援者がいなくなったら、とても政権を維持できないからである。彼は考えた。「ここは、イスメットと和解したほうが良いかもしれない」

 

トルコは、この後、何もかも中途半端な政策を展開して衰退の一途を辿る。その萌芽は、すでにこの時点から出始めていた。

 

しかし、ケマルの病状はなんとか回復した。遊説を切り上げた彼は、秘書たちの心配そうな顔に笑顔を投げてから、アンカラの官邸で横になった。

 

「もう長くはないだろう」大統領は、小さなシャンデリアで飾られた天井を眺めた。「今の私に出来ることはただ一つ。祖国を戦争に巻き込まないことだ」

 

1938年2月、ナチスドイツはオーストリアを無血併合した。イタリアとドイツは、すでに同盟関係にある。スペインも、ファシスト政権に乗っ取られていた。

 

世界を、敵意と恐怖が覆いつつあった。

 

 

 

 

 

ナチスドイツの次なる標的は、チェコスロバキアであった。ドイツと国境を接するズデーテン地方は、その多くの住民がドイツ系である。「民族自決」の原則に則って、この地域のドイツへの割譲を求めるのがヒトラー総統の方針であった。

 

チェコスロバキア政府は、これを断固として拒否し、そして軍の総動員を開始。1938年9月、中部ヨーロッパは今にも戦火に包まれようとしていた。

 

アンカラのケマルは、イスタンブールに政務に出向く直前、珍しい人物からの手紙を開封した。チェコスロバキアのテレザ・ジェレズニコワという女性からの手紙だった。

 

『突然、ぶしつけな手紙を差し上げて失礼します。20年前に、カールスバートの病院に勤めてご厚誼を頂いた看護婦です。戦争が終わった後、プラハの貿易商と結婚して仕事を辞めました。今では、三人の子の母となっています。

 

ムスタファ・ケマルさま、いいえ、今はアタチュルクさまでしたね。ご活躍を、遠方より心ひそかに応援しておりました。あなたさまは、大義を掲げ、そして大義の力で祖国を守り抜きました。同じころ、あたしたちの国も大義の力で独立を勝ち得ました。

 

でも、その大義は今や踏みにじられようとしています。

 

ナチスドイツは、巧みな宣伝術で正当性を主張しています。彼らの行動が、常に民族自決という大義に基づいているのだと。

 

確かに、彼らが無血併合したラインラントやオーストリアは、ドイツ系住民の多い地域でした。しかし、ドイツ人以外の民族が、ナチスの支配下でどのような目に遭わされているのか、世界はほとんど知りません。ユダヤ人もジプシーも、ドイツ人ではないという理由だけで差別を受け、逆らうものは容赦なく強制収容所に入れられ、あるいは殺されてしまいます。おそらく、ズデーテン地方のチェコ人やスロバキア人も同じ目に遭うでしょう。

 

そして、ナチスの野望は、きっとそれだけで終わりません。ヒトラーは、ドイツ系が一人でも住んでいれば、その土地を自分のものにしたがるでしょう。いいえ、ドイツ系が一人もいない土地であっても、理屈をつけて領有権を主張し始めるかもしれません。あたしの夫は、きっとそうなるだろうと考えています。

 

ナチスの野望を止められるのは、今しかありません。ドイツに戦略物資や食料を輸出するのを止めてください。そして、どうかアタチュルクさま、あなたのお力で国連に働きかけて、大義を守ってください。昔の好誼をお忘れにならないでください』

 

ケマルは、手紙を執務机にそっと置いて、ため息をついた。中東欧の小国は、ドイツの強大化に脅えて立ちすくんでいる。もしも戦争になったら、チェコ軍は勝てるだろうか。重工業国だから、戦車や大砲はドイツ軍に負けない高性能かもしれない。しかし、国土が狭く人口が少なすぎる。そしておそらく、イギリスとフランスは、同盟国のチェコを見捨てるだろう。彼らの身勝手さは、ケマルが誰よりも良く知っているから分かるのだ。

 

「テレザ、トルコにはどうすることも出来ない」ケマルはつぶやいた。「トルコ国民は、我が身を守るだけで精一杯だ。君たちは、その知恵の力で大義を守り続けるしかない。かつて、そうやって300年を耐え抜いたように」

 

そのとき、ソヤックが迎えに現れた。忠実な秘書官長は、憔悴気味の大統領の様子を見て、表情を歪めた。

 

「アタチュルク、お体の具合は大丈夫ですか」

 

「大丈夫だ。最近は調子がいいから」

 

弱々しく笑顔を返すと、彼はイスタンブールへの旅路に出た。

 

 

 

 

 

1938年のイスタンブールは、大勢の外国人で賑わう華やかな街に生まれ変わっていた。もはや、野犬もいなければ浮浪者もいなければ乞食の少年もいない。

 

アヤ・ソフィアは、その壁面の中から、漆喰で塗り固められていたビザンチン時代のモザイクが発見されたことで全世界の注目を集め、ケマルの決定で1932年から「博物館」として一般公開されていた。 やがてイスタンブールは世界有数の観光名所となり、そして世界遺産に登録されることとなる。

 

ケマルは、昔はこの街が嫌いだった。エンヴェルやメフメット6世ら過去の亡霊たちに虐げられた時代の思い出と、なかなか縁が切れなかったからだ。しかし、今は違う。

 

「歳を取ったということかな」

 

スーツ姿のケマルは、タクシーの後部座席に背を沈め、隣に座る女性に話しかける。

 

「それもあるだろうけど、イスタンブールそのものが綺麗になったからよ。あたしはここに住んでいるから、良く分かるの」

 

赤いドレスを纏うザラは、もう40歳をとっくに超えているはずだが、相変わらず若々しい。今は、ベリーダンスの先生としてペラ地区で働いているが、時には自らも舞台に立つという。

 

「アンカラとは違った魅力があるからな」ケマルはうなずいた。「アンカラは、近代都市を目指して区画を整然と作りすぎたかもしれない。計画的に、綺麗な公園を並べすぎたかもしれない。おかげで、アンカラの街路で迷子になる者は、外国人の中にもいないだろう。だけど、潤いに欠けるように思う。まるで『近代化』そのもののようだ」

 

「あたしは、行ったことないけど」ザラは笑った。「最近は、高級ホテルや大使館が並ぶすごい街になったって聞くわ」

 

「人口も10万を超え、ようやく首都らしくなったよ。虱や南京虫も出なくなったな」

 

「あなたの好きな日本大使館も、アンカラにようやく遷ったみたいね」

 

「日本は、中国と戦争を始めた」ケマルは寂しそうにつぶやいた。「軍部が、国政を乗っ取ってしまったらしい。軍人が政治に口を出してはならないというのは、近代国家の常識だ。それなのに、彼らはその原則を守らなかったのだ」

 

トルコ共和国は、憲法の中に「軍人は国会議員を兼務してはならない」という明文規定を入れていた。その結果、カラベキルもアリー・フアトも政党活動中は軍籍を退いていた。トルコの政争があまり血生臭くならなかった理由は、軍が政治に介入できなかったからである。これはまさに、ケマルの、いや、トルコ人の大いなる知恵であろう。

 

「あなたは、日本人の知恵を超えたのよ。とうとう、先生を追い越した」

 

「そうだな。そうだといいな。そう言える未来は、まだまだ先かもしれない。トルコは、二度と戦争をしないと誓った。これから訪れる大きな嵐を乗り切れるかどうかだ」

 

タクシーは、夕暮れのボスポラス海峡沿いにルメリ・ヒサル遺跡の脇を過ぎる。ふと、楽しそうな喧騒が聞こえてきた。道路沿いにギリシャ風の居酒屋があって、夜もまだ早いのに酔客が楽しそうに踊っているのだ。

 

「行ってみよう」

 

ケマルはタクシーを停めさせると、古い愛人と一緒に居酒屋に繰り出した。

 

野外席では、大勢のギリシャの漁民が、互いに合いの手を入れながら民謡を歌い踊っていた。イスタンブールに住むギリシャ人は、1923年の住民交換の対象とならなかった。彼らは、トルコ語を話すギリシャ系トルコ人として、昔ながらの生活を続けていたのだ。

 

陽気な彼らは、珍客の乱入を大いに喜んだ。ケマルとザラは、見よう見まねで彼らの民謡を歌いそして踊った。

 

「楽しいわ」踊りながら、ザラは古い愛人にキスをした。

 

「この人たちと」ケマルは、陽気に合いの手を入れる漁民たちを眺めながら言った。「15年前、民族の存亡を賭けて殺しあったなんて信じられるかい?こんなに心が通じ合えるのに、こんなに楽しい時間を過ごせるのに」

 

「通い合う心さえあれば、どんな文化ともどんな異教とも分かり合える。そうよね?」

 

「人間は、心を閉ざしてはいけないのだ。いつも心を開いていなければならないのだ」

 

「この想いを、全世界に教えてあげたいね」

 

「いつか必ず伝わるさ。そのための努力を怠らなければ」

 

二人は、やがて肩を寄せ合いながらスローダンスを踊った。

 

「別れた奥さんのことを思い出す?」

 

「ラティフェは、スイスの豪邸で暮らしているらしい。もう、ほとんど思い出さないよ。俺と彼女は、住んでいる世界が違いすぎた。小役人のせがれで幼いころから貧乏生活だった俺と、裕福な貿易商の家に生まれて幼いころから贅沢三昧だった彼女とはね。俺はガージーで大統領かもしれない。だけど、やっぱり違ったんだ」

 

ザラは、声を落とした。

 

「あたしが結婚してあげれば良かったのかな」

 

ケマルは笑った。

 

「そうだな。そうかもしれないな」

 

やがて、憲兵隊を乗せた車が到着した。彼らは、お忍びでドルマバフチェ宮殿を脱け出した大統領を、長いこと探し訪ねていたのだった。

 

ギリシャ人たちは、化粧の濃い美女を連れたオッサンがこの国の大統領だったと知って仰天し、そして大いに喜んだ。

 

しかし、これが最後のお忍び紀行になった。

 

宮殿に戻った直後、大統領の病状は再び悪化し、人事不省に陥ったからである。

 

 

 

 

 

一時的に意識が戻ったとき、ケマル・アタチュルクは、全国の青少年に向けて遺言とも言える声明を出した。

 

「青少年諸君の第一の任務は、祖国の独立と共和制を永遠に護ることである。これこそが、諸君の最も貴重な宝物だからだ。

 

将来、この諸君の宝物を狙う内外の奸者が現れるかもしれない。もしもそうなったとき、諸君は自分が置かれている現在の状況にとらわれてはいけない。

 

我が国に野心を抱く敵は、世界無比の強国であるかもしれない。そして、武力と策略によって我が全軍が粉砕され、国土全体が占領されているかもしれない。しかし、もっと深刻な事態として、我が国の政権の座にある者たちが無能であり、裏切りさえしているかもしれない。すなわち、私欲によって侵略者たちと政治的に結びつくかもしれないのだ。そして国民は、貧苦のために疲れきっているかもしれない。

 

しかし、トルコの未来の子供たちよ!そんな状況に祖国が置かれた場合でさえ、諸君の任務は祖国の独立と共和制を救うことなのだ!そのために必要な力は、諸君の体内に流れる我が民族の血が持っている!」

 

まさに、ケマル・アタチュルクならではの言葉である。まさに彼だからこそ、このような言葉を若者たちに贈ることが出来る。

 

今の日本人にも、このような激励が必要かもしれない。しかし、それを語れるような人物は、哀しいかな、どこにもいない。

 

養女サビハが、ドルマバフチェ宮殿の病室を訪れたのは、ちょうどこの声明が書かれたころで、幸い、病人の意識ははっきりしていた。

 

「軍務は良いのか?」

 

病床の養父は、厳しく言った。

 

「休暇をもらったんです」黄色いコートを羽織ったサビハは、蒼白になったアタチュルクの相貌を食い入るように見つめた。「具合はどうなの?ババ」

 

「もう持たないだろう」ベッドに上体を起こした白衣の病人は、寂しそうに笑った。「どうせ、とっくに捨てている命だ。惜しいことはない」

 

「何を言うの?ババは、国にとって無くてはならない人なのに」

 

「イスメットがいる。フェヴジがいる。バヤルがいる」ケマルは遠い目をした。「私の役目は、もう終わりだ。もはや不要な存在だろう」

 

「どうして、そんなに寂しいことを言うのよ!」サビハは叫んだ。「あたしには、ババしかいないのよ」

 

ケマルは、驚いて娘の碧眼を覗き込んだ。

 

「ババは、自分を孤独だと思っている。自分の人間を小さいものだと思って諦めているわね。でも、それは違うわ。ババは、あまりに人間が優しいのよ。あまりにも愛他心が強いのよ。だから、かえって孤独を感じてしまっている。だけど、あたしの初飛行を見に来てくれたでしょう?」

 

「やはり、気づいていたんだね」ケマルは俯いた。

 

「とても嬉しかった。はっきり言うわ。ババが見ていてくれたからこそ、あたし幸せだった。あたし、ババが大好きよ」サビハは、養父の顔を両腕で抱きしめた。

 

「ありがとう。ありがとう、娘よ」ケマルは、目頭を潤ませた。

 

彼は、自分が孤独に死ぬのを密かに恐れていた。しかし、懸命に人生を生きてきた者が孤独に死ぬことは、絶対に有り得ない。

 

やがて、イスメットも訪れた。彼は、大統領がいよいよ危ないと聞いて、蟄居中の官邸を脱け出して来たのであった。

 

「最近は、いろいろとあったけど」ケマルは、高熱にうなされながら同志に語りかけた。「私がもっとも信頼する人物は、あくまでも君だった。イスメット」

 

「分かっています、大統領」イスメットは目頭を押さえつつうなずいた。

 

「後のことは、よろしく頼む」

 

「お任せください。決してアタチュルクの心を裏切りはしません」

 

「・・・チェコスロバキアは、どうなった?」

 

「チェコスロバキアですか」元首相は、意外な質問に戸惑ったが、実直に応える。「ズデーテン地方をドイツに割譲させられました。スロバキアも独立する気配を見せています。チェコは、もう終わりでしょう」

 

「やはり、イギリスとフランスは裏切ったのか」

 

「お察しのとおりです。ミュンヘン会談で、チェコ人に断りなく国土解体を決めました」

 

「・・・ヒトラーは、これで動きを止めると思うか?」

 

「有り得ません。おそらく、次はポーランドを狙うでしょう」

 

「戦争になるな」大統領は、深いため息をついた。「ヒトラーは、やはり夢想家だったのか。エンヴェルの同類だったのか」

 

「信じられないほど有能な夢想家です。だからこそ、性質が悪い」

 

「おそらく、ヒトラーとその背後にいる軍部は、我が国を味方につけようとするだろう。エンヴェル以来の友誼があるからな」

 

「確かに」

 

「絶対に戦うな」ケマルは上体を起こしてイスメットの肩を掴んだ。「どんなことがあっても、戦争はしてはならない。国民を不幸にしてはならない。無節操と思われても構わない。世界中と平和条約を結ぶのだ。これが私の遺言だ、イスメット」

 

「必ずや、必ずや平和を守ります、アタチュルク!」元首相は、弱々しい大統領の手を優しく握り締めた。

 

「ありがとう、これで安心して眠れる・・・」ケマルは、満足げに微笑んだ。

 

 

 

 

 

19381110日午前9時5分、ケマル・アタチュルクはドルマバフチェ宮殿の一室で逝去した。享年57歳だった。

 

その報を聞きつけて、各地から民衆が駆けつけた。彼らは宮殿を囲んでアタチュルクの名を叫んだ。

 

「亡くなったなんて嘘でしょう!」「姿を見せてください、アタチュルク!」「最後にひと目だけでも会わせて!」

 

号泣する群集はいつしか数万人にも及び、とても警官の手には負えなくなった。やがて宮殿の正門は、群集の重みに耐え切れずに音を立てて倒壊した。

 

臨終に立ち会ったサビハは、溢れる涙を拭おうとせず、病室に横たわる養父の死に顔を優しく見つめ、そして窓外に充満する人々を眺めやった。

 

「ババの魂が浮かんでいるなら、あの人たちを見て欲しい。みんな、ババのことを本当の父親のように慕い、そして心から悲しみ、悼んでいるのよ。ババは、孤独なんかじゃなかった。世界で一番、愛情に満ち足りた国家元首だったのよ」

 

トルコは、国家を挙げて喪に服した。国中に弔旗が掲げられ、国民は悲しみに沈んだ。

 

臨時召集された国会で、イスメットは追悼演説を行おうとして、何も言えずに嗚咽した。

 

今日でもなお、毎年1110日午前9時5分になるとトルコ全土でサイレンが鳴り、全ての国民が1分間の黙祷を捧げる。ドルマバフチェ宮殿の時計は、国際会議場のそれを除いて、すべて9時5分に針が固定されている。

 

国民は、アタチュルクを失って改めて彼の偉大さを思い起こした。

 

20年前、オスマントルコ帝国は無謀な世界戦争を挑んで敗北し、そして国土は白人列強によって分割解体されようとしていた。そして、ほとんどの国民が飢えと病気に苦しめられ、何よりも全ての希望を失っていた。

 

しかし、「灰色の狼」が彗星のように現れた。彼は、どんな苦難にも負けなかった。彼は国民を叱咤し激励し、ついに侵略者と売国奴を打ち破り祖国を守り抜いた。それだけではない。「灰色の狼」は経済と文化の抜本的な構造改革を成功させ、平和で豊かで、ほとんどの国民が「幸せ」を実感できる国を創り上げたのだ。もちろん、「灰色の狼」一人だけの功績ではない。彼を支えたイスメットやカラベキルらの奮闘を忘れてはならない。しかし、「灰色の狼」がいなければ、これほどの成功は有り得なかったはずだ。

 

「奇蹟だ」ある老人は言った。「アタチュルクは、アラーの贈り物だったのだ。そりゃ、彼はカリフやウレマーを追放したかもしれぬ。じゃが、それこそがアラーの思し召しだったのじゃ。わしらが人間らしく幸せに生きる。それこそがアラーの願い。そしてアタチュルクの願いだったのじゃ」

 

「守らなければならないね」ある青年が応えた。「平凡な幸せを、みんなが感じられるこの国を、いつまでも守り続けよう」

 

「そうよ、決して後戻りをしてはならないわ」ある婦人が力強くうなずいた。

 

多くのトルコ国民は、今でもアタチュルクの志を胸に抱いている。国中に銅像が立ち並べられ、「アタチュルク公園」とか「アタチュルク通り」というのが国中にある。これを、トルコ人の後進性と見るのは間違いだろう。アタチュルクほどの英雄を持つことが出来た彼らは、むしろ羨まれるべき国民なのかもしれない。

 

ケマル・アタチュルクの遺体は、アンカラ郊外のアヌシュカビルという大きな廟に葬られている。彼の遺徳を偲んで訪れる者は、国の内外を問わず絶えることがない。