第七章 占領

 


 

 

 

 

18世紀以降のオスマントルコ帝国史は、連戦連敗と領土喪失の歴史であった。ロシア、イギリス、フランス、イタリア、オーストリアは、この帝国の領土を分け取りにしていった。

 

ロシア軍は、しばしば首都イスタンブールに肉薄した。彼は、その気になればいつでもトルコを滅亡させることが出来たのである。しかし、19世紀以降、イギリスがフランスを語らってロシアの前に立ち塞がった。大英帝国は、自らの中東とインドでの権益をロシアの魔手から守るため、衰えたトルコを「対ロシア緩衝地帯」として利用する政策を採ったのだ。こうしてトルコは、イギリスとロシアの睨み合いの中で、かろうじてその生存を許される哀れな存在に成り下がってしまったのである。

 

ヨーロッパ列強は、こんなトルコを「瀕死の病人」と呼んだ。

 

愛国心を持つトルコの若者は、こんな祖国の姿に屈辱を感じ、改革を成し遂げて強国に立て直したいと痛切に願った。そんな彼らに夢と希望を与えたのは、日本における明治維新の成功と日露戦争での勝利である。「青年トルコ党」による1908年のクーデターは、日露戦争(1905年)の興奮の余波とも言えた。

 

政権を握った「青年トルコ党」は、しかし「自力再生」の道を選ばなかった。彼らは、新興のドイツ帝国を頼ったのである。イギリスとロシアの間で病人扱いされて翻弄されるのは、二度とごめんだったからだ。

 

ドイツ帝国は、皇帝ヴィルヘルム2世が親政を始めた19世紀末から、極端な対外進出を行った。いわゆる「3B政策」である。彼らは、ベルリン、ビザンチウム(イスタンブールの古名)、そしてバクダッドを結ぶラインを、自国の生命線に位置づけたのである。

 

対するイギリスは、日露戦争で弱体化したロシアに対するマークを緩め、生意気なドイツを牽制する策に出た。「3C政策である」。彼らは、カイロ、ケープタウン、そしてカルカッタを結ぶラインでドイツの進出を迎え撃つ。

 

「3B」と「3C」の交差点に位置するのが、オスマントルコ帝国だ。ここに、トルコの権益を巡ってイギリスとドイツががっぷり4つに組んで睨み合ったのである。

 

「青年トルコ党」は、イギリス、ドイツ、ロシアの間で、必死に生き残りを図った。しかし、その舵取りは無残にも失敗した。イギリスとロシアのみならず、フランスとイタリアとギリシャまで敵に回したこの国は、四方八方から集中攻撃を受けて残り少ない体力を消耗し、ボロボロになって崩れ落ちたのだった。

 

それだけではない。ロシア帝国とドイツ帝国の崩壊によって、もはやトルコからは、イギリスの「緩衝地帯」としての意義は失われていた(当時、ソ連も新生ドイツも弱小国と認識されていたので)。イギリスが、生意気なオスマン帝国の残骸を西欧列強みんなで分け取りにしようと企んだのは、極めて当然の成り行きと言って良かろう。

 

そんなとき、祖国の危機を救うべき要人は、首都に一人も残っていなかった。

 

元大宰相タラート、海相ジェマル、そして陸相エンヴェルらは、敗戦直後に黒海経由で海外に逃走していたのである。

 

置き去りにされたトルコ国民は、何百年となく繰り返された負け戦の終局的な結果を前に、意気消沈し自暴自棄になっていた。彼らに出来ることは、アラーのお慈悲にすがる事のみである。

 

しかし西欧列強は、彼らの祖国を分割解体する決意をすでに固めているのだった。

 

 

 

 

 

19181113日。

 

イギリスとフランスの60隻もの大艦隊が、今や威風堂々とダーダネルス海峡を通ってマルマラ海に現れた。1915年に果たせなかった夢を、その3年後に実現させた形だ。

 

一方、陸路からは、バルカン半島軍総司令官デスペレイ将軍が、3万の兵士とともに、白馬の上にふんぞり返ってイスタンブールの門を潜った。彼は、エンヴェルの旧宅を占拠し、ここで占領行政を執り行うこととなる。

 

イスタンブール市民は、恐怖に満ちた眼差しで海と陸の支配者たちを見つめていた。これから、自分たちはどのような目に遭わされるのだろうか。

 

ハイダルパシャ駅(イスタンブールのアジア側の終着駅)の前で、ボスポラス海峡に向かう協商国艦隊を望見していた若者が、恐怖に唇を歪めてつぶやいた。「あの艦隊、いったん碇を下ろしたら、もう二度と動きそうもない。そんな気がする」

 

「そんなことはない」

 

彼の後ろで、軍服を纏った長身の壮年が答えた。

 

振り向いた若者は、銀色に輝く生気あふれる眼光と向かい合った。

 

「奴らは、来たようにして、いつか帰るだけだ」

 

ケマル・パシャは、唖然とする若者にはもう目もくれず、桟橋へと歩き去った。

 

彼は、復員作業を完了して、シリアから首都に帰ってきたのである。

 

 

 

 

 

イスタンブール新市街のペラパレス・ホテルは、世界的に有名な高級ホテルである。ここは、オリエント急行の旅客専用のホテルであったため、特に西欧人からの評価が高い。アガサ・クリスティーの名作『オリエント急行の殺人』でも、このホテルが印象的に描かれている。

 

終戦後のこのホテルでは、連日のように、占領軍の将軍たちによる絢爛豪華なパーティーが開催された。彼らは、勝者の特権とばかりに酒食を貪り美女を侍らせた。

 

ある夜、一人の印象的な風貌の壮年がドアを押し開けた。彼は、太い赤線の入った紺色の軍服を着こなし、カウンターにラク酒を注文すると、サロン中央のテーブルにどっかと座った。

 

サロンでは、占領軍の将軍たちが葉巻やシャンパンを楽しんでいるところだった。彼らは互いに顔を見合わせ、このトルコの軍服を着た人物の素性を噂しあった。やがて、誰かが気づいた。

 

「彼は、ケマルじゃないか?」

 

ガリポリ戦の英雄は、かつて敵であった英仏軍将校からも尊敬されていたのだ。そこで、ある将軍が切り出した。

 

「失礼ですが、ムスタファ・ケマル将軍ですね。さあ、どうぞ、こちらのテーブルにいらしてください」

 

ケマルは、ラクのグラスを拳の中で回しながら、こう答えた。

 

「お誘い、かたじけない。しかし、ここでは我々トルコ人が主人であり、皆さんは客の立場です。一緒に飲みたいのなら、あなた方がこちらに来たらよろしい」

 

この傲慢な言い草に、将軍たちは鼻白んだ。

 

しかし、ケマルの持つ不思議な威厳は、彼らにその言葉の意味を考えさせずには置かなかった。

 

「トルコは、負けたわけではない。少なくとも、一人の人物の中では」

 

ケマルは、一人でラクを飲み終えると、そのまま勘定をツケにして出て行った。その物腰は、あくまでも傍若無人で、しかし優雅だった。

 

 

 

 

 

ペラパレス・ホテルで西欧列強の将軍たちを煙に巻いたケマルだったが、オスマン帝国内での彼は、予備役として何の役職も与えられずに無聊を囲っている状態であった。そのお陰で、腎臓病はすっかり良くなったのだが。

 

彼は、イスタンブール新市街のシシリー地区に家を借り、そこで親しい友人たちと自棄酒を呷る毎日を送っていた。訪ねて来るのは、かつて副官だったアリフ大佐、シリア戦線での親友イスメット大佐、そして士官学校以来の幼馴染アリー・フェトヒ少将だ。いずれも憂国の情、覚めやらず、現状の打開策を必死に模索する愛国者たちであった。

 

「エンヴェルたちは、どうやらベルリンに逃げたらしいな」陸軍次官のフェトヒ少将は、バルコニーの微風を頬髯に受け、低く笑った。「何もかも変わってしまった。変わらないのは、今や微風だけだ」

 

彼の視界の彼方には、金角湾がかすかに見える。その周囲を埋め尽くす無数の軍艦旗は、すべてユニオンジャック(イギリス旗)なのであった。

 

「祖国は失われた」イスメット大佐は、自嘲気味に言った。「我々に残されたのは、犠牲になった人々、なかんずくアルメニア人やアラブ人たちの怨嗟。そして、勝者となった白人列強の嘲笑。何よりも、社会と信仰への自信と信頼を喪失した名もなき国民たちだ」

 

「誰も、国民の苦しみを考えてあげなかった」アリフ大佐は唇を咬んだ。「皇帝はもちろん、エンヴェルもタラートもジェマルも、机上の議論と自分の生活だけを考えて政治を弄んで来た。だからこそ戦争を始めたのだ。だからこそ敗北したのだ。これは、当然の帰結だったのだ」

 

「エンヴェルたち三巨頭は、ベルリンの一角で後悔の涙を流しているだろうか」イスメットは、額に苦悩を浮かべる。

 

「どうかな。仮にそうだとしても手遅れだ。オスマントルコ臣民の大多数が、これから白人列強の奴隷になるのだからな」フェトヒは、金角湾のイギリス艦隊に向かって拳を振り上げた。

 

「『サイクス・ピコ協約』。奴ら、本気で実現させる気かな。本気で、祖国を分割解体するつもりなのかな」イスメットは青ざめる。

 

「もちろんだ。それが証拠に、イスタンブールに英仏の軍隊が入り込んでいる。奴らと締結した休戦協定では、首都は占領されないことになっているのに、いきなり協定違反をしてきやがった」フェトヒは歯軋りした。

 

ケマルは、部屋の中央に置いた粗末な長椅子の上で紫煙を巻き上げながら、沈痛な表情で仲間たちの会話を静かにじっと聴いていたのだが、やがてぽつりと言った。

 

「トルコ人が居住していない地域は、むしろ外国にくれてやったほうが良い」

 

驚いて振り返った友人たちを前に、ケマルは続ける。

 

「トルコ人に必要なのは、トルコ人の国だ。アラブ人やユダヤ人には、そろそろ出て行ってもらったほうがいい。『帝国』なんか、いい加減にやめてしまったほうが良い。我々には、『固有の領土』としてアナトリアとトラキアが残れば、それで良い」

 

「なるほど」フェトヒはうなずいた。「だが、列強はトルコ人の『固有の領土』を我々に返してくれるだろうか。『サイクス・ピコ協定』の内容を見る限り、怪しいものだぜ」

 

「そのときは戦おう」ケマルは薄い唇を引き締めた。「みんなで命をかけて、祖国を守り抜こう」

 

一同は、強く深くうなずいた。

 

 

 

 

 

オスマン帝国の総人口は約2000万人。今次大戦では、そのうち300万人が兵士として動員され、200万人が戦病死した。貿易を絶たれ、働き手を失った経済の疲弊は計り知れず、農村では疫病と飢餓が蔓延し、そして都市は慢性的なインフレにさらされ、もはや食糧すら自給自足できない。何よりも、国民全てが覇気を失い、希望を見失い、家畜の群れのように下を向いて生活しているのだった。

 

いったい、どうしたらこの窮境を打破できるというのか。

 

今のケマルには、具体策を思いつくことが出来なかった。仮に思いついたとしても、そもそも政府の役職につけてもらえないのでは動きようがない。先立つものがないのだから。

 

その点、陸軍次官のアリー・フェトヒは、より身軽に政治活動を行えた。

 

「ムスタファ」フェトヒは学友に言った。「僕は、祖国の自由と独立を守るために、新たな政党を立ち上げたいと思う。協力してくれるね」

 

ケマルは笑顔で手を差し伸べ、親友と握手を交わした。「俺に出来ることがあれば、何でも言ってくれ」

 

オスマン帝国は、皇帝を仰いではいるものの、れっきとした議会政治の国であるから、どんな人にでも政治に参加する道が開かれていた。

 

また、実力主義の遊牧騎馬民族を先祖に持つ彼らの文化には「世襲」という概念が乏しい。この国には、既得権益を持つ貴族階級というのが、そもそも存在していなかった。つまり、本人の能力次第でどこまでも出世できるのがオスマン帝国の、今となってはほとんど唯一の、素晴らしさなのだった。

 

現在の政権与党は、大宰相ダマト・フェリトが采配を振るう「自由と連合党」である。これは、国益を度外視し占領軍にべったりの政党であった。これに対抗するべく、旧「青年トルコ党」はミトハト・シュクリュ議員を中心に「再生党」というのを立ち上げた。しかしこれは、トルコを大戦前の体制に戻そうという復古運動に過ぎない。

 

フェトヒ少将が考えているのは、まったく新しい進歩的な政党であった、トルコを、完全にイギリス型の民主主義に変えようというものだった。

 

祖国を変えるためには、まず政治家にならなければならない。地道な選挙の積み重ねで、世論を動かさなければならない。フェトヒは、そのように考える男だった。

 

ケマルは、党綱領の作成を手伝ったり、あるいは新聞に応援の社説を書くなどして親友を支援した。しかし、彼自身は政党活動に懐疑的だった。事態は、そんなに生易しいものではないと考えていたからだ。

 

 

 

 

 

協商国とトルコの間で締結された休戦協定は、エーゲ海のムドロス島沖に停泊したイギリス軍艦上で調印されたため、「ムドロス休戦協定」と呼ばれる。その内容は、

 

一、休戦時点の占領地域での、トルコ軍の完全武装解除。

二、一、の地域は協商国軍に占領され軍政が敷かれること。

三、ダーダネルスとボスポラス両海峡は、協商国の共同管理下に置かれること。

四、トルコ国内の鉄道は、協商国の弁務官が管理すること。

五、治安維持のための最低限の部隊を除き、国内の残存トルコ軍を武装解除すること。

 

これによれば、少なくともアナトリアの大部分、そしてイスタンブール周辺(ケマルの言う「固有の領土」)にトルコの主権が残存することとなっているから、割合と人道的で穏当な内容に思える。

 

しかし、この休戦協定には、以下の条項が目立たないように付け加えられていた。

 

「情勢不穏の場合、協商国軍には戦略的に重要な地点を占領する権利がある」。

 

・・・これが、帝国主義諸国の侵略の常套手段なのである。

 

そして、休戦を焦る皇帝やトルコ政府の閣僚たちは、この条項の秘める意味に気づくことが出来なかった。

 

こうして、「占領」が始まった。

 

英仏そしてイタリアは、イスタンブールやコンヤといったトルコの固有の領土にも無造作に軍隊を進駐させたのである。

 

彼らの名目は、「ロシア革命の影響で『情勢が不穏』だから、トルコを守らなければならない」というものだったが、その真意は「進駐」という既成事実を積み上げることによって、トルコの固有の領土を将来的に奪い取ることにあった。

 

だが、皇帝メフメットは、これに対して何も苦情を言わなかった。彼は、西欧列強が恐くて仕方なかったのである。

 

第一次世界大戦の結果、敗戦国の国体は全て破滅した。

 

ドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国とブルガリア王国は消滅し、皇帝ヴィルヘルム2世、皇帝カール、王フェルディナントはそれぞれ国外に亡命した。

 

ロシアでは、最後の皇帝ニコライ2世が、家族もろとも社会主義者によって殺害された。

 

つまり、191811月末時点で、その位を保持していた敗戦国君主は、実はオスマントルコ皇帝ただ一人なのであった。

 

気弱な皇帝メフメット6世が、自らの前途に脅えたのも無理はない。

 

しかし西欧列強は、メフメットを退位させる気は無かった。

 

前述のように、オスマン帝国皇帝は「神の現世の影」、すなわちカリフの地位を兼務していた。カリフは、いわばイスラム教の法王であるから、その鶴の一声は全世界3億人のイスラム教徒を動かす威力を持っていたのである。西欧列強は、メフメットを処罰することで全世界のイスラム教徒の怒りを買うよりは、彼をうまく懐柔して用いたほうが、自らの植民地政策の上で都合が良いと判断したのだ。

 

これは、太平洋戦争の後、連合国が昭和天皇を退位させず、あるいは戦犯に指名しなかった理由と同じである。日本人にとって天皇は、神道の大祭主であるから、これを懐柔することで日本人すべてを操縦できると踏んだアメリカの戦略は、まったく正しかった。だから、今でも日本はアメリカの言いなりなのである。

 

しかし、世知に疎いメフメットは、自分の置かれた立場が良く理解できていなかった。彼は、自分の立場が絶対的に脆弱なものだと思い込み、自らの命と地位を保つためには、ひたすら西欧列強に媚びるしかないと思い定めてしまったのである。

 

ここに、オスマントルコ臣民の悲劇があった。

 

そして、ボスポラス海峡と金角湾に浮かぶイギリス艦隊の主砲は、恫喝のため、常にドルマバフチェ宮殿の白亜の壁に向けられていた。

 

「我々は、今や、スルタンカリフを人質にした」ロイド=ジョージ英首相は、得意げに秘書に語る。「オスマントルコ人は、我々にとって幸いなことに、民族意識をまったく持っていない。自分たちをイスラム教徒でカリフの下僕だと卑屈に考えている奴らばかりだ。と、言うことは、スルタンカリフを脅して命令させれば、奴らは喜んで我々に従うことだろう。かくして、旧オスマン領は我々のものとなる!」

 

協商国軍の将兵は、「治安維持のため」と称して、続々とトルコ領内にやって来た。彼らは民衆に乱暴を働いたり侮辱を与えたりした。

 

たとえば、モスクの入り口にトルコの国旗をカーペットのように敷き、礼拝に来た人々に無理やりそれを踏ませたのであった。

 

この様子を見た小アジアのトルコ軍では、将官や兵士たちの復員命令拒否が起きた。

 

国全体に、次第に不穏な空気が醸成されていく。

 

 

 

 

 

「早く、孫の顔が見たいね」

 

大柄な母は、配給の豆チョルバス(スープ)を飲みながら言った。

 

「何度も言うけど」息子は、うんざりしきった顔を向けた。「俺は結婚には興味がない」

 

「お前、二言目には『国の危機だから、所帯を持つ余裕がない』というけど」母は息子を睨んだ。「毎晩のように飲み歩いて、玄人女と遊んでいるという噂は消せないよ。何が国の危機なもんかね」

 

「それとこれとは、話が違うだろう」ケマルは、吐き捨てるように言った。何度も同じ会話を交わすのは、彼にとっては時間の無駄だ。彼の前には、空になったスープ皿とエキメッキ(パン)籠しかない。さすがに、母の前では、昼間から酒は飲めないから。

 

親子は、イスタンブールのガラタ地区にいた。母は、戦火を逃れて郊外からここに越していたのである。

 

「だいたい、国の危機なんて言葉は聞き飽きた」母ズベイデは、空になったスープ皿を持って立ち上がった。「もう、何百年も前から、国の危機だの構造改革だの。誰かがそういうスローガンを並べるたびに、税金は重くなり国の借金は嵩み、そして戦争に負けて領土を取られていった。だけど、結局、いまだに国は滅んでいない。国なんて、そう簡単に滅びるものじゃないのと違うかい?」

 

「そういうのを、『ゆで蛙』って言うんだぜ」ケマルは低くつぶやいた。「みんな、痛みや屈辱に鈍感になってしまったんだ。そして、気づいたときには手遅れとなるんだ」

 

「お前は、昔から可愛げのない子供だったよ」ズベイデは、台所から鼻を鳴らした。「アラーが見ていなさる。あたしたちは、信心深いイスラムの民なんだから、決して悪いようにはならないさ」

 

「コーランには、『神は、自ら助けるものを助く』という一節があるはずだが?」

 

「だけど、スルタンカリフ(皇帝)は、このままで良いって言っているんだ。なら、それに従うまでだろう?」

 

「そこが問題だ。スルタンカリフの真意が分からない」

 

「下々には分かりっこないよ。雲の上の人の考える気高いことなんか」

 

「俺には分かるね」ケマルは、吐き捨てるように言った。「今のスルタンとは、じっくり語り合ったことがある。あの方が皇太子のころ、一緒にベルリンまで旅行したからな。普通のお爺さんだったぜ」

 

「なんて、罰当たりな子だろう!」信心深い母は叫んだ。「神の写し身であらせられるスルタンカリフの偉さが分からないなんて!」

 

「神の写し身なもんか。ベルリンで、金髪美女に囲まれてニタニタしていた男だぞ」

 

「お前に比べれば、立派じゃないか。結婚もしないで夜遊びばかり!」

 

話が元に戻りそうだったので、息子は急用にかこつけて家を飛び出した。

 

彼の表情は、暗く歪んだ。母の考えは、トルコの大多数の民衆の考えを代弁している。みんな、あの老いた気弱な皇帝を神様のように信じている。

 

「このままじゃ『ゆで蛙』だ。気づいたときには死んでいる・・」ケマルの足は、ガラタ塔の脇を過ぎて東に向かった。「フェトヒを応援するだけじゃなく、俺自身も何かやらないと」

 

 

 

 

 

ドルマバフチェ宮殿には、皇帝も内閣も大宰相もいた。シェイフェル・イスラム(イスラムの長老)もウレマー(宗教顧問団)もいた。しかし、政治らしい政治は行っていなかった。政治の実権は、高等弁務官サマセット・キャルソープ提督率いる西欧列強の占領軍が握っていたからだ。

 

ケマルが謁見を求めると、大宰相ダマト・フェリトが会ってくれた。

 

「久しぶりだな、ケマル・パシャ」広壮な謁見室で、実直な役人といった感じのダマトが微笑んだ。「ガリポリ半島戦の戦勝祝賀会以来だろうか」

 

ケマルは、厳しい視線で老人を射た。昔話には興味が無い。

 

「私に仕事をください」

 

「ふむ、予備役の俸給では不満なのかね」

 

「俸給の話ではありません。私は、国のために役に立ちたいのです。政治にかかわる仕事がしたいのです」

 

「・・・君は、フェトヒ少将の『自由主義者民主党』に共鳴し、新聞に社説を書いていたはずだが」

 

「彼は事務次官として仕事をしていますが、私は単なる予備役です。私は、政府の役職が欲しいのです」

 

ダマトは、じっとケマルの青い瞳を見た。国民的人気の高い戦場の英雄は、飼い殺しにしておくに限る。彼をうかつに国政に参加させ、国民の愛国心をいたずらに煽るわけにはいかない。皇帝は、イギリスに盲従することに決めたのだから。

 

しかし、大宰相は言った。

 

「裏取引は可能だ」

 

「なんの話ですか」

 

「とぼける必要はない。ベルリンに逃げたタラートやエンヴェルたちは、敗戦の直前に地下秘密組織をこの国に遺しておいた。それが『カラコル(見張り)』だ。貴官は当然、知っているだろう?」

 

「いいえ、初耳です」ケマルは応えた。それは本当だった。

 

「ほう」ダマトは、意外そうにケマルの顔を眺め回した。彼がエンヴェルらと不仲だというのは本当らしい。「カラコルは、ベルリンとトルコの間を、そしてトルコ全土の『青年トルコ党』残党の間を結ぶ情報ネットワークなのだ。彼らは、再び巻き返しを図っておる。外国勢力を、この国から叩き出そうと狙っている。密かに、武器弾薬を各地に備蓄しているという噂もあるくらいだ。・・・本当に知らないのか」

 

「ええ」そう言いつつ、ケマルの頬は自然に綻びた。「タラートやエンヴェルは、したたかな愛国者ですね」

 

「バカを言うな」老人は叫んだ。「奴らは戦犯だぞ!今の我々は、イギリスを頼り、イギリスの力を借りて国を立て直すしかないのだ。そのイギリスを怒らせてはいかん」

 

「ドイツの次は、イギリスにしがみ付くのですか」ケマルは、せせら笑った。「また、同じことの繰り返しですね」

 

大宰相は、自分のフェズ(トルコ帽)を右手で撫でながら、無礼な士官を睨みつけた。

 

ケマルは、窓の外を指差した。そこからは、イギリスの軍艦の列が見える。

 

「大臣は、常にこちらに向けられた大砲を、本当に信頼しているのですか。占領軍の高等弁務官キャルソープ提督は、陰で『トルコはダメ人間の集団だ』とか『トルコ人にかける情けはない』と放言しているそうじゃないですか」

 

「だが、イギリスに従うのが皇帝の方針だぞ」

 

「間違った方針に諫言するのが、忠臣の役目ではないのですか」

 

「相変わらず、不遜な男だな、君は・・・」ダマトは首を左右に振った。「ともあれ、カラコルの存在は、占領軍の間で大問題になっているのだ。君が情報提供してくれるなら、その見返りにポストをあげよう」

 

「私は、本当に何も知らないのです」ケマルは肩をすくめた。

 

「それなら、君を予備役から外すことは出来ないな」老人は憮然とした。

 

「その件は、もう結構です。大宰相、私を皇帝に引き合わせてくれませんか」

 

「何のために」

 

「国を救うためです」

 

「・・・御前で、いったい何を言う気だ」ダマトは神経質そうに瞬いた。

 

「今後の政策を提言するのです」ケマルは、少しも悪びれない。

 

ダマトは警戒し、長いこと躊躇していたが、やがて小さく頷いた。

 

「良かろう。金曜日にアヤ・ソフィア・ジャーミー(聖ソフィア・モスク)に来たまえ。セラームリク(金曜礼拝)の後で、会う機会もあるだろう」

 

帰り道で、ケマルは新たな希望を心中に見出していた。「青年トルコ党」の武装組織は健在なのだ。この国の愛国者の組織は、滅びたわけじゃないのだ。

 

ケマルは考えた。フェトヒの正攻法にカラコルの「寝技」を組み合わせれば、案外と簡単に政治を動かせるかもしれない。これに、皇帝の権威を加えることが出来れば万全になるだろう。

 

「エンヴェルは大嫌いだが、奴の愛国心の強さだけは信頼できる。なんとか、カラコルの力を借りたいのだが・・・」

 

彼は、ペラ地区に足を向けた。裏世界に通じた馴染みの店なら、カラコルへの連絡方法がきっと分かるだろう。

 

 

 

 

 

その翌日、ザラが居酒屋キリムで紹介してくれたのは、レフェト大佐という精悍な壮年であった。色黒で四角い顔に、濃い口ひげを生やしている。

 

「ケマル・パシャ、お会いできて光栄です」太い声で語る。

 

「どうして、これまで私に連絡しなかったのですか」ケマルは、ラク酒を相手のグラスに注いでやりながら言った。

 

レフェトは、水差しから数滴を自分のグラスに落とした。ラクは、たちまち白濁する。これは、そういう酒なのである。しかし、彼はそれっきり酒盃に口をつけようとはしない。

 

「ケマル・パシャは、昔から、『青年トルコ党』首脳陣の政策に何もかも反対だったでしょう?しかも、戦後も皇帝の膝元にいるから、心を許せないと判断したのです」

 

「私の愛国心については、タラート殿もエンヴェル殿もご存知だと思ったが・・・」

 

「もう、何も信じられないのです」レフェトは、グラスを撫でた。「ドイツ帝国が戦争に負けるなんて、夢にも思わなかった。どうして負けたのだろう」

 

「仮にドイツが勝っていたら、祖国はドイツの植民地になっていたでしょう。どちらに転んでも同じこと。トルコは、そもそも戦争をするべきではなかったのです」ケマルは、達観したように応えた。

 

「あなたは、戦場の英雄なのに」レフェトは、意外そうに相手の瞳を覗き込んだ。

 

「英雄なんて、なりたくてなったわけじゃない」

 

「謙遜でしょう」レフェトは笑った。「ドイツ参謀本部の諸氏は、『ムスタファ・ケマルほどの軍略家は、ドイツにもいない』とベタ褒めだそうですぞ」

 

「私は、無我夢中でやるべきことをやっただけです」ケマルは、相手のグラスが手付かずなのを訝った。「なぜ、飲まないのですか」

 

「戒律があるからですよ」

 

そういえば、初対面の挨拶も、握手や抱擁ではなくイスラム式だった。

 

レフェト大佐は、敬虔なイスラム教徒なのだった。

 

そんな彼の向こうのステージでは、西欧風の薄絹をまとったザラが激しいベリーダンスを披露している。考えてみれば、とても奇妙な風景であった。

 

「パシャ、あなたは本物の愛国者だ。あなたなら信用できる」レフェトは、急に声を潜めた。「ベルリンのタラート氏の許可が着き次第、あなたにカラコルに加わっていただきます」

 

「加入する必要はありません」ケマルは笑った。「連絡方法を教えてくれれば」

 

「私自身が、その連絡方法です」レフェトは白い歯を見せ、自分の胸を叩いた。

 

この日から、二人は同志となった。