第八章 狼は野に放たれる

 


 

 

 

 

アヤ・ソフィアは、イスタンブールで最大のモスクである。

 

4本の尖塔(ミナレット)に囲まれた美麗なドームを持つ大寺院は、もともとオスマントルコではなく、その前にこの地を支配していたビザンチン帝国の手で建立されたものである。ビザンチン帝国最盛期の名君ユスチニアヌス大帝が、6年の歳月をかけて西暦537年に再建したこれは、当時はもちろんギリシャ正教の大聖堂であった。その後、1453年にこの地を奪ったスルタン・メフメット2世は、アヤ・ソフィアを破壊するのがしのびず、そのままイスラム教のモスクに改修したのである。この人類の偉大な建築遺産は、幾度もの戦火や大地震に遭いながらも生き残り、当時の姿を現在まで遺している。

 

イスラム教徒の安息日は金曜日である。この日は、仕事も学業も休んで神と対話するのがイスラム教徒の義務であった。そして、カリフでもあるオスマン帝国皇帝は、国民の代表としてアヤ・ソフィアでの礼拝(サラート)を行うことを公務の一つにしていた。

 

皇帝と大臣たちは、聖地メッカの方角に向かい「アラーは偉大なり」と唱えながら絨毯に跪く。礼拝に訪れた1万人の民衆は、衛兵に隔てられた距離からその様子を見て、数知れぬ悲惨な敗戦によってもイスラム世界が不滅であることに安心し、オスマン帝国と皇帝への信頼を高めるのだった。

 

イスラムの礼拝は、あくまでも神と個人の関係なので、みんなが時間を合わせて同じ儀式をする必要はない。各人が好きなときに、好きな場所で好きなペースで祈りを捧げれば良い。

 

ケマル・パシャは、形だけのサラートを済ませると、退出しようとする皇帝の後を足早に追った。大勢の大臣や衛兵に囲まれたメフメット6世は、近づく人影に一瞬、脅えたような表情を見せたが、それがケマルであることに気づくと、決まり悪そうに笑顔を見せた。

 

「久しぶりだな、パシャ」

 

「人払いをお願いします」

 

「中庭に行こうか」

 

二人は、皇帝の取り巻きたちと距離を置いて歩き始めた。

 

ケマルは、冬枯れの香草に覆われた中庭を見渡した。夏には、真っ赤なチューリップに覆われるはずの一角には、今は土くれしかない。

 

「ダマト・フェリトから聞いたのだが」メフメットは、白髪まじりの眉を顰めた。「パシャは、政府の役職が欲しいのか?」

 

ケマルは、皇帝の目をしっかと見た。

 

「陛下は、ご存知でしょう。イギリスとフランスとイタリアは、治安維持という名目でアナドル(小アジア)やルーメリア(バルカン半島のトルコ領)の至るところに軍隊を送り込んでおります。休戦協定を一方的に破っています。これを追い返すためには、断固とした強気の交渉が不可欠です」

 

「君なら、それが出来るというのか」皇帝は、両目をつぶった。

 

ストレスを感じると目を閉じてしまうのが、この人物の性癖だった。

 

ケマルは、その様子に躊躇したが、かまわず続けた。

 

「西欧諸国は、今では、我がトルコ民族をバカにして舐めています。同じ敗戦国でありながら、ドイツやオーストリアには占領軍を送り込まないことからそれが分かります。侮りは侮りを生みますぞ。今ここで、意気地を見せるべきです」

 

皇帝は、目を閉じたまま言った。

 

「君は、軍略家としての評判が高いが、政治家としての実績はまったくない。この危険な局面で、危ない綱渡りは出来ない」

 

「では、このまま占領軍の言いなりになるおつもりか?」ケマルは唖然とした。

 

「その方が賢明だと思う。ロシアから、ボルシェビキ(社会主義者)の工作員が大量に入り込んでいるとの噂もある。西欧列強に治安維持を任せるのは、我が国にとって有益だ」

 

「ボルシェビキの脅威など、たいしたことではありませんぞ」ケマルは声を高めた。「それを口実に、我が国を侵略している現実の脅威のことはどうお考えか」

 

「彼らは、いずれ引き上げるだろう・・・」

 

「列強の真の狙いは、トルコの国土を分割解体することですぞ。陛下は、『サイクス=ピコ協約』をご存知ではありませんのか?」

 

「それは思い過ごしだろう、パシャ」皇帝は、薄目を開けつつ言った。「彼らは、現に、皇室財産の保全を文書で確約してくれたのだ」

 

「皇室財産・・・ですって?」

 

「そうとも、協商国は我が国の主権を重んじてくれておるのだ」

 

ケマルは、呆然とした。

 

この人は、何を言っているのだ?

 

皇室財産の保全は、国家の主権とはイコールではない。

 

メフメット6世にとって、国家は、自分個人の利権を保全するための存在でしかないというのか。

 

会話が途絶えたのを見て、遠巻きに待機していた衛兵長が合図を送った。皇帝はうなずき、ケマルに別れの合図に手を振ると、アヤ・ソフィア正門前で待機中の黒塗りのベンツ目指して歩き去った。

 

中庭に取り残されたケマルは、冬枯れの庭園の中で立ち尽くした。

 

彼は、カラコルの組織網と皇帝の政治的権威と結びつけることで、西欧列強に反撃を食わせようと目論んでいた。親友フェトヒ少将の新政党とともに、イスタンブールの政治を変えようと考えていた。その野望は、まさに冬の夏草と同様に立ち枯れてしまったのである。

 

「皇帝は、自分のことしか考えていない」

 

今こそ、ケマルには分かった。どうして、この国の構造改革が失敗の連続であったのか。

 

オスマン帝国は、すでに18世紀初頭から「構造改革(タンジマート)」を志向していた。しかし、幾度にもわたって提案された改革は、ことごとく失敗したと言ってよい。失敗の理由は、保守的な宗教勢力の妨害もあるが、最も大きい理由は、この改革運動が、皇帝とその取り巻きが言い出した「上からの構造改革」だった点である。既得権益を握っている者たちは、決してその権益を捨てようとはしない。いわゆる「皇室財産」は、3000人の宮女を擁するハレムがその典型だが、維持費だけで年間数十万ポンドを必要とするものだった。これを維持したままで改革を謳ってみても、財政難も経済危機も解消できるはずがないであろう。それが証拠に、構造改革のために西欧に頼った借款は、皇帝一族の贅沢のために浪費されるのが常だったのだ。

 

「皇室財産が保全されれば、それで良い」

 

これは、メフメット6世個人の妄言というよりは、歴代オスマン帝国皇帝の本音であったろう。彼らは、国のことも国民のことも、どうでも良かったのだ。「構造改革」という美辞麗句も、自分たちの権益保持のために言っていたのに過ぎなかったのだ。

 

「そうだったのか・・・」

 

ケマルはつぶやいた。

 

「今こそ、分かったぞ」

 

彼は、大勢の敬虔な祈りの声を背に受けて、悄然として歩き去った。

 

600年続いた皇帝の権威は、この瞬間、彼の敵となった。

 

 

 

 

 

皇帝の意志が明確に示されたのは、1919年4月の国会での出来事だった。

 

大宰相ダマト・フェリト率いる「自由と連合党」は、巧みな議会工作によって、反対政党の撲滅に着手したのである。「青年トルコ党」の後身である「再生党」の幹部をはじめ、民族主義的な傾向のある政治家を「祖国の敵である戦争犯罪人」と糾弾し、「非道なアルメニア人虐殺に加担した」と難詰し、そして片端から逮捕したのだ。

 

その中には、「青年トルコ党」の伝統を頑固に守るミトハト・シュクリュ議員のみならず、進歩的な「自由主義者民主党」を率いるフェトヒ少将の姿もあった。

 

フェトヒに会うために議事堂に来ていたケマルは、突然の事態に狼狽した。彼は、2人の警官に警棒で突付かれながら護送車に向かう親友を追った。しかしフェトヒは、ケマルに気づくと、視線で「来るな」と言った。

 

ケマルは、「自由主義者民主党」の協力者ではあるが指導者ではない。大人しくしていれば、逮捕を免れるはずだった。

 

「後は頼んだぞ」フェトヒは再び視線で示し、ケマルは振り返ってその場を去った。その銀色の瞳は、やり場の無い怒りで燃え上がっていた。

 

逮捕された100人を超える「祖国の敵」は、5月末、一人残らずイギリスの軍艦に搬入され、地中海に浮かぶマルタ島(イギリス領)に収監された。この一事を見ても、「自由と連合党」がイギリスの傀儡政権であり、この暴挙がイギリス政府の差し金であることは明らかであった。

 

その後、オスマン帝国議会は協商国の要請に従って、アナトリアの東部6州を「アルメニア国」に割譲する閣議決定をしたのである。

 

協商国は、パリ講和会議において、戦争中に大きな被害を蒙ったアルメニア人たちに独立国を提供する決定をしていた。

 

暫定的にアメリカに委任統治されるその領土は、「民族自決」の原則に基づいて、アルメニア人が比較的大勢居住する地域、すなわちトルコ東部諸州とコーカサス南部の旧ロシア帝国領にまたがる広大なものとなる予定であった。

 

問題は、この地域にはトルコ人も大勢住んでいたことである。すなわち、アルメニア独立国の成立は、文化や言語を共有するトルコ民族が二つの国家に分断されることを意味する。トルコ人の立場から見るなら、これはむしろ「民族自決」に反する措置であった。

 

理想主義者のアメリカ大統領ウイルソンが倫理的に提唱した「民族自決」は、机上で地図の上に線を引いて決められるような甘いものではない。なぜなら、民族というものは、しばしば一つの土地の上に混在しているからである。

 

アメリカという国の奇妙なところは、外国の「民族自決」を論ずる際に、自国内の民族問題、すなわちネイティブアメリカン(インディアン)やアフリカンアメリカン(黒人)の存在を度外視していた点である。彼らは、欧州や中東に干渉する以前に、自国の領土内での民族自決を考えなかったのだろうか。彼らは、たとえば「ワイオミング・ネイティブアメリカン独立国」の可能性を考えなかったのだろうか。もしもそれが実現したなら、ワイオミング州に住む白人は、同一民族でありながら北アメリカ大陸内で分断される結果になるだろう。彼らが、一度でもそういう事態を想像したことがあるなら、無邪気に欧州や中東の地図の上に定規で直線を引いて、国家を創作するような愚を避けえたかもしれないのだが。

 

ともあれ、こうしたアメリカ人の無邪気さは、敗戦国への復讐に燃える英仏らにうまく利用されたのである。いわゆるベルサイユ体制は、負け組の「帝国」を解体して無数の小国を創作していくものとなった。ドイツもオーストリアもトルコもロシアも、「民族自決」の美名のもとに、その国土をバラバラに引き裂かれていったのである。

 

ケマル・パシャは、ペラパレス・ホテルのラウンジで、怒気を含んでラク酒を呷った。

 

「アルメニアの独立を目指す占領軍の真意は、敗戦国トルコに対する懲罰に他ならない。フェトヒが健在なら、きっと、こんな閣議決定を認めなかっただろうに」

 

彼が想定していたトルコ民族の「固有の領土」は、いきなり「外国」に割譲されることになったのだ。

 

「だからこそ大宰相は、フェトヒ少将を初め、反体政党の政治家を一網打尽にしたのでしょうよ」アリフ大佐も、火酒のボトルに何度も手を伸ばした。「こんなのは、民主主義ではありません」

 

「大義の欠片もないな」ケマルは酔眼を開いてつぶやいた。

 

「大義って、それは誰の言葉です?」アリフが耳を傾けた。

 

「ボヘミアで聞いた言葉だ」

 

「あれ、パシャは、ボヘミアの聖人の言葉まで勉強しているんですか」アリフは、妙に感心する。「相変わらずの博識ですね」

 

「・・・まあな」

 

看護婦から聞いた言葉だとは、言いにくくなった。

 

「こうなったら、アナトリアに行きましょう」レフェト大佐は、沈んだ口調で言った。「首都はもう駄目です。イスタンブールの民族主義運動は、止めを刺されてしまいました。立憲君主制が正常に機能していることを前提とした正攻法は、占領軍の監視下では無意味だということが分かりました。こうなったら、軍に頼るしかない。いよいよ、英雄ケマル・パシャの出番ですぞ」

 

親友を謂われなく逮捕され、傷心のケマルは、同志の目を切なげに見た。

 

アナトリアは、秘密情報網カラコルの勢力が強いという。また、この地にはエンヴェルの息がかかった精鋭軍団が健在であった。

 

東方のエルズルムを拠点とする第16軍団のカラベキル将軍、中部のアンカラを拠点とする第20軍団のアリー・フアト将軍。いずれも、ケマルとは面識がある。カラベキルは、かつてコーカサス戦線でケマルの部下であった。アリー・フアトは、ケマルと士官学校の同窓生である。彼らは、西欧列強の進駐に反感を抱き、しかも東方諸州のアルメニアへの割譲に断固として反対しているとの噂だ。

 

「レフェト大佐の言うとおりかもしれないな」ケマルはつぶやいた。

 

東部アナトリアで、占領軍への抵抗運動を組織する。これしか無いかもしれない。

 

「私には、どうしても分からないことがあります」アリフが言った。「皇帝陛下は、どうしてダマト大宰相の無法を容認されたのでしょうか。陛下は、外国の虜囚になってしまって御自分の意思を示せないのでしょうか?」

 

「きっと、そうだろう」レフェトは応えた。「神聖なカリフを兼ねられる陛下が、敬虔なイスラム教徒である我々を裏切るはずはないからな」

 

ケマルは、二人の会話を聞いて、よほど口走りそうになった。皇帝とその一族は、もう数百年も昔から敬虔な国民を裏切っているのだと。しかし、信仰心の篤い二人は、絶対に聞き入れようとしないだろう。

 

今のケマルの最大の懸念は、彼の運動の前に立ち塞がる最大の障壁が、おそらくスルタンカリフの権威になるだろうことだ。敬虔な信者たちは、果たしてこれに抗えるのだろうか。自らの信仰心に負けて自滅しやしないだろうか?

 

不安が全身を覆う。

 

その夜、ザラを抱いたケマルは、女の耳元に「一緒にアナトリアに行こう」と囁いた。

 

 

 

 

 

機会は、意外と早く訪れた。

 

アナトリア東部の諸軍団は、首都からの解散命令を頑なに無視し続け、しかも協商国が「アルメニア独立国」のために明け渡しを求める東方6州に居座ったきり、動こうとしない。これは、占領軍の心証を大いに害する行為だった。

 

そういうわけで、皇帝メフメット6世は怒っていた。

 

「カラベキルとアリー・フアトは反逆者だ」

 

「そうですな」うなずいたのは、大宰相ダマト・フェリトだ。皇帝の妹婿でもある彼は、完全なイエスマンなのだった。

 

メフメット6世は、議会や内閣が大嫌いだった。国家には、自分の他に官僚だけがいれば良いと考えていたのである。彼は、昔ながらの「独裁者」になりたかったのだ。だからこそ、気骨のある大宰相テヴフィク・パシャを3月に解任し、それに代わった惰弱な妹婿ダマト・フェリトに「自由と連合党」を差配させ、そして野党を国会で反逆者扱いし、フェトヒらを島流しにしたというわけだ。

 

「占領軍のキャルソープ提督も、何とかしろと、しつこく言って来ておる。イギリスは、東部アナトリアの無政府状態によって、ギリシャ系のキリスト教徒の集落がイスラム原理主義者の襲撃を受ける状況が気に入らないらしい」独裁者を夢見る男は、忌々しげにつぶやいた。

 

「そういえば、港町サムソンで、そんな事件がありましたね」イエスマンはうなずく。

 

「ダマトよ、カラベキルらを鎮圧し東部アナトリアを安定させられる人物に、心当たりがあるか?首都に残って暇を持て余している人材で、かつてカラベキルらの上官だった奴が理想的だと思うが」

 

「それなら、ケマル・パシャが打ってつけでしょう」

 

「・・・お前もそう思うか」

 

皇帝は、しばし考え込んだ。確かに、ケマルは1916年のコーカサス戦線でカラベキルの上官であった。アリー・フアトと同期の友人でもある。しかし、あの反骨精神の固まりのような男に任せて大丈夫だろうか。あの男は、良かれ悪しかれ普通の人物ではない。

 

「ケマル・パシャは、亡命した戦犯エンヴェルと不仲でした。秘密結社カラコルとも無関係であるようです。彼は、むしろ積極的にエンヴェル派のカラベキルらを取り締まるのではないでしょうか」ダマトはのんびりと語った。

 

「ふむ、言われてみればそうかもしれぬ」皇帝は、髭の無い顎を撫でた。「ケマルは、戦争中、ずっとエンヴェルと喧嘩ばかりしていた男だしな」

 

こうして、オスマントルコ政府は、ケマル・パシャを第9軍(東部アナトリアを統括する軍)の監察官として情勢不穏な東部に派遣する決定をしたのであった。

 

シシリー地区の茅屋でその内示を受けたケマルは、使節に対して、無表情に小さくうなずいてみせた。使節が辞去した後、彼は静かに借家を見回した。まさか、こんな形でこんなに早く機会が巡ってくるとは思っていなかった。

 

「俺は、ずっと不遇の孤独な人生を送ってきた。だが、これからは違う。俺の本当の人生の始まりだ。俺がこの世で果たすべき真の使命の始まりだ」

 

根回しの末、親友のアリフ大佐とレフェト大佐の同行を当局に承諾させたところ、二人はケマルに同行出来ると知って狂ったように喜んだ。

 

母や女たちに、さりげなく別れの言葉を告げるころには、彼の決意は固まっていた。

 

時に1919年5月16日。

 

ケマルは、イギリス製の小型汽船バンディルマ号に乗り込んだ。

 

ボスポラス海峡を進む船上から、白亜の大宮殿を眺めやる。

 

皇帝は、壮行会の別れ際に彼に言った。

 

「パシャよ、この国を安定させられるのはお前だけだ!」

 

ケマルには、皇帝の期待に十分に応える決意があった。

 

ただし、それは間違いなく、皇帝の望まない形を取ることだろう。

 

ボスポラス海峡を抜けた汽船は、薄暗い黒海の大海原の彼方に消えて行った。

 

 

 

 

 

トプカプ宮殿の執務室に詰めるウインダム・ディーズ英国情報将校は、トルコ政府から提出されたばかりの報告書の中に、ムスタファ・ケマル・パシャの名を見つけて狼狽した。慌てて、ドルマバフチェ宮殿へと走る。

 

「どうして、彼を行かせたのです!」

 

口角泡を飛ばして抗議する英軍将校を迎えた大宰相ダマト・フェリトは、自慢の漆黒の顎鬚を撫でながら、ケマルの有能さについて説明した。

 

「そういう問題ではありません!」ディーズは、持参してきた諜報部の報告書を大宰相に突きつけた。「ケマル・パシャは、要注意人物です。彼は、ペラパレス・ホテルなどで民族主義者たちと数度にわたって会合をしています。4月に戦犯として逮捕されたフェトヒ少将の親友でもあります。また、彼が同行させたレフェト大佐は、ベルリンに逃げた戦犯たちと繋がっている恐れがあるのですぞ」

 

「そうかもしれないが」大宰相は、のんびりと語る。「アナトリアの反逆者たちは、みなエンヴェルのシンパです。そして、エンヴェルはケマルの天敵です。ですからケマルは、むしろカラベキルらを陥れようとするでしょう」

 

「ケマル・パシャが、それほど小さな人物でしょうか?」ディーズは、ダマトの顔をじっと見た。

 

大宰相は、言われた意味が分からないのか、相変わらず平然とした顔で言う。

 

「いずれにせよ、鳥はもう飛び立ちましたよ」

 

この時、ディーズは悟った。この人物と皇帝に欠如しているのは、「愛国心」という観念だ。彼らには、エンヴェルとケマルの広い愛国心が、狭く小さな党派意識を超越して結びつく可能性をまったく理解できないのだ。

 

小さな魂には、大きな魂を理解出来ない。

 

イギリスの憲兵隊が桟橋に殺到したとき、すでにケマル一行は、黒海への長い旅路に乗り出した後だった。

 

「虎に翼をつけて、野に放ったようなものだ」ディーズは、ボスポラス海峡を見つめながらつぶやいた。「虎というより、狼というべきか」

 

彼の脳裏に浮かんだイメージは、赤茶けた東方の荒野にうずくまる飢えた狼の群れだった。狼たちは皆、西を向いて何かを待ち望んでいる。

 

彼らが待つのは、一頭の巨大な灰色狼に他ならない。

 

 

 

 

 

ケマルを乗せた船がボスポラス海峡を北に抜けたころ、小アジア西岸の大都市スミルナ(現イズミル)で大事件が勃発していた。

 

アメリカ軍とイギリス軍に援護されたギリシャ軍一個師団が、この都市の「治安維持のため」と称して上陸を開始したのである。

 

スミルナは、大昔からギリシャ人が多く住む土地であった。ここに限らず、小アジア西岸に位置する港湾都市は、ほとんどが紀元前にギリシャ人が築いたもので、20世紀初頭当時においても、住民の多くはギリシャ系であった。

 

木馬で有名なトロイも、こうした都市の一つである。しばしば誤解されているのだが、ホメロスの叙事詩に出てくる「トロイ戦争」は、バルカン半島南部の都市国家連合と小アジア西岸の都市国家の戦いではあるが、あれは同じギリシャ人同士の争いを描いたものなのである。アキレスもヘクトルも、ギリシャ人なのである。

 

話を戻すと、スミルナに上陸したギリシャ軍の意図は明白であった。「民族自決」を盾にとって、ギリシャ系が多く住む小アジア西岸部を自国に編入しようというのだ。

 

トルコの民衆は、大いに動揺した。

 

バルカン半島南部の「ギリシャ王国」は、19世紀初頭にトルコから独立した若い国家である。しかしこの小国の独立は、ギリシャ人が宗主国を負かして手に入れたものでは無く、ギリシャに加担する英仏露がトルコを恫喝して強引に押し切った結果なのである。あの時のトルコ軍は、バルカン半島の戦場で、むしろギリシャ人の「反乱軍」を圧倒していたのだった。

 

また、第一次世界大戦のギリシャ王国は、確かに戦勝国側についてはいたが、彼の軍隊は戦場ではほとんど何の役にも立たなかった。

 

そしてトルコ人は、400年近い歳月を、ギリシャに対する支配民族として君臨していたのである。

 

以上のことから、トルコ人はギリシャ人に対して何の負い目も持っていなかった。

 

そんなギリシャが、今ではトルコを分割解体しようとしている。

 

しかも、彼らが占領したスミルナは、トルコで第二位の人口を持つ商工業の中心都市であった。ここを外国に奪われたら、トルコの近代産業はその成長を止められてしまうのだ。

 

驚くべきことにイスタンブールの政府は、この非常時に際して次のような声明を発した。

 

「ギリシャは我が友好国であるから、全てのトルコ臣民は、彼らの治安維持活動に進んで協力するべきである」

 

だが、現実は逆だった。

 

スミルナに進駐したギリシャ軍は、現地に残っていたトルコ軍の将校を逮捕すると、何の理由もないのに拷問を加え処刑した。また、郊外のトルコ系の村々に出張すると、当たり前のように略奪を働き、抵抗する者は容赦なく射殺したのである。

 

これまでトルコに支配されてきたギリシャ系市民は、自国の軍隊の残虐行為を大歓迎した。それを知ったギリシャ軍は、市民たちに武器を提供し、軍事訓練を加えて彼らを民兵としたのである。さらに、スミルナ大司教クリソストモスが、ギリシャ系住民の宗教的情熱を煽ったため、略奪と虐殺は日を追うごとに激しくなった。

 

「これは、どういうことだ」「わしらが、何をしたというのだ」「どうして、ギリシャ人に好き勝手させるんだ」「ギリシャ人に殺されることが、国民の義務だとでもいうのか」

 

トルコの民衆は、初めて占領軍に対して大きな怒りを感じた。そして、このような状況を容認しているスルタンカリフに対して、初めて疑いを抱いた。そんな彼らの多くは、秘密情報網カラコルに進んで情報を提供し、あるいは反政府ゲリラに参加して行ったのである。

 

また、アナトリアの大地主は、昔から熱心な「青年トルコ党」シンパだった。皇帝政府の横暴で出鱈目なやり方に反感を持つ彼らは、今や飢えた狼の群れとなり、西方からの巨大な灰色狼の到来を待ち焦がれていたのである。

 

 

 

 

 

そんな中、運命の汽船は、小アジア北岸沿いに黒海を東に走る。

 

甲板に座るアリフとレフェトは、西へと傾く陽光の下でメッカの方角を探し当て、熱心に祈りを捧げていた。

 

「主なるアラーよ、どうぞ苦難の道を進む我らに、聖なるご加護をお与えください」

 

彼らの希望の星ケマルは、船室に閉じこもったままであった。彼は、自身が巻き上げたタバコの煙に囲まれて、一心不乱に考えていた。

 

これからの人生は、想像を絶する苦難の旅路となるだろう。

 

果たして俺に、この旅路を乗り切ることが出来るのか。

 

彼は自問した。そもそも、なぜ俺はこのような危険な冒険を試みようとするのだろう。皇帝に忠実でさえいれば、おそらく生涯、衣食住には困ることがないだろう。好きな酒や女にも不自由しないだろう。なぜ、俺は全てを捨てて行くのだろう。

 

彼の脳裏には、戦場の地獄の風景が浮かんだ。多くの勇敢な男たちと出会い、そして別れた。別れの多くは死別だった。勇敢な男たちは、祖国への愛を双眸にいっぱいに宿らせながら、ガリポリ半島でアレッポで倒れて行った。彼らは、ケマルの命令に従い、従ったがゆえに死んだのだ。どうして彼らは、彼の命令に従ったのだろう。祖国への純粋な思いがあるからだ。自分の死が、祖国のためになると信じたからだ。彼らのこの思いを決して無駄にしてはならない。

 

「そうとも、やるしかない」ケマルはつぶやいた。「俺がやらなければ、祖国は失われる。みんなの死が無駄になる。悲しみの涙が数倍になる」

 

自分自身に言い聞かせる。

 

そのときバンディルマ号が、汽笛をあげた。

 

目的地、サムソン港が見えてきたのだ。

 

時に1919年5月19日。

 

灰色の狼はたった今、荒野に放たれた・・・。