第十五章 異端撲滅十字軍 

 

 一方、皇帝ジギスムントも、既に戦争の決意は固かった。

 その手元には、補助兵力も含めて8万人の『異端撲滅十字軍』が集っていた。参加民族は、ハンガリー人、ポーランド人、クロアチア人、ブルガリア人、ワラキア人(ルーマニア)、ダルマチア人(同じくルーマニア)、クマン人(ロシア南部)、スロヴァキア人、オランダ人、イギリス人、フランス人、イタリア人、オーストリア人、アラゴン人(スペイン)、そしてほとんどのドイツ貴族の領邦人が、その威容を並べている。

 つまり、チェコは、北欧以外の全ヨーロッパを敵に回したことになる。

 1420年5月、ハンガリー西部に集結したこの未曾有の大軍は、その進路をプラハに定め、轟音をあげて進撃を開始したのである。自らを正義の軍隊と恃む彼らは、熱狂的な宗教的情熱に冒されて、神を称える歌を歌いつつチェコ領内に入った。そして、通過先で捕らえたフス派聖職者たちを、見せしめのために容赦なく惨殺していったのである。

 5月15日、クトナー・ホラに入ったジギスムントは、プラハから派遣されてきた和平の使者を引見した。そして、使者が持参した「プラハの四か条」を一読した彼は、冷たい視線を使者に投げてこう言った。

 「たとえこの王国が滅亡しようとも、朕は異端を皆殺しにしてくれる」

 顔面蒼白となった使者は、覚束ない足取りで帰っていった。

 

 そのころプラハには、ボヘミア各地からフス派貴族たちの援軍が到着していた。その中には、ペトルの父オンドジェイ卿の姿もあった。

 イジーとトマーシュも、プラハ市の自警団に加入した。もはや、全市が一丸とならなければ乗り切れない国難であることは、誰の目にも明らかだったのだ。

 久しぶりに顔を合わせた二人は、喧騒の馬広場を散策した。

 「結局、赤ちゃんはプシーブラム先生に洗礼してもらったのか」

 「うん、ジェリフスキーが軍事で多忙だったからね。洗礼名はヤンだ」

 「あはは、やっぱりヤンか。当然だよな」

 「・・・悪いときに生まれたものだ」

 「でも、逞しい男に育つかも」

 「ああ、生まれながらに、両形色(二重聖餐)のミサを受けたんだ。絶対に幸せに育つさ」

 イジーは、切なげに郊外に通じる城門を見渡した。大勢の石工が群がって、補修作業の真っ最中だ。

 「明日にでも、我が軍はプラハ城への攻撃を開始するようだ」トマーシュが、ぽつりと言った。

 市街北西のプラハ城と南郊の『高い城』は、ジギスムントの不退転の決意を知ると、皇帝側に味方することを宣言した。これらの城塞は、もともと王家の所有物であって、プラハ市とは独立した存在であったから、このような事態はそれほど意外なものではなかった。

 しかし、二つの城塞は地勢的に極めて重要な位置を占めるから、これらの離反によって、プラハ市は両脇から万力で締め上げられた形となった。この苦境を打開するためには、十字軍の到来前に、いずれかを降伏開城させねばならない。

 フス派貴族たちを主力とした攻城軍2千は、プラハ城を第一の標的とした。なぜなら、この城内に置かれた聖ヴィート大聖堂は、チェコの王権のシンボルだったからである。歴代のチェコ王は、この教会で戴冠式をあげるのがルールとなっていた。当然、ジギスムントもそれを狙ってくるはずだから、ジギスムントの即位を認めない貴族たちは、何としても、彼のプラハ城入りを阻まねばならなかったのである。

 「解せないのは、ヴァンテンベルクのチュニック卿だよ」イジーは暗い顔で言った。「プラハ城には、代理摂政である彼の兵も多くいたはずなのに、一戦も交えずに退去しやがった」

 「ロジュンベルクのオルトシフ卿は、カトリック側に寝返り、既にプルゼニを基地にして十字軍の動きに呼応しているらしい。大貴族は、信用できない。チュニック卿も怖気づいて、密かに皇帝に通じているのかもしれないぞ・・・」トマーシュは、眉間に皺を寄せた。

 トマーシュの予想は正しかった。チュニックは、フス派貴族代表の立場にありながら、密かに皇帝に赦免を願い出ており、プラハ城の無血開城は、この工作の一環だったのである。卑怯といえば卑怯だが、それほど十字軍が恐ろしかったのである。

 なお、チュニックは、プラハ郊外に軍を駐屯させたまま動かず、この十字軍との戦いには全く参加しなかった。そして、皇帝の赦免を受けることが出来なかったので、この戦いの後、再びフス派に復帰するのであった。

 彼ら大貴族たちには、巨大なリスクを冒してまでフス派を堅持する覚悟は無かった。むしろ、皇帝に妥協して所領(既得権益)を維持した方が賢いと考えたのである。

 そのため、この危機に際してプラハに救援に来てくれたのは、むしろジャテツ、ルーニ、スラニーら、中小貴族たちであった。

 「話は変わるけど、ペトルの奴、ついに『真実の街』を築いたようだな」トマーシュが言った。「アンブローシュ師が、プラハ大学に書き送った書状の中に、ペトルの連名があったんだ。ジシュカさんも、一緒にいるらしい」

 「そうか」イジーはうなずいた。「でもさ、あいつ、アンブローシュ師の終末論を邪教と呼んで嫌っていたじゃないか。また、ジシュカさんとも仲が良いわけじゃなかったろう」

 「そこなんだよ」トマーシュは肩を竦めた。「実際は、カトリック派の攻撃に追われた人々が、自衛のために寄り集まった街みたいだぜ。『真実の街』には程遠い、野合の街かもね」

 「それでも、ペトルは夢の第一歩を実現させたんだ」イジーは微笑んだ。「俺たちは、友として祝福してやらなければならない」

 「ああ、それはもちろんだとも」トマーシュも白い歯を見せた。「会いたいなあ、あいつ、プラハには来ないのかなあ」

 「俺も会いたいよ。マリエも会いたがっていた。でも、どうかなあ。あいつは、戦争が嫌いだからな」

 「戦争が好きな奴なんているもんか」

 「いや、ジェリフスキーは、好きみたいだぜ」イジーは苦笑した。

 怪人修道士は、重い甲冑を身に纏い、長槍を肩にかつぎ、熱心な心酔者たちを引き連れて、毎日のように市街を練り歩いていた。そして、戦いの到来を叫び、景気の良いスローガンを並べ、市民の士気を大いに高めていた。

 「あいつに洗礼してもらわなくて良かったよ。あの姿は、息子に見習わせたくないからな」

 「確かにね」

 「・・・トマーシュは、妻を娶らないのかい」

 「なんだい、藪から棒にさ」

 「もう、医学部の教授になるんだろう。妻帯してもおかしくはない」

 「・・・戦争が終わったら考えるよ」

 「クララさんのことは、もう忘れたほうがいい。異教徒だし、もうすぐヤコブと結婚する人だ」

 「異教徒か」トマーシュは溜息をついた。「不思議だよな。ジグムントは、どうしてプラハを攻めるのだろう。俺たちより、ユダヤ人やムスリム人(イスラム教徒)の方が、遥かに異教徒じゃないか。そんな強力な軍勢があるのなら、どうしてオスマントルコと戦わないのだろう」

 「思うに、ジグムントとローマ教皇は、ムスリムなんかより俺たちの方が恐いのさ。ムスリムは、丸っきりの異教徒だから、彼らの権益には関係ない。しかし、俺たちは正しいキリスト教徒だ。正しいキリスト教、これこそが問題なんだ。俺たちを放置しておけば、自分たちの不正と過ちが白日のもとにさらされてしまう。彼らは、それが恐いのだ」

 「・・・やっぱり、戦うしかないんだね」

 「正しいことを貫くのは、いつの時代でも勇気が要る。でも、それをやり遂げることの大切さを、この世界に伝えていきたい。俺の息子にも伝えてあげたい」

 「そうだよね、そのとおりだ。お互い、頑張ろうな」

 「うん」

 馬広場の南端で、親友二人は、その手を固く握り合わせた。

 

 フス派軍によるプラハ城攻撃は難航した。

 訪れたことのある方はお分かりだろうが、プラハ城は、峻険なフラッチャニ丘に聳え立っている。細くて狭い山道が、ほとんど唯一の入口である。

 フス派貴族たちの軍勢は、攻城用のハシゴを押し立ててこの崖に挑んだのだが、守備兵たちは、投石や矢の雨を降らせて頑強に抵抗したのである。

 ジェリフスキーとその心酔者たちも、この戦いに参加した。彼らは、主に後方支援を受け持ったのだが、暇を見ては教会や修道院に乱入し、壁画やステンドグラスを破壊して回った。「聖書の根本に帰る」ことを身上とする彼らにとって、これらの美術品は「悪しき偶像崇拝」に他ならなかったからだ。

 プラハ大学の教授たちは、ジェリフスキーらのこの暴挙に頭を悩ませた。彼らは、そこまで極端に聖書に帰る必要はないと考えていたからである。しかし、この戦時下においては、怪人修道士たちの士気を落としてはならない・・・。こうして、小地区の貴重な文化財は次々に破壊されていき、この情勢は放置された。

 その文化財の残骸のそばでは、包帯を巻かれた負傷者たちがうめき声をあげている。

 纏まりの悪い中小貴族たちから構成された攻城軍は、6月に入っても戦果をあげることが出来なかったのである。

 

 このころターボル市は、ようやく全ての難民を収容し、美しい赤屋根の町並みを来訪者に披露するようになっていた。

 総人口は、創設当初で4千人。全ての街路が複雑に入り組み、迷路のような地下道が張り巡らされたこの街は、まさに戦闘に備えた城塞都市であった。

 この『真実の街』の市政を司るのは、アンブローシュ司祭、ニコラウス司祭、ミクラーシュ隊長、ヤン・ジシュカ隊長、そして新参のマルチン・フースカ司祭からなる最高指導会議であった。

 市民の社会的地位は、原則として全て「平等」であった。出身地域別に4つに区分された市民たちは、互いの労働成果を均等に分け合うように定められた。富める者は貧しい者に余剰財産を渡し、健康な者は病める者を手伝った。そのため、市民間の貧富の差は、完全に姿を消したのである。

 修道士だって例外ではない。ペトルは、農民の服を纏ったまま、髪や髭を伸ばし放題の風情で祭壇に立った。聖務の無いときは、野良に出て真っ黒になって働いた。

 まさに、理想の原始共産社会が誕生したのである。

 しかし、手工業を生業とする市民は、主に武器の製造に従事した。この街が生き残るためには、強力な軍事力が不可欠だったからである。

 ヤン・ジシュカは、プルゼニなどの都市から強奪してきた資金をもとに、イタリアの武器商人から大量の鉄砲と大砲を購入していた。そして、作事の手が空いた農民たちを集めて、軍事教練に力を注いだ。

 「ようやく、ピーシャラチが300丁や、これじゃあ無理やで」プロコプが言った。「いくら新兵器でも、これだけじゃ万単位の騎馬隊の突貫を防げるわけがない」

 「そんなことは分かっている」ジシュカは冷静だ。「もう一つ、手が欲しいところだな」

 2人は、語らいながら政庁舎から中央広場に歩み出た。

 そこには、市民たちが引越しに使った荷車や荷馬車が、所狭しと置かれている。

 鋳鐘士のフロマドカが、偶然そこを通りかかった。

 「この荷車、どうしましょうか。このままだと雨露にさらされて腐ってしまいますよ。そうかと言って、他に使い道も思いつかないし」

 「そうやな」プロコプがうなずいた。「もう二度と、引越しはしないもの」

 「これだ」ジシュカが言った。

 「これって」プロコプとフロマドカは、当惑げに隻眼の大男を見る。

 「これが、必殺の一手になるのだ」ジシュカは、満面の笑みを浮かべた。「おい、さっそく鍛冶屋や細工屋を政庁に寄越してくれ。今すぐにだ、急げ」

 

 ジギスムントの大軍は、7月に入ってプラハ郊外にその威容を現した。

 この情勢を見たフス派貴族たちは、プラハ城の攻略を諦め、負傷者を守りながら旧市街へと撤退した。プラハ城に入るであろうジギスムントに小地区を明け渡した後で、ヴルタヴァ川を天然の防壁にして旧市街の防衛線を守る作戦であった。しかし、恐るべき敵の威容を目にして、市街の士気は奮わない。

 旧市街庁舎やティーン教会は、今や巨大な野戦病院と化し、苦痛の声をあげる負傷者たちの声は、市民の不安をさらに掻き立てる。

 ジェリフスキーは、旧市街広場で声を限りに演説した。

 「我がプラハは、神聖ローマ帝国の頭(カプト)である。先ごろプラハ城に入った皇帝と名乗る人物は、頭を持たぬ首なしで、一人前の男ですらない。彼は、自分の頭を取りに来て、その頭に拒絶されて途方にくれておるというわけだ。皆の者、大いに笑ってやろうではないか」

 ヘルチツェのオンドジェイ卿は、城攻めの際に投石で右肩に重傷を負い、旧市街庁舎2階の床に横たわりながら、窓越しにこの演説を聞いていた。広場からは、熱狂的な市民の歓声が響いてくる。

 「なんとも元気な説教師だな。彼の話を聴いていると、本当に勝てそうな気がしてくる」

 看護のために市庁舎を訪れていたトマーシュもまた、この演説を聴いていたのだが、彼は眼前に横たわる小貴族とは、やや違った感興を抱いた。

 「首なしか。・・・首なし幽霊を退治しに、みんなで『高い城』の下まで歩いたころが懐かしい。もう、あのような平和な時は帰ってこないのだろうか・・・」

 そこで、2人の目が合った。自己紹介を交わし、同時に喜声をあげる。

 「オンドジェイ卿でしたか。ご子息にはお世話になっています」

 「トマーシュくん、君の噂は、ペトルの口から兼ねがね聞いている。ここで会えるなんて、本当に奇遇だね。嬉しいよ」

 「今や、プラハ市は一丸となっています。卿は、いずれプラハの全市民と顔なじみになることでしょう」

 「ベロウンのイジーくんも、街に残っているのかね」

 「ええ、彼は新市街の自警団員です。今ごろ、東郊の防柵造りに精を出しているはずです」

 「うちのペトルは、ターボルという新しい街で聖務についておるそうだが・・・」

 「そのうち、彼も駆けつけてくるでしょう」

 そのとき、青い帽子やリボンを身に付けた人々が、階段を昇って続々と部屋に入ってきた。その先頭には、ヤコブとクララがいる。

 「あれ、君たち」

 「トマーシュさん、久しぶりだね」ヤコブが会釈した。

 「看護のお手伝いに来たのよ」クララが微笑んだ。

 「そうか」オンドジェイ卿はうなずいた。「ユダヤの人々も、我々に協力してくれるのだね」

 「プラハ市が陥落した場合、真っ先に虐殺の餌食になるのは、いつだって我々ユダヤ人ですからね」ヤコブが自嘲気味に言った。「何としても、皆さんに勝ってもらいたい」

 「今なら逃げられるよ」トマーシュは鋭く言って、そしてクララを見た。「早く逃げて」

 「どこへ逃げるというの」クララは、輝く瞳を医学部助教授に注いだ。「あたしたちには、この街が全てなのよ。プラハを捨てて行く所なんか、どこにも無いわ」

 「そうとも、40年前のあの日だって、我々は逃げなかった」ヤコブが目を伏せた。

 「40年前って?」トマーシュは、異教徒の友人たちの顔を交互に見た。

 ヤコブとクララは、顔を見交わしてため息をついた。そして、無言のまま仲間たちをうながし、その場に姿を見せた執政官に仕事の指示を貰いに行った。

 彼らの後ろ姿を見守りながら、トマーシュはオンドジェイ卿に問うた。

 「40年前に、何があったのですか」

 「君は、知らなかったのか。・・・まあ、プラハのチェコ人たちにとっては、早く忘れてしまいたい悪夢のような出来事だったろうから、親御さんが君に黙っていても無理はない」

 「まさか・・・」

 「そのまさかだ。あの頃は、ヴァーツラフ王の即位に際して、いろいろと政治的な悶着があったのだ。特に、カトリック教会の横暴は筆舌に尽くしがたいものがあってな。・・・私は、まだ少年で、しかも田舎の領地で生活していたから詳細は知らないのだが、ユダヤ人街で大虐殺が起きたらしい」

 「・・・ドイツ人の仕業でしょう」

 「そうじゃないんだ、トマーシュくん」オンドジェイは、優しい瞳を息子の親友に注いだ。「ユダヤ人を虐殺したのは、我々チェコ人だったのだ」

 「そんな馬鹿な。僕は信じません」トマーシュは、両手で頭を抱えた。

 「それを煽ったのは、言うまでもなく、当時のプラハ大司教とカトリック教会だ。彼らは、自分たちの威信が脅かされそうになると、すぐに問題の所在をユダヤ人に転嫁する。そして、民衆の怒りや信仰に対する疑問が、自分たちに向けられるのを避けるというわけだ」

 「・・・・・」

 「その昔、ペストが大流行したときは、もっと酷かったそうだ。ローマ教皇とその取り巻きは、ペストの発生をユダヤ人の謀略ということにして、自分たちの威信が崩れることを避けたというわけだな。・・・このとき世界中で、無実のユダヤ人たちが大量殺戮されたそうな」

 「信じられない・・・」

 「そして今、我々チェコ人が、ユダヤ人たちと同じ苦しみを受けようとしているのだ。我々は、キリスト教徒でありながら、今やユダヤ教徒と一蓮托生になったのだな」

 「勝たなきゃ」トマーシュは叫んだ。「いつまでも、いつまでも、そのような非道を許していてはいけないんだ。誰かが止めなくちゃいけない」

 「そのとおりだ」オンドジェイ卿は、そう呟いてから、肩の痛みに顔をしかめた。

 トマーシュは、いつしか上体を起こしていた卿を、優しく横たえてあげながら、ユダヤ人たちのことを思った。僕は、ヤコブやクララの良き友人だと思っていた。でも、彼らが歴史の中で味わってきた苦難について、少しも理解していなかったのだ。一からやり直そう。一から始めて、いつしか本当の友人になれるように努力しよう・・・。それしかない。

 そのとき、旧市街広場から、ひときわ大きな歓声があがった。

 「ターボルから援軍が到着した」

 「ジシュカ隊長が、プラハに帰ってきたぞ」

 この声を聞いたオンドジェイ卿は、肩の痛みも忘れて満面の笑顔を浮かべた。

 

 そのころ、皇帝ジギスムントと教皇特使、そして十字軍の将領たちは、今やプラハ城の大広間を埋め尽くしていた。既に小地区を完全に平定した彼らは、その鋭鋒をいよいよプラハ中心部に向けようとしている。

 「ヴルタヴァ川の対岸には、異端貴族たちが厳重な防衛網を敷いていますから、小地区側からの敵前渡河は難しいと思われます」ハンガリー貴族のドヴォー・マチャーシュは、卓上に広げたプラハ市街図を指差しながら言った。「しかしながら、プラハ市の東側は、天然の防壁は存在せず、しかも市民兵が守る手薄さです。我が主力軍は、北方からヴルタヴァを東へと渡河し、そして大きく市の東方に回りこみ、こちら側からの突破を志向すべきだと思われます」

 一同は、みなドヴォー卿の作戦に賛成した。実戦経験豊富なこのハンガリー貴族は、この十字軍の中で随一の戦略家だと思われていたのだ。

 「プラハの異端者どもは、この朕を『首なし』と罵っておるらしい」それまで黙って軍議を聞いていた皇帝は、上座から重々しく言った。「その『首なし』こそが、奴らの運命だということを、骨の髄まで思い知らせてやろうではないか」

 満座は大きくうなずき、そしてこの日の会議は解散となった。

 そのとき、広間から退出していく一同に逆らうように、偵察の将校が足早に入室してきた。

 「陛下、ヤン・ジシュカの率いる南ボヘミア軍が、プラハ市に入城した模様です」

 「そうか」皇帝はうなずいた。「これで、異端者を一網打尽に出来るというものだ」

 退出したと思われたドヴォーが、いつのまにか皇帝の傍らに寄り添っていた。

 「王よ、トロツノフのヤン・ジシュカが敵方なのですか」

 ドヴォーは、ハンガリー王でもあるジギスムントを「王」と呼んでいた。この二人は、ハンガリー軍を率いて共にトルコと刃を交じえた戦友の間柄のため、身分を越えた深い信頼関係で結ばれている。皇帝も、この貴族には気安い笑みを返した。

 「そのようだな。ヤン・ジシュカの勇名は、朕も兼ねて聞き及んでおる。しかし、異端に組した以上は、戦場で死なすのもやむを得ないだろうな」

 「王よ、奴は侮れませんぞ。私は、グリュンバルトの戦いで、彼と轡を並べたことがありますが、ヤン・ジシュカの用兵術は、まさに神業でした」

 「それは昔の話だろう」ジギスムントは言った。「今の彼は、武装農民を率いた野盗の親玉みたいなものだ。この十字軍の威力に抗えるはずはない」

 「そうだと良いのですが」ドヴォーは、胸中の不安を拭い去ることが出来ない。

 この翌日、十字軍の主力は密かに北方から回り込み、やがてプラハの東郊から、新市街の城壁を目指して進撃を開始した。

 この完璧な作戦によって、チェコの頑固な異端者どもは、鎧袖一触に粉砕されるものと思われていた。