第十六章 ターボル軍の来援

 

 

 喜色満面でターボル軍の入城を出迎えたプラハ市民は、やがて、その当惑顔を隠そうとしなくなった。

 ジシュカが引き連れてきたのは、穀竿や斧をかついだ2千人の農民の群れだったからである。この農民たちは、数十台の荷車や荷馬車を押しながらやって来た。その積荷は、食料や医薬品を除けば、細くて長い鉄の棒や黒光りする大きな筒だった。また、積荷を載せない空の荷台も多かった。

 待ち望んだ援軍が、得体の知れない農夫の群れだとは・・・。プラハ市民の多くは、期待はずれに落胆し、また、南ボヘミアの情勢も楽観できないことを悟ったのである。

 だが、総大将ジシュカは、意気軒昂たるものであった。その傍らには、従軍修道士ペトルが寄り添うように従っている。

 ペトルは、当初はこの従軍を嫌がった。しかし、他に人がいなかった。ターボルに十分な防備を残す必要もあって、ミクラーシュやプロコプはもちろん、アンブローシュやフースカといった高名な人材は、とても従軍することが出来なかったからである。

 また、ジシュカも熱心にペトルを誘った。

 「戦争を憎むのは良い。だが、戦争の実態を知っておくことは、今後のお前の修養にとって益することがあるだろう」

 「・・・私は、説教でみんなの戦意を高めたりはしませんよ。それでも良いのですか」

 「構わぬ。お前なんかの説教を必要とするほど、俺は兵を軟弱に鍛えていないからな」

 「分かりました。プラハに残してきた友人たちも心配ですし・・・」

 「そうとも、これで『神の戦士』の再結成が出来る」

 ジシュカはそう言って、からからと笑った。

 こうして、ペトルは今、懐かしいプラハにいた。

 しかし、かつては街の美観を際立たせていた教会や修道院は、その多くが破壊されて灰塵となっていた。もちろん、ジェリフスキーたち過激派の仕業である。そして、街全体が、殺気立った緊迫した空気に覆われていた。

 ジシュカは、2千名の農民兵を新市街の馬広場に集結させて点呼を行っている。その間、ペトルは懐かしさに誘われて旧市街への城門をくぐり、そしてプラハ大学の講堂の前に立っていた。

 おりしも、ピーター師が講堂から戸外に出てきたところだった。

 「あれ、あなたは、もしや」僧服のイギリス人は、意外そうな表情で立ち止まった。

 「お久しぶりですね、ピーター先生。昔の教え子だったヘルチツェのペトルです」

 「ああ、見違えました。髭など伸ばして、すっかり一人前になりましたね」

 「先生も、いつのまにかチェコ語が上手になりましたね」

 「あはは、この大学に移ってから、もう6年になりますもの」

 「私は今、新しいターボルの街で説教師をしています。先生も、この戦争が終わったら一度、遊びに来てください」

 「ああ、あなたは今回、ターボル軍の従軍司祭として来たのですか」

 「不本意ながら、そういうことです」

 「不本意ですか・・・ペトルくんがこの街を去ってから、私のように祖国を追われてこの街に来た人が大勢増えました。ドイツのヴァルミー派や、フランスのピカデリー派です。この街は、いいえ、この国は、正しい信仰を守る者たちの最後の砦なのです。ですからペトルくん、不本意などと言わないでください。正しい信仰が必ず勝利できるように、真心を込めて祈りを捧げてください」

 「分かりました」ペトルは、そう言って頭を下げた。彼には、そうすることしか出来なかった。

 「ペトルじゃないか」そのとき、懐かしいトマーシュの声が降ってきた。

 旧市街庁舎から講堂に戻ってきた医学部助教授は、ピーター師と立ち話中の薄汚れた髭男の正体に、たちまち気づいたのである。

 「どうしたんだよ、ペトル。その、むさ苦しい格好は」思わず吹き出してしまう。

 「真実の街では、みんなが農民なのだ。華美な礼服などは存在しないのだ」ペトルは、懐かしさで双眼を一杯にした。「トマーシュ、君は、少しも変わらないねえ」

 「トマーシュさんは、良く働いてくれています」ピーター師が笑顔で言った。「出不精の教授たちは、この人に助けられてばかりなのですよ」

 「へえ、あの理屈屋の医学生がなあ」ペトルは、黒い修士服を身につけた親友をジロジロと楽しげに見回した。

 「そんなことより、君の父上が、先週の城攻めで負傷して旧市街庁舎に伏せっているんだ。肩の打撲傷だから、命に別状は無いけれど、会いに行ってあげたら喜ぶぜ」

 「それは初耳だ」ペトルは驚いた。彼は、オンドジェイ卿がプラハに来ていることすら知らなかったのだ。「案内してくれ」

 ピーターと別れた2人は、旧市街広場まで走った。肩を並べて走りながら、2人は込み上げる嬉しさを堪えられなかった。学生時代の思い出が、懐かしく胸に浮かび上がってくる。

 しかし、市庁舎の前は、人の渦でごった返していた。なんでも、十字軍がヴルタヴァ川越しに攻撃を仕掛けてきたというのだ。市庁舎から負傷を推して出陣する者と、新たに担ぎこまれる負傷者とで、市庁舎から広場一円は大混雑だった。

 そのとき、旧市街広場の真ん中で、誰かが「革命の歌」を歌い始めた。

 

さあ、立ち上がれ、立ち上がれ、プラハよ、黄金の街よ

エルサレムを犯すバビロンの暴君を懲らすのだ

正しい信仰を守るため

剣もて悪を討ち滅ぼさん

 

 広場に集う群衆は、声を合わせて歌い始めた。その脈動は、この百塔の街を震撼させんばかりであった。天を突き破らんばかりであった。

 「勝てるよ、きっと勝てる」トマーシュは叫んだ。

 ペトルも、新鮮な感動で胸を一杯にして、大きくうなずいた。

 2人は、市庁舎の入口で包帯の束を抱えたクララに出会った。

 「あっ、ペトルさん」青いリボンで黒髪を捲いた娘は驚き、そして微笑んだ。

 「クララさん、君まで働いているなんて。この街は本当にたいへんなんだな」

 「随分と久しぶりね。あたしたちを助けに来てくれたんでしょう」クララは、薄汚れた修道士の風体を興味深げに見渡した。

 「そうとも、もう大丈夫だ」ペトルは、心からそう言った。

 「ペトルは、オンドジェイ卿に会いたいんだ。卿は、彼のお父さんなんだよ」トマーシュが、早口で言った。

 「ちょっと待っててね」クララは市庁舎の奥に入り、しばらくしてから出てきた。

 「その人は、プラハ橋(後のカレル橋)に出陣したそうよ。今ごろ、戦いの真っ最中に違いないって」

 耳をそばだてると、確かに風に乗って矢の音や剣戟の音が聞こえてくる。

 2人は、川辺に走った。

 あの美しいヴルタヴァ川は、今や飛来する矢の雨と、投石器から打ち出される巨石とで彩られていた。いつも浅瀬に群がっている水鳥たちの姿も、今日は見えない。

 幅600メートルのヴルタヴァ川は、かなりの急流だから、さすがにここを渡河しようという兵はいなかった。戦闘の焦点は、横幅10メートルのプラハ橋である。ヤン・クルムら中小貴族を中心としたフス派軍は、この石橋の中央にバリケードを築き、ここを頼りに十字軍を防ぎ止めていたのである。甲冑に身をまとった大勢の騎士たちが、バリケード越しに槍を繰り出して渡り合っている。橋の両端に立つ櫓からは、両軍の兵士たちが激しい矢戦を仕掛けていた。

 「君の父さんは、きっとあの中だね」トマーシュが、乾いた唇を舌で湿らせながら言った。

 「うん」ペトルは、緊張の生唾を飲み込みながら応えた。

 川沿いの建物の陰から戦況を見守る2人の眼には、対岸を埋め尽くす30か国の国旗が、この上なく不気味なものに思われた。万が一、プラハ橋が突破されようものなら、もはやあの大軍を防ぎとめる術はない。

 「ジシュカ将軍を呼んできなよ」トマーシュは、震える声で言った。

 ペトルは無言で頷くと、勝手知った新市街への近道を走った。

 しかし、馬広場に面した宿屋の一室で待機中のジシュカは、ペトルの報告を興味無さそうに受け流した。

 ペトルに続いて、貴族たちから援軍要請の使者が次々にやって来たが、ジシュカはやはり無反応だった。

 「あなたは、何をしに来たんですか」ペトルは、苛立たしげに隻眼の隊長を睨んだ。

 「ふふん、いつのまに戦争が好きになったのだ、ペトル」

 「そういう問題じゃないでしょう。俺は、ヴルタヴァ川越しに十字軍を見たんだ。あんなのが市内に突入してきたら・・・」

 「この街は焦土と化すだろうな」ジシュカは、事も無げに言った。「男は皆殺しになり、女はみな犯される。美術品や金銀財宝は、みな、あの野獣どもの懐に入るだろう」

 「・・・」ペトルは絶句した。「本当に、そこまでやるでしょうか」

 「やるとも、何しろ俺たちは異端なのだからな」

 「異端だって、同じキリスト教徒じゃないか・・・」

 「奴らは、そう思っていない」

 「そんな・・・殺生を禁じ、敵を許すのが、神の子イエスの教えでしょう」

 「カトリック教会にとっては、それとこれとは別なのだ」ジシュカは、唇をゆがめた。「俺は、戦場でいくらでも例を見ている。カトリック教会は、信徒を操るために二枚舌を使うのだ。平時には聖書を引用するが、戦時には飢狼の欲望を奨励する。だってそうだろう?世俗の利益が伴わなければ、命を捨てて戦争に行くバカはいないぞ。今度の十字軍なんか、その典型だ。略奪を暗黙のうちに奨励し、容認したからこそ、あんなに多くの兵士が集まったのだ。11世紀に敢行されたエルサレムに対する十字軍が、最後は野盗の群れと変わらなくなったのは、当然の成り行きだ。もちろん、今度のプラハもその標的というわけだ」

 「ひどい・・・」

 「今の教会の酷さは、お前も十分に知っていたんじゃないのか、ペトルよ」ジシュカは笑った。「あいつらを野放しにしておけば、やがてその触手を海外に向けるだろう。全世界が、カトリックの頚木に繋がれ、数多くの異教徒たちが苦しみの底に沈むことだろう」

 「許してはおけない」

 「そのために戦うのだ」ジシュカは言った。「これは、戦争を終わらせるための戦争なのだ。正しい神の教えを守るための戦争なのだ」

 「・・・だったら、どうして貴族たちを救援に行かないのですか」

 「まあ、もう少し待て。俺に考えがある」

 そのとき、小柄な影が、階段を昇って部屋に入ってきた。

 「ペトルさん、お久しゅう」

 「ああ、トチェンプロッツか」修道士は、懐かしい再会に破顔した。

 「ジシュカ隊長」その眼を蓬髪の大男に向け直した大泥棒は、乱食い歯を光らせて報告した。「新市街の東郊に、ハンガリー騎兵の斥候隊が現れよった。隊長の見込みどおりでんな」

 「ふん」ジシュカは微笑んだ。「敵の帷幕にあのドヴォーがいながら、川越えの正攻法をしてくるはずがないのだ」彼は、その顔を市の東側に向けた。「俺が奴でも、東に主力を回すだろう。つまり、ヴルタヴァ川の敵は陽動作戦だ」

 ペトルは、状況を呑み込めずに呆然としている。

 「トチェンプロッツよ、東の防備はどうなっている?」ジシュカが言った。

 「新市街の自警団が、城壁の外に簡易な防柵を構えています。あのイジーさんが、この方面の隊長格ですわ。どうしますか、城の内側に撤収させますか」

 「ベロウンのイジーか、奴なら、ここにいるペトルよりは役に立ちそうだな」ジシュカは、笑みを浮かべた。「戦場は、城壁の外でなければならぬ。小競り合いが始まったら、すぐに知らせろ。それが決戦の時だ」

 大泥棒は静かに微笑んで、その小柄な体躯を階下に消した。

 

 川べりから轟く剣戟の音を耳にしながらも、プラハ城の皇帝ジギスムントは、ボヘミア王への戴冠式の準備に余念が無かった。

 ボヘミア王国はヨーロッパの「臍」であり、プラハは神聖ローマ帝国の「頭」である。「ボヘミアを制する者は、よくヨーロッパを制する」のである。

 ジギスムントにとって、今回の征戦は、その野望の第一歩であった。彼は、神聖ローマ帝国の威信を極限にまで高め、自らが全ヨーロッパの総大将となり、そしてオスマントルコに決戦を挑むことを生涯の目的としていたのである。

 彼がコンスタンツ公会議でローマ教皇マルティヌスに恩を売り、教皇一派の政治力を弱めたのも、この野望を実現するための布石であった。しかし、その見返りにヤン・フスを火刑台に送り込まねばならず、そのために、今回の異端騒動が予想外の大事に至ってしまった。

 「だが、それももうすぐ終わる」

 秀でた額に手を置きながら、彼は礼拝堂の窓から美しい赤屋根が続くプラハの街を眺め渡した。

 「この美しい黄金の街は、ついに朕のものとなる。我が父カレル大帝の偉業は、ようやく朕のものとなるのだ」

 当然のことながら、彼は十字軍の勝利を疑わなかった。

 

 ドイツとポーランドの騎士団を主力に置く十字軍の精鋭は、7月14日には、プラハ市の東の城壁を至近に望む高台に占位していた。銀色の分厚い甲冑は、夏の陽光を浴びて黄金色の輝きを発している。ゆらゆらと立ち上る湯気は、彼らの汗であろうか。

 「しかし、暑いな」

 「早く甲冑を脱ぎたいものだ」

 「敵は、数の足りない市民兵や農民兵だ。すぐに蹴りがつくさ」

 「城壁の中が楽しみだ。なにせ、プラハは黄金の街だ。金銀財宝が山積みになっているに違いない。裕福なユダヤ人も多いらしいな」

 「チェコ人の女は美人ぞろいだが、特にプラハは物凄いぜ。味見の時が待ちきれねえよ」

 「おお、そうか。早く、突撃命令が出ないかなあ」

 重い甲冑に身を包んだ騎士たちは、長槍を抱えて愛馬に跨り、与太話をしながら運命の瞬間を待っているのだった。

 やがて、ハンガリー人の斥候隊が帰ってきた。城壁までは小高い丘が一つあるだけで、しかも、その防備は著しく手薄だという。

 「よかろう」第一陣の隊長であるウェストファーレン伯は、笑顔で頷いた。最初に略奪の栄誉に預かるのは、彼らドイツ人となるだろう。「攻撃開始だ」

 高らかなラッパの音と共に、全軍が進撃を開始した。騎士団と護衛の歩卒を中心に、その左右をハンガリーの軽騎兵が守る。少し置いて後陣を進むのは、徒歩立ちの弓兵部隊だ。

 そんな彼らの行く手に立ち塞がる小高いヴィトコフの丘を守るのは、イジー率いる新市街自警団50名だった。木製の柵の陰から、迫り来る十字軍の威容を見やる。

 「弱そうな奴らだぜ。さすがは『頭なし』の軍勢だ」着慣れない甲冑を身に付けたイジーは、込み上げる恐怖を必死に押し殺して、左右に言った。「あんな奴ら、勝とうと思えば簡単だが、いいか、今日は勝とうと思うな。頃合を見て、城壁へと退却するんだぞ」

 自警団員たちは、引きつった笑いを浮かべた。

 「早く退却した方が賢いかもね」石工のハシクは、ついつい弱音を吐いて、両脇の仲間たちから拳固を食らった。

 「根性を出せ、根性を」

 しかし、そんな彼らを圧倒的な鉄の暴力から守るのは、簡単な木の防柵のみ。手にする武器も棍棒や斧なら良い方で、飛び道具は石礫だ。これでは、とうてい勝負にならない。

 十字軍の攻撃を受けると自警団はたちまち壊走し、そしてヴィトコフの丘はあっという間に奪取された。

 イジーは、降り注ぐ矢の中を走り回り、事態が致命的になる前に仲間たちを撤収させようとしたのだが、運悪く逃げ遅れた者たちは、みなその場で斬り殺された。

 イジーをはじめ、生き残った傷だらけの自警団30名は、ほうほうの体で城壁に向かって逃げて行く。

 占領したばかりのヴィトコフの丘に陣取ったウェストファーレン伯は、流血の臭いを鼻腔に受けながら、陽光を浴びて白く輝くプラハ市の石の城壁を眺めた。

 彼の軍勢と城壁との間には、農具を抱えた数千人の農民の列が、そこかしこに置かれた荷車とともに、所在なげに屯しているのみで、もはや敵の戦力は破砕されたものと観察された。今しがた追い散らしたばかりの市民兵どもは、どうやらあの農民たちに合流したようだ。

 「あの百姓どもが邪魔だな。騎馬突撃で踏み潰してやれ」

 軽い気持ちで右手を挙げる。

 甲高いラッパの音色とともに、丘の上に勢ぞろいしたドイツ騎士団50騎は、その面当てを目深に被り、勇ましく丘を駆け下ったのである。

 これが、世界の歴史を変える一戦になろうとは、誰もが夢想だにしなかっただろう。

 彼らの行く手を塞ぐ農民たちは、怒涛のごとき突撃を見ても、逃げようとしなかった。訓練された動きで列を組むと、それまで無秩序に置かれてあった荷車を横一列に並べ始めた。

 十字軍騎士たちは気づかなかったのだが、この荷車は普通の荷車ではなかった。ところどころを鉄板で補強され、しかも前後に金具と鉄鎖が装着されており、互いにがっちりと連結できるよう工夫されていたのだ。

 こうして、荷車の列はあっという間に堅固な城壁と化した。

 意外な成り行きで突撃を塞き止められた騎士団は、慌てて手綱を引き絞り、愛馬を荷車の前に漂わせた。

 その次の瞬間である。

 天を劈く轟音とともに、周囲は硝煙に包まれた。

 悲鳴と馬の嘶きが響きわたり、そして地表は人馬の死骸の山に埋まった。

 十字軍の第一陣は、一瞬にして壊滅した。

 

 丘の上のウェストファーレン伯は、いったい何が起きたのか理解できなかった。

 ただ、眼前の農民兵が、見かけ以上の猛者だということだけは分かった。

 彼は後陣に使者を送り、騎士団の精鋭を、全てこの丘に集結させることにした。数の力で、生意気な農民兵を押し潰そうとしたのである。

 一方、荷車で造った防塞の反対側では、ヤン・ジシュカが、冷ややかに丘の上に棚引く十字軍旗を見ていた。彼が工夫した「車砦」の陰には、300丁のピーシャラチを抱えた農民兵たちが、息を潜めて伏せている。

 ジシュカは、射撃隊を射撃実行班と銃身掃除班と発射準備班の3班に分け、これらを有機的にローテーションさせることで、鉄砲の間断ない一斉射撃を可能にしていた。そして、鉄砲隊にその時間的余裕と準備空間を与えるものこそ、強化された荷車「車砦」による防柵だったのだ。

 まさに天才的な戦術。

 軍事に素人のペトルにも、そのことは良く分かった。

 あれほど強そうだった50騎もの騎士団が、一瞬にして銃弾に撃ち抜かれ、あるいは愛馬に振り落とされて戦闘不能になってしまった。ほとんど、魔法を見ているとしか思えなかった。

 「すごいな」イジーは呟いた。「ペトルよ、お前、知っていたか、こんな戦法があるなんてさ」

 「知るわけ、ないだろう」肩を竦めたペトルは、久しぶりの再会が、戦場でのこんな会話になるのが不本意だった。

 先の戦いから命からがら逃げてきたイジーは、自警団ともどもジシュカ軍に収容され、今やその帷幕の人となっていた。そして、イジーの自警団の敗走は、敵を慢心させ、こちらに安易に突撃させるためのジシュカの作戦だったのである。まんまとこれに引っかかった十字軍は、その先鋒が壊滅させられて引っ込みが付かなくなったから、いずれ総攻撃を仕掛けてくるだろう。

 それこそ、まさにジシュカの思う壺であった。

 「イジー、お前の仲間たちは、弓は使えるか」ジシュカが尋ねた。

 「ううむ、訓練はさせたけど、全然上達しないんだ。・・・俺を含めて」

 「それでも、射距離が2メートルなら当たるだろう」

 「多分ね」

 「ならば、お前の自警団には弓隊を受け持ってもらおう」ジシュカは言った。「標的は、主に敵の歩卒だ。荷車に近づく奴を射倒してくれ」

 「なるほど、了解した」イジーは力強くうなずいた。

 「ペトル」ジシュカは、今度は修道士を向いた。「兵たちに何か話して、勇気付けてやってくれないか」

 「・・・俺の説教なんか、要らないんじゃなかったのかい」

 「あれは冗談だ」

 「戦争を奨励するなんて、俺には出来ないよ」ペトルは、首を左右に振った。

 「いつかの話の続きだがな」ジシュカは、ぽつりと語り始めた。「俺は、昔は略奪と放火を好む傭兵だった。それが楽しみで戦争に参加していたのだ」

 耳を疑うペトルの心に、隻眼の武人の声は重く圧し掛かる。

 「ポーランドやリトアニアで、俺の傭兵団はいくつもの村々を焼き払った。また、この地でのドイツ騎士団との戦闘では、捕虜にした兵士を嬲り者にした挙句、高値で商人どもに売り飛ばしたものだよ」

 「・・・・・」

 「リトアニアのある村で、俺はある上流婦人を陵辱しようとした。背中に飛び乗って邪魔する奴がいるから、それを荒々しく跳ね飛ばしたら、なんと、年端もいかぬ少女だった。首の骨を折って死んだその子は、俺の膝下で泣き喚く婦人の娘だったのだな。それを見た婦人は、半狂乱になって自らの舌を噛んで死んだ」

 「・・・・・」

 「俺は、そのとき悟ったのだ。もう神の恩寵は受けられない。俺の魂は薄汚れ、そして地獄の業火の中で焼かれる運命なのだとな」

 ジシュカは、目を落として唇を湿らせた。

 「俺が傭兵団を解散してプラハに来たのは、その事件が契機だった。そして、ベトレヘム礼拝堂で、フス師に出会ったのだ。フス師は、俺の懺悔を受け止めて、優しく教えてくれた。罪を罪として受け止めることの大切さ。そして、贖罪の大切さを」

 「・・・フス先生が」

 「俺は、残りの人生を贖罪に捧げることにしたのだ。・・・この世界を埋め尽くし、今この瞬間にも増殖し続ける病んだ人心の大元には、教会の腐敗がある。そう確信した俺は、フス師を助けて教会改革に邁進する決意をしたのだ。そしてヴァーツラフ王に頼んで、王宮の護衛隊長に任命してもらったというわけだ。お前に出会ったのは、ちょうどその頃だった」

 「・・・・」

 「俺は、結局、コンスタンツでフス師の命を救うことはできなかった。しかし」その隻眼は、ヴィトコフの丘を埋め尽くす十字軍の旗に注がれた。「この命に代えても、その教えを守り抜いてみせる。それこそが、この俺の使命なのだ。この人生の意味なのだ」

 ペトルは、両目に浮かんだ涙を見られないようにしながら、この指揮官の前を離れた。そして、荷車の配置換えや鉄砲の整備に忙しく追われている人々の前に立った。

 「みんな、聞いてくれ」修道士は、ヴィトコフの丘を指差しながら叫んだ。「もうすぐ、巨大な敵が、あの丘から攻め降りてくるだろう。みんなの命ごと、この黄金の街を焼き滅ぼそうとするだろう」

 農民兵たちは、いつも穏やかなペトルが鋭い語調で話すのにとまどったが、その作業の手を休めることなく耳を傾ける。

 「あの凶暴な力は、人を殺すだけじゃない。街を滅ぼすだけじゃない。この国で生まれた正しい神の教え、正しい人の世の真実を捻じ伏せようとしている。フス先生やイエロニーム先生を焼き殺しただけでなく、この世界に生きる全ての正しい魂を焼き尽くそうとしているのだ」

 農民兵たちの表情に、暗い憤怒が浮かぶ。

 「そのような非道を許してはならない。正しい神の教えを見捨ててはいけない。みんな、力を合わせて戦おう。心を合わせて戦おう。あの悪魔どもを打ち負かし、そして『真実』を守り抜こうじゃないか」

 聴衆たちは、声を合わせて歌い始めた。最近出来たばかりの、ターボル軍の軍歌を。

 

神の戦士であり神の法である汝たちよ

神の加護を祈り、神を信じなさい

そうすれば神の恩寵がもたらされ、

勝利がその手に舞い降りるだろう

 

 彼らは、歌いながらも作業の手を休めない。いつしか、車砦は補強され、新市街の城門を背後に置く半円形の堅陣となった。

 兵たちの歌声はやがて最高潮となり、天を衝くばかりの勢いとなった。

 「やるなあ、ペトル」荷車の陰で、クロスボウを番えながらイジーは呟いた。「ジェリフスキーを超えたな。まるでフス先生の再来のようだぞ」

 今や士気横溢のターボル軍の準備は万全だ。

 総大将のジシュカは、側近のオチークやパヴェクとともに、半円形の車砦の最後方に仁王立ちとなり、砦のあらゆる位置に眼を凝らしている。

 砦の後ろでは、総勢300名の銃兵が、互いに打ち合わせをしながら頷きあっている。3人一組の彼らは、一人が射撃、一人が銃身掃除、最後の一人が弾込めといった役割分担になっていた。

 銃兵の隙間には、イジーの新市街自警団30人が、ジシュカからもらったクロスボウを抱え、ターボル軍の200名の弓隊の中で息を潜めている。

 その後方には、約2千名の農民兵が、穀竿や斧を手にしながら突撃の機を待つ。

 さらにその背後には、ジシュカの「切り札」が5基設置されていた。

 正午の陽光を迎え、丘の上の敵陣はやにわに慌しさを増していった。

 「異端者どもめ」指揮所のウェストファーレン伯とクラコフ卿は、忌々しげに農民兵どもを見た。「どんなに足掻いても、我ら戦争のプロには適わないことを思い知るが良い」

 進軍ラッパの音と共に、総勢5千を数える騎士たちは、その数倍の歩卒を伴いながら、丘を攻め降りて行った。