第十章 亡命

 

 

 ヒトラーのもっとも古い同志の一人、エルンスト・ハンフシュテングル報道局長は、近頃の党と国家のあり方に、深い疑念を抱いていた。国内問題をおろそかにし、外交で点数を稼いでばかりいるヒトラーのやり方も気に入らなかった。

 また、離婚という個人的な問題にも悩まされていた。長年連れ添ったヘレナと、決定的な諍いを起こしてしまったのである。

 「個人的な問題は二の次だ。とにかく、総統に会って、彼の目を覚まさせなければ」

 意を決して、ベルヒテスガーデンの山荘(近頃ベルクホーフと名付けられた)を訪れたハンフシュテングルは、女主人のエヴァ・ブラウンに出迎えられた。

 「やあ、ブラウンさん。総統に会いに来ました」報道局長は、笑顔で手を差し伸べた。

 「お久しぶりですね。上がってお待ちになってね」エヴァは、その柔らかい手で握手すると、人好きのする微笑で珍客を招き入れた。

 この山荘は、もともとヒトラーの姉アンゲラが管理していたのだが、この姉は先頃再婚することになったので、エヴァが後任に収まったのである。ハンフシュテングルは、上機嫌のエヴァの様子に心和ませたが、彼はヒトラーとエヴァの関係を知らなかったので、恋人といつも一緒にいられる喜びを発散させている彼女の深層には思い当たらなかったのである。

 さて、応接間で待つことしばし、現れたのはヒトラー本人ではなく、秘書のマルチン・ボルマンであった。

 ハンフシュテングルは、この男が大嫌いだった。何の能力もないくせに、野太鼓のようにヒトラーの周りに侍り、おべっかを使いまくる。ヒトラーがそれを望むなら、靴だって舐めることだろう。しかし、この卑屈な小男を怒らせるわけにはいかない。こいつに睨まれたら、エッサーやローゼンベルクのように左遷させられてしまうだろうから。

 「情けない。俺のような古参でさえ、こんな奴を通さなければ総統に会えないのか」内心で歯噛みした報道局長は、大嫌いな秘書に連れられて総統の部屋に入った。

 ヒトラーは、チョッキ姿でハッカ入りの紅茶を啜りながら、ソファの上で報道局長を迎えた。その足下には、大きなマスチーフ犬が寝そべっている。

 「久しぶりだね、エルンスト」総統は、にこりともせずに言った。「このお茶は、なかなかいけるよ。君もやりたまえ」

 向かい側の椅子に腰を降ろした大柄な紳士は、勧められるままに一口やって顔をしかめた。なんだ、この味は。

 「お気に召さないようだね」ヒトラーは、またもや気のない表情で言った。「奥方のことも、そんな表情で棄てたのか。あんな素晴らしい女性を」

 「それは」ハンフシュテングルは、怒りを抑えて言った。「私の家庭の問題です。総統には関係ありません」

 「それは冷たい言い方だな。家族同然だったのに。・・エゴン君はどうしてる」

 「彼は、私が引き取りました。今年からヒトラー・ユーゲントに入れる予定です」

 「あの子は、母親に似ているから、きっと素晴らしい人物に成長するだろう」

 ヒトラーの皮肉たっぷりの言い方に少なからず腹が立ったが、ハンフシュテングルは構わずに思いの丈をぶちまけた。党内で日常的になりつつある汚職や不正。あまりにも制限されている庶民の自由。街頭で行われている非道なユダヤ人いじめ。ゲシュタポの横暴。政府高官の見るに耐えない奢侈。

 「国家社会主義の理想は、急激に形骸化しつつあります。総統、再び立ち上がって、世の不正を懲らしてください」

 「エルンスト」総統は、哀れむような目で古参の友人を見た。「国家社会主義は完成したのだ。何をいまさら・・」

 「総統の目は、曇らされているのです。茶坊主のボルマン、肥大漢のゲーリング、好色漢のゲッベルス、冷酷漢のヒムラーを遠ざけてください。さもないと・・」

 「彼らの不徳は、私だって知っている」ヒトラーは、首を左右に打ち振った。「国家社会主義の現状とそれとは、もはや何の関係もないのだ」

 「どういうことです・・」

 「私の目標は、今や次の段階に入ったのだ。国家社会主義ドイツの建設は、そのためのステップに過ぎない」

 「次の段階ですって、それはベルサイユ体制の打倒と、民族自決なのでは・・」

 「それもステップの一つさ。国家社会主義も反ベルサイユも、私にとっては道具の一つでしかないのだ」

 「総統の目的とは、それでは一体なんなのですか」報道局長は、蒼白になった頬を硬直させた。

 「『我が闘争』に書いてあるとおりだよ。ヨーロッパのあらゆる共産主義勢力と、それを操るユダヤ人秘密結社の撲滅だ」ヒトラーは、恍惚の表情で拳を振り上げた。「私はかつて、野戦病院のベッドの上で誓った。先の戦争で、我がドイツを敗北に追いやった者どもの抹殺を。ユダヤとアカの生存は、絶対に許されないのだ」

 「そうだったのか」ハンフシュテングルは、絶句した。「大衆のための政治というのは偽装だったのか・・」

 「偽装ではない。ユダヤとアカの撲滅は、全世界の正義、大衆のための正義なのだ。短期的には、大衆は不幸な思いをするかもしれない。だが千年の後には、全世界の大衆が、この私を救世主として讃えることだろう。だからこそ、短期的な国内政治の挫折は、何の問題にも障害にもならないのだ」

 「なるほど・・経済相のシャハト博士が言っていました。財政支出があまりに多く、財政不均衡が生じつつあると。軍事費が多すぎるのだと。あなたは戦争を始めるつもりなのですね」

 「そうだ」ヒトラーは頷いた。「共産主義ソ連を倒すのだ。彼らを操るユダヤを滅ぼすのだ。世界の大衆のために」

 報道局長は、項垂れ、そして静かに退出した。古参の闘士にとって、総統の言葉はあまりにも重すぎたのである。

 

  2

 

 絶望し、混乱したハンフシュテングルを待っていたのは、新たな任務であった。報道主任として、スペイン内戦の取材をしろと言うのだ。軍の爆撃機が、直接現地に送ってくれるという。

 「オーストリア公使として飛ばされたパーペン氏のように、実質的に左遷させられるわけだな」自嘲気味に呟くハンフシュテングル。しかし、彼の考えはまだまだ甘かったのだ。

 ところでスペイン内戦は、1936年7月に始まった。社会主義共和国(人民戦線政府)の失政に不満を持つ軍部が、武装蜂起したのである。しかし、当初は政府軍が優勢で、スペイン本土の反乱軍はたちまち鎮圧されてしまった。

 そんな反乱勢力の最後の希望は、スペイン領アフリカ(モロッコ北部)に陣取る、フランシス・フランコ将軍ただ一人であった。だが、フランコ軍は、制空権と制海権を持たないため、ジブラルタル海峡を超えて本土に侵攻することが出来ない。そこでファシズム(全体主義)を信奉するフランコは、同じ志を持つ先輩、イタリアのムソリーニとドイツのヒトラーに支援を要請したのである。

 イタリアとドイツは、この要請を快く受け入れ、フランコ軍を空輸するための空軍や、戦闘を支援するための地上部隊をただちに派遣したのであった。こうして、反乱軍の破竹の進撃が始まった。フランコ軍と政府軍は各地で激闘を繰り返し、窮した政府軍は、ソ連に救援を要請した。かくして、スペインの荒野は、ファシズム連合軍と社会主義連合軍の代理戦争の場と化したのである。

 そして、この戦争には、各地から反ファシズムの義勇兵が参加し、義勇兵の一人であったヘミングウェイによる『誰がために鐘は鳴る』等の傑作文学も生まれ、ピカソの『ゲル二カ』の題材にもなった。

 だが、この戦争で、ドイツは大きな利益を得た。新兵器の実験や兵員の訓練を行えるのはもちろん、イタリアとの連帯を強めることで、ベルサイユ体制に大きな亀裂を生むことが出来たからである。

 当時、経済的苦境を乗り切ろうとエチオピアを侵略したイタリアは、国際的に孤立していたので、ドイツの差し伸べる手を、感謝の気持ちを込めて押し頂いた。スペイン内戦での共闘はこの傾向を強め、ムソリーニは12月、国民に向けて叫んだ。

 「ベルリンとローマは、欧州を回す軸となるであろう」

 この演説から、後に枢軸国という言葉が生まれるのである。

 さて、何の疑いも持たずにユンカース爆撃機に乗り込んだハンフシュテングルだったが、離陸後間もなく、操縦士の何か言いたげな態度が気になった。

 「どうして、そんな顔で私を見るのだ」

 「・・エルンストさん、この飛行機は、これからスペイン政府軍の陣地の上空に飛びます。そして、あなたはそこから落下傘降下しなければなりません」

 「なんだって」あまりのことに、大柄な紳士の顔は歪んだ。「私に死ねというのか」

 「すみません、これはゲーリング閣下直々の命令なのです」

 「そうか、そういうことか・・」

 報道局長は、もはやこの国に自分の居場所が無いことを知った。

 だが、幸いなことに、操縦士はハンフシュテングルに同情的だった。飛行機の故障を装って付近の飛行場に緊急着陸してもらい、それから、急用が出来たと称して汽車に乗り込んだ。行く先はスイスである。彼はかねてこのような事態を予想していたので、息子との間に合い言葉を決めていた。そして、父から電話で合い言葉を聞いたエゴンは、生まれ故郷との永遠の別れを決意する時を知った。

 少年は、大急ぎで荷造りをした。何よりも大切にしていた総統のサイン入りの写真は、もう数十枚にもなる。総統は、小さな頃から彼の憧れだった。総統も、実の子供のように接してくれた。

 「僕の総統」エゴンは、写真に向かって語りかけた。「僕はあなたが大好きでした。あなたは、ドイツの恩人である以上に僕の英雄です。でも、お別れです。もう二度とお目にかかることは無いでしょう。それではさようなら。本当に、さようなら」

写真の上に、少年の大粒の涙が滴り落ちた。

 近所の目を気にしながら家を滑り出した彼は、スイス行きの急行列車に乗ると、急いでトイレに身を隠した。そして、目的地に到着するまで、人影に怯えながら不安な時を過ごした。

 無事にスイスで合流した親子は、アメリカ大使館に向かい、亡命の手続きをした。ハンフシュテングルの母親はアメリカ人なので、そこに世話になる手はずであった。

 「国家社会主義は、間違っていない」傷心の父親は、大西洋を進む客船の船室で、強く言い切った。「しかし、このままでは戦争になる。私は、ドイツ国内で悲劇を食い止める事が出来なかったけれど、せめて新天地で、何らかの努力をしなければならぬ」

 「お父さん」エゴンは、潤む目で父を見やった。「お母さんは大丈夫かな。ひどい目にあってないかな」

 「大丈夫だ。総統は、私と離婚したことで、前よりもヘレナに好意を感じているはずだ。厄介なことにはならないよ・・」

その判断は正しかった。ヘレナは、ヒトラーの古い友人として、優遇され続けるのである。

 

  3 

 

ハンフシュテングルの亡命は、事情を知らないヒトラーを大いに驚かせた。

「どうしたというのだ。なんでいきなり・・」

 「スペインでの仕事が嫌だったのでしょう」秘書のボルマンが、すかさず答えた。「彼は、外国通であることを鼻に掛けて、総統に苦言ばかりしていました。いなくなって良かったじゃあないですか」

「彼は、古参の同志だったのに」

ヒトラーは、遠い目をして沈思した。  

 古参の報道局長の出奔は、彼に少なからぬ影響を与えた。もはや遠慮はいらない。ヒトラーは、国防軍に1942年までの戦争準備を指示し、そのための経済政策『四カ年計画』を提唱し、ゲーリングをその責任者に任命した。このころから、彼の侵略政策は、現実的な形を取り始めたのである。

しかし、経済相のシャハトは、勇気をもって諫言を行った。

 「これ以上の軍事費の増大は、国家経済の破綻を招きます。国家予算の半分が軍事費の国家なぞ、前代未聞ですぞ」

「ドイツは、強くならなければならぬのだ」

「それでは、どうしても戦争をなされるおつもりか」

 「そうだ。東方に生活圏を獲得しなければならぬ。合成石油と人造ゴムの開発が、コスト高によって失敗に終わった以上、希少な生産資源は、力ずくで他国から奪わなければならないのだ」

 「輸入なされば良いではありませんか。我が国の重工業の水準は、今や世界一です。輸出品目には事欠きません」

 「博士、あなたは先が見えていない。将来の輸出市場は、アメリカと日本の独壇場になるだろう。アメリカは異人種のごった煮だし、日本人は二流民族だ。しかし、残念なことに彼らは優秀だ。世界経済という一定のパイを、彼らのような強力なライバルたちと争う状況は、決して好ましいものではない。輸出戦略は、国家をじり貧に追いやるのみだ。アメリカと日本に長期的に対抗するためには、ドイツは多くの人口と豊富な資源を擁する大帝国になっていなければならないのだ。領土拡大、その前提としての軍備は不可欠だ」

 「恐ろしいことです・・」老博士は、がっくりと項垂れた。

 当時の経済情勢を俯瞰して見ると、ドイツの労働者は、ヒトラーとシャハトの画期的経済政策によって失業から開放されていた。有効需要は十分に喚起され、市場は活性化した。しかし、なまじ経済規模が拡大したために、国家が十分に必要とする原材料などの生産資源の確保が困難になったのである。当時、リビアの油田などの多くは発見されておらず、全世界の生産資源は不足気味であったので、主要国の政治家は、将来に強い危機感を持っていた。しかし、イギリスやフランス、そしてアメリカなどの植民地帝国は、既に広大な領土(と資源)を保有していたため、自国の経済圏をブロック化し、自国の取り分を確保することが出来た。しかし、富裕な植民地を持たないドイツ、イタリアや日本は、経済圏を確保するために、新たな植民地を創り出すしかない状況に置かれていたのである。「持てる国」と「持たざる国」との対立構造は、いよいよ明確になってきた。

 また、ナチスドイツは、そのイデオロギー上の理由から、生産資源の輸入という点で大きな問題点を抱えていた。かつて、ワイマール政府は、ソ連と秘密経済協定を結び、石油、穀物といった重要資源の輸入確保に成功していた。しかし、反共を打ち出すヒトラー政権の誕生は、ソ連との国交を断絶させてしまい、広大なロシアからの輸入の道が途絶してしまったのである。

 以上のことは、ドイツ国民一人当たりの所得の減少をもたらす。ナチス政権は、この問題を解決しなければならなかった。

 手段は二つ。輸出による経済戦争か、軍事力による直接戦争か。ヒトラーの選んだ選択肢は、後者だったのである。東方植民地政策。これは、彼が若い頃から繰り返し提唱してきた反共のスローガンにも一致するため、彼の政治家としての使命感とも矛盾しないし、ドイツの伝統的な帝国主義の方針とも軌を一にする。

 ここに、軍需工場はフル稼働を始めた。ゲーリングは、四カ年計画の美名の下に、生産効率を度外視した過剰生産を行ったため、ドイツ国内の貧困化にますます拍車がかけられた。正義感の強いシャハトは、各地で講演会を開いて、ゲーリングのやり方を露骨に非難した。しかし、そのことによる代償は大きかった。「老練なる魔術師」は、経済相を辞任に追い込まれたのである。

 だが、国民は、まだヒトラー総統を信じていた。彼らの不満はゲーリングら側近に集中したが、総統は少しも悪くないと思い込んでいたのである。

 戦争国家への道を歩むドイツは、似たような境遇にある日本やイタリアとの連絡を強めていた。これら三国は、行き詰まった経済危機を、軍事侵略によって解決するという共通の世界観で結ばれていたのである。

 しかし、ドイツにとって、ヨーロッパの覇権の鍵は、あくまでもイギリスにあった。ヒトラーの野心は東方にあったため、西方の安全はイギリスによって担保されねばならなかった。しかし、1936年12月、国王エドワード8世の突然の退位は、ナチスの世界戦略に大きな陰影を投げかけた。親独主義者として知られるこの国王は、シンプソン夫人と恋に落ちたのだが、イギリスの憲法は、国王と未亡人の結婚を認めていなかった。王冠か恋か。そして国王は、恋を選択したのである。これは、『王冠を賭けた恋』として全世界にセンセーションを巻き起こした。

 「信じられぬ」ヒトラー総統は、大いに動揺した。「一人の女のために、国家に対する責任を投げ捨てる人物がいるとは思わなかった」

 こうして、イギリスとドイツの間に、すきま風が吹き始めた。イギリス政府の無制限の好意は、もはや期待できない。危機を打開するためには、外交的詐術を用いるしかなかった。

 

  4

 

 一方、アメリカに落ち着いたハンフシュテングルは、旧友のスミス外務武官と再会し、ドイツの国内情勢について詳細に説明した。

 「ご苦労だったね、エルンスト」

 「いいや」ハンフシュテングルは、首を左右に打ち振った。「本来なら、俺は祖国に止まるべきだったんだ。逃げ出してしまっては、何の解決にもならない。ナチスをここまで大きくしたのは、この俺にも責任があるからね」

 「まあ、そう言うな。命を落としてしまったら、どうにもならないだろう。それにアメリカにいたって、出来ることはあるはずだ」

「ありがとう、スミス」

 だが、ハンフシュテングルの恐れを余所に、1937年の国際情勢は平穏そのものであった。ナチスドイツは、来るべき将来に備えて力を蓄える時期に入ったのである。

 ヒトラー総統は、各地で積極的な講演活動を行い、余暇は演奏会や美術展を楽しんだ。建築に造詣が深い彼は、友人の建築家シュペーアと、ベルリンの都市改造計画について熱心に語り合った。

 この年の夏には、いわゆる頽廃芸術展が開かれた。ヒトラーの個人的趣味に合わない抽象絵画などがその対象とされたのだが、客の入りは良かった。なにしろ、ピカソのような名画ですら、頽廃芸術に認定されたのであるから、ピカソらの愛好家はこぞって見に行った。「見せしめ」のための展覧会は、逆効果だったのだ。しかし、ヒトラーの個人的趣味で思想統制がなされるのは行きすぎである。ナチスの体制も、少しずつ行きすぎが目立つように成ってきた。

 この年の秋には、イタリアのムソリーニが、初めてベルリンを訪れた。彼は、当初はヒトラーを軽蔑し、オーストリア問題を巡って対立関係にあったのだが、この頃は両者の間に友情さえ生まれつつあった。ムソリーニは、ドイツ軍の勇壮なパレードに感激し、またドイツ国民が、ナチスの元に完全に統合されている有様に驚嘆した。イタリアの独裁者は、感動のあまり、ヒトラーにオーストリア問題の解決について示唆した。すなわち、ドイツによる併合を認めると言うのだ。

 ヒトラーは、またしても自信を得た。

 そして、1938年2月5日、新聞に目を落としたハンフシュテングルは、あまりの事に我が目を疑った。

 ドイツ政府は、国防相ブロンベルクと参謀総長フリッチュを、それぞれ女性問題と男色趣味を名目にして弾劾し解任するに至ったのである。さらに、有能な外務大臣ノイラートも辞任に追いやられ、顧問の地位に退いたという。

 国防相はヒトラーが兼任する事になった。彼を補佐する国防軍総司令部(OKW)長官カイテル将軍は、ラカイ(おべんちゃら)テルと渾名されるほど総統に忠実であった。また、外相を継いだのは、これまたヒトラーに忠実なリッベントロップであった。

 だが、ブロンベルクらを讒言して破滅させたのは、例によってゲーリングとヒムラーであった。彼らは、ブロンベルクの新妻が、若い頃に生活苦に悩んでヌード写真を撮らせていたことを知り、これをスキャンダルに発展させて要人の地位を奪おうと目論んだのである。ただ、フリッチェの男色趣味というのは、でっちあげの冤罪であった。

 ヒトラーは、幹部たちのどす黒い野心を見抜いていたが、レーム粛正のときと同様、混乱に乗じて己の地位の向上を図り、彼らの行動を黙認したのである。その結果、ヒトラーの支配力は大いに高まったのである。ゲーリングらは利用されただけに終わり、国防相の地位を手に入れた総統は、今やドイツ全軍を思いのままに操ることができる立場となったのだ。

 「間違いない。ブロンベルクらは、総統の戦争計画に内心で反対していたので更迭されたのだ。ああ、事態はもはやここまで来てしまったのか」

 ハンフシュテングルは、遠い異国の大地にはらはらと涙を落とした。