第二十章 神々の黄昏 

 1

 

 暗殺計画の後、負傷した総統を治療したブラントとギージング両医師は、総統の健康状態が憂慮すべき状況であることを知った。そして、口実を設けて検査を重ねた彼らは、驚くべき結論に達したのである。

 ヒトラーは、内蔵に重大な障害を起こしており、明らかに黄疸の症状が見られた。また、ひっきりなしに震える腕は、パーキンソン病の症状を意味する。これらの病気は、患者の思索力や集中力を破壊し、建設的思考を停止させる特徴を持っている。しかも、総統は1941年末から病魔に冒されていた形跡が濃厚だ。何ということか・・。

二人の医師は、ヒトラー専属のモレル医師を弾劾した。

 モレルは、薬学に疎いくせに、副作用を伴う劇薬を四六時中患者に服用させていたのである。彼が処方した興奮剤や睡眠剤の中には、猛毒のストリキニーネやアトロピンが多く含まれていた。

この医師のために弁護しなければならないが、黄疸はともかく、パーキンソン病の治療法は当時発見されていなかったので、覚醒剤の投与以外に処方箋は無かったろう。問題は、覚醒剤の処方の仕方が出鱈目だったということである。

 結局、モレルは追及を免れた。彼はボルマンと親しかったので、彼の権勢を利用して、逆にブラントとギージングを追い払う事に成功したのである。

 モレル医師は、エヴァの紹介によって、6年前から総統の主治医の地位にあった。彼は、クーデターグループとは無関係で、患者を毒殺するつもりで投薬していたわけではなかった。単なる薬学音痴の医師だったのである。

 それにしても、高度な独裁体制国家では、独裁者の能力が国家の全てを左右する。その独裁者が、数年前から病人だったとは何たること。第二次大戦の勝敗を決めた人物は、実はモレル医師だったのかもしれない。

 

 2

 

 だがヒトラー総統は、黄疸で黄色く腫上がった頬を引き締め、最後の賭に撃って出る決意を固めた。

 1944年12月16日、ドイツ軍最後の予備隊は、ベルギー国境のアルデンヌの森から、アメリカ軍に奇襲攻撃を仕掛けたのである。いわゆる「バルジ(突出部)の戦い」である。

 折からの曇天で、優勢な連合軍機は飛び立てない。新型重戦車「虎U世」を先頭に立てたドイツ軍五個師団は、油断しきっていたアメリカ軍を粉砕し、初日に1万人を捕虜にしたのである。

 時を合わせて、アントワープとロンドンに向けて、新兵器V2が発射された。この人類史上初のミサイルは、成層圏まで飛来してから超音速で目標に命中するので、阻止することは不可能だった。積まれた弾頭が核ではないことが、狼狽する連合軍にとって唯一の慰めであったろう。

 また、曇天の隙間を縫って出撃した連合軍空軍機は、未知の試練に直面した。ドイツ軍は、史上初のジェット戦闘機Me 262を繰り出して迎え撃ったのである。この新型機は、音速近い速度で飛来するため、空中戦では無敵の威力を発揮した。ジェット機に追いつける能力を持った連合軍空軍機は、この時点では皆無だったのである。

パニックに陥る米英軍。

970両のドイツ戦車は、怒濤のような勢いでミューズ河を目指した。1940年の電撃戦を再現し、北の英軍と南の米軍の間に楔を打ち込み、両者を分断撃破するのが作戦の目的だった。

 「米英軍は、長い闘いで疲れ切っている。ここで痛撃を与えれば、彼らは我が国との交渉のテーブルに付く気になるだろう。彼らだって、これ以上のソ連の西進には不安を感じているはずだ。欧州の赤化を避けるためには、ドイツと単独和平して共にソ連と戦うしか道がないことを悟るはずなのだ」

このヒトラーの観察は、的を射ていたと言えよう。

 既にソ連は、屈服させた東欧諸国に、相次いで共産主義政権を樹立させていた。このままでは、ドイツはおろか欧州全土が赤化するかもしれぬ。焦ったチャーチルは、西側諸国によるバルカン半島上陸作戦によって、共産勢力の西進を阻止しようと考えた。しかし、ルーズヴェルトがこれに反対した。大統領は、ドイツと日本の抗戦力を過大評価していたので、両国を粉砕するまでスターリンの機嫌を損ねたくなかったのである。

 しかし、次第に野心を剥き出しにしたソ連と、それを警戒する西側連合国との間に広がる溝は、日を追って深まるばかりだった。

 その一方で、アメリカとイギリスの間の溝も大きくなっていた。戦後の世界秩序や経済体制について、両者の構想が微妙にすれ違ったからである。老大国イギリスの誇りは、後輩格アメリカの後塵を拝することを許さなかった。しかし、このままではアメリカに世界の自由主義市場を席巻されてしまうことは明白だった。

 そうした両国上層部の空気を反映してか、前線の軍事司令官同士も不仲だった。アメリカの猛将パットンとイギリスの知将モントゴメリーは、功名を争って事あるごとに対立した。彼らの上級指揮官アイゼンハワーが調停の天才でなければ、連合軍はとっくに内部分裂していたことだろう。

 ヒトラーの奇襲攻撃は、不仲の米英軍事境界の真ん中に対して仕掛けられた。この一撃は、両者の対立を、ますます煽る効果も期待できたのである。

 しかしアメリカ軍は、1940年のフランス軍とは異質の軍隊だった。彼らは、包囲されても降伏しなかった。重戦車を目の当たりにしても、決して逃げ出さなかった。不屈のヤンキー魂は、ヒトラーの計画を撃砕したのである。突破を図るドイツ軍の戦線は巨大な突出部を形成したが、ゴム布に鉄球をぶち込んだかのように、最後まで防衛側を突き破ることができなかったのである。

 やがて天候が回復し、数の上で優勢な連合空軍が活動を開始した。Me262 は数と燃料が足りないので、これを完全には阻止できない。V2ミサイルも、戦局を逆転するには数が少なすぎた。全ては手遅れになっていたのだ。ヒトラーの「奇跡兵器」は時代の勢いに押し流され、ドイツ軍のバルジは、南北からの挟撃で根本を切り崩されて消滅した。

 1945年1月23日、「バルジの戦い」は終結した。双方、数十万の兵士と800両の戦車を失った。そして、物量に劣るドイツは、この損害を二度と補充できなかったのである。

 

 3

 

 第三帝国は、波濤に洗われる小石のようだった。

 1月17日、ソ連軍は6百万の大軍でワルシャワを解放。例によって、ここに共産党政権を樹立し、足下を固めてから東プロイセンに侵入を開始した。1月末日にはオーデル河を渡河した。愛する祖国を蹂躙されたロシア兵の復讐の怒りは激しく、占領地域のドイツ人は、惨たらしい暴行を受け、容赦なく虐殺されたのである。そのため、東方からの避難民の群は連日のように列をなして西側へ流入していった。

 ドレスデンの街に居留する東方難民は、10万を越えていたと推計される。そんな彼らは、一瞬にして灰となった。2月13日、米英空軍の大編隊がこの街を爆撃し、跡形もなく壊滅させたのである。

 2月12日、ヤルタ会談が行われた。米英ソの三巨頭は、クリミア半島に参集し、戦後政治について協議した。彼らは、これ以前にも積極的に連絡を取り合い、頻繁に会議を開いて意志疎通を図っていた。その努力が、様々な軋轢を乗り越えて連帯と勝利を生んだのである。身勝手に行動する枢軸国側の事情とは大違いである。

 枢軸国の一方の雄、日本は、月に小笠原諸島の硫黄島に米軍の侵入を許し、絶望的な玉砕戦を戦っていた。既に日本本土は、連日の空襲で廃墟も同然である。ヒトラーが期待した「無敗の帝国」は、歴史上最大の敗北を喫する目前だったのである。

 「私には、昔から分かっていた」ヒトラーは、ボルマンに語った。「日本は、ドイツの永遠の友人なのだ。運命共同体なのだ。世界を分割支配するか、共に廃墟に埋もれるかの運命だ。しかし、仮に滅びても、廃墟の中から必ず蘇る。共に、世界の強国として生まれ変わることだろう。私はそう信じている・・」

 3月、西部戦線の米英軍は、態勢を立て直し、ドイツ本土への侵入を開始した。7日、ライン川のレマゲン鉄橋をアメリカ軍が占拠。パットン将軍は、橋桁の上から立ち小便をしてのけたという。18日、ルール工業地帯を守備していたドイツ軍B集団32万が降伏し、22日、イギリス軍もマインツからライン川を渡河した。

 だが、ヒトラーは希望を棄てなかった。16歳から60歳までの男子全てを徴兵し、国民突撃隊を編成させた。最後の最後まで戦い抜く覚悟なのだ。

 「奇跡は必ず起きる。意志の力が肝要だ。フリードリヒ大王の闘志を見習うのだ」

 首相官邸の壁に掛かるフリードリヒ大王の肖像画は、孤独な独裁者にとって、最後の精神的支柱だった。

 

 4

 

 フリードリヒ2世は、18世紀プロイセンの啓蒙専制君主である。彼は祖国の発展のため、肥沃なシレジアの地をオーストリアから奪い取った。しかし、怨みに燃えるオーストリアは、フランスとロシアを語らってプロイセンに戦争を仕掛けた。これが「七年戦争」(1756〜63)である。四方を包囲されたフリードリヒは、当然の事ながら苦戦を強いられる。そして戦局が絶望的となり、プロイセンの消滅が時間の問題と思われたそのときに、奇跡が起きた。ロシアの女帝エリザヴェートが病死したのである。この結果、ロシアは戦線を離脱し、東部戦線の重圧から解放されたプロイセンは、オーストリアとフランスを連破し、逆転勝利を収めたのであった。

 フリードリヒに憧れるヒトラーは、奇跡の到来を待った。歴史は、必ず繰り返されると信じていたのである。その一方で、リッベントロップとヒムラーが、個別に進めている和平交渉は放任していた。内心では、外交面での奇跡も期待していたというわけである。

 しかし、ドイツ国民は、もはや総統の奇跡を信じる気にはなれなかった。空襲で財産を失い疲労困憊した人々は、争って連合軍に投降した。国民は、残虐なソ連軍よりも米英軍に降伏することを望んだため、東から西への行列が途切れることなく続いた。民間人だけではない。軍隊も、この時期になると、投降するために西へ移動するものが多かったのである。

「裏切り者どもめっ、思い知らせてやる」

 激怒したヒトラーは、3月19日、軍需相シュペーアを呼んで、非情な命令を与えた。

 「ドイツ国内の、工場、橋、下水、ダムなど、全てのインフラを破壊するのだ」

 「なぜです、破壊はもう十分ではありますまいか」建築家出身のシュペーアは、この理不尽な命令に義憤を感じた。

 「裏切り者は、処罰するのだ。どうせ優秀なドイツ人は、一人残らず死に絶えた。生き残っているのは、卑怯者ばかりだ。もはやドイツ人は、人種間闘争の勝者にはなれないだろう。これからは、アメリカとソ連の対決が始まる。ドイツは、おそらく東西に分割され、それぞれ米ソの先兵として使役されるに違いない。私は、そんなドイツなど見たくない。そんなドイツを後世に残すくらいなら、ここで滅ぼしてしまった方が良いのだ。これは、私の愛国心なのだ」

国民がこの言葉を聞いたなら、仰天したことだろう。

 「しかし、総統」シュペーアは、身を乗り出した。「せめて、国民には、生きる希望くらい残してあげてもよいではありませんか。一時的に米ソの走狗と化しても、再び不死鳥のように蘇るチャンスを残して上げて下さい」

 「・・・アルベルト、君まで私を裏切るのか。古い友情を無にするというのか」ヒトラーは、口の端から涎を落としながら、悪鬼のごとき形相で軍需相に詰め寄った。

 「分かりました」シュペーアは、所在なげに笑った。「総統との友情は永遠です。だから、そんな切ない顔はやめてください。見ていて下さい」

だがシュペーアは、ヒトラーの命令をサボタージュした。

 「これは、私の友情の表現なのだ」シュペーアは、インフラ破壊活動を防止しつつ思った。「私は、これ以上総統の蛮行を大きくすることには耐えられないのだ。ドイツ人は、きっといつか復活するだろう。私は建築家の端くれとして、少しでも多くのドイツ文化を救いたいのだ・・」

 

 5

 

 ヒトラーは、既に多くの将軍を罷免し(マンシュタイン、ルントシュテットら)、多くの将軍を処刑していた(ロンメルら)ので、ベルリン防衛を任せられるベテラン軍略家は、もはやグデーリアンしか残っていなかった。そのグデーリアン参謀総長も、3月下旬に総統と口論の末、隠棲してしまったのである。

 一軍を率いて東部戦線に出撃したSS長官ヒムラーは、当然のことながら、何の役にも立たずに敗走した。

もはや、末期症状というべきであろう。

 ベルリンの総統官邸は、今や空襲で巨大な塵芥と化していたが、その下には広大な二層の地下壕が建設されていた。そしてここが、ヒトラー最後の活動の場であった。しかし、多くの要人は、口実を設けて南へ疎開してしまったので、ここに残るのは、ヒトラーとその従者や秘書たちの他には、ボルマンとゲッベルスくらいのものである。

 ヒトラーは、この納骨堂のような本営で、居室にしつらえたリンツ市の模型を眺め、改造計画について楽しい空想を膨らませた。それに飽きると、私室でワーグナーのレコードを聴いてくつろいだ。

 そんな彼が、作戦会議室での机上演習に用いる部隊は、実際にはほとんど壊滅し去っていた。ヒトラーは、その事を知りつつ、現実を認めることを拒否していたのである。

 もはや外界から途絶した地下壕の中で、総統は隠者と化していたのだ。

そんな彼でも、現実世界に喜びを見いだすことがあった。

 年頭にミュンヘンに疎開させていたエヴァ・ブラウンが、官邸に戻ってきたのである。

「どうして帰ってきたのだ」

「あなたと離れて生きていくのは、もうごめんだから」

 「ばかな、ここは危険なんだぞ。ミュンヘンなら、戦線から遠いし、中立国スイスも近いから生き延びられるのに」

「あなたがいない毎日は、生きている甲斐なんてないわ」

 「ばかっ」怒りの声を上げたヒトラーは、慌てて後ろを向いた。感動の涙を見られたくなかったからである。

そして、ヒトラーの強運の星は、再び舞い上がるかに思われた。

 4月12日、アメリカのフランクリン・ルーズヴェルト大統領が急死したのである。

 「やはり、歴史は繰り返すのだ」ゲッベルスは、喜色満面で叫んだ。「後任のトルーマンは、穏健派に違いない」

 しかし、米英軍の勢いは弱まらなかった。民主主義国家における指導者の交代は、政策転換を意味しない。フリードリヒ大王の奇跡は蘇らなかったのである。

もはや、万策は尽きた。

 4月20日、ヒトラーの56回目の誕生日は、連合軍のベルリン大空襲で彩られた。

 「これ以上、どこを破壊するというのだ」自嘲気味に笑う総統は、ソ連軍がベルリン近郊に達し、もはやこれを阻止する手段が無いことを知って愕然とした。

 誕生日に駆けつけたリッベントロップやシュペーア、それにカイテルらは、口々に、本営をベルクホーフに移すよう総統に説いた。

 「私は残るよ」ヒトラーは、静かに語った。「これより、ドイツ帝国の司令部を南北二つに分ける。北はデーニッツ提督に任せる。南は、そうだな、ゲーリングに任せよう。彼は、降伏交渉には打ってつけだ。いずれにせよ、私はここに止まる。国民を戦いに駆り立てる人物が、国の中心たる首都を離れて安穏とするわけにはいかないからね。君たちは、私の代わりに南へ行ってゲーリングを盛り立ててくれ」

 南へ行く一行の中には、モレル医師の姿もあった。彼は、せめてもの置きみやげに、毒薬を大量に残していった。総統は、ようやくこの医師の能力を見破っていたが、今更何を言っても無駄であるから、彼に冷たい一瞥を与えただけで、そのまま南へ行かせた。

 ヒトラーは、その日のうちに秘書や側近の疎開も開始させたのだが、去りゆく秘書の一人は、別れ際の総統の虚ろな独白を聞いて愕然とした。

 「戦争は終わった・・第三帝国は失敗に終わった」

 総統が希望を棄ててしまったら、この国はどうなるのだろうか。

 国民の中には、いまだにヒトラーを信じている者もいた。総統の肖像画を抱えて焼け跡を逃げ回る人々は、肖像画が爆弾や砲弾から命を救ってくれる護符だと信じ込んでいたのである。

 しかし、今や総統は希望を棄てていた。彼の心に巣くうのは、醜い憤怒と失望の渦であった。今や自らの死をもって、全てを清算することしか考えていなかった。

 

 6

 

 4月23日、カイテル、ハルダー、ヨードルらは、南の戦線を指揮するためにベルクホーフに現れた。彼らはゲーリングの元に出頭し、ヒトラーがベルリンで死ぬつもりであること、後継者にゲーリングを指名した旨を伝えた。

 「私に、和平交渉を一任されたということか」ゲーリングは、巨大な腹を反り返らせた。「それならば善は急げだ。総統の後継者であることを内外に宣言し、指揮権を一手に握る必要がある」

 ゲーリングの失敗は、ベルリンに電報を打ち、総統の意志を確認しようとしたことである。

 ベルリンを牛耳るボルマンは、ゲーリングに地位を奪われるのを潔しとしなかったので、ヒトラーに国家元帥の裏切りを讒言し、その処刑を要求したのである。ヒトラーは躊躇ったが、結局ボルマンの剣幕に屈した。さすがに処刑は拒んだものの、ゲーリングの地位を剥奪し、後継者の資格を取り消す承認を与えたのである。

 喜んだ党官房長官は、総統に無断でSSを動かし、ライバルを逮捕監禁してしまった。

 「ふふふ、やったぞ。ついに、あのデブを丸裸にしてやった」快哉を叫ぶボルマン。

 廃墟をめぐって権力争いをして何になるのか。しかし、これが第三帝国の実態なのだった。ヒトラーの施策によって、恒常的な権力闘争を余儀なくされた幹部たちは、同僚の足を引っ張ることでしかアイデンティティーを確保できなくなっていたのである。

 4月26日、米ソ両軍はドイツ中部で接触し、手を握り合った。「エルベの誓い」である。ヒトラーの千年帝国は、いまや南北に分断されてしまったのだ。

 4月28日、サンフランシスコ平和会議に集う西側プレスは、全世界に衝撃的な報道を行った。ナチスの要人ヒムラーが、独断で降伏交渉を持ちかけているというのだ。そして、これは事実だった。総統は激怒し、ボルマンはまたもやライバルを失脚させることに成功したというわけだ。

 「どいつもこいつも裏切り者だ・・」総統は、両手で頭を抱え呻いた。「この苦しみも、もうすぐ終わるだろう。だが、せめて忠実な者たちの命は救ってやりたい」

ヒトラーは、エヴァの個室に赴いた。

 エヴァは泣いていた。妹婿のフェーゲラインが、この日の朝に処刑されていたからである。

「彼は、スイスに亡命しようとしたんだ。殺されて当然だ」

 「そんな事で泣いてたんじゃないわ」エヴァは、ハンカチで鼻をかみながら言った。「彼は、妹を裏切って、他の若い女と駆け落ちしようとしていたのよ。それが信じられない。あんなに仲むつまじい二人だったのに。戦争が悪いのかしら。敗戦が、彼を変えたのかしら」

 「戦争は」ヒトラーは、愛人の座るソファーの前に腰を落とした。「人間の本性を明らかにする。フェーゲラインは、その程度の男だったということだ」

総統は、エヴァの肩に手を置いた。

 「ヴェンク将軍の救援は間に合わない。ソ連のジューコフ元帥の戦車部隊は、もうベルリン市内に突入した。ここは、保って後2日だ。脱出するなら今しかない。さあ、涙を拭いてゲッベルス一家と共に行ってくれ」

「あなたは・・」

「最後までここに残る。神の奇跡を信じて」

 「それなら、あたしの答えは決まっているわ」エヴァは、毅然とした瞳を向けた。「あなたと一緒に死にます」

エヴァは、静かに立ち上がった。

 「その前に、どうしても話しておかなきゃいけないことが」彼女は、見下ろす形でヒトラーの白髪混じりの頭髪を抱いた。「あたしのお腹には、新しい命が宿っているのよ」

 ヒトラーは、腰をゆっくりと上げた。今度は、彼がエヴァの瞳を覗き込んだ。

「私の子なのか・・」

彼女は、静かに頷いた。

 ヒトラーは、彼女の頬を優しく撫でた。その双眼からは、とめどなく涙が溢れ出た。

 

 7

 

 その日の夜、ヒトラーは、最後に残った秘書に命じて新内閣の草案を口述筆記させた。第三帝国大統領兼陸軍総司令官はデーニッツ提督、首相はゲッベルス、党大臣はボルマンといった顔ぶれである。明らかに、終戦内閣だ。

 続いて、政治的遺書の口述筆記を命じた。彼は、ユダヤ人の絶滅政策と東方植民地政策の正当性を強く訴えた。また、第二次世界大戦は、ユダヤ人の謀略によって生じたのであり、ドイツ人は無実であるのだと主張した。また、敗戦の原因を、無能な将軍たちのせいにした。

 この期に及んで・・・と、秘書は呆れる思いだったが、次の言葉は彼女を大いに驚かせた。

 「私は、生涯を神聖な職務に費やすつもりであり、結婚という個人の幸福を諦めていた。しかし今、その考えが誤りであると悟った。私は、忠実で誠実な一人の女性を、妻として迎える決意をしたのである。長年にわたって失われた日々は、これでわずかでも埋め合わされるだろう・・」

彼の初めての結婚式は、質素だった。

 立会人はボルマン、ゲッベルス夫妻ら8名であった。司祭の役割を勤めたのは、ワーグナーという名の下級官僚である。彼は、国民突撃隊として戦闘中に、地下壕に呼び出されたのである。

新郎は、いつもの軍服姿。

新婦は、黒絹のロングガウンを纏っていた。

 簡単な宣誓の後、夫婦は結婚証明書に署名をした。ここで新妻は、署名欄にエヴァ・ブと書きかけて、あわてて訂正した。

「相変わらず、そそっかしいんだね」

 夫は笑って、花嫁の指に結婚指輪をはめた。これは、あり合わせのものを用いたため、少しサイズが大きかった。それでも、エヴァは幸福だった。これまでの苦難の人生は、全て報われたのだ。

 花嫁に口づけしたヒトラーは、彼女の両頬を伝う涙を拭ってあげた。これは、彼に行使出来る最後の正義だった。彼が他者に与えられる最後の幸福なのだった。

 ヒトラーは夢想した。妻や子に囲まれ、好きな絵画や建築模型に埋もれる輝ける毎日。人間にとって一番の幸せは、そうした小市民的安息の中にこそあるのかもしれない。そして、政治家としての自分に批判的だった妹パウラは、その事をこの兄にずっと告げたかったのだろう。

 ヒトラーの掲げた大義は、6千万の尊い人命を地球上から奪い取った。彼が愛したドイツは、今や完全なる廃墟である。だが、これは彼が望んだことではなかった。彼は、国民のために誠実な政治家であろうと努力し、全てを犠牲にして働いた。能力の限りを尽くして、裸一貫から成り上がり、権力闘争に勝ち残った。愛する姪や、旧友の命すら犠牲にしてきたのだ。しかし、全ては裏目に出た。数日後には、彼は世界中から大量殺人者の汚名を着せられ、戦争犯罪人として糾弾されることだろう。

 しかしヒトラーは、たった一つの正義だけは、地上に残して行きたかった。エヴァに対する愛だけは、彼が残したたった一つの大義として、歴史に止めて置きたかったのである。

 

 8

 

4月29日、イタリアから悲報が届いた。

 ベニト・ムソリーニが、北イタリアからドイツに逃げる途中でパルチザンに囚われ、銃殺されたというのだ。彼の死体は、愛人クラレッタ・ペタッチとともに、ミラノのガソリンスタンドで逆さ吊りにされ、民衆のさらし物となっているという。

 「私たちの死体は、ガソリンで焼却してくれ。敵の見せ物にはなりたくない」ヒトラーは、沈痛な表情で従者ケンプカに命じた。

 既にソ連軍の砲撃は、官邸近くに迫っていた。年端もいかぬ少年兵たちは、爆弾を抱えてソ連戦車に体当たりし、若い命を散らしていた。また、ウクライナやバルト三国の捕虜から編成された部隊は、ソ連の捕虜となったら裏切り者として殺されるので、もとより命を棄てて奮戦していた。ヒトラーを守るために最後まで戦った軍隊が、彼の憎む劣等人種だったという事実は、何という歴史の皮肉だろうか。

 ヒトラーの唱えた民族主義は、今や風化して消し飛ぼうとしていた。20世紀を包括する規範は、アメリカの民主主義とソ連の社会主義といった国際イデオロギーなのであった。そして、帝国主義の時代も終焉を迎えつつあった。アジアやアフリカの欧州植民地は、間もなく独立の夜明けを振り仰ごうとしていたのである。

 「ヨゼフ」ヒトラーは、忠実な宣伝相の肩を叩いた。「君は早くここから逃げろ。新政府の首相として、存分に働いてもらわなければならぬ」

 「総統」ゲッベルスは、首を左右に振った。「裏切りが横行するこの世界で、一人くらい殉死者がいてもいいでしょう」

 ヒトラーは、暗い瞳を彷徨わせ、もはや何も言わなかった。

 社会主義を信奉するゲッベルスは、当初はシュトラッサーやレームと結んでヒトラーに対抗していた。しかし、今や最も忠実な側近となったのである。これも、歴史の皮肉と言うべきだろう。

ソ連軍は、いよいよ官邸に迫った。

 4月30日正午、アドルフ・ヒトラーとその妻エヴァは、肩を並べて居室に向かった。ヒトラーの右手には拳銃が、エヴァの左手には毒薬の瓶が握られていた。ドアを閉じる直前、二人は笑顔を交わし口づけをした。そして、ドアは静かに閉まった。

やがて、一発の銃声が轟いた。

「ハイル・ヒトラー」

 ゲッベルスとボルマンは、溢れる涙を拭おうともせず、銃声に向かって腕を振り上げた。

 20世紀最大の独裁者は、瓦礫に埋もれた地下壕から、虚空の彼方へ飛び去ったのである。残されたのは、彼に振り回されたドイツ国家と、計り知れない悲惨だけであった。