23. 針摺原 ( はりするばる ) の戦い

 

 年が明けて文和二年(1353)正月、博多の一色直氏は、予告どおり少弐討滅の軍勢を招集した。その総勢は二万五千。

 「わしは、お前たちに悪いことをしたかもしれぬ」少弐頼尚は、会議室に集合した一族郎党を前に蒼白な唇を震わせた。「特に、直資。佐殿のことについては、結局お前が正しかったな。あのお方を信用し過ぎたばかりに、我らはかつてない苦境に立たされておるのじゃ・・・・・」

 「父上」直資は憤然として言った。「そんな繰り言をいう暇があるなら、何か対策を講ずるべきです。こうしている間にも、一色めの軍勢と裏切り者どもの群れは、大宰府に刻一刻と迫っているのですぞ」

 「うむ」頼尚は顔を上げた。「かくなる上は、征西府の菊池武光に頼るしかあるまい。冬資、さっそく武光への救援要請の使者となってくれ。そして 頼澄 ( よりずみ ) (頼尚の三男)、お前はここに残って大宰府の守備にあたれ」

 「分かりました、それで父上たちは、どうなされますか」二十になったばかりの頼澄は、その若い頬を震わせる。

 「一色軍に遊撃戦を仕掛け、時間を稼ぐ。征西府軍の到着まで、敵の攻撃を遅らせるのよ」すっくと立ち上がった頼尚の目は輝いた。「なんの、一色直氏なぞに遅れをとるほど、この頼尚、落ちぶれてはおらぬっ」

 勇躍して出陣した頼尚。しかし、彼の元に馳せ参じる豪族は殆ど無く、わずか三千で二万五千に挑む羽目に陥った。

 「多々良浜でも三千対二万であった。あの時の戦ぶりを思い出せっ」必死に部下を激励する頼尚だったが、あのときのような僥倖は今回は望めなかった。たちまち蹴散らされた少弐軍は、大宰府への退路も奪われ、筑前南部の小城、 古浦 ( こうら ) 城に押し込められてしまった。

 一色親子は、迷う事なく全軍で古浦城を十重二十重に包囲する。少弐頼尚は、ここに生涯で最大の危機を迎えたのである。

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 そのころ、一族滅亡の危機を前にわずかな手勢とともに南に走った少弐冬資は、筑後の溝口城で征西府軍主力との接触に成功していた。

 去年、一色軍との決戦を避けて船隈から撤退した菊池武光は、激動の北九州情勢を見て筑後に駐屯することを決定し、ひそかに軍勢招集を行っていた。菊池一族のみならず、肥後、日向、薩摩に点在する征西府軍が駆けつける。

 武光の元には、一色軍に関する情報が山のように入って来ていた。密かに征西府に心を寄せる北九州の豪族たちの協力によるものである。

 「やはり一色軍は、数は多いが寄せ集めの群れだ。探題に忠義を感じている者なぞ、殆どおらぬ。多々良浜の時の九郎(武敏)兄上が率いた官軍と同じだ。もともと少弐方だった豪族が、恩賞目当てに探題にくっついているのだから当然だが・・・。つまり、一色親子の直属部隊さえ撃破すれば、一見無敵に思える探題の大軍は崩壊するだろう」

 武光の胸中には、勝利の確信がちゃくちゃくと宿りつつあったので、少弐冬資が血相変えて飛び込んで来たとき、危うく二つ返事で援軍を引き受けるところだった。

 「いかん、戦後のことを考えるなら、ここは我らの恩を印象づけるために、多少、少弐をじらすべきだな」武光は冷笑を浮かべた。

 同陣の懐良親王と打ち合わせた後、武光は親王とともに大広間で冬資と対面した。

 「筑前守(頼尚)は、大宰府南方の古浦城にて苦しい籠城戦を続けておりますっ。早く早く、救援をお願いいたすっ」冬資は、床に額を擦り付けて叫んだ。 

 「ふうむ」鎧姿の懐良親王は、おもむろに傍らに侍する武光に顔を向けた。「どうしたものかな、肥後守」

 「少弐氏は、もともと我々の宿敵です。奴らが滅びたところで、征西府は痛くも痒くもござらん」武光は、表情を変えずに嘯いた。

 「そんなっ」冬資は血走った目を上げた。「去年は、船隈で我らに協力してくれたではありませんかっ」

 「あのときは、あのとき。今度は今度じゃ。この軍勢は、何も古浦城なぞに向ける必要はない」武光は、わざと意地悪く言った。

 これは、懐良と武光が打ち合わせた上での演技だった。ここで少弐に強く恩を売っておけば、戦後の外交が有利になるであろう。それで、わざと冬資をじらしているのだ。そして焦っている冬資は、そのことに気づかなかった。

 「お願いいたすっ、後生ですっ」冬資は、両眼に涙を浮かべた。「もしも救援してくれるのでしたら、金輪際、征西府と菊池氏に刃向かわないとの 熊野 ( くまの ) 午王 ( ごおう ) の起請文を提出します。ですから、なんとしても救援をっ」

 目を見交わした懐良と武光は、互いに小さく頷いた。ここらで良いだろう。

 「分かった、少弐冬資。そちの熱意は余にも伝わったぞ。これより征西府軍は少弐救援のために古浦に向かう」懐良は、重々しく言った。

 「か、かたじけない。ご恩は生涯忘れませんっ」冬資は、額を床に叩きつけるようにして礼を述べた。

 正月初旬、征西府軍はついに大挙して全力出撃した。本陣には、懐良親王、五条親子を中心とする公家たちが、凛々しく鎧兜に身を埋めている。総勢一千。その陣頭に翻るのは、丸鷹の征西府旗と皇室の錦の御紋だ。中軍には、菊池武光を始め、武澄、武豊、武尚、武義、武勝といった兄弟たち。そして、城武顕、赤星武貫、大城藤次、片保田五郎といった親族武将の面々が顔を見せる。その総勢は五千。陣頭に翻るは並び鷹羽の旗。留守を守るは、木野武茂と与一武隆である。

 そして、征西府軍に続々と参加して行く外様豪族の面々は、阿蘇惟澄を筆頭に、相良、内河、有馬、黒木、詫麻、木屋など数知れず。

 こうして、いつしか征西府軍の総数は、一万に達していた。

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 征西府軍急接近の知らせは、しかし一色直氏をそれほど動揺させなかった。

 「どうせ、去年のように我らを牽制して少弐の爺いを救おうというのだろう。だいたい、腰抜けの菊池武光には、本気で戦うつもりなどないに違いない。同じ手に二度と引っ掛かると思うなよ」

 こうして、一色軍の古浦城攻撃はますます激しさを増した。少弐頼尚の手勢は、断末魔の苦境に喘いだ。

 ところが、二月に入ると、楽観していた一色直氏も征西府軍の意図に気づかざるを得なくなった。南の大軍は、迷う事なく全力でこちらに驀進してくる。

 「まさか・・・、奴らは本気なのか。どうなさいますか、父上」直氏は、思わず本陣の床几に腰を下ろす、法体の父に目をやった。

 「望むところよ。どうせいつかは征西府軍と戦うことになるのだし、一気に菊池と少弐を滅ぼす好機到来だ。よしっ、範光は五千の兵力で古浦包囲を続行せよ。わしと直氏とで征西府を粉砕する」一色道猷入道範氏は、兜の尾を引き締めた。

 二月一日、一色親子率いる二万の軍勢は、古浦南方の針摺原で征西府軍一万と対峙した。数のうえでは、一色軍が圧倒的有利。しかし、一色軍の主戦力は豊後の大友氏時(氏泰の弟)や島津氏久の軍勢であり、彼らの戦意は相次ぐ戦いに疲労し、それほど高くなかった。それに加えて、彼らは菊池勢の恐るべき『鳥雲の陣』を知らない・・・。

 「先陣は、大友 氏時 ( うじとき ) に任せた。頼んだぞ、氏時」一色範氏は命じた。

 「お任せください。必ずや菊池武光の首を取り、征西将軍宮を虜にして見せます」

 胸を張って答える大友氏時。彼は先年、兄の氏泰から家督を譲られたばかりであるが、家の実権は隠居したはずの兄に握られており、それが面白くなかった。ここで自らの能力を示し、威信を高めたい一心であった。

 一方の征西府軍は、菊池一族の 赤星 ( あかほし ) ( たけ ) ( つら ) を先鋒に任じ、必勝の作戦を練っていた。

 「この針摺原は、広い草原地帯だ。『鳥雲の陣』の展開には最も理想的な地形である。日頃の辛い訓練の成果を見せるには持って来いだ。いいな、勝負は菊池勢だけで付けるつもりで掛かれ。一気に一色親子の本陣を衝くのじゃっ」

 菊池武光は、一族の将兵を前に訓示した。実際、征西府軍の配置は、菊池勢を中心としていた。親王たちの本陣は遥か後方に置かれ、外様豪族たちの軍勢も控えに回された。親王を危険にさらすわけにいかないし、外様勢には『鳥雲の陣』は無理だからである。

 干し ( いい ) 、勝ち栗、打ち鮑で簡単な食事を済ませた菊池の将兵は、ぎらぎらした目で二日の日の出を待った。

 「いまだ、者共かかれいっ」朝の陽光が草原を照らすと同時に、武光の号令が下った。

 「うおおおっ」怒号とともに、 安富泰重 ( やすとみやすしげ ) を先陣とする赤星隊が大友勢に襲い掛かった。                                 

「ござんなれい」

大友勢も、この瞬間を手ぐすね引いて待っていた。その先鋒は 田原 ( たばる ) 貞広 ( さだひろ ) 。大友家中でも屈指の勇者である。ところが、

 「なんだあれはっ」貞広は、迫り来る菊池勢の隊形に目を見張った。刻一刻と形を変え、手の内がまったく見えない。鶴翼なのか、それとも魚鱗なのか、それとも。

 両軍がぶつかりあった瞬間、貞広は理解した。

 これは、兵士一人一人が、ぴったりと心を合わせて行軍することから生まれる奇跡なのだ。ここまで兵士を鍛えるのには、並々ならぬ努力と歳月が必要だったろう。菊池武光は、探題が言うような腰抜けではない。鬼だ、鬼将なのだ。

 だが、それに気づいた時には、貞広の人生は既に終末を迎えていた。

 大友勢先陣は粉砕され、たちまちのうちに瓦解した。

「我こそは肥前の武士・安富泰重っ、大友一族の勇将・田原貞広を討ち取ったりっ」

泰重が振り上げた槍の穂先に、刺し抜かれた首級が翻る。

 氏時の懸命の叱咤にも拘わらず、壊乱した陣型は立て直せず、敗残兵どもは、第二陣の島津、第三陣の龍造寺勢になだれ込み、彼らをも混乱させた。

 「今だ、行けっ」菊池勢の第二陣を率いる八郎武豊、第三陣を率いる城武顕が次々に突入し、たちまちのうちに、一色の大軍は統制を失った烏合の衆と化した。

 「なんだこれはっ」後方の小高い丘に置かれた本陣で、一色範氏は唖然とした。「なんだこれはっ、どうしたと言うのだ。戦が始まってまだ四半刻(三十分)にもならぬのに」

 「な、なんて強さだっ」その傍らで、一色直氏も蒼白な頬を震わせた。

 「お屋形さまっ、ここも危険です。早くお逃げください」前衛から傷だらけの郎党が駆け込んで来た。ここに至って、一色親子は事態の深刻さを思い知ったのである。

 「いかん、退却だ。数里後退して態勢を立て直すしかない」

 北へと敗走していく一色の大軍を望見し、菊池武光は合図の采配を振るった。

 「総攻撃っ」

 ここに至って、本陣を守る馬廻衆を始め、待機していた阿蘇惟澄統率の外様部隊や懐良親王の親衛隊も一斉に動き出した。武光自ら白馬に跨がり、馬廻衆の先頭に立って追撃する。その激しさは、同陣の少弐冬資を震え上がらせるほどに凄まじく、容赦の無いものだった。逃げ遅れた一色方の豪族は、殆ど降参するか壊滅させられた。

 後退して態勢を立て直すつもりだった一色範氏は、あまりの惨敗に開いた口が塞がらなかった。大友氏時は再起不能となり、龍造寺や深堀も兵力の半数を失って征西府に屈服した。肝心 ( かなめ ) の一色勢も、菊池勢の追撃に大打撃を受け、その恐ろしさに完全に戦意を喪失している。

 「これが、これが、あの大軍の成れの果てなのか・・・」猛追撃を逃れて肥前の 小城 ( おぎ ) に落ち着いた一色範氏と直氏の親子は、互いの蒼白な顔を眺めては吐息に暮れた。

 そのころ、一色範光率いる古浦城攻囲軍も、味方主力壊滅の知らせを受けて浮足立っていた。そして、それを機敏に察知した少弐頼尚は、全力で撃って出て範光勢を蹴散らしたのである。ここに範光も、父や兄の後を追って肥前へ撤退せざるを得なくなった。

 かくして北九州の青空に、征西府、少弐連合軍の万歳の声が轟いたのである。

※                 ※

 その日の大宰府は、お屋形大勝利の報に大いに賑わった。さっそく、高貴な賓客を招いて盛大な宴会が催された。その高貴な賓客が、懐良親王であることは言うまでもない。

 懐良や五条親子を始め、菊池一族の面々を中心とする征西府軍の主力は、住民の笑顔に迎えられ、堂々と大宰府に入った。

 「わしがこうして大宰府で家族と対面できるのも、すべて征西将軍宮のお陰です」征西府の首脳と少弐一族の面々が集った大広間で、少弐頼尚は上座の懐良に深く頭を下げた。

 「なんの、可愛い臣下を救うのは、主たるもののつとめよ。礼には及ばぬ」懐良は笑顔で答えた。

 だが頼尚は、臣下という言葉に思わず体を震わせ、親王の眼光から目をそらせた。

 「どうした、頼尚。お主は知らぬのか。お主の婿、足利直冬は、先日賀名生に降参を申し込んだそうだぞ。となれば、お主を始め、大内も山名も桃井も、みんな余の可愛い臣下であり、友人ぞ。・・・だから、これからも助け合って行こうぞ」

 「は、ははあ」

 頼尚は、思わず平伏した。自分を屈服させようとする親王の語調に内心では反感を覚えながら、今の彼は表面では柔順を装うしかなかったのである。

 次に頼尚は、作り笑いを同じく上座に座る菊池武光に向けた。後に九州の覇権をかけて激突する両雄の対面である。

 「肥後どの、ご苦労でした。あの菊池勢の強さ、聞きしに勝るものがありましたなあ。この頼尚、ほとほと感服つかまつりました。初対面でぶしつけなれど、後ほど軍学の話で楽しく一献酌み交わしましょうぞ」

 「初対面ではござらぬ」武光は、冷たく答えた。「以前、博多でお目にかかっておるはずですよ」

 「はて」頼尚は首をかしげた。「いつお会いしたかのう。ちょっと思い出せないが」

 頼尚には思い出せるはずもなかった。そのとき武光の脳裏に浮かんだのは、虎若丸と名乗っていた少年のときの記憶だったからだ。あのとき、討ち死にした父・武時の首を奪い返すため、阿蘇惟澄とともに博多の探題館に潜入した彼を、しつこく追跡した人物こそ、少弐頼尚の若き日の姿だったのだ。あのとき惟澄が止めてくれなかったら、きっと虎若は頼尚に挑み、若い命を散らしていたことだろう。そんな因縁の武光と頼尚は、運命の奇縁によって二十年後の今、大宰府にて冷たく視線を戦わせているのだった。

 二人の睨み合いでなんとなく白けた座を見て、少弐冬資が声を上げた。

 「本日は、皆様のために能楽の席を用意しております。戦塵の疲れを、しばし癒してくだされ」そう挨拶してその場を締めくくった冬資は、青ざめた顔の父に目配せした。

 やがて、征西府の一行を政庁の中庭にしつらえた桟敷に送る途中で、行列から抜け出した頼尚と冬資は密談を交わした。

 「父上、おいは筑後で、将軍宮と菊池武光にとんでもない約束をしてしまいました」

 「・・・援軍を要請する際に、無理なことを要求されたのか」

 「それが・・、救援に来てくれるなら、二度と征西府と菊池氏に刃向かわないとの、熊野午王の起請文をしたためる約束をしてしまったのです」

 「ううむ・・・」頼尚は思わず唸った。熊野午王の起請文は、この時代でもっとも高度な誓約書なのである。

 「父上、お許しください。そんなものに誓約したら、後に征西府を倒すときの妨げになりましょう。つまらぬ約束を交わしたおいを、どうぞ罰してください」息子は、肩を落として跪いた。

 「なあに、あのときは必死じゃった。仕方なかろう」頼尚は、震える声音を抑えた。

 「こうなったら、冬資にお命じください。責任はすべておいが取りますから」

 「なんのことだ」

 「宮将軍と菊池武光の暗殺です。奴らは、いまや袋の鼠。ここで皆殺しにすれば、起請文は書かずに済むし、征西府も同時に殲滅できますぞ」冬資の眼光は怪しく光った。

 「馬鹿なことを言うな、冬資」頼尚は激怒した。「由緒正しい大宰少弐の家柄の我らが、例えいつかは敵対すると分かっていようとも、苦難を救ってくれた恩人を騙し討ちになぞできようか」

 「し、しかしっ」顔を上げた冬資の形相は必死だった。

 「気持ちは嬉しいぞ。じゃが、その気持ちはいつか訪れる征西府との決戦の時に発揮してくれ、よいな冬資」

 「父上・・・・」

 お互いに屈辱を噛み締める親子の耳に、やがて能舞の笛の音が優しく響いて来た。

 その翌日、征西府の一行は、昼過ぎには大宰府を後にした。有名な天満宮を見学して菊池に帰る。五条良氏が大事に抱える文箱の中には、少弐頼尚が自らしたためた熊野午王の起請文があった。

 『今後、七代後の子孫にいたるまで、少弐一族は決して菊池氏に弓引きません』 

 この誓約が守られたか否かは、また後の物語である。