27. 尊氏の死

 

 「おい、知っとるか、筑紫は吉野方に占領されたそうやで」

 「おはん、無知やな。吉野方やなくて賀名生方が本当や」

 「そんなつまらん問題やないで。今、京の町中は九州の宮方が百万の大軍で攻めて来るとの噂でもちきりや」

 「ほんまか、そいつは一大事やなあ。将軍さまも、年貢の納め時やもしれんな」

 「早いとこ家財まとめて逃げ出さなあかん。せっかく造り直された町が、また焼けると思うと、ほんまに腹だたしいわ」

 「いい加減に、戦は終わってほしいわ」

 京童たちの間では、菊池軍東上の噂が流行となっていた。彼らの意識の中では、奥州と九州の軍勢の強さは桁外れであって、九州軍の東上が実現した日には、足利幕府の運命も疑わしいと思われていた。

 この情勢を痛切に感じたのは、将軍・足利尊氏その人であった。ほうほうのていで帰洛した一色親子から敗戦の詳しい報告を受けると、重臣たちを集めて言い渡した。

 「征西府に先制攻撃を仕掛けるのだ。わし自ら九州に出陣するっ」

 尊氏の決意を前に、しばし動揺した万座の中から、将軍世継ぎの義詮が発言した。

 「将軍が親征する必要はございません。征西府の東上は単なる噂でありましょう。奴らに、それほどの実力があるとは思えません」

 「義詮、お前は菊池一族と九州武者の恐ろしさを知らないのだ。彼らが東上してからでは手遅れになるのだぞ。叩くなら今のうちだ。ただちに動員令を発せよ。全力をあげて征西府に挑むのだっ」拳を振り上げる尊氏の見幕に、一同は沈黙せざるを得なかった。

 時に北朝の 延文 ( えんぶん ) 三年、同時に南朝の正平十三年(1358)の二月、狭い京の都に、各地から続々と軍勢が駆けつけて来た。ついに、足利尊氏と菊池武光の決戦の時が到来しようというのか。ところが・・・・、

 軍議の最中、尊氏は突然に体の不調を訴えると、その場に倒れ伏してしまった。すごい高熱を発している。側近の者たちが、あわてて寝所に運び込んで典医に見せたところ、背中に大きな悪性腫瘍ができているとのことであった。気丈な尊氏は、そのことを誰にも告げなかったのである。

 高熱におかされ、人事不省に陥った尊氏は、切れ切れにうわ言を発した。後醍醐天皇や大塔宮に対する詫びの言葉、楠木正成や新田義貞のこと、自らの手にかけた弟・直義や、最後まで和解できなかった実子・直冬のこと・・・。

 「父上の人生は、なんと苦しみに満ちていたことか・・・。父上は、なんという悲劇に耐えて来たことか」見舞いに訪れた義詮は、改めて思い知らされた。

 やがて、一時的に意識を取り戻した尊氏は、枕元に座る嫡男に霞む目を向けた。「直義、わしの言った通りであろうが。あのときお前は笑ったが、どうじゃ、わしの勘は鋭いぞ」

尊氏はどうやら、息子を亡き弟と勘違いしているらしい。

 「なんの事でしたかな、兄上」義詮は、涙をこらえながら相手になった。

 「忘れたか、直義。菊池一族のことよ。延元のころ、大宰府でお前に言ったろう。我らの前に最後まで立ち塞がるのは菊池一族に違いないとな。ふふ、その通りになったのう」  

「・・・まさに」項垂れる義詮。父のこれほどの苦しみにも拘わらず、天下は乱れたままであると考えると悲しかった。自分がしっかりしなければならぬ。義詮は、決意を新たにするのだった。

 同年四月、日本史上の英雄、足利尊氏の人生はその幕を閉じようとしていた。

 「義詮、頼んだぞ。なんとしても征西府と菊池氏を打ち破り、博多の港を幕府に回復するのだ」これが、尊氏の義詮に残した最後の言葉であった。

 「必ずや、やりとげまする」弱々しい父の手を握り、義詮は誓った。

 その翌日、最後まで天下のことを案じた尊氏は、その五十四年の波乱の生涯を終えた。

 思えば、尊氏は哀れな人であった。彼自身は好人物だったふしがあるが、源氏の嫡流に生まれたばかりに時代の奔流に押し流され、本意に反する道を歩まねばならなかった。妻の実家の北条氏を討ち、尊敬していた後醍醐天皇と争い、貴んでいた朝廷を二つに割り、あれほど仲のよかった弟を殺し、実子の直冬との戦いで京都を焼け野原にした。

 だが、尊氏の払った大きな犠牲こそが時代を造り、今日の日本を形成していると考えたい。尊氏の苦労は、より優れた時代のための産みの苦しみであったと信じたい。

※                 ※

 跡を継いだ二代将軍義詮は、さっそく天下統一への準備にかかった。細川 ( しげ ) ( うじ ) を新たな九州探題に任命して、征西府討滅に当たらせたのである。

 だが、細川繁氏は無力であった。九州の豪族の殆どが征西府方に立っていることを知って戦意を無くし、中国と四国を往来しているうちに病気にかかって死んでしまったのである。

 これとは逆に、征西府軍の陣容はますます強化されつつあった。この年に入ってから、畿内を追われた新田一族と名和一族の残党が、続々と九州に入って来たからである。新田氏は自家の荘園のある豊前 馬ヶ岳 ( うまがたけ ) に移住し、名和氏は肥後の 八代 ( やつしろ ) に落ち着いた。

 八代は、建武のころから名和氏の代官の内河義真が治めていたのだが、今や本来の主人が住むところとなったのである。九州入りした名和氏の惣領は、あの三木一草の名和長年の孫、 顕興 ( あきおき ) である。大柄で気性が強く、しかも義理堅い人物であった。

 さて、足利尊氏の死を知った菊池武光は、深刻な顔でつぶやいた。

 「そうか、尊氏ほどの男も死ぬときが来たのか。人間の命は限りある。おいも、命あるうちにやるべきことは為遂げねばならぬ」

 援軍の到来に力を得た武光は、再び遠征を計画した。今度の標的は、日向で頑張る畠山直顕である。畠山氏は、今や九州に残された唯一の幕府方勢力であったが、島津氏の猛攻によって既に相当に弱体化していた。

 正平十三年九月、菊池武光は、一万の大軍を引っ提げて九州山脈を東に越えた。畠山方の抵抗は弱く、わずかに保持する 穆佐 ( むかさ ) 城を完全に包囲されてしまった。激しい攻防の末、穆佐は陥落し、畠山直顕は 三俣院 ( みまたいん ) ( たか ) 城に逃れた。

 「逃すな、追い撃てっ」武光の采配が宙を切る。

 十一月には、ついに高城も陥落し、畠山一族は日向支配を放棄し、豊後の大友氏時を頼って落ちのびて行った。またもや、菊池軍の凱歌が轟いたのである。

 だが、九州の圧倒的な南朝優位にも拘わらず、尊氏の死に付け込んだ本土の南朝方の反撃は、実に散発的であった。十月に挙兵して鎌倉を狙った上野の新田義興も、畠山国清らに謀られ、多摩川の矢口の渡で殺されてしまった。また、戦力の再編成に追われる畿内の南朝方は、その間、一歩も動けない状態であった。

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 本州での圧倒的優位にもかかわらず、室町将軍・足利義詮の脳裏からは、父の遺言がどうしても離れなかった。何としても征西府を打倒しなければならない。

 「やはり御三家を動かそう。彼らは、おそらく心ならずも菊池に服しているのだろうから、恩賞で鼓舞すれば、きっと味方につくに違いない」

 義詮は、次々に九州御三家に密使を送った。幕府方についてくれるなら、これまでの罪を全て許すのみならず、かえって莫大な恩賞を与えるとの趣意である。

 まず、大友氏時が動いた。彼は、亡命して来た畠山直顕の引き渡しを征西府に強要されて腹だたしさを感じていたので、将軍の申し出に勇んで飛びついたのである。

 「関東の名門の我らが、いつまでも菊池のような田舎豪族に這いつくばるわけにはいかんのだ」

 急いで戦備を整える氏時のもとに、大宰府の少弐頼尚のもとから密使が訪れた。

 「ふふふ、そうか頼尚どのも動くというか。・・・ほほう、そいつは素晴らしい作戦ですな。それなら成功間違いなし。菊池武光の首を見るのも、確実ですなあ」

 大友氏時は、密使が開陳した作戦を前に不敵な笑いを浮かべた。

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 正平十四年(1359)は、正月から不穏な影が九州を覆った。豊後高崎山で、大友氏時が反征西府の軍勢の招集を始めたのである。その動きはあまりにも大々的で、あたかも征西府軍を誘っているかのようだった。

 「放ってはおけぬ」知らせを受けた懐良親王は、ただちに出兵の決定を下した。「わし自ら出陣し、征西府に逆らう愚かさを思い知らせてくれる」

 「お待ちくだされ」菊池武光は、血気にはやる親王を止めた。「大友氏時が単独で兵を挙げたとはとても思えませぬ。きっと少弐か島津も加担しているはずですぞ。うかつに動くのは考え物かと」

 「分かっておる」親王は頷いた。「だが、お前が菊池に残って睨みを効かせてくれれば安心だ。この度の豊後攻めは、わしが単独でやって見よう」

 「それでは、源三郎(武尚)と彦四郎(武義)を付けましょう。くれぐれもお気を付けて・・・」

 二月に入って、懐良親王は五千の軍勢とともに東進し、豊後に侵入した。

 「ここで負ける訳にはいかぬ。菊池武光をおびき出すまでは踏ん張るのだっ」大友氏時の必死の叱咤激励のもと、志賀頼房を始めとする大友方諸将は奮闘し、懐良軍は苦戦を強いられた。

 「ふうむ、この大友勢の強さには何かある。単独で行動している焦りは、まったく感じられない。あたかも、一つの巨大な意志の下で、自信をもって体系的な作戦を行っているかのようだ」親王は鼻白んだ。

 「御意、そして大友氏時を背後から操る影は、きっと少弐頼尚のものでしょう」菊池武尚が言った。源三郎武尚は、戦はさほど上手ではないが、戦局を大局的見地から分析する能力に優れている。

 「そちもそう思うか・・・それで、我が軍はこれからどう動くべきだろうか」親王は身を乗り出した。

 「黒幕をいぶり出すしかありませぬ。いったん菊池に帰り、兄たちと図りましょう」

 「うむ、それが最善の策であろうな」

 こうして、懐良親王軍は菊池に退却した。

 弟たちから戦いの状況を聞いた菊池武光は、征西府軍の全力出撃を決意した。大友を操る黒幕の正体を見抜く方法としては、それが一番である。

 「一気に大友を撃破するっ」自ら陣頭に立った武光の号令に、全軍は沸き立った。

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 「そうか、武光が動いたか」

 大宰府政庁の自室で一人、静かに目を閉じている影は、少弐頼尚のものであった。郎党から征西府軍出撃の知らせを受けた頼尚は、再び、机の上に山積みされている書状の束に目をやった。これらは、来るべき決戦に少弐方に同心を誓う豪族たちからの誓書なのである。 

 一色探題がいなくなった今、少弐一族の目的である九州君臨を阻む存在は征西府ただ一つである。征西府の打倒によってのみ、少弐一族の悲願が達成できる。老獪な頼尚は、これまで表面上は征西府に忠誠を誓うように見せかけながら、その実、ひそかに反逆の準備を周到に整えていたのである。そして今、決断のときが来た。

 「だが、勝てるだろうか」

 五十の坂を越えた頼尚は、最近疲れやすくなった瞼に指を置いて沈思した。菊池武光の強さを知る彼にとって、これは危険な賭けである。だが、既に足利直冬に加担したことで自家の立場を弱めている頼尚としては、この賭けに勝ってすべてを挽回するしか無いのだ。

 「そうだ、迷っていても始まらない。北九州の豪族のほとんどが、我らに同心を約束してくれたのだ。勝機は十分にある。やるしかないのだ」

 しばらく後、大広間に姿を現した頼尚は、集まっている一族宗徒を前に必勝の信念を熱っぽく語った。

 「我らは、大宰少弐の家格を誇る坂東の名門である。いつまでも偽の朝廷や山間の土豪の下に這いつくばるわけには参らぬ。今こそ憎き逆賊を討滅し、亡き将軍(尊氏)の魂を慰め、正しい朝廷と幕府の前にわが家の正義を明らかにするのだ。そして今こそ、かつての鎮西奉行時代の栄光をこの手に取り戻すのだっ」

 万座の面々は、眼を輝かせて偉大な惣領の訓示を聴いた。手ごたえを感じた頼尚は、さらに語調を強めて必勝の作戦計画を明らかにした。

 「今、豊後に入った征西府軍は、二度と菊池に帰ることはできない。奴らは、気づかぬうちに完全に包囲されていることだろう。わしが張り巡らした蜘蛛の糸の中に飛び込んだ、哀れな蛾も同然である。もはや勝利は間違いない」

 その翌日、大宰府の少弐勢は豊後目指して南下を開始した。行く先々で各地から参集してきた友軍と合流し、いつしかその威容は二万を越える大軍となっていた。