永禄の凶変

 

 

 二年の歳月が流れた。

 永禄八年(一五六五年)の夏、蜷川新右衛門親長は、妻の久子と幼い一人息子・新右衛門(後の親満)とともに、所領が置かれた丹波(たんば)(京都北西部)船井郡の幡根寺(はねてら)城にいた。

 蜷川親長は、土佐で戦に巻き込まれた経験から、十歳になったばかりの息子に武芸を習わせていた。この加速する乱世の中では、武芸が不得手などと悠長なことを言っていられないことを悟ったのである。

 その蜷川一家は今、家族水いらずで、お茶を飲んでくつろいでいる。

「孫九郎さんに教えてもらって、弓は随分と上達したけれど」久子は茶碗を回しながら語る。「建武(けんむ)式目(しきもく)(室町幕府の法令)については、からっきしなのよ。うちは代々、政所の家柄だというのに」

「そっちの勉強は、ゆっくりでいいよ」夫は、気のない調子で応える。

「そうかしら」

「戦に巻き込まれて死んでしまったら、法令の知識も連歌の教養も役に立たない。まずは、生き延びることが先決だ。そのためには、体力だ、武芸だ」と、拳を振り上げる。

「確かにね」妻はため息をついた。「美濃の実家も、ひたすら戦続きみたいだし。近頃は里帰りも出来ない有様だわ」

 久子が生まれ育った美濃の斉藤家は今、尾張の戦国大名・織田信長から執拗な攻撃を受けていた。彼女の実弟である斉藤利三は、美濃国主・斉藤(さいとう)龍興(たつおき)の部将である稲葉一鉄(いなばいってつ)の与力として、激戦の最中にある。

 それもあって、かつてあれほど口うるさかった妻は、最近は夫に生活の貧しさについて愚痴ることを止めていた。戦に巻き込まれないだけ、今の生活が幸せであることに気付いたのだろう。所得漸減状態の夫にとっては、有り難いことである。

「そういう我々も、もはや安全ではいられないかもしれぬぞ」新右衛門は、難しい顔をして湯呑みを置いた。

「どうして? あの評判の悪い三好修理大夫(長慶)は、亡くなったんでしょう?」

「そういう噂だ。三好家の遺族連中と家老の松永弾正は隠そうとしているけど、修理どのは随分前から重い病を患っていたから、きっと実際に死んだのだろう。だけど、それが問題なのだ。もともと武力の小さい大樹さま(将軍・義輝)が、これまで強気でいられたのは、畿内の最高実力者・三好修理が、幕府に対して温厚な性格だったからだ。その笠が無くなった今となっては、先行きは油断できぬぞ」

「この城に、いられなくなりますか?」それまで黙って両親の会話を聞いていた新右衛門少年が、不安げに視線を彷徨わせた。

「城にはいられるかもしれないが、父は公儀(幕府)の仕事を失うかもしれぬな」

 政所代・親長は、寂しげに応えた。もっとも、政所の仕事も、最近はあまりやることがない。だからこそ、彼は居城で家族とのんびり団欒していられるのだ。政所というのは要するに裁判所なのだが、今のような無法の世界では、わざわざ幕府に出頭して訴え出るような者は少ない。昨年、政所執事(長官)の伊勢(いせ)貞孝(さだたか)が三好党に暗殺されてからは、なおさらだった。

「公儀の仕事を無くしたら、どうなるのです?」息子は尚も訊ねて来る。

「ずっとこの城で、戦国の武士として生きるのさ。戦と謀略に明け暮れる日々になるのさ」新右衛門は自嘲気味に呟いた。

「この小さなお城で?」久子はのけぞって、空の茶碗を取り落とした。

 幡根寺城は、城といっても、その実態は小さな館に過ぎない。家の子郎党も、百人いるかいないかだ。とても、戦国乱世に覇を唱えるどころではない。

「父上は、連歌も出来なくなりますか?」心優しい息子は、そういう心配もしてくれる。

「さあな。連歌は気の合う仲間が大勢いないと無理だからなあ。せめて京の都だけは、平穏であって欲しいよ」

 しみじみと語る蜷川新右衛門は、最近、京で連歌の会が頻度を増していることが気になっていた。「いろはの会」の仲間たちは、何かを敏感に察しているのかもしれない。

 そういえば、この会の変わり種・明智十兵衛光秀は、再び諸国漫遊と称して出歩くことが多くなっていた。おそらくは、将軍家の密命を受けての行動と思われるが、今頃は北陸にいるはずだ。もう一人の変わり者、細川兵部藤孝は、京で変事に備えて緊張していることだろう。

 なんだか、急に元気が無くなって来た。

 息子も同じ気持ちらしく、縁側から中庭に飛び降りると、木刀を掴んで素振りを始めた。

 

 

 噂の細川藤孝が、わずかな供回りを連れて幡根寺城に現れたのは、それから三日後のことだった。主従ともに泥まみれで疲労困憊で、目も当てられない有様だった。

「いったい、どうしたのです?」

 城門まで出迎えた新右衛門は、郎党たちに命じて冷たい水と手拭いを給仕した。

「大樹さまが討たれた」

「なんですって!」

 息も切れ切れの細川兵部が、冷水で喉を潤しつつ語るところによると。

 五月十九日の早朝、三好・松永の連合軍一万が、突如として二条の将軍御所を襲撃した。将軍・義輝は三百の手勢とともに勇猛果敢に迎え撃ったのだが、何しろ多勢に無勢。奮戦むなしく討ち死にを遂げたのだった。

「急報を受けて援軍を発したのだが、間に合わなんだ。わしが駆け付けたとき、二条御所はもはや炎上していた。追手に遮られて、長岡(藤孝の兄の所領がある)にも戻れず、仕方なく手勢を散らしてここまで落ちて来たのよ」兵部は、唇を噛みつつ滂沱と落涙した。

 蜷川新右衛門は、あまりのことに呆然として言葉も出なかった。もっとも、将軍と三好一党の勢力争いが激化しているのは知っていたから、「来るべきものが来た」という実感はあったのだが。

 兵部の一行を客間で休ませる手配をしてから、新右衛門は奥の隠居部屋に向かった。そこでは、父の(ちか)()が心配そうな面持ちで待っていた。新右衛門が簡単に事情を説明すると、老いて痩せた父は固く目を閉じて天井を仰いだ。

「最悪の事態になったな」

「まさか、陪々臣に過ぎぬ三好と松永が、足利将軍を問答無用で攻め殺すなんて!」

「下剋上、ここに極まれり!」

 親子は肩を落として嘆息した。

 世の中は、加速度的に悪い方向に向かっているようだった。

 

 

 それから数刻後、蜷川新右衛門は、細川兵部に呼ばれて客間に行った。

 衣装を整えた客人は、正座の構えで昂然と胸をそらせていた。すっかり気を取り直して生来の傲岸さを回復した佇まいは、さすが只者ではない。

「新右衛門どのには世話になる。かたじけない」その客人は、静かに頭を下げた。

「そんなことより、兵部どのは、これからどうなさるのじゃ?」対座した新右衛門は、肩を落としつつ問いかけた。

「これまで通りだ。これまで通りにやる」

「これまで通りって?」

「『いろはの会』の仕置き(計画)を進めるのだ」

「もう終わりでしょう」新右衛門は悲鳴にも似た声を上げた。「公儀(幕府)は滅亡です。もう終わったのです」

「わしは、そうは思わぬ!」細川藤孝は、両こぶしを体の両脇で畳に叩きつけた。「奴らは間違いなく、阿波に匿っていた偽の公方(足利義栄(よしひで)。義輝とは別系統の足利氏)を担ぎあげて新たな傀儡将軍にするだろう。奴らは、勇猛で覇気と叡智に溢れる武衛(ぶえい)さま(足利義輝)が邪魔になったので、とりあえず亡き者にしただけの話だ。足利将軍家が健在であるうちは、まだまだ事態を変えられる。この国を救うことが出来る」

「では、どうするのですか? とりあえず、三好党がこれから担ぐであろう新将軍に、新たにお仕えすると?」

「バカ言うな! それは出来ぬ。それは無理だ!」藤孝は頭を抱えた。

 細川兵部は、前将軍から無二の股肱として可愛がられていた。その恩義を理屈と打算で割り切れるほどには、藤孝は酷薄な性格ではなかった。

 客人がそれっきり思索に沈んでしまったので、心細くなった蜷川親長は、大急ぎで郎党を京に走らせて情勢を探らせた。

 京の情勢は、おおむね細川兵部の読み通りだった。三好義継(よしつぐ)(長慶の後継者)と松永久秀は、足利義栄を新将軍に据えて傀儡化する意向であるらしい。その準備と並行して、彼らは前将軍・義輝の血統や一味を厳しく追及し、こうして義輝の子供や兄弟はことごとく殺されるかどこかに幽閉された。その後で、義輝の与党への詮議が始まった。

 蜷川新右衛門は、洛中の妻の実家(石谷家)のことを深く心配したのだが、どうやら孫九郎頼辰は家族全員を連れて、いち早く美濃の実家へ逃げ落ちたらしい。前将軍と縁が深かった彼らとしては、他の選択肢はなかっただろう。

 公家衆やほかの武士たちも、めいめい地方に逃げ出すか、あるいは、それが可能な者は三好党に恭順を誓ったという。いつも連歌を詠んでいる「いろはの会」の穏健派の仲間の多くは、結局のところ、三好義継に頭を下げることで生活を守るようだ。

 だが、蜷川新右衛門と細川兵部は、彼らの側から主君の仇に頭を下げるわけにはいかなかった。彼らはともに、足利義輝に対して尊敬を抱き恩義を感じていたから、恩君を問答無用に不意打ちして殺した逆賊たちに頭を下げるのは、さすがに意地と誇りが許さなかったのである。

 だからと言って、今の蜷川家の武力と新右衛門の能力ではどうにも出来ない。蜷川新右衛門は、怒りと焦燥感のやり場に困って身震いを繰り返すばかりだった。

 

 

 もはや出仕もならず、城に籠もった形となった蜷川新右衛門は、数日後、明智十兵衛からの書状を受け取った。一読した彼は、破顔してその手紙を客人に見せた。

「北陸に出張中だった明智十兵衛どのは、どうやら越前(福井県)の朝倉家に身を寄せたようです。そして、『いろはの会』は、まだまだこれからだと述べています」

「そうか、十兵衛は朝倉を動かす気か。きっと、そうに違いない」細川兵部は、喜色満面で拳を振り上げた。「実をいうと、亡き大樹さまは、朝倉家と盟約を結ぶために十兵衛を北陸に差し向けたのじゃ。そして律義な十兵衛は、大樹さま亡き今でも、初志を貫徹しようとしているのに違いない。偉い男だな、明智十兵衛」

 細川兵部はまだ、「有力な地方大名を京に迎え入れて、朝廷と幕府の実権を回復する」という大きな夢を忘れていないのだ。しかしながら現状では、肝心の室町幕府が実体として消滅してしまっている。

 三好党の傀儡将軍になる予定の足利義栄は、阿波から淡路に移動したものの、そこに足止め状態だ。京の情勢が不穏なので、様子を見ているらしい。それどころか、どうやら三好党と松永の間に、意見の対立や利権争いが起きている気配なのだ。

 畿内は、いや日本国は、もはや政治的に空白状態となっていた。

 それから数日後、将軍御供衆の一員であった一色(いっしき)式部(しきぶ)藤長(ふじなが)が、商人に変装して幡根寺城に現れた。客間で蜷川新右衛門や細川兵部との久々の対面を喜んだ後、新しい客人は、「亡き大樹さまの弟君・覚慶(かくけい)さまの幽閉場所が分かった」と、昔の同僚に告げた。驚いた兵部は、別室で藤長と長い密談を行った後で、新右衛門にこう報告した。

「わしは、一色式部とともに、奈良興福寺の覚慶さまを救出するぞ」

 熱く語る細川兵部は、感動と興奮とでその声を震わせている。

「逆賊に仕立てられた偽将軍など絶対に認めぬ! 今となっては、亡き大樹さまと同じ血をひく覚慶さまこそ、将軍にふさわしいお方だ。わしは、正しい将軍とともに北陸の明智十兵衛に合流して他日を待つぞ。それで新右衛門どのは、これからどうする?」

「いろはの会」の一員としての覚悟を聞かれたので、蜷川新右衛門は戸惑った。彼は、細川や明智ほどの武闘派ではない。無言で困っていると、

「そうだな。新右衛門どのは土佐に行ってくれ。そして、長宗我部家を動かしてくだされ。朝倉家と長宗我部家で、三好党を東西から挟み撃ちにするのだ!」

「勝手に決めないでくだされ」と言いかけて、新右衛門は口ごもった。

 考えてみれば、土佐行きは魅力的な提案かもしれない。長宗我部元親から、連歌の師匠として正式に手紙で招待されているのだった。行けば、きっと厚遇されるだろう。だが、住み慣れた京を去るのには抵抗があるし、何よりも妻が嫌がるに違いない。

 新右衛門が去就に迷ってグズグズしているうちに、京から権力者の使者がやって来た。新右衛門は、細川藤孝と一色藤長を慌てて奥の間に隠すと、政所代の正装姿で使者を客間に迎えた。

 礼装の使者は、居丈高に「細川管領家の命令」を告げた。すなわち、このたびの事件は素行に問題が多かった前将軍を、細川管領の代官である三好義継が迅速かつ的確に処分したものである。だからといって、前将軍の政所代には罪はないので、新将軍に忠誠を誓えば蜷川家の所領をこれまで通りに安堵するという。

 思っていたよりも好条件な話なので、思わず体が前に傾きかけた。逆賊に頭を下げるのは屈辱だが、まずは家族のために生活を守ることが大切である。しかし、その後の使者の口上が気に入らなかった。これから始まる戦に際して、あくまでも三好義継の与力として参戦せよというのだ。

「近々、戦があるのですか?」新右衛門は、何気なく聞いてみた。

「決まったわけではない。だが、これ以上の下剋上は神仏の許すところではないから、下剋上を企てる輩には天誅がくだることだろう」

 新右衛門は、昂然と胸をそらす瓜実顔の使者を眺めながら、どうやら三好と松永とが、すぐにでも戦争を始めることを知った。

 応えを留保して、いったん使者に別室にお引き取り願った。それから、奥の間に潜んでいた二人の客人に事態を報告した。

「そうか、これから利権争いが始まるのか。本当に醜いな」

「腐っている。骨の髄から腐っている」

「誰も、主上(天皇)のことを考えない。民草のことを思いやらない」

「今の日本の国は、餓鬼地獄と一緒だ」

 地団駄を踏みながら激高する細川兵部と一色式部の様子を眺めつつ、蜷川新右衛門は不思議なことに、己の心が少しずつ晴れて行くような思いを味わっていた。

 自分の目の前にいるのは、餓鬼ではない人間だ。立派な人間だ。そういう人たちに信頼され心を許されている自分も、きっと立派な人間なのだ。だったら、自分は人間のままでいよう。い続けよう。この世がどれほど堕落しようとも、清く有り続けるのだ。

 蜷川新右衛門は隠居部屋に行き、父に決意を伝えた。

「土佐に行くか。それが良かろう」親世は頷いた。「わしも、遠縁を頼って東国に移り住むつもりでおった。その上で、この丹波の領土は、亡き大樹さまと縁が薄かった親戚にすべて譲るとしよう。そうすれば、蜷川家の心証が、逆賊から見て大幅に良くなるだろうから。おまけに、家督相続時の混乱を理由にすれば、蜷川家はこれから始まる不毛な戦への参加を避けられるだろう」

「さすが父上」

 新右衛門は、冷静で的確な判断を下す政所代の大先輩に頭を下げた。

 こうして、蜷川新右衛門親長とその妻子は、土佐への旅に出たのである。それと並行して、細川藤孝と一色藤長は夜の闇に潜行した。

 彼らの間に共通する想いは、「堕落した日本を救うこと」だった。

 

 

「お姉さん、よく来はりました」

「お久しぶりやね、小夜はん。それにしても、すごいお腹やね」

「もう動くんですよ。もうすぐです」

「ほな、ちょうど良かったわ。いろいろとお世話できるもの」

「おおきに。よろしくお願いします、久子姉さん」

 岡豊城の客間にて女同士の会話を聞きながら、蜷川新右衛門は「来てよかった」と実感していた。

 堺からの商船の中でいろいろと気を揉んだのは、連れて来た妻子が土佐の風土に馴染むかどうかだった。実際問題、久子も新右衛門少年も、海の上では船酔いのみならず、前途への不安にさらされて大いに悩んでいたのである。

 ところが、いったん土佐に入ると、待っていたのは鳴り物入りの歓待であった。長宗我部元親夫妻はもちろん、その家臣団も城下の一領具足たちも、満面の笑顔で出迎えてくれたのだ。そして土佐の国土は、京の暗さとは対照的な陽気に満ちていた。

 それは、元親夫人の小夜が臨月を迎えたことで、「世継ぎ誕生」の期待に溢れる岡豊城下がお祭りムードだったせいだろう。その奥方の親類が来てくれたので、長宗我部領の人々は大喜びなのだった。それに加えて、征戦の成功によって長宗我部家の家運が興隆しているという事実も、この明るさの背景にはあった。宿敵・本山氏は、今やその領土のほとんどを失い、山奥の瓜生野城(うりゅうのじょう)に押し込められて逼塞しているのだった。

 さて、蜷川新右衛門は「連歌の宗匠(先生)」という肩書で岡豊に逗留することになり、城下の一等地である蓮如寺(れんにょじ)に住まいを与えられ、さらに四十四町の、自耕して食べて行く上で十分な土地をもらった。

 しかし、実際にはいろいろな仕事を宛てられた。

 この当時、長宗我部家は、戦乱で荒れ果てた土佐神社などの寺社を再建する事業に取り組んでいた。しかしながら、由緒正しい寺社の故実や典礼に詳しい者が家中に少ないので、そうなると、京都でも有数の教養人・蜷川親長の出番になるのである。

 また、長宗我部家では、急激に拡大した領土の内政管理にも取り組んでいたのだが、とにかく内政担当の人材不足なので、そっちの仕事もしばしば新右衛門にお鉢が回ってきた。

「連歌なんか、まったくやる暇が無いじゃないか」

 苦笑する新右衛門だったが、もともと真面目な能吏であるから、この忙しさがむしろ楽しかった。彼自身にとって意外な発見だったのは、どうやら自分に財務や経理の才能があることだった。慣れない間は試行錯誤の連続だったのだが、戸籍や土地台帳を整備して、長宗我部領の経済力や動員力を算定し、整理し、組織化していく仕事は楽しかった。

 思えば京都にいたころは、肩書こそ室町幕府の「政所代」とはいえ、実際には三好や松永らの派閥抗争に翻弄されて、思いどおりに政務をやれたことなど一度もなかった。

 それが今では、肩書こそ「連歌の先生」とはいえ、内政面の専門的な仕事の多くを自分が専断できる。男子として生まれて来て、これほど誇らしいことはない。「鶏口となるも牛後となるなかれ」とは、よく言ったものだ。その言葉の意味が、実感として分かった。

 家族も、思った以上に新生活に良く馴染んでくれた。妻の久子は、身重の妹の面倒を見るのに夢中で、いつも忙しそうにしている。息子の新右衛門は、武芸の心得があるというので、武辺を重んじる土佐の同年代の子供たちの世界で一目置かれて楽しそうに生活している。でも、武芸ばかりでは良くないから、今度から吸江庵で学問を積ませる予定でいる。

「夏は暑いし、台風は多いけど、土佐に来て良かったな」

 改めて、そう思う蜷川新右衛門であった。

 さて、丹波で別れた細川兵部と一色式部はどうなったか?

 商人から伝え聞く噂では、奈良に潜入した彼らは、首尾よく興福寺の覚慶の救出に成功したらしい。それが直接の原因というわけでは無いだろうが、三好と松永はついに戦争状態に突入した。悲しむべきことに、彼らは奈良一円を戦場とし、東大寺の大仏殿さえ焼き払ったというのだ。

「こんな、どうしようもない世の中では、『いろはの会』の活動なんて無意味ではないだろうか?」

 蜷川新右衛門は、よくそう思う。だが、文字どおりに命がけで奔走している細川兵部や明智十兵衛のことを笑う気分にはなれなかった。

 もっとも、一見すると地味な新右衛門の仕事は、長宗我部家の勢力強化に確実に繋がっていた。つまり、彼の働きは「いろはの会」の夢の実現に大いに貢献していることになるのだから、新右衛門が友人たちの奮闘ぶりにひきかえ己を恥じる必要はまったく無いのだった。

 こうして蜷川一家が諸事多忙に過ごす中、小夜はめでたく第一子を出産した。丸々と太った賢そうな強そうな立派な男の子だった。

「でかしたぞ! でかしたぞ、小夜!」

 長宗我部元親の喜びかたは、半端ではなかった。産着の中で激しく泣く赤ん坊を抱え上げて、くるくると踊りながら城内を一周したのである。

 そんな夫の様子を、寝具に横たわった小夜は、嬉し涙にむせながら幸福そうに見守っているのだった。その傍らには、これまた幸せそうな久子がいた。

 この赤ちゃんは、父親の幼名を襲名して弥三郎と名付けられた。後の長宗我部(のぶ)(ちか)である。

 南国土佐は、ますます暖かい陽気に包まれるようだった。