第十五話 マリアナ沖海戦

 

 

 

 1944年6月、アメリカ軍は、15隻の空母と10隻の戦艦を中心とする、600隻もの大軍でマリアナ諸島に攻め寄せました。

 彼らの最初の標的は、サイパン島です。

 アメリカ軍は、大軍だからって、決して慢心したり油断したりしません。愚直にセオリーを守って戦います。まずは、空母部隊で周辺の諸島の飛行場を襲撃して周り、日本軍の航空機を500機ばかり吹き飛ばしました。それから、おもむろに上陸部隊を呼び寄せて、サイパンに砲撃と爆撃の嵐を食わせたのです。

 日本の機動部隊は、小沢治三郎中将率いる空母9隻を中心に、フィリッピン近海で手薬煉引いて待っていました。横腹からアメリカ艦隊に襲い掛かり、ミッドウェーの二の舞にしてくれようという計画です。しかし、作戦計画が敵に駄々漏れでは仕方ありません。

 ともあれ、世界史上最大規模の海戦が始まりました。日本人は、あのアメリカを相手に、世界最大の海戦を戦ったことを誇りに思っても良いのかもしれません。これを例えるなら、大阪夏の陣で徳川家康に挑んだ真田幸村といったところでしょうか。もしも日本軍が、幸村なみの見事な戦いを見せていれば、敗れても歴史に偉大な名を残せたかもしれません。ただ、マリアナ沖海戦の結果は、日本の壊滅的敗北に終わったのでした。

 小沢中将は、アウトレンジ作戦というのを案出しました。すなわち、日本の飛行機はアメリカよりも燃費が良いので(軽くて脆いから)、敵艦隊よりも攻撃の射程が長いのです。そこで、敵の飛行機が飛んで来れない遠距離から航空隊を発進させて、一方的に叩きのめそうと考えたのです。

 日本の航空戦力は、全部で500機。アメリカは1000機。倍の戦力差で空母戦に勝つには、それしか無かったでしょう。小沢の作戦は、あの現状では最善だったと思います。

 アメリカ軍の指揮官は、あのスプルーアンスでした。状況判断に優れた冷静な彼は、日本艦隊を無視して、サイパン攻略に特化する決意をしました。圧倒的な戦力を持ちながら、二兎を追う愚を避けたのはさすがと言わざるを得ません。

 こうして、日本艦隊の先制攻撃は、見事に成功しました。攻撃隊の発進に成功したとき、小沢中将とその幕僚は勝利を確信しました。なぜなら、空母戦のセオリーは、「敵より先に敵空母の甲板に穴を開けること」ですから、先制攻撃の成功は、イコール勝利だと思われたからです。

 ところが、先制攻撃の結果は無残なものでした。日本の攻撃隊は、文字通り全滅してしまったのです。アメリカ軍の損害は、戦闘機30機だけでした。軍艦は、至近弾を何発か受けただけです。

 どうしてこんなことに?両軍の技術差は、いまや話にならないくらいに隔絶していました。アメリカ軍の軍艦は、全て高性能なレーダーを装備していましたから、日本軍機の接近は、かなり早い段階で探知されていました。アメリカ軍の戦闘機部隊500機は、十分な余裕をもって出撃し、しかも最も有利な態勢で、長距離を飛行して疲労困憊の日本軍機に襲い掛かったのです。この最初の空戦で、大部分の日本軍機が撃墜されました。

 なんとか戦闘機の防衛網をかいくぐって突撃した日本の攻撃機も、アメリカ軍の高射砲によって片端から撃墜されてしまいました。アメリカ軍はVT信管と呼ばれる新型砲弾を実戦配備していたのです。これは、砲弾の中にレーダー発信機がセットされており、目標に直接命中しなくても、砲弾の近くに敵機が来ただけで爆発するという恐るべき新兵器でした。打たれ弱い日本軍機は、この新型砲弾によって海の藻屑と化したのです。

 あまりの一方的な戦果に、アメリカの従軍記者は、この戦いを「マリアナの七面鳥撃ち」と揶揄しました。

 悲惨なのは小沢艦隊です。まさか攻撃隊が全滅したとは思いもよらないので、「みんな、攻撃に成功して、グアム島あたりに降りているのだ」などといった希望的観測を口にして、じっと攻撃隊の帰りを待って、東の空を見つめていたのです。

 その後、小沢艦隊は袋叩きに遭いました。まずは潜水艦の魚雷攻撃によって、新型空母の「大鳳」と、歴戦の空母「翔鶴」が撃沈されます。諦めてフィリッピンに逃げようとした彼らを、ついにアメリカ空母艦隊が捉えました。もはや一方的ななぶり者です。大損害を受けた日本機動部隊は、もはや再起不能となったのです。

 太平洋戦争は、この時点で実質的に終結したと言っても、過言ではないかもしれません。少なくとも、空母対空母の戦いは、二度と行なわれることはありませんでした。もしかすると、世界の歴史上、最後の空母戦だったのかもしれませんね。

 「敗因分析」をしましょう。

 まず1点目。それは、計画性の無さです。
 日本軍は、全体として、どういう形で戦争を終わらせるべきか考えていなかったようです。少しでも日本に有利な形で戦争を終わらせたいなら、「アメリカ軍に大打撃を与えて講和条件を引き出す」しかありません。そのためには、敵が必ず攻めてくる戦略的要所、すなわちマリアナ諸島に全戦力を集中し、ベストの条件で決戦を挑むべきでした。

 しかし、既述のとおり、陸軍は中国やインドで大攻勢をかけており、アメリカとの決戦には、まったく乗り気ではありませんでした。海軍も、虎の子のように大切なベテランパイロットを、ソロモン諸島やニューギニアの航空消耗戦に逐次投入して失ったため、マリアナ沖海戦の時には、飛行訓練を始めて1年程度のヒヨッコパイロットしか残っていなかったのです。

 実に情けないのは、日本の戦争指導者が、パイロットの重要性をまったく認識していなかったという点です。ベテランパイロットは、育成するまでに3年の歳月が必要とされます。そして、航空機が戦いの主役となった第二次大戦では、敏腕パイロットの確保が、勝敗の分かれ目となるのです。そのため、第二次大戦の主要交戦国は、みな「パイロットを大切にする&後進の養成に全力を尽くした」のです。唯一の例外が、日本でした。日本は、何を勘違いしたのか、常識の逆をやったのです。すなわち、日本の軍隊は「パイロットを消耗品扱い&後進の養成に注力しなかった」のです。

 こうして、天下分け目のマリアナ沖海戦のとき、ほとんどの日本のパイロットが、「空母から発進できるけど、着艦は出来ない」といった素人の巣窟と化していました。例えるなら、仮免取立ての若造に、いきなり深夜の東名高速を東京から名古屋まで走らせたようなものです。これでは、アメリカ軍が高性能レーダーやVT信管で武装してなくても、日本軍に勝ち目は無かったかもしれません。

 要するに、日本軍の戦い方には、戦略というものが無かったのです。行き当たりばったりだったのです。まあ、だからこそ、勝ち目の無い戦争を始めちゃったんでしょうけどね。

 戦略の無さは、現在でも同じです。日本の政治家は、いったい日本をどうしたいのでしょう?全然見えませんものね。なんか、凄く不安です。

 次に2点目。民間人の力を結集できなかった点。

 これは、科学技術の話です。

 アメリカは、どうしてレーダー、VT信管を初め、原爆、原価計算、ロジステック技術において、長足の進歩を遂げられたのでしょうか?その理由は、国家組織の有り方です。アメリカは、大統領直属のプロジェクトチームを結成し、そこにアインシュタイン博士をはじめ、民間の有為な人材を大勢プールして、横断的な研究をさせたのです。大統領直属ですから、すごく大きな権限があります。カネも資源も使い放題。必要とあらば、軍人をアゴで使うことすら出来たのです。学者たちは、軍艦や軍用機を自由に視察し、最前線の状況すら、自分の目で知ることが出来ました。こうした実践的な研究が、彼らの技術を大きく進歩させたのです。

 日本はどうか?語るに落ちたりです。まず、政府レベルで民間の学者をプールする仕組みがありませんでした。また、お役所(要するに軍隊)が分立していたため、陸海軍のそれぞれの内部の縦割りのセクションごとに思いつきの研究内容が発注されたのです。しかも、それぞれの研究内容には緘口令が敷かれたので(どうして同じ日本国内なのに?)、学者たちは、お互いの研究成果を分かち合うことが出来ませんでした。また、軍隊は、学者たちを馬鹿にしていたのか、カネも資源もロクに寄越しませんでした。学者が軍艦や前線基地を視察したいと思っても、軍人はこれを許そうとはしません。「民間人を神聖な軍艦に乗せるわけにはいかぬ。穢れる!」とか、訳のわからぬことを言ったそうです。これでは、まともな研究が出来るはずがありません。

 実は、日本にも有能な学者が大勢いたのです。原子力の仁科博士や、世界最高のアンテナを造った八木博士。しかし、彼らの能力は、軍人たちにあまり評価されませんでした。八木アンテナなどは、日本国内より、むしろ英米のレーダーや無線機に多用されていたそうです。

 日米のこの違いは、いったいどこから来るのでしょうか?

 ガダルカナルの項で説明したように、アメリカの人材評価は「能力」が基準となります。能力さえ優れていれば、民間人でもホワイトハウスで胸を張って仕事ができるのです。

 しかし、日本の人材評価は「権威」が基準となります。戦争中は、受験勉強で成り上がった「軍人」が権威を持っていたのです。彼らは、自分たちの権威を維持するためには、権威を持たない全てのものを否定するしかないのです。彼らは、ノンキャリアや民間人を、ひどくバカにし軽蔑していました。だからこそ、有能な研究者に赤紙を送りつけて、最前線で歩兵にするような、愚かで残酷な振る舞いができたのです。

 民間の人材を軽視する日本の組織。これが、科学技術においてアメリカに大きく遅れを取った最大の原因だったのです。

 現代でも、この状況はあまり変わっていません。日本には、民間の人材を国家の中枢に吸い上げるシステムが存在しないのです。IT革命を本当にやりたいのなら、若手の民間人を大勢閣内に集めるべきでしょう。70歳やら80歳のジジイどもが、歯欠けの口を開いて「あいていー」とか言ったって、いったい何が出来るというのです?

 学者も、現代の日本ではたいへんに不遇だと言わざるを得ません。例えば、最近ノーベル賞をとった白川博士は、日本国内ではほとんど無名でした。たまたま外国で発表した論文が、海外で外国の有識者の目に止まり、晴れてノーベル賞受賞の運びとなったのです。国内の学者や政府筋、あるいはマスコミは、「白川英樹?誰それ」っていう態度だったようですね。

 最近読んだ本によると、日本では「複雑系」の研究がたいへんに進んでいるようですね。世界中から賞賛されているようです。しかし、マスコミはまったく採り上げません。私も、その本を読んで初めて事情を知った次第です。

 「権威(=受験の成績)」を持たぬものを評価しないこの社会。いい加減に是正しないと、第二次大戦の二の舞となることでしょう。