第二話 開戦100日の栄光

 

   1941年12月8日、6隻の日本空母から発進した350機の艦載機が、ハワイ真珠湾を空襲し、無防備のアメリカ太平洋艦隊を壊滅させました。

   時を同じくして、マレー半島や香港、そしてタイに日本陸軍が雪崩れ込み、また、フィリッピンのアメリカ軍飛行場は、台湾を基地とした日本軍の空襲によって大打撃を受けたのです。

   日本軍の作戦は、実に見事なものでした。開戦後、わずか100日の間に、英領マレーシア、英領シンガポール、英領ビルマ(現ミャンマー)、英領香港、米同盟国フィリッピン、米領グアム、ウエーキ、蘭(オランダ)領インドネシアを征服してしまったのです。西はインド洋、東は中部太平洋を含む、面積で見れば世界史上一、二を争うような大征服を達成したのです。

  この成功には、いくつもの理由があります

@ 壮大で綿密な作戦計画:

 大本営のエリートは、精緻で細かい作戦計画を、ワンセットだけ用意することが得意でした。このような計画は、状況がそれに沿って推移する限り、圧倒的な威力を発揮します。そして、状況はエリートたちが望んだとおりに推移したのです。 

A奇襲効果:

   宣戦布告なしの奇襲攻撃は、政治的には日本の威信を失墜させ、アメリカ人の戦意を高揚させるマイナス効果がありましたが、戦術的には大成功の重要な原因となりました。連合軍の戦力の多くは、何が起きたのか把握できず、無抵抗のまま初日に撃破されてしまったのです。

  B敵国の準備不十分:

   太平洋戦争勃発当時、アメリカ軍の戦時動員はほとんど行われておらず、特に太平洋・アジア地域は手薄でした。

 また、イギリス軍は、欧州でのドイツ軍の猛攻に対抗するため、アジアの精鋭を、全てヨーロッパ、アフリカ方面に引き上げていました。残されたアジアの植民地を守るのは、穴埋めのために無理やり連れて来られたインド人でしたが、彼らは、何のためにジャングルで日本兵と戦わなければならないのか、全く理解できない状態でした。ですから、日本軍の猛攻の前に、戦わずに逃げ出すか、進んで捕虜になっていったのです。

 インドネシアを守るオランダ軍は、母国がドイツに占領されていたので、増援を受けることが出来ず、また、その戦意も極めて低かったのです。

C人種差別:

   当時の世界では、人種差別や人種的偏見が一般的でした。欧米人の多くは、日本人のことを「人まねしか出来ないサル」と思ってバカにしていました。そんなサルだちが、近代兵器と優れた戦術を引っさげて攻めてくるとは、夢にも思っていなかったので、すっかり油断してしまったのです。

  D日本軍の奮闘:

   この戦争に臨んだ日本人の多くが、「国家危急存亡のとき」であることを十分に認識していました。そのため、士官から兵士に至るまで、日本軍の士気は極めて高く、強行軍や連戦の苦労を物ともしませんでした。また、「月月火水木金金」という言葉に見られるように、実に良く訓練されていました。彼らのこの奮闘が、敵の常識の裏をかく大胆な戦術を次々に実現させていったのです。

 また、ゼロ戦に代表される日本の戦術兵器は、その多くが英米軍のそれよりも高性能でした。日本人を「サル」と思ってバカにしていた白人たちは、予期せぬ高性能兵器に翻弄されて、成すすべも無く敗れていったのです。

 

 日本軍が当初立てた戦争目的は、「南方資源地帯を確保して、長期自給の態勢をとる」というものでした。その目的は、わずか100日で達成されてしまったのです。

 日本中が、涌きに涌いて大騒ぎでした。日本国民は、バブルのときもそうでしたが、熱し易く冷め易い軽佻浮薄なところがあるようです。まあ、マスコミの記事が軽佻浮薄なので、それに煽られているせいでしょう。

 さて、日本国の進路は、次にどうするか?実は、誰も何も考えていなかったのです。

 大本営のエリートは、受験勉強の積み重ねで出世した人々なので、具体的な目的が与えられている事柄については綿密で立派な計画を立てられるのですが、もともと想像力が乏しいので、目の前に具体的に存在しない事柄について、自分たちで目的や達成手段を設定する才能はないのです。だからといって、仕事をしないわけにはいきません。この場合、どんな仕事をするのかというと、過去の延長になるのです。

 前にも述べた国土交通省ですが、なんであんなに土木工事ばかりやっているのか といえば、彼らは「戦後復興」のノリでインフラ整備をしているのです。「戦後復興」という目的は、とっくの昔に達成されたというのに、新たな組織目標が与えられないものだから、過去と同じ事を反復継続し、不要不急のダムや河口堰や橋を造りまくっているというわけなのです (最近は、多少はマシになったのかな?)。これが、官僚組織というものが抱える本質的な欠点です。

 さて、当時の日本は、今と同様、政治家不在の官僚天国でした。官僚は、上から指示を与えられない限り、過去と同じ仕事を永遠に続けようとします。大本営もそうでした。彼らは、占領地域をさらに拡大しようと考えたのです!

 もしも有能な政治家が状況を支配していたら、どうなっていたでしょうか。恐らく、占領地域を全て手放す覚悟で「講和」を行ったことでしょう。冷静に考えて、日本には長期戦の勝ち目はありません。そもそも、日本の直接的な戦争目的は、「アメリカに止められた石油を、再び確保する」ことにありました。もしも有利な講和を成立させることが出来れば、再び石油を買えるようになったでしょう。そして、有利な講和を提唱できるチャンスは、予期せぬダメージで敵が動揺しているこの時をおいて無かったのです。つまり、この段階で「戦争を止める」のが、最善の選択肢だったと思うのです。

 物事には、キリというものがあります。戦争には、攻勢限界点というものがあります。これを見極めて官僚の手綱を取るのは政治家の役目なのですが、日本にはそんな人、どこにもいませんでした。もともと軍部が暴走して起こした戦争だから、当然なのですが。

 海軍は、オーストラリア全土の征服を真剣に考えました。ただ、この計画は陸軍の反対によってご破算になりました。陸軍がどうして反対したかというと、彼らの本音は、一刻も早く太平洋から兵力を引き上げて、中国との戦争に注力したかったからです。それにしても、オーストラリアの征服なんて、当初の戦争目的から照らして何の意味も持たないし、そもそも日本の国力では達成不可能でしょう。ここにも、「官僚の暴走」という構図が見て取れます。暴走官僚は、仕事をすればするほど省益にプラスになるので、あえて無意味な大仕事を企画する特徴があるのです。

 諦めきれない海軍は、ソロモン諸島やフィジー、サモア両島を占領しようと考えました。これは実行に移され、それがニューギニアやガダルカナル島の戦いへと発展するのです。  

 また、山本五十六は、ハワイ方面に兵力を集中し、アメリカ海軍との決戦を志向しました。まあ、これは彼の「短期決戦主義」から見て当然だったのです。彼は、戦争を終わらせるためにこの作戦を考えたのです。日本の政治家が、「講和」を言い出すことを期待できないので、アメリカを痛めつけることによって、向こうから「講和」を言い出させようと考えたわけです。でも、アメリカから講和を言い出す可能性が低かったことは、前述のとおりです。

 いずれにせよ、「政治家不在」で、確固とした国家戦略を持たない島国は、こうして破滅への道をまっしぐらに突っ走るのでした。