第三話 ミッドウェー海戦

 

 

 ミッドウェー島というのは、太平洋のど真ん中に浮かぶ珊瑚礁です。松田聖子も、「青い珊瑚礁」のころは可愛かったのにねえ。・・・ともあれ、あの辺りは海ばかりなので、小さな珊瑚礁でも戦略的な価値を持つのです。

 1942年6月、日本軍がアメリカ領のこの島を狙ったのには、いくつかの理由がありました。すなわち、@前進基地を設けて、ハワイ方面からのアメリカ軍の動きを監視、牽制する。Aあわよくば、ここを奪回に来たアメリカ艦隊を待ち伏せして叩き、アメリカを講和会議のテーブルに付かせる。

 @については、直接的な理由があります。4月に、アメリカの空母部隊が房総半島の沖合いに現れ、東京を空襲したのです。被害自体は軽微だったのですが、日本国民に与えた精神的動揺は大きなものがありました。日本軍は、乏しい兵力をやりくりするために、本土をがら空きにしていたので、アメリカ艦隊に対して有効な反撃を行なえなかったのです。 

   山本五十六は、これを大いに憂慮し、ハワイと日本本土を結ぶ中間地点に監視所を設ける必要を感じました。ミッドウェー島は、その最適地だったのです。

Aについては、既述のとおりです。山本は、長期戦になれば日本の敗北は必至なので、その前にアメリカと講和したいと考えていました。そして、ミッドウェーを餌にして敵艦隊を全滅させることに成功すれば、それが可能ではないかと考えたのです。いずれにせよ、アメリカの反撃態勢が整う前に、出来るだけ敵を弱らせておくに越したことはないわけです。

ところが、アメリカ軍は、既に日本海軍の戦略暗号を解読していたので、ミッドウェーに罠を張って待ち伏せしていたのです。日本軍の空母4隻からなる機動部隊は、みすみすこの罠にはまり込んで袋叩きにされたのです。

日本軍は、6隻の大型空母と2隻の補助空母を使って、これまで天下無敵の活躍を続けてきました。それがどうして、4隻だけで戦う羽目になったのでしょうか?それは、海軍内部で意見が割れたからです。すなわち、オーストラリア方面を経略しようという派閥と、ハワイ方面を経略しようという派閥の対立がありました。これが他の国なら、政治家が間に立って意見の調整を行なうでしょう。ところが日本は政治家不在の国(今も同じだけど)なので、誰も調停してくれなかったのです。それで両者の対立は痛み分けとなり、結局、空母部隊を折半する結果になったのです。そして空母2隻はニューギニアに向かい、待ち伏せしていたアメリカ空母部隊と死闘を繰り広げました。5月の「珊瑚海海戦」です。この戦いは両軍とも大損害を出して「引き分け」に終りました。しかし日本軍はこのときの損傷を修理することができなかったので、傷ついた空母2隻は呉で待機することになってしまったのです。

補助空母2隻は、ミッドウェー海戦に参加できたのに、陽動任務でアリューシャン列島攻撃に回されました。どうして、そんな辺鄙なところで陽動させたの?これはどうにも理解できません。

ともあれ、ミッドウェー島を直接攻撃するのは、空母4隻になってしまったのでした。戦いを始める前から、戦力分散の愚を犯していたのです。

技術力に優れるアメリカは、「珊瑚海海戦」の損傷を、あっというまに修復し、空母3隻となってミッドウェーに進出していました。日本軍よりも1隻少ないですが、ミッドウェー島自体が第4の空母だと考えれば、両軍の戦力はほぼ互角と言えるのです。
 
 ミッドウェーの戦いは、さまざまな作家や学者や映画人が題材に取り上げています。それは、アメリカ人と日本人の思考様式の違いや、当時の日本軍が抱えていた本質的な弱点を浮き彫りにするテキストだからです。

歴史というのは、昔のお話ではありません。きちんと勉強すれば、現在の教訓として実生活でも生かせるのです。
 
 さて、日本軍とアメリカ軍は、ほぼ同じ戦力でぶつかる事になりました。ただ、アメリカ軍は戦略的に圧倒的に有利です。なぜなら、暗号解読に成功した彼らは、日本軍の戦略目標も戦力も、作戦の日時もおおむね把握していたからです。対する日本軍は、敵の戦力の事が何も分かっていません。しかも、作戦が読まれていることに気が付きませんでした。

普通なら、ここで日本の負けは確実と思われるところです。しかし、日本軍は、卓越した戦術能力を持っていました。航空機の性能、パイロットの技量、そして豊富な実戦経験という点で、アメリカを大きく凌駕していたのです。ですから、勝敗の行方は予断を許さないものがありました。

戦略のアメリカvs戦術の日本。

こういう視点で見ても、ミッドウェー海戦は興味深いテーマといえます。

ところで、太平洋戦争の主要な海戦は、空母対空母という形を取ることが一般的でした。どうしてかと言うと、空母が最強の兵器だったからです。いや、空母自体は全然強くありません。空母から発進する飛行機が強かったのです。空母というのは、海に浮かぶ飛行場です。そして、飛行甲板に穴が開いて飛行機が飛び立てなくなったら、単なる役立たずのオブジェになってしまうのです。ですから、空母戦のセオリーはただ一つです。

『敵より先に、敵空母の飛行甲板に穴を開ける』

ミッドウェー海戦の焦点の一つに、このセオリーをいかに実現したかが問題となりますので、ご記憶ください。

以上を前提に、実戦の経過を見ていきます。

第一ラウンド;

ミッドウェー島の北方から接近した日本空母艦隊は、第一次攻撃隊を発進させてミッドウェー基地を空襲した。しかし、日本軍の動きを完全に察知したアメリカ軍は、いちはやく航空隊を空の彼方に避難させ、しかも増強された対空火器で迎え撃ったため、日本の攻撃隊は大きな損害を受けた上に、爆撃自体は大きな戦果を挙げられなかった。
 これと入れ違いに、ミッドウェー島から発進した大型爆撃機の編隊が、日本空母艦隊に空襲を加えた。日本艦隊は、操舵手の巧みな技量のお陰で、全ての爆弾を回避した。

アメリカ戦略vs日本戦術は、互いの攻撃を空振りさせたわけです。

第二ラウンド;

第一次攻撃が不発に終ったことを知った日本艦隊は、ただちに第二次攻撃隊を繰り出そうと考えた。しかし、第二次攻撃隊は、アメリカ艦隊の襲撃に備えて、全機体が魚雷を装備していた。
 日本軍は、敵艦隊が待ち伏せしている可能性を考慮して、いちおうはハワイ方面に偵察機を飛ばしていたが、マニュアルの内容を大幅にはしょったいい加減なものだった。そして、アメリカ空母艦隊を発見した偵察機の無線が故障(!)していたため、日本艦隊は、敵空母の接近にまったく気がつかなかったのである。
 こうして、「敵艦隊はいない」と速断した日本軍首脳部は、爆撃機の魚雷を全て陸用爆弾に換装する作業を開始した。当時の日本の技術力は低かったので、こうした作業は全て大勢の人間が手作業で行なった。その過程で第一次攻撃隊の収容作業も行なったため、換装が終了するまで3時間近くかかってしまったのだった。
 いよいよ換装が終了したときになって、ようやく帰還した偵察機が重要な情報をもたらした。
 「敵空母3隻、急速接近中!」
 日本軍首脳部は、顔面蒼白となった。陸用爆弾では、敵を撃沈できないからである。しかし、空母飛龍に座乗する山口多聞少将が、すかさず通信を送ってきた。ただちに攻撃隊を発進させよ、というのだ。
  
 空母戦のセオリーを知る我々は、山口少将の見識の高さを理解できます。一刻も早く敵空母の飛行甲板に穴を開けなければならないし、穴を開けるだけなら、陸用爆弾でも十分だからです。

 しかし、空母赤城に座乗する南雲中将と源田航空参謀は、山口少将の意見を握りつぶした。彼らは「撃沈」に拘るあまり、換装が終わったばかりの爆撃機の武装を、全て魚雷に換装しなおすよう命じたのである。こうして、再び大変な作業が始まった。その間、日本艦隊は敵を攻撃できず、一方的に敵の襲撃を受ける形勢になってしまったのだ。
 アメリカ空母部隊は、セオリーに極めて忠実な戦い振りを披露した。武装に拘らず、発進準備が完了した爆撃機から順番に進発させたのである。次々に日本空母に波状攻撃を加えた彼らは、しかし厚い壁に阻まれた。日本海軍の誇る世界最強の戦闘機ゼロ戦である。アメリカの最初の攻撃隊は、一機残らずゼロ戦に撃墜されてしまったのだった。
 ようやく、換装作業が終了した。
 そのときである。雲間から急降下してきたアメリカ軍の爆撃機が、次々に爆弾を投弾したのであった。ゼロ戦は、低空から飛来する敵雷撃機の対処に夢中で、高空から攻めてくる敵に無警戒だったのだ。
 赤城、加賀、蒼龍の3空母は、たちまち燃え上がる薪となった。爆弾の数発で、どうしてこんなになっちゃったのか?その理由は簡単である。換装作業に夢中だった空母の甲板や格納庫には、爆弾やら魚雷やらが山積みされていたのである。これらが一斉に誘爆し、空母艦隊は再起不能の大損害を受けたというわけだ。アメリカにとっては、予期せぬラッキーパンチが決まったというわけ。
 もはや、勝負の行く末は決まったかに思われた。
 

さて、ここで寄り道。

日米の艦隊司令官たちのプロフィールを見ておきましょう。

まず日本軍は、南雲忠一中将が空母部隊の司令官でした。この人は、もともと水雷戦術(魚雷戦)のベテランで、空母や航空機を使った戦術には、全く無知でした。どうしてこんな人が空母部隊の指揮官になったかというと、日本海軍の人事は、大学を出たときの成績と、役所に入ってからの年功とで、そのポストが決まる仕組みになっていました。そして、南雲の年功が、ちょうど「空母部隊の指揮官」に該当したのです。

日本には、空母戦の専門家っていなかったのか?実はいたのです。山口多聞少将です。しかしこの人は、南雲より年功が足りなかったので、南雲の部下としてミッドウェー海戦に参加したのでした。日本海軍の首脳は、さすがに南雲の能力を心配して、航空参謀として元パイロットの源田実中佐を付けました。

山本五十六長官は、大和を中核とした戦艦7隻と、陸軍上陸隊を護衛する艦艇を引き連れて、空母部隊の後方からミッドウェーを目指しました。

以上が、ミッドウェー海戦に臨んだ日本海軍の陣容だったのです。

さて、アメリカ軍はどうか?実は、アメリカ軍は大艦巨砲主義だったので、空母戦の専門家はいなかったのです。ハルゼー中将が、かろうじて要領を得ていたのですが、ミッドウェーの直前に病気にかかって療養生活に入ってしまいました。ハルゼーが後任に推薦したのは、巡洋艦の艦長だったスプルーアンス少将でした。スプルーアンスは、空母戦の経験はなかったし年功も足りなかったのですが、ハルゼーは彼の冷静沈着さと状況判断能力を高く評価し、異例の大抜擢をしたのでした。そして、二ミッツ大将もこれを喜んで承認したのです。三国志に詳しい人は、呂蒙、陸遜、孫権の関係を思い出すかもしれませんね。

ミッドウェー海戦の勝敗を分けた大きな要因が、こうした人事の有り方にあることは、広く指摘されるところです。

しかし、ただ1隻生き残った空母飛龍の指揮官が、山口少将だったことは、不幸中の幸いと言えなくもありません。

こうして、最後の第3ラウンドが始まります。

第3ラウンド;

山口少将は、闘志を燃やしてアメリカ艦隊に挑んだ。1隻vs3隻では不利だが、空母戦のセオリーは、敵空母の甲板に早く穴を開けることだから、うまく立ち回ればそれが可能と考えたのだ。彼はトリッキーな機動で敵の目をくらますと、直ちに攻撃隊を発進させた。攻撃隊は、空母ヨークタウンに殺到し、これを大破炎上させたのである。知らせを受けた山口は、続けて第二次攻撃隊を発進させた。目標は、「ヨークタウン以外の空母」であった。戦闘能力を喪失した空母を襲っても意味がないからである。しかし、第二次攻撃隊は、ヨークタウンを攻撃してしまったのだ。

 どうして、このような手違いが起きたのでしょうか?実は、大破炎上したはずのヨークタウンは、あっというまに鎮火して、甲板の損傷もおおむね修復に成功していたのです。攻撃隊が、別の空母と誤認しても無理もなかったのです。アメリカ軍の空母は、全艦がスプリンクラーを標準装備し、防御隔壁を設けるなど、たいへんに打たれづよい構造になっていました。

ちなみに日本空母は、防御隔壁も不十分の上、スプリンクラーもほとんど装備されていなかったので、とても打たれ弱かったのです。両軍の技術力(あるいは思想的な問題か?)は、これほどの大差だったのです。

 空母ヨークタウンは、魚雷攻撃によって致命傷を負ったが、残りの2隻(エンタープライズ、ホーネット)は、全くの無傷だった。彼らは、ついに飛龍を発見し、全力で猛攻を仕掛けたのだ。飛龍は大破炎上し、山口少将も艦と運命を共にした。
 日本軍は、空母4隻と航空機300機を失い、この損害を終戦まで補充できなかったのである。
 知らせを受けた山本長官は、直ちに作戦中止を下令し、こうしてミッドウェー海戦は終結したのであった。
 ところで、空母ヨークタウンはどうなったか?修復に成功し(!)、ハワイに帰還する途中で、日本の潜水艦の魚雷攻撃にあってついに沈没したのである。なんとも不運な船であった。ともあれ、日本軍は、ワンサイドゲームの汚名だけは免れたというわけだ。

 さて、いよいよ総括です。

日本軍の敗因の分析をしなければ、温故知新にならないので。

ただ、市販の本を読んでいていつも思うことは、「後知恵なら、どうにでも言える」ということです。特に、専門家の本を読んでいて気になるのは、「勝った側は、勝つべくして勝った。負けた側は、負けるべくして負けた」という論調が目立つ点です。つまり、勝った側の長所を強調し、負けた側の短所を強調するわけです。まあ、学者先生は、物事に理論を与えるのが商売ですから、仕方ないのですがね。私見では、世の中には理屈では割り切れないものがあり、その一つが愛情であり、また勝負事の結果だと思うのですが。

ミッドウェー海戦の結果は、様々な偶然や運が重なってあのような結果になったのであり、日本が勝つ可能性だって大きかったと思うのです。まあ、ここで勝っていても、戦争自体は負けたと思いますが・・・。

それでも敢えて敗因を列挙すると、次のようになります。

@年功序列型人事
 無能力者をトップに据えるような、また敗戦の責任を一切問わないような、身内の自己満足を組織の機能よりも優先させる馴れ合いの人事

A戦略目標の不明確
 ただでさえ乏しい戦力を、ニューギニアやアリューシャン列島に分散させた。また、ミッドウェーに投入した戦力に限定して考えても、島の攻略と敵艦隊の撃滅の、どちらを優先するのか事前にはっきりさせておかなかった。これは山本の責任。

B索敵の不徹底
敵艦隊がいないだろうと勝手に思い込み索敵を怠った。これは南雲と源田の責任。

Cセオリー無視
 空母戦のセオリーを無視する思い上がり。主に源田の責任。

 これに、私見を加えて多少補足します。

 まず、日本軍が敵の待ち伏せを受けた最大の原因は、「敵が暗号を解読している可能性」に思い当たらなかったことです。しかし、客観的に状況を分析すれば、「既に暗号が解読されている」ことは分かったはずです。

 みなさんは、アメリカ文化を良くご存知でしょう?アメちゃんは大雑把な奴らなので、結構、隠し事が苦手なのです。

 5月の珊瑚海海戦のとき、ニューギニアの東南を航行中の日本艦隊は、アメリカ軍の空母2隻に待ち伏せ攻撃を受けました。しかし、アメリカがこの時保有していた空母は、あの広い太平洋に全部で4隻だったのです。

 そしてアメリカ軍は、ハワイの防衛に注力しなければならない情勢でした。どうして半数をニューギニアに出して、しかも待ち伏せできたのか?

 せめて、暗号解読の可能性について疑ってみるべきでした。もし、疑いを持ってさえいれば、ミッドウェーの海上で、もっと入念に索敵を行なったはずです。

 情報不足の癖に、未来を過去の延長としてしか捉えられないのが、役人の悪癖です。これまで暗号が読まれなかったのだから、これからも大丈夫だろうと思い込んだのです。バブルの時に処理を誤った大蔵官僚と同じ事です。日本海軍には、こうしたお役所体質が染み付いていたのでしょう。
 
 次に私が問題視したいのは、セオリーを守ることの大切さです。

 私の職場での体験では、セオリーを大切にするのは、まったくの初心者か、本当に仕事が出来る有能な人物の2種類です。中途半端な小才子は、仕事に慣れてくると自惚れて、わざとセオリーを外した行動を取ろうとします。そういう人は、本人が思っているほどには仕事が出来ないのです。

 三国志に、馬謖というのが出てくるでしょう?あれなんか、小才子の典型ですね。諸葛孔明にセオリーを守るよう教えられたのに、見栄を張ってわざと無視して大敗したでしょう?その結果、「泣いて馬謖を斬る」の故事が生まれたんですけどね。

 これをミッドウェー海戦に当てはめると、

 ・スプルーアンス・・・まったくの初心者ゆえ、セオリーに忠実
 ・山口・・・・・・・・有能な玄人ゆえ、セオリーを重視
 ・源田・・・・・・・・小才子ゆえ、セオリーを外した

 という関係図が描けます。

 ちなみに、南雲は、自分自身に判断能力がないものだから、作戦の全てを源田任せにしていたそうです。まあ、こんな人をトップにする人事が間違っているんですけどね。

 ともあれ、セオリーを大切にすることの重要さが、ミッドウェーの戦史からも浮き彫りにされると思うのでしょうがどうでしょう?