9月4日(木曜) クラコフ市内観光

 


 

ホテルを出発

王の道

ヴァヴェル城とユダヤ人街

中央市場広場

コシチュシコ山

ショッピングモールと大学

龍の洞窟とマンガ館

雷雨襲来

 


 

ホテルを出発

 

 

またもや、6時半にセットした携帯アラームが鳴る少し前に眼が覚めた。今日は、電車の時間を気にする必要がないので、多少は寝坊しても構わなかったのだが、起きてしまったものは仕方ない。

 

なんか、絶好調である。今だかつて有り得ないくらいに、心身ともに充実している。アウシュビッツの怨霊たちが、俺に憑依してスタンドパワーに変換したのだろうか?(荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」より)。などと、不謹慎なことを考えてしまう。

 

スキップしたい気分で、7時に朝のホテルバイキングに行くと、ワルシャワのノボテル以上に品揃えが豊富だったので、いろいろと試すことができて良かった。ガイドブックに載っていたビゴス(キャベツとソーセージの煮込み)を、ようやくここで食べることが出来たのだが、想像通りの味で、別にどうってことなかった。さすが、餃子とお好み焼きの国である(笑)。後は、パンとスクランブルエッグとソーセージに、ジュースとサラダ。コーヒーには懲りたので、紅茶を飲んで今日の朝飯は終わりだ。

 

それにしても、バイキングの受付のお姉さんは、とても信じられないほどの美人だった。わざわざ、そういう人を選んで配置しているのだろうけど、美人大国ポーランドの中での美人なんだから、思わず朝っぱらから見とれてしまうわい。なんか、日本に帰りたくなくなって来たな。悪いけど、ポーランド美女に比べたら、日本人女性は宇宙猿人ゴリとラーの水準です(笑)。もうちょっと彼女らに愛想があれば、「ポーランド人現地妻量産計画」にゴーサインを出すところだったんだがなあ(苦笑)。

 

いったん部屋に帰ってから、いつもの装備で街に繰り出した。早朝の冷たい空気を浴びながら、昨夜使った高架線上のトラム駅まで行くと、ちょうど8番トラムが来たので、これに乗って東へ進むことにした。しばらく走ると、クラコフ旧市街を囲む環状道路(昔の城壁跡)の西側に出た。市街図によると、8番トラムはここから右折(南進)するようだ。でも、最初は北の正門を使って歴史上の「王の道」沿いに市街に入ってみたいので、北進するためにいったんこのトラムを降りることにした。

 

環状道路の停留所で待つことしばし、南から3番トラムがやって来た。3番って、どこを走る路線だっけ?面白半分に、路線図をチェックしないで乗り込んだところ、しばらく環状道路を時計回りに北進してから、急に左折して市街の外側に去って行くではないか!おいおい、と苦笑しつつ、次の停留所で降りて、歩いて環状道路に戻った。こういった小さなトラブルは、本当に楽しい。かえって、街の本当の生活臭が感じられるから。

 

周囲には、朝の通勤客目当てのパン屋が多い。屋台のパン屋で良く見かけるのは、昔ハンガリーで食べたことがある大きなゴマパン(ペレツ)だ。これはワルシャワには無かったので、やはりクラコフはハンガリー文化の影響を独自に受けているということだろうか?

 

などと考えつつ、環状道路の北側を時計回りに東に向かって歩く。昔の城壁を取りこぼして道路にしている点では、この街はウイーンやプラハやショプロンやプルゼニュと同じだ。どちらかというと、プルゼニュの形に近いかな?環状道路の内側は緑多き公園になっていて、そのさらに内側にあるのが歴史的な旧市街なのである。

 

 

王の道

 

 

しばらく歩くと、大きな円形赤レンガの建物が見えて来た。どうやらこれが、市街の北門を守る円形要塞バルバカンである。ワルシャワ旧市街にもあったけど、あれよりも大きくて厳しくて強そうだ。近づいて中を覗いてみると、この要塞の内部は、ちょっとしたレストランになっていて、時にはクラシックの演奏会もあるようだ。

 

 

ただし、演奏会は夜遅くからで、しかも曜日限定であるようだ。次第に分かるのだが、この街は旧ハプスブルク文化圏のくせに、クラシックの演奏会の本数が少ない。

 

プラハでは、街中で数多くのミニコンサートが開催されている。いつも大勢の若者がビラ配りをしているから、簡単にチケットを入手できるし(しかも安い!)、即行で演奏を聴けるようになっている。演奏会場も、通常のコンサートホールのみならず、教会や博物館の一室を開放し、毎日のようにゲリラ的に演奏会をやっているのだ。それだけ、文化の裾野が広いということだろう。こういった環境こそが、世界に冠たるチェコフィルやプラハ管弦楽団の見事な技量の土台となっているのだ。

 

これに比べて、クラコフのシステムは日本と同じだ。クラシックのコンサートは、本数が限定されていて、日にちも限られていて、チケットは事前に予約して入手しなければならないし、開始時間も遅めだ。

 

なるほど、だからポーランドの管弦楽団は、あまり世界的に有名ではないのだな。こういうこところが、社会主義的である。日本の有り方と同じである。

 

俺はしょっぱなから、クラコフに大きな期待はずれを味わったのだった。

 

気を取り直してバルバカンから南に進むと、そこには旧城壁の一部が残されていて、美しい門が立っていた。これが、フロリアンスカ門である。この門の狭い入口を南に潜ると、そこには美しい赤屋根の列が並ぶ。いよいよ、クラコフ旧市街というわけだ。

 

観光客向けの土産屋やレストランが並ぶ狭いフロリアンスカ通り(王の道)を南に歩いて行くと、通りのあちこちにテレビ局の広告が飾ってある。どうやら、歴史番組の宣伝のようだ。そのテーマは、1683年の「第二次ウイーン包囲」における、ポーランド王ヤン3世ソビエツキの大活躍であるらしい。

 

ソビエツキ王は、ある意味で、世界史を変えた英雄である。なぜなら、あのオスマントルコ帝国を、ヨーロッパでの陸戦で初めて大敗させたのが彼だったからだ。オスマン帝国は、これ以降数百年にわたって連戦連敗街道を驀進し、ついには滅亡寸前に追い込まれる。その最初の契機を作ったのがソビエツキ王だったのだ。なかなか偉大な軍人王なのである。

 

「ポーランド語の番組じゃ、あまり内容が理解できないだろうけど、ぜひ見たいなあ」と思い、広告をじっくり眺めてみたのだが、どこのチャンネルで何日の何時にやるのかが書いていない。俺の読み方が悪いのか、それとも、クラコフの人にとっては自明のことなので書かれていなかったのかは謎だ。まあ、どうせこの街にいられるのは明日の朝までなので、タイミングよく見られる可能性はゼロだろうと思って諦めた。

 

しばらく歩いて行くと、長方形の大きな広場に出た。これが、旧市街の中心に位置する「中央市場広場」である。ワルシャワの旧市街広場とは、とても比較にならない大きさだ。

 

 

中央にある大きな建物は、「織物会館」と呼ばれるバザーである。ここはもちろん早朝なので開いてなかったのだが、建物の各所が改装工事中で、どうやらこの館内に置かれた国立美術館には入れないことが分かった。少々、残念。この建物の前に、前述のヤン・ソビエツキ国王の勝利を描いた巨大壁画が置かれていたので、感動してデジカメを使ってしまった。

 

 

広場の中心にバザーがあるとは、少々ユニークだ。これがチェコの場合は、プラハでもターボルでもプルゼニュでも、広場の中心にあるのは教会であった。それでは、クラコフ旧市街の教会はどこにあるかというと、聖マリア教会と呼ばれる無骨なものが、広場の東北辺に建っていた。

 

ちょうどその時、この教会の鐘楼から厳かな鐘の音が聞こえて来た。腕時計を見るとちょうど8時なので、これは時報なのだろう。鐘の音に続いて、今度は物悲しいラッパの音色が始まった。そういえば「地球の歩き方」に、クラコフのこの教会では、中世以来の伝統を守り、時報にラッパを鳴らすことにしていると書かれていたな。実に、良い感じである。なんだか、無茶苦茶に楽しくなって来たぞ。

 

ウキウキ気分で足取りも軽く、バザーの周囲を歩き回った。あちこちにオープンエアの洒落たレストランやカフェがあり、まさに「観光の中心」といった感じである。まだ早朝なので、お店の人すらほとんど出ていない状況だったけど。

 

広場の散歩に飽きると、再び「王の道」に戻り、グロツカ通りを南進してヴァヴェル城を目指した。完全に王様気分である。

 

赤屋根と石畳の町並みは、まさに「中世ヨーロッパ」そのものだ。さすがは、街ぐるみが世界遺産になっているだけのことはある。もっとも、こういうのはチェコやハンガリーで散々に見て来ているけど。

 

この街は、プラハと同様に、第二次大戦でほとんど戦禍を受けなかった稀有の場所である。どうしてかというと、連合軍やソ連軍の侵攻ルートから外れた場所にあったからである。

 

 

ヴァヴェル城とユダヤ人街

 

 

しばらく歩くうち、小高い丘に突き当たった。その上に聳えているのが、昔のポーランド王の居城であったヴァヴェル城である。あいにく、こちら側の城壁は改装中で、あまり美しい外観ではなかった。そこで、この丘を登って城内を見て回ることにする。

 

アスファルトの坂道をのんびりと上がると、自動車用の小さな受付がある。そこを抜けるとチケット売り場だったが、早朝なので開いていない。この城には、今はもちろん王様は住んでいないから、城内の施設は全て観光施設か博物館になっている。午後にでも、時間に余裕があれば、ここの博物館で鎧や剣の展示を見ても良いけどな。

 

などと考えつつ、時計回りに大きな弧を描く形の坂道を登って行くと、城の中庭に出た。ここの大聖堂は、おとぎの国に出てきそうな雰囲気で、とても綺麗である。なかなか気に入ったので、ベンチに腰掛けて少しのんびりした。天気も良くて、朝の陽光がとても気持ちよい。この中庭の中央には緑の公園があり、おりしも草木にスプリンクラーが撒かれていた。早朝組の個人観光客が、パラパラいる程度だったが、日本人らしい一人旅の青年を見かけた。うんうん。若いころに一人旅をするのは大切なことだよ。別に、声はかけなかったけど。

 

 

とりあえず、お城にも飽きたので、城下に広がるヴィスワ川の流れを丘の上から眺めつつ元来た道を戻った。

 

朝早いので、今はまだ散歩しか出来ない。市街地図を広げて思案した結果、この城の南に広がるユダヤ人街「カジミエーシュ地区」を見に行くことにした。しばらく南に歩くと3番トラムが走ってきたので、これに乗って2駅進んだ。歩いても構わない距離ではあるけど、「クラコフ・ツーリスト・カード」をなるべく使わないと損なのである。

 

トラムを降りてから、しばらく南に歩くと、ヴィスワ川に突き当たった。この川は、クラコフ市街の周囲を蛇行して流れている。河原を散歩しようかと思ったけど、コンクリートの堤防に囲まれて多摩川みたいな雰囲気だったので止めておいた。

 

そこで、当初の目的通りに、ユダヤ人街を見ることにする。少し北に戻り、それから狭い路地を東に入ったところがカジミエーシュ地区だ。ここは、映画「シンドラーのリスト」の前半の舞台となった「クラコフ・ゲットー」が置かれた場所である。それなりに期待して訪れたのだが、いくつかのユニークなシナゴーグ(ユダヤ寺院)があるだけで、それ以外は普通の街だ。これなら、プラハ旧市街のユダヤ人街のほうが、遥かに古色蒼然としていて趣があるぞ。

 

その理由は簡単だ。プラハを支配したヒトラーは、この街のユダヤ人街を「絶滅したユダヤ人の記念博物館」として永久保存しようとしたのだが、それ以外の街のユダヤ人街は徹底的に破壊したのである。つまり、クラコフのユダヤ人街は、戦後になって中途半端に再建されたもので、だからあまり面白くないのであった。そういうわけで、ユダヤ文化に興味のある人は、むしろプラハ旧市街を訪れたほうが良いと思うぞ。

 

スツェラカ広場に面したシナゴーグが、「ユダヤ博物館」になっているようだ。ちょうど9時に開館したばかりなので、いちおう入ってみる。館員さんは、相変わらず愛想が悪い。

 

チケットを買って館内を歩くと、ここはシナゴーグの構造を楽しみつつ、1939年までにユダヤ人画家によって描かれた様々な絵画を鑑賞できる仕掛けだった。昔の城壁(市街を囲んでいた)も、裏庭から見ることが出来る。絵画の展示がどうして1939年までなのかと言うと、この年に戦争が始まってドイツに占領されたため、この街のユダヤ人たちは普通の生活が出来なくなってしまったからである。

 

それなりに楽しんでから博物館を出ると、入口付近で学校の先生らしき人が、大勢の生徒たち(中学生くらいかな?)を前に何やら話していた。学校の課外活動で、ユダヤ人街を見学に来たのだろう。他にも、そういう団体を付近でいくつも見かけたので、ここカジミエーシュ地区はそれなりに教育上重視されているようだ。あちこちに「ユダヤ風レストラン」の看板があるのが、少々下品だと感じたけどな。その後、「歴史的観光ルート」沿いにしばらく歩き、朝の市場を冷やかしたり、広場の共同便所で小用をしたりしてから、この地区を後にした。

 

 

中央市場広場

 

 

午前10時だから、そろそろ旧市街の観光施設も開館することだろう。そこで再び3番トラムに乗り込み、旧市街の環状通りの東端まで行く。ここでトラムを降り、緑地を西に抜けて中央市場広場を目指した。

 

クラコフ旧市街の環状通りの内側は、中央市場広場を中心にして、碁盤目状に街路が通っているので非常に分かりやすい。逆に、「単調で面白くない」という見方も出来るわけだが。

 

それにしても、予想していたより人の出が少ない。観光客も、ワルシャワよりはマシとは言え、あんまり見かけない。そもそも、「東洋人の団体観光客の群れが皆無」なのは、ある意味で凄いことである。こんなの初めてだ。

 

さて、中央市場広場の北西端に置かれた歴史博物館に行ってみたところ、改装中で閉館であった。受付のオバサンに、「特別展示室の美術展には入れますよ」と言われたので、その入口の前まで行ったら、係員にチケットを見せろと言われた。有料かよ。じゃあ、いいや。美術系は、ワルシャワでもさっきのユダヤ人街でも見ているわけだし。

 

どうも、この街の施設は、9月に入ると一斉に改装工事を行うようだな。おまけにクラシックのミニコンサートもまったく無いし、大きな期待はずれだ。これなら、プラハやブダペストの方が何倍も楽しいぞ。

 

気を取り直して、織物会館に隣接する旧市街庁舎の塔の跡に行った。市庁舎自体は他に移転したのだけれど、塔だけ昔のまま残っているのだという。いちおう、この塔の上から広場全体を見渡すことが出来るというので、受付で10ズロチー払って古色蒼然とした石造りの階段を上ると、途中で初老のオジサンに遮られた。チケットを見せても、2階に入れてくれないのだ。ボディランゲージで会話したところ、どうやらこの塔の展望台は11時オープンであるらしい。時計を見ると1050分なので、俺の来訪が少し早かったようだ。でも、いいじゃん、10分くらい融通を利かせてくれたって。こういうところが社会主義っぽいね。

 

仕方ないので、いったん塔を出て、散歩して時間を潰す。南へと続く狭い街路でジェラートを買って、大学公園のベンチで食べたら、すごく美味かった。ヨーロッパのアイスって、本当に美味いよね。売り子のお姉さんたちは無愛想だったけど。

 

やがて11時を回ったので、塔に戻った。各階に歴史的な展示があったのだが、中途半端な感じで面白くなかった。最上階からの眺めも、苦労して狭い急な階段を10階分上った割には大したことなかった。これじゃあ、ブリスベン市庁舎からの眺めと同レベルである。

 

欲求不満なので、別の展望施設を探すとしよう。「地球の歩き方」によれば、街の西郊に「コシチュシコ山」というのがあり、そこからの眺望がナイスであるらしい。この山は、手持ちの市街地図にも出ているので、アクセスに迷う心配は無い。それで、ここを目指すことにした。

 

街路を南に抜け、途中の両替屋で10,000円を170ズロチーに替えつつ、1番トラムの停留所に出た。このトラムを西へと終点まで乗っていけば良い。線路の隙間にハトのグチャグチャな死体が挟まっているのを見つけて不愉快になったが、やがて走って来たトラムに乗り込んだ。

 

 

コシチュシコ山

 

 

トラムは、ヴィスワ川に沿ってまっしぐらに走る。少しすると、ビルはまったく見かけなくなり、終点まで来るとかなり田舎の雰囲気だ。やはり、クラコフは小さな街なのだな。

 

旧市街から3キロほど西に離れた終点で降りると、地図を見ながら登山道を歩くことにした。美しい緑とベンチに囲まれたまっすぐでなだらかな道が2キロほど続く。周囲は、老人の仲間連れか若いカップルが疎らに歩くのみだが、こんな所に人がいるだけで驚きである。ここは、意外にもそれなりの観光スポットであるらしい。確かに、空気は美味いし気持ちの良い道だ。お陰で、すっかり上機嫌になってしまった。

 

この山道の終点にあるのは、お椀を逆さに伏せたような形の大きな緑の丘だ。これが、目的地のコシチュシコ山である。その周囲は、奇妙なことに、赤レンガの城壁で囲まれている。ここは英雄タデウシ・コシチュシコが、18世紀末の三国分割に反対し、ロシアに抗する独立戦争を開始したときに、要塞化した丘なのである。つまり、赤レンガの城壁はそのときの名残なのだった。今は、その一部がホテルとして使われているらしい。

 

 

さて、上り口を探して、円形に山を取り囲む赤レンガの周囲を探索する。「入口→」という標識があちこちにあるのだが、なかなかそれらしき場所が見当たらない。ようやく、城壁の一部を改造した教会の入口が、山への入口に繋がっていることに気づいた。

 

この城壁の裏手には、なぜか小学生くらいの子供たちが群れていて、何やら声高に議論を交わしていた。もちろん、ポーランド語の議論だから詳しくは分からないけど、どうやらクラスの中でトラブルが起きて、それをどう解決するかを議論しているのだった。リーダー格の女の子が的確な指示をする中、いろいろな子供たちが次々に意見を出したり遮ったりしている。なんだか、日本の国会よりもピシっとしているなあ(笑)。末恐ろしい子供たちだ。というより、日本がダメなのである。

 

それにしても、ポーランドの子供たちは、無茶苦茶に可愛いなあ。さすがスラブだぜ。げへへへー。

 

などとロリ根性を抑えつつ、教会の入口でオジサンに入場料(6ズロチー)を支払って螺旋状の石造りの階段をグルグルと上ると、城壁の上部に出た。この先は、夏草に覆われた緑の丘である。これまた螺旋状に丘を周る石畳の坂道をゆっくりと登っていくと、やがて丘の頂に出た。ここはかなり狭く、すでに5人の先客がいたので、俺はしばらく順番(?)待ちをしてからここに立った。さて、待望の眺めはというと。

 

期待はずれだった。たとえるなら、「カレンベルク丘から眺めたウイーン」、「ヤーノシュ山から眺めたブダペスト」である。要するに、街まで半端に遠いのである。いちおう、旧市街の赤屋根やヴァヴェル城の聖堂の屋根は見えるけど、これでは、ここから撮った写真を見ても、これがどこの街なのか良く分からないだろう。

 

 

でもまあ、空気は美味いし、蝶々やトンボも舞っているしで、丘のあちこちに置かれたベンチに座ってのんびりするだけでも、ここまで上ってきた甲斐があったな。

 

時計を見ると、もうとっくに12時を回っている。道理で、腹が減ったわけだ。この展望台付近にレストランがあるはずだと思って山腹から偵察すると、南側の麓にそれらしい建物があった。だけど、オープンエアの席には誰もいないし、店員らしき人さえ見かけない。この時間帯で無人ということは有り得ないので、どうやら休業中のようだ。仕方ないので、市街に戻って飯屋を探すこととしよう。

 

丘を降りる途中で、さっきの小学生の群れと鉢合わせた。今度は、先生らしき人に先導されている。どうやら、さっき議論していた連中は、「この丘に遠足に来たのだけど、クラスのことを話し合うために、先生より先に集合していた」という事らしいな。

 

いちおう、この丘の麓にはバス停もある。100番バスだ。でも、行き来しているのを一度も見かけなかったところを鑑みるに、非常に本数が少ないのに違いない。それで、往路と同じ様に、ハイキングコースを歩いて降りることにした。気持ちの良い道なので、往路と同じ景色でも大満足である。

 

山道を降りてトラムの駅に着いたら、ちょうど2番トラムが発車しかけていた。確か、2番は駅前を通るはずである。だったら、これに乗って駅前のショッピングモール(ガレリア)のフードコートに行くとしよう。昨夜のリヴェンジだぜ!

 

 

ショッピングモールと大学

 

 

こうしてクラコフ駅前に着いたので、ショッピングモール3階の、フードコート内にあるポーランド民族料理屋に向かう。昨夜は、閉店間際で振られてしまったのだが、今日はそうはいかないぜ。

 

カツレツを食べたいと思い、メニューを指差しつつ店の姉ちゃんに「コトレット」と言ったら、意外なことにハンバーグが出て来た。どうやら、ポーランド語のコトレットには複数の意味があるらしく、豚肉のコトレットはカツレツ、牛肉のコトレットはハンバーグになるらしい。俺は、深く考えずに、メニューの牛肉の方を指差していたのだった。でも、このハンバーグは非常に美味かった。日本で食べられる香味屋(カミヤ)の高級ハンバーグとまったく同じ味である。付け合せのポテトサラダも、香草とバター入りで美味だった。そうそう、ついでにビールも注文したのだが、この店にはチェコビールが無かったのでハイネケンを飲んだのだった。

 

満腹したので、モール内の散策を始めることにした。3階建ての広壮としたモールは、6年前のチェコで訪れたノヴェ・スミーホフに似ている。ただ、チェコのと違って映画館(シネコン)は付いていない。おまけに、食料品売り場が1階の最奥にあった。こういうのって普通、1階の手前の目立つところに造るんじゃないのかい?

 

とりあえず、食料品売り場を物色する。ジュースを何本か買って、酒コーナーではズブロッカの小瓶を入手した。つまみも要るだろうと考えて、お菓子コーナーをウロウロし、日本では食べられないパプリカ味のポテトチップスを買った。

 

カバンが随分と重くなってしまったけど、今回はホテルが市街から遠いので、このまま観光を続けるしかない。それにもかかわらず、CD屋でこの国の人気ロックバンド(と思われる)「PIN」の新作アルバムを買ってしまった。俺は、一人旅のときは、必ずご当地CDをゲットする趣味がある人なのだった。日本に帰ってから聴いたら、非常に良いアルバムだったので、大成功である。

 

重いカバンを抱えつつ、次なる目的地ヤギエヴォ大学を目指して、環状通り沿いの公園を反時計回りに歩く。クラコフ駅は環状通りの北東に位置するので、ここからまっすぐに西進する形だ。途中のベンチで水鳥を眺めてジュースを飲みつつ、途中から旧市街の西側に入り、やがてヤギエヴォ大学の旧講堂「コレギウム・マイウス」に到着した。ここは、中欧で2番目に出来た大学の跡である。

 

ちなみに、中欧で最初に出来たのがプラハのカレル大学だ。もしもクラコフの方が先だったなら、ヨーロッパ史上最初の組織的宗教改革は、この街を舞台にして起きていたかもしれない。宗教改革の震源地が「大学」であることについては、誰にも異論はないだろう。つまり俺は『ボヘミア物語』ではなく『クラコフ物語』を書いていたかもしれないわけか(笑)。

 

石造りの重厚な講堂跡を散歩しつつ、売店で「コレギウム・マイウス」の印字が入ったボールペンを買う。さらに、この施設の付属博物館に入ろうとしたら、入口で屈強な守衛に止められてしまった。ちいっ、ここも改装中か何かなのかな?

 

どうも、クラコフでは博物館運が非常に悪い。もう3時過ぎだと言うのに、カジミエーシュ地区のユダヤ博物館しか行ってないじゃないか。ぼやぼやしているうちに、施設はみんな閉館時間になってしまうぞ。

 

ヤギエヴォ大学の本校(現代でも稼動している部分)の入口を見学してから、次の予定について悩みつつ、南に向かって歩いた。

 

 

龍の洞窟とマンガ館

 

 

ヴァヴェル城の西側の川沿いの公園が、朝見たときに楽しそうだったので、とりあえずそこを目指すことにした。その道中、夕飯候補のレストランについて物色したのだが、どこも似たような料理しか置いていない感じである。結局のところ、今夜も餃子かお好み焼きを食うしかないのだろうか?

 

悩みつつ、ヴァヴェル城の丘の麓の公園に入った。緑多き川沿いの公園は、駄菓子屋やボート乗り場や遊覧船乗り場で盛況だ。意外と白人の団体観光客が多いのだが、彼らは城内を見学した後で降りてきたのかな?

 

公園内を歩いているうちに、怪しげな龍の銅像を見つけた。その周囲は見物人でいっぱいだ。この像の奥に位置する丘の麓に、暗い横穴があったのだが、これは城内から続く「龍の洞窟」の出口なのだろう。なんとなく龍の像を眺めていると、いきなりその口の部分から炎を吹き始めたので驚いた。ガスバーナーでも咥内に内蔵されているのかな?大喜びする周囲の見物客は、きっとこれを待っていたのだろう。

 

 

好奇心をそそられたので、「龍の洞窟」で遊ぶことにした。いったん、狭い階段を登って城内に入ると、丘の上の自動販売機でチケット(3ズロチー)を買って、洞窟の入口で係員の青年に渡した。

 

青年の後ろには、狭い石造りの小屋があった。そこから小さな石造りの螺旋階段が遥か下方に伸びている。これを使ってずっと下まで降りて行くと、ひんやりした薄暗い洞窟に出た。これが、「龍の洞窟」だ。昔、龍が棲んでいたという伝説があるからそう呼ばれているのだが、なんのことはない。これは、王家が万が一に備えて造った脱出路なのだろう。客は俺しかいなかったので、周囲を気にすることなく洞窟内をウロウロした。長さは100メートルくらいだろうか?たいして広くはないので、あっという間に出口に着いてしまう。外に出ると、さっきの龍の像の後ろ側に出た。意外と、大したことなかった。まあ、3ズロチー(150円)だから文句も言えない。

 

さて、これからどうしようか?王宮内の博物館に行こうかと思ったけど、もう4時30分だから入れてもらえないだろうな。

 

遊覧船のチケットの営業をかわしつつ、公園の南端に出た。ここからヴィスワ川の対岸を見ると、奇妙な形のドーム状の灰色の建物がある。どうやらこれが、日本文化研究館「マンガ館」だろう。「地球の歩き方」で調べると、ここは6時まで開館しているようだ。ならば、消去法でここに行くしかない。

 

橋を渡って、ヴィスワ川の西岸に移動する。すると、一天にわかに掻き曇り、大粒の雨が降ってきた。傘は持ってきているけど、やれやれだぜ。

 

早足で移動して、マンガ館に入った。ここには、日本文化の大ファンであった故フェリックス・ヤシェンスキ氏が収集した浮世絵や武具などが展示されている。彼の通称が「マンガ」だったので、ここもマンガ館と呼ばれているのだ。ただし、このマンガは「北斎漫画」などから採った名前なので、いわゆるコミックスとは関係ない。したがって、この館の内部にはマンガ本の類は置いていないので、マンガ好きの人は注意が必要だ(笑)。麻生首相など、きっとがっかりするだろう(笑)。っていうか、首相なんだから哲学書や歴史書を読みなさいよ!

 

ここは小奇麗な建物なのだが、がらんとしていて寒々しい。無駄に大勢いる係員はやっぱり愛想が悪いし、チケット代も高かった。

 

薄暗い展示場の中で、武具甲冑や浮世絵、さらにはヤシェンスキ氏の東京体験の写真展などを見た。日本では見られないような貴重な展示が多いようで、なかなか興味深い。だけど、客は自分を含めて数名しかいないし閑散としている。

 

客の一人に、大学生らしい美少女(好みのタイプ♪)がいたので、ナンパしようかと思ったのだが、彼女と来たら、俺が放つオーラを完全に無視して、俺からひたすら目を背け続けた。くそう、俺の変態の正体がバレたのか(泣)?

 

それはそれとして、俺はいちおう日本人だから、少しは係員から暖かい対応をされるかと期待していたのだが、まったく関係なかった(泣)。

 

展示室の入口には、日本から天皇や皇族が訪れたときの写真がたくさん貼られている。でも、なんだか虚しいな。この閑散とした寂しい様子を、彼らにぜひ見て欲しいものである。

 

フラストレーションを溜めたまま、マンガ館を出た。雨はますます激しいのだが、傘をさしつつ無人のヴィスワ川の河原を散歩した。浅瀬に出られるポイントがあったので、ここで川の水を舐めたり水鳥をからかったりした。

 

だけど、ポーランドの水鳥はあまり人間に慣れていないようで、俺が近づくと逃げるのである。他のヨーロッパの国とは大違いだ(イギリスやチェコだと、水鳥が積極的に寄ってくる)。ポーランド人は、おそらく水鳥に対しても無愛想なのだろうな(笑)。

 

 

雷雨襲来

 

 

夕立かと思った雨は、一向に止みそうにない。これでは、散歩すら侭ならない。これからどうしようかと思案しつつ、旧市街に向かって北進した。

 

途中で庶民的なスーパーマーケットなどを物色しつつ、旧市街の内側に入って、狭い路地を歩き回った。しかし、ちょうど中央市場広場に入ったとき、雨は激しい雷鳴をともなう集中豪雨と化したのであった。うわー、これじゃ東京と同じだ。ゲリラ豪雨だ。

 

周囲の若者たちは、ほとんど誰も傘を持っていなかったので、みんな途方にくれていた。ってことは、この時期にこんな豪雨に見舞われること自体が異常なのだろうな。

 

地球温暖化、マジでヤバいぜ!

 

傘をさしていても、雨量が多すぎるので体がどんどん濡れる。仕方ないので、広場の中央にある織物会館へ緊急避難した。同じ考えの人が多いらしく、この屋根つきバザーは大勢でごった返していた。

 

ここは観光客用の土産物屋が多いのだが、あんまり大したものは売っていない。マトリョーシカ人形とかフランス人形が名物のようだが、どっちもポーランドのオリジナルじゃないじゃんか(笑)。

 

考えてみたら、ポーランドには、世界的に有名な「お土産」が存在しない!

 

俺は、日本の家族や友人に、いったい何を買って帰れば良いのだろうか?

 

これがチェコならガラス(ボヘミアガラス)、ハンガリーなら陶器(ヘレンド)が名物だから、これらを買って帰れば間違いがないのだけど。

 

だから、ポーランドの観光産業はダメだと言うんだよ!っていうか、この国は観光産業の振興に興味がないから、名物を作る努力を怠ったんだろうけどね。

 

それでも、織物会館のバザーは、浅草寺の出店みたいな雰囲気で楽しかった。屋根つきのモールの中に小さな屋台が並ぶ風情は、2年前に訪れたイスタンブールのバザール(公共市場)をも髣髴とさせる。

 

物色しつつ入った小さな店で、結局、ウォトカ用のミニグラス2個と、絵葉書を5枚買った。Tシャツにも心惹かれたが、どうせあまり着ないだろうと思って止めておいた。

 

それにしても、雷雨は止みそうにない。

 

バザーの中で人ごみに揉まれていても詰まらないので、どこかのレストランに入ってしまおうかとも思うが、まだ5時半だから腹はすいていない。

 

仕方ないので、「もう、ホテルに帰ってしまおうか?」と思案した。ホテルの近くに、ドライブスルーのマックやケンタッキーがあったから、腹はそこで満たせば良いわけだし。でも、昨日の夕飯がマックだったんだよな。せっかく古都クラコフに滞在しているのに、2日連続でファストフードっていうのは虚しすぎるだろう。かといって、ホテル内のレストランはバカ高いに違いない。なんせ、5つ星だからな。

 

こうやって頭脳をフル稼働させているうちに、なんとなく腹が空いてきた(笑)。よしよし、ならば旧市街で早めに飯を食う方針で行こうかな。

 

豪雨の中、「地球の歩き方」で見つけたレストラン「ゴスポダ・フライドウシャ」を目指した。この店がある通りには、他にも何件も美味そうなレストランがあったので、しばし迷いつつ、結局「ゴスポダ」に入った。

 

入口は狭いのに、店内はかなり広くて奥行きがある。店の最奥のエリアはオープンエアになっているのだが、さすがに屋根代わりにテントが張ってあった。ここで何人かの客が酒を飲んでいたけど、こんな天気にわざわざオープンエアに座る意味もない。そこで、店の真ん中辺りの普通のテーブルに付くことにした。屋内エリアに座る客は、俺のほかには2組しかいない。まだ6時前だしね。

 

この店は、レジのすぐ隣に料理の入ったケースが置いてある。このケースの中から好きなものを選んでから、料金を先払いするシステムなのだ。レジには女性店員が3人並んでいたのだが、リーダー格のオバサンの説明を聞きつつ、チェコビールとジューレックスープ、そして豚のコトレットを注文した。全部で20ズロチーだったから、他の店に入るより安く済んだと思う。注文したビールや盛り付けの終わったお皿は、セルフサービスではなく、女の子がテーブルまで運んでくれるのだから、ファストフードとは訳が違う。おまけに、オバサンも女の子も、割合と愛想が良かった。つまり、良い店に入ったわけだ。

 

ビールも食事も十分に美味かったので、大満足だ。それにしても、豚のコトレットは、ウイーンで食べたシュニッチェルとまったく同じ料理だった。ポーランドには、オリジナルの料理が果たしていくつ存在するのだろうか?

 

満腹して外に出ると、相変わらず激しく降っている。こんな豪雨を、ヨーロッパで経験したのは初めてだ。せっかくのクラコフの夕方が、こんな結末だったのが残念である。

 

仕方ないので、旧市街西側の環状通りから4番トラムに乗って、ホテルに帰ることにした。朝と同じ順路でホテルに到着すると、入口辺りで白人の老年たちが楽しそうに歓談していた。団体観光の人たちだろう。昨日よりも客の入りが良いようで、大いに結構である。俺は、例の「モーゼの紅海ぶち割り」で部屋に帰ると、テレビで音楽番組を見つつ、ベッドに横になって「闇の子供たち」を読み始め、そのうち寝てしまった(笑)。

 

目が覚めると、夜12時である。中途半端な時間に起きてしまったなあ。窓を開けると、さすがに雨は止んでいた。だからといって今さら街に戻るわけにはいかないので、テレビを点けると、映画「ペイチェック」のドイツ語字幕版がやっていた。原作の短編小説(フィリップ・K・ディックだ)は大好きなのだが、映画版は、主演のベン・アフレックがイマイチだし、無理やりに話を引き伸ばした上でアクションものにしちゃった感が好きじゃないな。でも、他に見るものもないので、なんとなく見入ってしまった。

 

もちろん、昼間に買っておいたズブロッカとパブリカ・ポテチを忘れてはいない。ズブロッカは、さすがにロックで飲むのは強烈だったけど、ポテチとの相性も良くて、すごく幸せだ。やがてテレビの映画が終わったので、「無理かな」と思いつつベッドに横になったら、あっという間に二度目の眠りに落ちた。さすが、ズブロッカ効果は抜群だ!