1.桑の木

 

 幽州涿県の楼桑村には、こんもりと茂った一本の大きな桑の木があった。

高さ五丈の、盛り上がったその頂は、あたかも天子の乗る馬車の天蓋のように立派だ。

樹齢は、もうどのくらいになるのだろうか、どれだけ多くの人々の暮らしを見てきたのだろう。この巨木は、平凡な人々が住む平凡なこの村の、ただ一つの名物だった。旅人たちに木陰を与え、子供たちには良い遊び場となってくれる憩いの場だった。

 この地方に李定という人がいた。彼は、予言者を自称していた。

 この村を訪れて初めてその木を見た彼は、その枝ぶりに感動し、周りを三周してためす返す眺めてから、こんな言葉を発した。

 「この神木の根元から、英雄が現れることだろう」

 たまたま、十人ばかりの子供たちが、木の下で遊んでいた。

 「おっさん」年かさの子が聞いた。「桑の木の持ち主が英雄になるって意味か」

 「おうよ」李定は、酒くさい息を吐いた。

 その子は、隅っこで泥の山を作っていた大柄な子に向かって言った。

 「おめえ、英雄になるんだとよ」

 その大柄の子は、何も言わず、気の無い様子で泥まみれの自分の手を見た。

 年かさの子は、大柄な子を指差しながら、再び李定の方を向いた。

 「この木は、劉んちの木だ。こいつは劉さんちの子だ。こいつが英雄になるのか」

 「ああ、なるだろうよ」

 李定は、酔いに任せて何気なく発した自分の言葉が面倒くさくなってきた。うるさいガキども、と思いながら、千鳥足でその場を去った。

 しかし、大人の何気ない一言が、子供の心に大きな余韻を残すことがある。

大柄な少年は、自分が英雄になるという予言を信じた。

この少年の名を、劉備といった。成人してから付けた字は玄徳。後に蜀漢帝国の皇帝となる人物である。

 

「おっとう」劉備はその夜、夕餉の席で父の劉弘に尋ねた。「おっとう、おら、英雄になるって言われたぞ。英雄ってなんだ」

「なんだ、やぶから棒に」父は、粟汁を口に運ぶ手を休めて、一人息子の目を覗き込んだ。「誰に言われたんだ、そんなこと」

「通りすがりの、偉い予言者さんだ」

「ああ、きっと李定さんだろう」

劉弘は、にわか予言者が多い時勢を知っていた。李定が、にわか予言者の一人だということも知っていた。だが、彼は息子の夢を壊したくなかった。息子にもっともっと勉強して、しがない小役人にしかなれなかった自分を超えてほしいと思っていたので、こう言った。

「英雄っていうのはな、世の中が乱れたときに現れて、困っている人々を助ける偉い人のことだ。うちのご先祖様も英雄だった。だったら、お前も英雄になれるだろう」

「ご先祖さま?」

「この国を造った高祖皇帝・劉邦さまだ」

「偉い人なのか」

「偉いとも。劉邦さまは、しがない小役人から身を起こし、多くの仲間たちと力を合わせ、沼で大蛇を斬り、世を乱す悪党どもをやっつけて、この漢帝国の初代皇帝になられた方だ」

「ふうん」劉備は、しばし口を閉じて、汁を口に運んだ。

劉弘は、嬉しかった。いつも無口で無愛想な息子が、珍しく積極的にこの父に話し掛けてくれたからだ。そして、息子の質問は終わっていなかった。

「劉邦さまがご先祖なら、洛陽の皇帝は、おらんちの親戚なんだね」

「・・・まあ、そう言うことだ」

「だったら、おっとうも、皇帝になれるだか?」

「・・・なれるとも。その気になれば」

「おらもなれるか?」

「なれるとも」

「そしたら、おらは洛陽に行って皇帝になるよ。おっとうと、おっかあに、毎日うまいもん食わせてやるからね」

「ああ・・・ありがとうよ」

二人の会話を横で聞いていた劉備の母は、思わず目頭を抑えた。

劉備の一家は、確かに漢帝国の皇裔であった。中山靖王劉勝の分かれという。しかし、劉勝の子・劉貞の時、罪に問われて民間に下った家柄であるから、皇位など望むべくもないのが実情である。むしろ、そんな野心を見せようものなら、謀反の罪に問われて族滅させられるかもしれないのだった。

もっとも、中国全体を見渡せば、皇族の子孫など巷にゴロゴロしている。劉備の家だけが、特別というわけではなかった。

ただ、そんなことを六歳の息子に説明しても意味が無い。

劉弘とその妻は、息子の背伸びが、ただただ嬉しかったのである。

自分の先祖に興味を持った劉備は、親戚の家を訪ね歩いては、古老たちに英雄たちの物語をねだった。大柄な少年は、劉邦や韓信、張良、項羽らの合戦物語に、目を輝かせて聞き入ったのである。

「おらも、いつか英雄になるんだ。大蛇を一刀両断にして、天下を平均するんだ」

しかし、運命は、そんな夢に満ちた生活を無残に引き裂いた。

父・劉弘が、流行り病にかかって頓死したのである。

葬儀の日、劉備は庭の桑の木に語りかけた。

「おらはいつか、お前みたいな形の天蓋を付けた馬車に乗ってやる。そして、都の大路を、大勢の豪傑たちを引き連れて悠々闊歩してみせるぞ。見ていてくれ、おっとう」

いつのまにか後ろに立っていた叔父の劉子敬が、少年の肩に手を置いた。

「その気持ちは、口に出さずに心にしまえ。お前の父は、必ず涅槃で聞いている」

劉備は、目に涙を一杯に溜めながら、力強くうなずいた。

その日から、無口な少年は、ますます口を利かなくなった。

亡き父は涿郡の役人だったのだが、当時は恩給などという制度はなかったから、劉備とその母はたちまち窮乏した。自分の食い扶持は、自分で稼がなければならない。農繁期は、畑仕事に精を出す。刈り入れがすんだ農閑期は、筵や沓を作って市場に売りに出た。

「利発な子だよ」劉備の母は、亡き夫の弟・劉元起に語った。「市場に行くたびに新しい品の知識を身につけて、何日かしたら、もっと良いものをこさえてしまうんだ。こんな生活で終わらせるのは可哀想すぎる・・・けっして親の贔屓目じゃないよ」

「うん」豪農の元起は、髯をしごきながら頷いた。「あの子はただものじゃないと、俺も思っているよ。優しくて面倒見が良いから、評判も良い。なんとか推挙の機会があればよいのだが」

この当時、立身出世の機会は、中国に住む全ての者に均等に与えられていた。その人物の立派さが評判になり、実力者の目にとまれば、誰でも官界に推挙してもらえる可能性があった。ただ、人物の立派さというのは、儒教の教えを元にしていると言っても、非常にあいまいな概念ゆえに基準を付け難い。後の科挙制度における試験結果のように、定数化したデータが出て来るわけではないから、どうしても実力者の贔屓目や、見た目の立派さが基準になってしまうのだ。逆に考えれば、そこにチャンスが生まれる。

劉元起が考えていたのは、涿出身の中央官僚が地方に帰ってきたとき、そこに劉備を弟子入りさせることであった。劉備は見た目も立派だし、たいへんに利発であるから、もしもその人物の目にとまれば中央官界への出世の糸口が開けるかもしれない。

そして、その機会は意外に早くやってきた。

 劉備が十五歳のとき、もとの九江太守・盧植が、故郷の涿郡で私塾をひらくことになったのである。