29.三顧の礼

 

新野の劉備の家は、ささやかな喜びごとに包まれていた。

甘夫人が、嫡男を産んだのである。

劉備は大いに喜んで、赤ん坊を劉禅と名づけて可愛がった。後の、蜀の後主である。

「ああ良かった、俺には男の種がないのかと思っていたぞ」劉備は、宴席で仲間たちに語った。

「これで、ますます働き甲斐がありますな」関羽も嬉しそうだ。彼の家でも、昨年末に長子の関平が生まれたばかりだ。

「阿斗(劉禅の幼名)の勉強は、どうしましょうか」甘夫人が言った。「誰か、立派な家庭教師を付けた方が良いのでは」

「儒者なら、腐るほどいるだろう。そのうち見繕うさ」劉備は、あまり興味なさそうだ。口先ばかりの学者には飽き飽きしていたからだ。

「その前に、曹操が攻めてこなければ良いがな」張飛は、酔眼を向けた。

満座は静まり返った。曹操は、鄴に巨大な玄武池を造って、水軍の教練をしているという。張飛の予想は、程なく現実になるだろうと思われた。

 

劉備は、人材を求めていた。口先だけの理論家ではなく、実学を修めた軍師が必要だったのである。彼は、荊州の六年間の経験で、漢朝の学問である儒教が、いかに乱世に役立たないかを思い知らされていた。

「かつて盧植先生は、儒を治世の学問だと仰られた。それならば、乱世の学問もあるはずだ。俺の尊敬する高祖だって、天下統一までは儒者を軽蔑していたという。高祖が信頼していた張良や陳平や蕭何はどのような人物だったか。そして、現在の最高の英雄・曹操の抱負は何か。答えは一つ、法家だ。俺は、法家の士大夫を味方に付けねばならぬ」

そう考えた劉備は、数年前から襄陽学派の門を叩いて、しかるべき人物を紹介して貰おうと試みていた。彼が頼ったのは、襄陽学派の重鎮・司馬徽である。しかし、この大学者は、いつ訪れても、あまり乗り気ではなさそうだ。

「実学を修めようという人物は、いくらでもいますよ」先生は、長い顎髯をしごきながら言った。「じゃが、どれも若い。まだまだお役に立てないでしょう」

「年齢の問題ではありません」劉備は、きっぱりと言った。「漢帝国の古い教えから抜け出そうという覇気こそが大事なのです」

「玄徳どの」司馬徽は、欠けた白い歯を剥き出して微笑んだ。「ようやく、その見識に辿り着きましたか。人材は、完成したものを拾うのではござらぬ。自分で磨いて育てなければなりません。貴君は、何年も前から、実学を完成した人材を求めていなさったが、そもそも実務を経験せずに実学を習得できる人物などおりません。じゃから、わしも紹介できなかったのじゃ」

「それでは・・・」劉備は、身を乗り出した。

「伏龍か鳳雛か。その人物は、貴君の器量で見分けるのが良い」

「水鏡先生(司馬徽のあだ名)、二人を紹介していただけるのですか」

「機縁があれば、いずれ出会うこともあろう」老人は、静かにそう言って目を閉じた。

劉備は、先生の言葉に胸を躍らせた。やっぱりこの地には人材が眠っていたのだ。先生は、きっとそのうち紹介してくださるだろう。

その数日後、劉備は政庁に群集を招き入れた。毎月定例の意見交換会である。彼は、昔から民衆の意見を良く聞く政治家だった。新野に赴任してからも、月に一度は政庁に大勢の民衆を集めて、人々の政治に対する意見を聞き入れようとしていたのである。

だが、その日の会合では、何も特殊な議題は出なかった。数刻で解散となり、群集はがやがやと退出して行った。

劉備は、大会議室の正面机に座り、がらんどうになった会場を物憂げに眺めた。何やら寂しくなって、懐から牛の尻尾を三つ取り出すと器用に繋ぎ出した。牛の尾は、本来は軍旗の飾りとして使うものだが、赤ん坊の劉禅がとても気に入っているので、手製の玩具を作ってあげようと考えたのである。

そのとき、人の気配を感じて、ふと顔を上げた。

いつのまにか、長身の青年が机の前に立っていた。

「今日の会合は、もう終わりだよ」劉備は、物憂げに牛の尻尾に目を戻す。

青年は、滑らかな美声で言った。

「将軍は、大志を持たれるのが当然でしょうに、牛の尾で遊んでいるだけとは」

劉備は、驚いて青年の顔を見た。年のころ二十六、七か。身なりは質素だが、秀麗な風貌で、その目の輝きは尋常ではない。劉備は、牛の尾を後ろに放り捨てた。

「これは、ただの気晴らしだ」

「将軍は」青年は、表情を変えずに静かに語る。「劉鎮南将軍(劉表)を曹公と比較してどう思われますか」

「曹操には及ばない」

「将軍自身は、どうですか」

「やっぱり及ばない」劉備は、無警戒に本心を語る自分に驚いた。

「誰も曹公には及びません」青年は、穏やかな口調だ。「それなのに、こんな最前線で、わずか一万の軍勢で彼と相対するのは無謀ではありませんか」

「そのとおり」劉備は、素直に頷いた。「俺もそれが心配なのだ。どうしたらよかろう」

「現在、荊州には中原から多くの難民が流入したため、人口は膨れ上がっています。しかし、これらの民は、豪族の荘園に逃げ込んで戸籍に載らず、従って租税も軍役も免れているのが実情です。そこで将軍は、劉鎮南と諮り、戸籍調査を最初からやり直すべきです。そうすれば、税収と兵員を数倍に拡張できるでしょう」

 劉備は、呆然とした。そんな簡単なことに、どうして今まで気付かなかったのだろう。確かに、青年の言うとおりなのだ。人口の割に税収も兵員も増えないのは、そうしたカラクリがあるからなのだ。やはり、為政者の視点には限界がある。民衆の視点にも限界がある。誰もが気付いて然るべき簡単なことに、意外と気が向かないのだ。そして、これに気付いた青年の慧眼は、驚くべきものがある。

 劉備は、我に返った。

 彼の眼前から、青年の姿は消え去っていた。

 慌てて政庁を飛び出した劉備は、門の左右に目を走らせた。しかし、長身の青年は、群集の中に紛れて姿を消してしまっていた。

 

 その日以来、新野の客将は、謎の青年の消息が気になってしかたがなかった。八方手を尽くして探させたのだが、名前も分からないのではどうしようもない。

 「あいつなら、知っているかな」劉備は、時々遊びに来る賓客のことを思い出した。

 徐庶元直は、頴川出身の学者である。若い頃は撃剣の使い手として名を馳せ、刺客の仕事をしていたのだが、あるときを境に殺しが嫌いになり、儒学の道へ転向したという変り種である。青びょうたんどもとは一線を画する剛毅闊達な人柄を、劉備は愛し信頼していた。徐庶の方でも、放浪の客将が気に入って、良く世間話に立ち寄るのである。

 「ああ、そいつなら知ってます」徐庶は、新野の謁見室で豆を噛みながら答えた。

 「本当か」

 「諸葛亮、字は孔明。我々の仲間(襄陽学派)うちでは、伏龍と呼ばれています」

 「伏龍。ああ、水鏡先生からもその名を聞いたぞ。どんな人物なんだ」

「そうですな」徐庶は、少し思案してから言った。「一言で説明するのが難しい人物ですから、実際に会って話を聞くのが一番ですぞ」

「いいから、君の知っていることを教えてくれ」

「ふうん、そうですか」

 徐庶が、豆を食べながら語るところによると。

諸葛亮孔明は、徐州瑯邪郡陽都県の出身である。祖先は、漢の司隷校尉も勤めた士大夫の家柄である。父の諸葛珪は、泰山郡の丞にまで昇進したが、亮が幼いうちに亡くなったという。兄の諸葛瑾はこのとき既に成人していたので、江南に仕官した。幼い諸葛亮は、母や姉や弟と徐州で暮らしていたのだが、戦乱に巻き込まれて荊州に疎開し、叔父の諸葛玄を頼った。この叔父は、荊州の劉表と旧知の仲だったので、彼のために江南の諸勢力と戦い、その渦中で死んだのだが、ある程度の遺産を残してくれたので、亮は母の死を見取った後、襄陽に移って弟と共に学究生活に入ったのだという。

 ただ、亮の能力は、あまり襄陽学派では評価されなかった。彼は、儒学の細部にはまったく関心が無く、古今東西のあらゆる学問の概要を押さえることに専心したからである。学者としての専門知識を持とうとしない彼を、同僚たちは軽蔑して疎んじた。それでも亮は、自らの才能を管仲と楽毅(いずれも春秋戦国時代の宰相と名将)に例えていたので、みんなは笑いものにしたが、崔州平と徐庶は彼の才能を見抜いて友達付き合いしていた。

亮は、朝晩ののんびりした時間には、八尺(一九〇センチ)の巨体を床に横たえて、好きな『梁父吟』を歌ってくつろいだ。あるとき、仲間たちに向かって言った。

「君たちの才能なら、仕官すればきっと刺史か太守になれるだろう」

その場にいた石韜、孟建、徐庶は、誉められたと思って喜んだ。

「そういう君は、どこまで出世するつもりだい」

亮は、笑うばかりで答えなかったという。

劉備は、これらの逸話を聞いて、大いに胸に感じるものがあった。彼の脳裏に浮かび上がる諸葛亮の姿は、諸学に通じ、実務に遠大な抱負を持つ優秀な士大夫だ。この人こそ、彼が探していた人物に相違ない。

「会いたい、ぜひ、会いたい」劉備が子供のように席から飛び上がるのを見て、徐庶は豆を口から吹き出してむせ返った。侍女が、慌てて水差しを持ってきて背中をさする。

「元直、頼むから連れてきてくれ」

「ごほ、ごほん、いやあ、無理でしょう、ごほ、ごほ」

「どうして」

「彼は、たいへんに誇り高いから、私が呼びに行っても来はしません」

「じゃあ、どうしたら会える」

「将軍自ら訪れるのが、最も効果的だと思いますよ。彼は、襄陽から西方二十里の隆中というところで自耕して暮らしています」

「分かった」劉備は、子供のように目を輝かせて頷いた。

 

劉備という人の偉いところは、他人に対してとことん謙虚になれる点である。普通なら、四十七歳の左将軍が、二十七歳の無位無官の若造に会いに行くなど考えられない。そんな非常識を簡単に超越するところが、この人物の偉さなのである。

 そういうわけで、劉備は徐庶と別れるとさっそく隆中に出かけた。お供は、劉封と趙雲の二人だけである。十二歳の腕白を馬の鞍壷に抱きかかえた左将軍は、鼻歌交じりの上機嫌である。真面目な趙雲は、厳しい顔を崩さずに主君を護衛する。

隆中は、のどかな田園地帯だった。そこかしこで農民が汗を流して働いている。彼らの間から時折聞こえてくるのは、『梁父吟』の歌だ。これは、徐州の民謡であるから、諸葛亮が教えたのに違いない。

「懐かしいな、荊州で徐州の民謡が聞けるなんてな」もとの徐州牧は、ますます上機嫌だ。

「父ちゃん、おれは早く狩がしたいよ」劉封は、いつものように駄々をこねる。

「いいから、今日は大人しくしとれ」

子供を連れてきたのは、相手の心を和ませるための方便であった。

目指す家は、緩やかな丘の上にあった。茅葺の農家だ。

高鳴る動悸を押さえながら門を叩いた劉備は、若い女性に出迎えられた。赤茶けた短い髪の獅子鼻の女だ。これほどの醜女は、久しぶりに見る。

「諸葛亮先生にお会いしたいのですが」劉備は、笑顔を作る。

「主人なら、今日は留守ですよ」醜女は、透き通った優しい声で答える。

「ああ、奥方ですか。不在とは残念です。また出直します」劉備は、落胆の色を隠せない。

「今度は、こちらから訪ねさせますよ。お名前とご用件を申し付けくださいな」

「いや、名乗るほどの者ではありません」

「ほほほ」醜女は、口を手に当てた。「それじゃあ、新野の劉左将軍が、お話を聞きに訪ねてきたと伝えておきますわ」

劉備は、思わず女の顔を見つめた。見かけによらず鋭い女性のようだ。

三人は、すごすごと帰途についた。

「父ちゃん、つまんないよお」劉封がまた駄々をこねる。

「うるさい」劉備は、頭のてっぺんに拳骨をくれた。「父ちゃんだって、つまんないんだ」

新野に帰ってみると、襄陽から使者が来ていた。劉表が、ぜひ面談したいと言っているらしい。

翌日、馬車を仕立てて南に向かう。

劉表は、病床にあった。二日前に立ちくらみがして、寝たきりなのだという。

「わしも、もう六十六じゃ。いつお迎えがきてもおかしくない」

 「気の弱いことを申されますな」劉備は、枕もとでささやく。「きっと、すぐに良くなりますよ」

「曹操は、烏丸から帰ってきたそうじゃな」

「・・・・・」

「わしは、後悔しておる。曹操が長城を越えたとき、君は直ちに出兵すべきだと進言したね。わしには勇気が無かった。千載一遇の機会を逃してしまった」

「また、次の機会が巡ってくるでしょう。悲しむほどの事はありません」

「君は優しいな」病人は微笑んだ。「徐州牧・陶謙どのの今際の気持ちが良く分かる。君の優しさに触れた者は、心まで溶かされてしまうよ。わしの死後、この州を任せられるのは君しかいない」

劉備は、思わず劉表の目を覗き込んだ。かすかに輝く猜疑の光。

「いけません」客将は、とっさにかぶりを振った。「景升どのには、二人の子息がいらっしゃるではありませんか」

「どちらも、曹操から見たら、豚みたいなもんじゃ」荊州牧は、吐き捨てるように言った。「gもjも、州を背負える器ではない」

劉備も、内心では納得していた。二人の息子は、勉強漬けの坊ちゃんで、父以上に覇気が無い。

「後継ぎは、どちらが良いかのう」劉表は、すがるような目で見た。

「客将が意見を言える事柄ではありません」劉備は、そう言って席を立った。これ以上、痛くもない腹をさぐられてはかなわない。

劉表の長男・劉gと次男・劉jは、異母兄弟である。そして、劉jの母は、襄陽の有力士大夫・蔡瑁の妹であるから、その政治力の差は歴然である。劉gは追い詰められていた。

他人の家庭問題を頭から振りほどいた劉備は、その足で再び隆中に向かった。

今度は、亮の弟の諸葛均が出迎えてくれたが、またもや目的の人は留守だという。

 「人の気も知らずに、どこで遊んでいるんだ」

 劉備は、すっかり不機嫌になって新野に帰ってきた。

 驚いたことに、その留守中に諸葛亮がやって来たらしい。

「それで、先生は」

「さっきまで待っていましたが、もう帰りましたよ」麋竺がそっけなく答える。

「ちいっ」劉備は、慌てて馬を飛ばしたが、もう追いつけなかった。

「縁がないのかなあ」頬杖ついて悩む。「何の、縁なら人力で築いて見せるわ」

その翌日、今度は趙雲と二人で隆中を目指した。今度こそ、会えるまで帰らない決意である。

三度目の正直という言葉があるが、物事はしばしばそうなる。

諸葛亮孔明は、香を馥郁と焚いた部屋で賓客を迎えた。

「劉将軍」青年は、深々と頭を下げた。「度重なる無礼をお許しください」

 「先生、やっとまた会えました」劉備は、彼の前に座って微笑んだ。