33.東呉の孫権

 

関羽の水軍は、一万の将兵と輜重を満載して、漢水の渡し場に待機していた。

「兄者、ご無事で何よりです」関羽は、満面の笑顔で出迎えた。桟橋に立つ彼の巨体の背後には、二百艘はあろうかという軍船や輸送船が威風を払っていた。

「ご苦労だった。江夏の劉gとは連絡が付いたのか」劉備は、疲労を隠せずに、弱々しく話す。

「はい、彼自ら、一万の援軍を発してこちらに向かっています。おっつけ姿を見せることでしょう」

「そうか」劉備は、空を仰いだ。「これで助かった・・・」

「兄者、お疲れでしょうが、お休みになられる前に、もう一仕事ございます」

「仕事って」

「東呉の弔問使節団が、ここに逗留しているのです。団長は魯粛という者です。ぜひ、兄者と会見したいとのこと」

「弔問って、誰の」

「劉表の弔問という名目なのですが、その割には、従者に武装兵が多いのです・・・」

「魯粛なら知っています」諸葛亮が進み出た。「彼は、東呉に仕える我が兄・瑾の親友です。魯粛子敬は、若いころから有名な切れ者で、中華から江南を独立させるという途方も無い構想の持ち主として知られています。そして今、孫権の側近中で、最も主君に信頼されている重要人物なのです。そんな彼が、弔問を名目に漢水まで出て来たのは、恐らく、我が軍との提携を模索しているからに相違ありません」

「そうか」劉備の顔に生色が蘇った。「なら、寝ている場合じゃないぞ」

会見の場所は、漢水を東に渡った対岸の農家であった。

魯粛は、三十半ばの精悍な顔立ちをした士大夫だった。劉備と諸葛亮が入室して来ると、すかさず立ち上がって会釈すると同時に、心の裏まで読み取るような熱い視線を注いできた。

「このたびは、たいへんなご苦労をなさいましたな」弔問使は、太い声で気の毒そうに言う。「劉将軍は、これからどうなさる予定ですか」

「交州蒼梧郡の呉巨と顔なじみだから、世話になろうかと考えています」と、口からでまかせを言った。魯粛の魂胆が分からぬ以上、言葉尻をとられてはならないからだ。

「嘘でしょう」魯粛は、大げさな身振りで両手を掲げた。「あんな田舎に引っ込んで、いったい何をしようというのです」

「もはや天下は曹操のものだ。それも仕方あるまい」劉備は、諦念の表情を作って見せた。

「諦めるには早すぎます」魯粛は語気を荒らわげた。「まだ東呉の孫権将軍が健在です。揚州の六郡を完全に掌握し、実戦経験豊富な精鋭十万と無敵の水軍一万艘を擁する一大勢力ですぞ。北の老いぼれなどに、決して遅れは取りません」

「百万の曹操軍に挑むのか」劉備は、身を乗り出した。「俺と一緒に戦ってくれるのか」

「もちろんです」と言った魯粛の顔は一瞬曇り、その目を横にそらせた。

諸葛亮は、その瞬間、喝破した。東呉内部では、主戦派と和平派が鬩ぎあっているに違いない。魯粛は、主戦派の急先鋒として尽力しているが、状況は予断を許さないのだろう。しかし、考えようによってはチャンスだ。魯粛を支援して恩を売り、その主張を実現させてあげれば、東呉に対する対等の同盟関係を樹立し維持できるはずである。これは、天下三分の計の実現への第一歩となるだろう。諸葛亮の若き血は猛った。

「子敬どの」諸葛亮は、柔和な眼差しを向けた。「差し支えなくば、この私が使節として東呉に赴こうと考えているのですが、いかが」

「おお、孔明先生が」魯粛は、その目を輝かせた。「それは、願ってもないこと」

「将軍、よろしいでしょうか」

「うむ、頼んだぞ」劉備は、大きく頷いた。彼は、軍師の心中を洞察したのである。

仲間たちに見送られ、漢水の渡しに立つ諸葛亮は、張飛と趙雲を中心とする武官たちの前で熱く語った。

「当陽の戦役で、皆さんの見せてくれた働きは、この孔明の心を大きく揺さぶりました。語る言葉も見つからないほどです。そして、今度は私の番です。持てる力の全てを振り絞り、命を賭して、未来への掛け橋を築きます。見ていてください」

そして、魯粛と彼の随員とともに、出航準備万端の軍船に乗り込んだ。

その快速船は、見る間に波間に消えてゆく。

「あの水、少しは味な事言うじゃねえか」桟橋で、張飛が鼻をこすった。

「外交に命を賭けるとは、なかなか耳慣れない言葉だな。少なくとも、俺たちには出来ない芸当だ」と、関羽。

「青びょうたんめ、無事に帰ってきたら、酒の一杯でもおごってやるかな」張飛は、地平の彼方に消え行く船を頼もしげに見つめていた。

 

そのころ、東呉の本拠地は、会稽郡から豫章郡の紫桑へと移転していた。紫桑は、江夏にほど近い長江南岸の要地である。孫権を始めとする江南の士人たちは、この前線基地で天下の情勢を見極めようとしていたのである。

実は、東呉内部では降伏論の方が多勢を占めていた。それも当然で、政権の中枢を担う士大夫の多くは、この土地の大豪族か、中原から避難してきた名門出身者であるから、曹操に降伏しても、所領を安堵された上で出世コースに乗れることは間違いないのだ。それゆえ、降伏に異を唱える有力者は、野心家の魯粛の他には、先代以来の忠臣・周瑜のみという危うい情勢だったのである。

往路の船中で、魯粛から以上の状況を聴取した諸葛亮は、即座に外交戦術を頭の中で組み立てた。ただし、最大の問題は孫権の意思である。彼が劉jのように惰弱な人物なら、全ての外交努力は水泡に帰すのだから。

「討虜将軍(孫権)の本心は、どうなのでしょう。その人となりは」

「まだ二十六歳。覇気に溢れる英雄的な人物です」魯粛は言い切った。「勝ち目さえ見えるのなら、必ずや立ち上がることでしょう」

「なるほど、勝ち目ですか」諸葛亮は頷いた。「子敬どのは、勝てるとお考えですか」

「もちろんですとも。我が水軍の実力と、それを率いる周瑜提督の智謀をもってすれば、勝利は疑うべくもありません。実戦を知らない士大夫のじいさんたちは、それが分からないのです。敵兵の数だけ聞いて震え上がっているのです」と、たいへんな自信である。

「東呉がそれほど強いなら、我が劉将軍の軍勢は、不要ということですかな」諸葛亮は、気がかりな事を尋ねた。

「それは違います。少なくとも、私はそう思います。荊州に強固な地盤を持ち、十万を超える民に慕われる劉将軍の勢力は、勝利した後の反攻に必要不可欠です」

「違う考えの人も、いるのですか」と、声を落とす。

「・・・実は、周瑜どのは、劉将軍との提携に反対なのです。東呉の軍勢だけで、曹操を倒すには十分だと考えているのですよ」

「それは、冒険ではありませんか」諸葛亮は、緊張感を見せないようにしながら語りかけた。「曹操軍の力は、周瑜どのの想像以上です。劉将軍の加勢が無ければ勝てません」

「ううむ、私はそう思うのだがな」魯粛は、机の上で頬杖をついた。

諸葛亮は、この船旅で、東呉の状況をおおむね理解した。彼は、あくまでも魯粛を応援しなければいけない。このことだけは、はっきりした。

 

そのころ曹操軍は、江陵に到達し、この地の物資や一千艘に及ぶ軍船を掌中に収めていた。長江の上流を押さえたことで、戦略的優位に立ったのである。

「孫権に、狩猟の招待状は送ったのか」江陵城の望楼で、丞相は物憂げに問う。

「御意」程cは力強く頷く。

狩猟の招待とは、宣戦布告の婉曲表現である。

既に曹操軍は、東呉に接する全ての領域に大軍を展開させていた。徐州からは臧覇の二万、寿春からは張喜の二万、汝南からは李通の一万。そして、ここ江陵に曹操直卒の十五万である。対する東呉軍は、多く見積もっても五、六万程度の動員力しか持っていないから、戦わずして降伏するだろうと、誰もが予想していた。いや、降伏してもらわなければ困るのである。

実は、江陵の曹操軍中では、疫病が猛威を奮っていた。十五万の将兵のうち、病臥に伏せって動けないものが八万もいる。その殆どが、曹操が北方から連れてきた精鋭であった。北方の乾燥した草原地帯の出身者たちは、不衛生な環境の下、強行軍で南の湿潤な水郷に来たために、伝染性の風土病に直撃されたのである。今や、健康体なのは、荊州で降伏した戦意の乏しい新付の連中のみという有様だった。

「ただでさえ、我が北方の将兵は水上戦が苦手なのに、戦力がここまで低下しているとはな」さすがの曹操も、前途の戦に自信を持てなかった。疫病の実態をひた隠しにして、敵の降伏を待つのが最善の良策と思われた。

悩める彼の帷幕を、益州の劉璋の使節団が訪れた。貢物を持ってきたのである。

「まずい時に来たなあ」曹操は舌打ちした。「早く追い返せ。我が軍の実情を、外部のものに知られてはならぬ」

こうして使節の張松は、ろくな挨拶すら出来ぬまま益州に追い返されたのである。曹操軍の実情を知らない彼は、この待遇に憤激した。

「おのれ、昨年、我が兄・張粛が許昌を訪れたときは、大いに歓待したくせに、弟の俺だとどうして粗略に扱うのだ。許せぬぞ」

張松は、小柄で貧相だったので、美貌の兄に対して常に劣等感を抱いていた。曹操の態度は、そんな彼の歪んだ怒りに火を注ぐ結果となったのである。この事件は、後に重大な結果をもたらすこととなる。

 

さて、曹操の挑戦状を受け取った紫桑の本営は、喧喧囂囂たる議論の渦に巻き込まれていた。降伏論と主戦論が鬩ぎあう中、主の孫権は一言も発せずに群臣の口元を眺めていた。

そこに、魯粛帰還の知らせが入った。孫権は、輝くような笑顔を見せると、会議室の上座を降り、自ら先頭に立って出迎えに向かった。

桟橋を降りた諸葛亮は、辺りの喧騒に心奪われた。紫桑の町自体は小さいのだが、河岸に並ぶ兵舎や、河面に浮かぶ軍船の群れの迫力は、来訪者の度肝を抜くのに十分である。そして、行き交う人々の顔つきも精悍であり、兵士たちの体躯からは覇気が溢れ出て見える。江南地方は、まさに中華民族のフロンティア。未来への希望に燃える土地。

心地よい興奮を胸にした諸葛亮は、魯粛に誘われて政庁へと歩む。その途中の大通りで、大勢の衛兵を従えて馬車を走らせて来る、堂々たる体躯の美丈夫に出会った。

「孔明どの、こちらが討虜将軍です」魯粛が、笑顔で言った。

「子敬よ、ご苦労であった。君の報告には、細大漏らさず目を通したぞ」馬車から降りた美丈夫は、堂々たる声で言った。「諸葛先生、よくぞいらっしゃいました。まずは御くつろぎください」

礼を申し述べる諸葛亮は、さりげなく孫権の人となりを観察した。

まだ二十六歳とは思えぬほど、老成した貫禄と押し出しをしている。背は高く胸板は厚いが、足は極端に短い。特異なのはその容貌で、顎と口、そして眼が異様に大きい。その巨大な双眼に浮かぶ緑色の瞳は、きらきらと不思議な光を発しながら輝いている。顎鬚は短いが、その色は赤茶けている。なるほど、噂どおりの「碧眼紫髯」だ。大秦国(ローマ)の血でも混ざっているのだろうか。一目見たら忘れられない顔だ。

宿舎に案内された諸葛亮は、その翌日の朝、魯粛とともに礼服姿で孫権の謁見室を訪れた。

孫権は、謁見台に腫れぼったい目をして座っていた。

「孫将軍、また飲みすぎですかな」魯粛は、からかうような口調で言った。この主従は、どちらもたいへんな酒豪であるから、朝まで飲み比べることなど日常茶飯事だった。

「そうではない」孫権は、右手を強く振った。「心配で眠れないのよ」

「心配ごとがあるのですか」諸葛亮は、とぼけた顔で尋ねた。

「うん、曹操に降参した後の身の振りかただ」と、頬杖をつく。

「降伏に一決したのですか」魯粛が気色ばむ。

「だって、しょうがないだろう。張昭も張絋も降りたがっている。あの大軍に睨まれたら無理もないよな」

魯粛は、胸をそらせた。

「・・・私は構いませんよ。故郷に帰れば大地主ですから、生活には困りません。牛車に乗って平和で豊かな人生を送れることでしょうよ。しかし、将軍は士大夫の家柄ではないし、財産もないでしょうから、呉郡に引っ込んで海賊退治に精を出すしかありますまいな」

「ふふふ、亡き父(孫堅)の若き日のようにな」青年は、寂しそうに呟いた。「懐かしき日々に逆戻りか・・・ちくしょう」いきなり大声をあげる。「このままでは、父ちゃんに申し訳が立たぬわ。今際の際に、俺の手を握って励ましてくれた兄ちゃん(孫策)に合わす顔がないわ」

「でも、降伏するしかないでしょうな」諸葛亮が言った。「あの大軍には、かないません」

孫権は、驚いた顔で客を見やった。魯粛も、怪訝そうな顔を見せる。

「その言葉を、そっくりそのまま劉左将軍に言ってやりたまえ」孫権は、興味深そうに眺め渡す。「だいたい、劉備はどうして諦めずに戦いつづけているのだ」

「漢王室を護るためです」諸葛亮は、慎重に言葉を選んだ。「我が君は、漢王室の血を引く皇帝の一族ですから、逆賊曹操の簒奪の野望を挫き、漢の徳を蘇らせるまでは、死ぬまで戦い抜く決意なのです」

孫権は、大きな口を小さく開けた。「聞こえは良いが、蟷螂の斧ではあるまいか。だいたい、当陽で敗北したばかりじゃないか」

「そうではありません」諸葛亮は、声を高めた。「曹操軍は、百万と号していますが、その実数は二十万に満たないでしょう。そのうちの十万は、幽州、冀州といった北方の出身者ゆえ、馬術は得意でも水戦は不得手でしょうし、慣れない環境で体調を崩す者も多いはず。また、占領したばかりの荊州も、曹操に完全に心服したわけではありません。劉将軍に付き従って江陵に逃げようとした民が、数十万の多きに上ったことからも、それは分かります。つまり、新たに曹操軍に加わった荊州兵十万は、戦力として活用できないのです」

「むう」孫権はうめいた。新たな視点が開けていく。

「つまり」諸葛亮は、両の拳を眼前に突き出して強く握った。「江陵の曹操軍は、数こそ揃えど、単なる張りぼてなのです。それに対して、劉将軍は敗れたりといえど、江夏の劉gどのと心を合わせ、二万の兵力をがっちり纏めて敵と対峙しています。勝算は十分にあるのです」

「ならば、どうして先生は、俺に降伏を勧めるのか」孫権は、眦を剥く。

「将軍が降参を望んでいるから、それを勧めたまでのこと」

「違う」孫権は立ちあがった。「俺は、降参なんかしたくない」

「戦えば、必ず勝てます」魯粛は、ここを先途とばかりに語気を強めた。「周瑜提督は、三万の水軍があれば、曹賊を木っ端微塵に出来ると豪語しておられるのですぞ」

「そうです」諸葛亮は、魯粛と対照的に静かに語る。ここで、劉備の重要性を、それとなく強調しなければならないのだ。「劉将軍の陸兵二万と、周提督の水兵三万があれば、北の蛮族を追い散らすなど、造作も無いことでしょう」

「よろしい、会議に諮ろう」青年将軍は、力強く頷いた。

諸葛亮は、謁見の成功に満足して、後ずさりに退出しようとした。

「ああ、先生」孫権が声をかけた。「先生は、うちの子瑜(諸葛瑾)の実弟だと聞いたのだが」

「はい、兄がいつもお世話になっております」諸葛亮は、顔を上げて会釈する。

「そうか、子瑜は、軍勢を率いてこの地に駐屯しているから、今夜は昔語りに花を咲かせたまえ」

「ありがたきお言葉」

「この地が気に入ったら、いつまでも滞在して良いのですぞ。兄君とともに、私にいろいろと教えてくださいな」

「考えさせていただきます」

諸葛亮は、にっこりと笑って退出して行ったが、この切迫した情勢下で、人材登用の努力を忘れない孫権の胆力に、内心では舌を巻いていたのである。

 

さて、その日の午後、孫権は徹底抗戦の腹案を持って会議に臨んだ。

東呉政権の実態は、豪族の集合体であるから、群臣会議の重要性は極めて高く、しばしば孫権の意思も無視される。孫権は、主君とは言っても、その父兄の名声によって祭り上げられた存在に過ぎないから、家柄も低く年齢も若いとなれば、軽んじられるのも当然なのだ。そして、今日の会議は、孫権にとっていわば最大の試金石だった。彼が飾り物の地位から抜け出せるか否か、この地に君主権を確立できるか否やは、この瞬間にかかっていたのである。

降伏派の張昭と主戦派の周瑜は、真っ向から激論を飛ばした。この二人は、孫策以来の大重臣である。まさに、国論を二分する大激論なのだった。しかし、張絋、雇雍、陸績といった士大夫は、こぞって降伏を支持したので、周瑜の論は押され気味となる。

「漢の天子を擁する丞相に歯向かうのは、人倫に反するのだ」張昭老人がねめつける。

「曹操の実態は、漢の簒奪を企む逆賊である。それを阻止するのは、臣下たるものが当然に果たすべき勤めであろうぞ」周瑜は、悪びれずに言い返す。

「どうやって百万の大軍に挑むというのだ」と、張絋。

「南船北馬というだろう。奴らは疲れきった烏合の衆だ。得意の水戦に持ち込めるなら私は、必ず勝てる」周瑜は、その美貌に似合わぬ激しい語気で、満座に強く訴えた。

周瑜公瑾は、江南に根を下ろす大豪族の家柄である。十六歳のときに孫策と知り合って意気投合し、後に彼の江南平定戦に中心人物として加わり、孫策死後も孫権を良く補佐した。魯粛を推挙したのも、彼である。「美周郎」と渾名されるほどの美青年。その妻は、中華一の美女と言われる小喬である(その姉は、孫策未亡人の大喬)。文化にも造詣が深く、どんなに酔っていても楽器奏者の間違いに気付いて振り返るという。まさに、端倪すべからざる人物である。このとき、周瑜は三十四歳であった。

上座で議論に聞き入る孫権は、心中では周瑜を支持していた。

しかし、最後の勇気が出ない。自分の一声で全てが決まると思うと、運命の一歩が踏み出せない。困り抜いて座を立ち、厠へと走る。

周瑜は、すかさず魯粛に目配せした。

魯粛は素早く立ち上がると、主君の後を追った。

孫権は、厠の中の壁板に額を押し付けて悩んでいた。その外から声がかかる。

「将軍、将軍」魯粛は懸命に語りかけた。「張昭らは、己の保身しか考えない輩です。あんな奴らの言葉に耳を貸す必要はありませんぞ」

「・・・・」

「父君と兄君が、手塩にかけて治められたこの地を、手をこまねいて賊に渡しても良いのですか」

「・・・」

「私と周瑜どのは、死ぬまで将軍のために働きます。どうか、自信を持ってください」

「ありがとう、子敬、もう言うな」叫んで飛び出した青年将軍は、形相を変えて、早足で会議室に戻っていった。

主君の帰還を見て、ざわめいていた満座は静まった。

「俺は決めたぞ」孫権は、上座に仁王立ちとなった。「これが答えだ」

口を一文字に閉めて腰の剣を抜き、文書机を一刀両断する。

「戦うのだ。まだ和平を口にする者は、この机と同じ運命だ」

 ここに、歴史は動いた。