35.荊州牧・劉備

 

紫桑に、赤壁の殊勲者たちが帰ってきた。その先頭は魯粛である。

孫権は、大喜びで出迎えた。

「子敬よ、君の功績を顕すのに、俺自ら君の馬の手綱を取れば十分だろうか」

「いいえ、不十分です」魯粛は、厳しい表情で応えた。「殿が天下を平定し、玉座に座ったとき、初めて私の功績が報いられるのです」

孫権と群臣たちは、両手を叩いて大笑した。

自信をつけた孫権軍は、全戦線で総攻撃に打って出た。

十二月、孫権は、自ら三万の軍勢を率いて長江を北に越え、合肥を攻撃したのである。この地は、巣湖のほとりに位置する要衝であり、ここを落とせば、揚州州都・寿春までの水上進撃路が確保できるのだ。しかし孫権は、曹操直卒の援軍が接近中との虚報に騙されて、本格的な攻城戦に入る前に紫桑に退却してしまったのである。

一方、周瑜軍三万は、紫桑で戦備を整えると、再び長江を遡上した。今度の目的地は江陵である。ここを陥落させれば、長江を絶対防衛線にする戦略が可能となる。この周瑜軍の後ろには、例によって劉備軍二万が付き従った。天下三分を目指す劉備陣営にとっても、江陵は必須の地であった。

長江北岸にそびえる堅城・江陵を守るのは、名将の誉れ高き曹仁である。彼は、一万の精鋭をもって篭城し、圧倒的な周瑜の攻撃を耐え忍んだ。

その間、劉備は独自の行動をとっていた。彼の軍勢は長江南岸に上陸し、この周辺を平定鎮撫したのである。

「劉備め、怪しい真似をしやあがる」周瑜は、焦りを感じた。「どさくさに紛れて、より多くの領土を自分の取り分に組み込もうというのだな」

今や荊州は、劉備と孫権の分捕り合戦の地と化した。周瑜としては、劉備勢力の伸張を押さえ込みながら曹操軍と戦わざるを得ない。彼は、部将の甘寧に西進を命じた。手薄な夷陵城を占拠させて、劉備を牽制しようと考えたのだ。

甘寧の部隊一千は、微弱な抵抗を排除して夷陵城の占領に成功した。彼は、もともとこの地方の大侠客だったので、地理にも精通していたのである。しかし、急を知った曹仁が五千の攻撃軍を派遣したため、たちまち包囲下に置かれてしまった。

これを知った周瑜は、呂蒙の策を受け入れて、大規模な救援軍を組織した。そして、江陵の押さえを凌統に一任すると、全力で夷陵を目指したのである。激しい戦いの結果、東呉軍は勝利を掴み、敗れた曹仁軍は退路を絶たれて襄陽へ逃げていった。

かくして、江陵城は窮地に陥った。周囲の砦は、次々に敵の手中に落ちていく。

「丞相の援軍は、まだか」曹仁は大いに焦る。

しかし、曹操には荊州を救援する予定が無かった。彼は、合肥方面の兵力を増強し、東から孫権を圧迫する戦略を採用したからである。

その間、劉備は、長江南岸で着々と勢力を拡大していた。

不本意ながらも曹操に屈服していた荊州の民衆や士人は、次々に彼の帷幕に馳せ参じたため、彼の兵力は一気に三万を数えるようになった。

建安十四年(二〇九)が明けると、劉備軍は湖南地方に兵を向けた。いわゆる、荊州の江南四郡を平定しようというのである。長沙、零陵、桂陽、武陵は、それぞれ曹操に任命された役人が統治していたが、民心は劉備に対して好意的であった。何しろ劉備のもとには、劉表の忘れ形見・劉gがいるのだから、四郡支配の大義名分は整っている。役人たちは、はかばかしい抵抗が出来ずに逃走するか降伏していった。

劉備は、支配が成った四郡のうち、軍事的重要性の高い桂陽を趙雲に治めさせたが、治安が安定している残りの三郡の統治は、諸葛亮に一任した。諸葛亮は、優れた内政手腕を発揮したため、劉備軍の財政は著しく充実したのである。

また、諸葛亮は人材の登用にも熱心だった。『襄陽学派』の人脈を利用して、在野から馬良、馬謖、蔣琬、陳震、廖立といった有能な士大夫を抜擢した。また、黄忠という勇猛な武将を傘下に加えることができた。この情勢を見て、廬江郡の大侠客・雷緒も、数万の民衆を連れて劉備陣営に加わったのである。

彼らは、どうして曹操や孫権を選ばなかったのだろうか。

まず、『襄陽学派』の士大夫の立場からすれば、中原の故郷を追われて荊州に逃げて来た彼らは、大きな部曲(土地や小作人や兵士といった経済基盤)を持っていない。そのため、曹操に仕官した場合、裸一貫からキャリアをスタートさせなければならないが、曹操の帷幕には、既に荀ケや荀攸を始めとする優秀な士大夫がひしめいているから、高位に出世できるはずがない。また、孫権に仕官した場合、この政権内では、強大な部曲を持つ大豪族たちが世襲的支配を固めているため、よそ者が割って入る余地がない。だから彼らは、劉備を選ぶほかは無かったのだ。

次に、荊州に部曲を持つ有力者について言えば、曹操に仕えて出世できそうな名門は全て北へ赴いてしまったので、ここに残されたのは地位の低い土豪であった。彼らは、荊州の民心に詳しい英雄の傘下に入ったほうが安心できるので、劉備を選んだのだ。

つまり、劉備は、曹操と孫権の政権の間隙を縫って大きくなろうとしていたわけである。

「このままでは、劉備に荊州を奪われる」

焦った周瑜は、自ら陣頭に立って江陵を攻撃したのだが、流れ矢に当たって負傷してしまった。喜んだ曹仁は、東呉軍に対する反撃を企画したのだが、周瑜は怪我をおして陣頭指揮を続けたので、北軍の反撃は奏効しなかった。

そこへ、劉備が三万の兵を連れて北上して来た。

「公瑾どの、ご苦労様です。苦戦されているようなので、助けに来ましたぞ」諸葛亮は、周瑜の本陣を訪れて、笑顔で語った。

「・・・これは、助かります」周瑜は、唇を噛みながらそう応えるしかなかった。

九月、曹仁は、劉備の大軍を目の当たりにして、もはや万策尽きたことを知った。彼は、夜陰に紛れて軍兵を纏め、北方の襄陽へと退去したのである。江陵に凱歌が上がる。周瑜は、大急ぎでその主力を江陵に入場させ、各所に東呉の旗を掲げさせたのである。

一方、劉備軍は追撃を続け、当陽に陣取る満寵を攻撃し、これを襄陽へ追い散らした。

「鈴、喜んでくれ。仇はとったよ」

因縁深い当陽で曹操軍に勝利した劉備は、意気揚揚と江陵に戻ってきたのだが、城門が堅く閉じられているのに驚いた。使者を遣わして入城を求めても、南郡太守となった美青年が、治安が悪いなどのもっともらしい理由をつけて聞き入れてくれない。

「そうか、周瑜め。そういうことか」

怒りを胸に含んだ劉備は、やむなく軍を纏めて長江を南に越えた。そして、長江を挟んで江陵を至近に臨む油口という小城に駐屯したのである。

「油口では、恰好が悪い。ここを公安と改名しよう」

劉備は、関羽と張飛らを頼もしげに見回した。もはや彼らは、敗残者ではないのだ。

それにしても、荊州には三色団子のような形で三大勢力が割拠する情勢となった。北の襄陽には、曹仁、楽進、満寵ら曹操勢力が二万の軍勢で駐屯している。その南、長江流域の江陵を中心とする南郡は、周瑜率いる呉軍が三万の兵力で占拠している。さらにその南の湖南四郡は、劉備率いる荊州軍が四万の兵力で実効支配しているのだった。

「せめて、江陵は欲しいな」劉備は、公安城で切なげに長江の流れを見つめた。「この大河を管制できなければ、天下三分など思いも寄らぬぞ」

「孫権と交渉したらどうでしょうか」新付の参謀・馬良が助言した。「彼は、我が君を曹操に対する爪牙(傭兵隊長)として利用したいはずですから、曹操領と隣接しないこの地に留めていても無駄だということを教えればいいのです」

この馬良は、襄陽出身の名門士大夫である。彼と四人の弟たちは、みな評判の秀才ぞろいで、その全員の字に常の文字があることから、『馬氏の五常』と呼ばれていた。その中でも、長兄の馬良季常が最も優秀であった。その眉毛に白髪が混じっていたので、付いた渾名は『白眉』。そして、『白眉』を筆頭とする『馬氏の五常』は、いまや劉備の配下に就いたのであった。これも、『襄陽学派』に隠然たる力を持つ諸葛亮の推薦によるものである。こうして、これまでは単なる傭兵集団だった劉備の勢力も、ようやく政治組織としての実態を整えてきたわけだ。

そして、馬良の読みは正しかった。孫権は、日増しに合肥方面の勢力を強化する曹操の動きを見て、神経質になっていたのである。

曹操は、赤壁で敗れたとはいえ、その主力を温存したまま北方に引き上げていた。彼は、天下人としての威信を回復するため、何が何でも雪辱戦を挑んでくることだろう。そして、彼の第二次侵攻は、合肥方面から行なわれることが予想された。既に七月、自ら合肥に進出して水軍の大演習を行なった。また、合肥の主将に、名将の張遼を任命していた。

「確かに、劉備に荊州を任せるのは良い考えだ。あいつが、襄陽方面の敵を一手に引き付けてくれるなら、現在、江陵や夷陵に突出している兵力を、予備として手元に置くことができるからな。だが、俺はあいつが信用できない」孫権は、思案に暮れていた。「先月、劉gが病死したのも、何やら怪しい。劉備が暗殺したのじゃあるまいか」

そんなとき、魯粛が笑顔を浮かべてやってきた。

「どうした、子敬。旨い酒でも手に入ったのか」

「いいえ、悲しい事が起きたのです」

「じゃあ、なんで笑っているんだ」

「我々にとって、慶びごとに転化できるからです」

魯粛の語るところによると、先ごろ、公安で葬儀が営まれたという。亡くなったのは、劉備の正妻・甘夫人だ。当陽で受けた矢傷が悪化したのだという。ここに劉備は、妻を全て失い、男やもめになってしまったのだ。

「あいつ、奥さんが一人しかいなかったのか」孫権は驚いた。彼の屋敷には、妻妾が六人もいるから。

「もう一人の奥方は、当陽で敵に殺されたそうで・・・」

「それでも少ないな。やはり、あいつ変わっている」

「放浪生活が長かったからでしょう」

「・・・まあ良い、それがどうして俺たちの慶びごとになるのさ」

「政略結婚の機会です」魯粛は、悪戯っぽく微笑む。

孫権には、年頃の妹がいた。これを劉備に娶わせようというのである。劉備が孫権の義弟になれば、その信用度は飛躍的に増すので、荊州を与えて爪牙とする戦略が可能となる。

「ううむ、着想は面白いよ。だけど、劉備は四十八だが、あいつはまだ十九だぞ。年の釣り合いがどうもなあ」孫権は、腕を組んで思案する。

「でも、良縁ではありませんか。劉備どのは、皇室の血を引く左将軍・領豫州牧・宜城亭公ですぞ。それに・・・」

「それに・・・」孫権は、緑色の瞳を悪戯っぽく輝かせた。「いいから言ってみろ」

「この機会を逃せば、嫁の貰い手がなくなるかと」さすがの魯粛も、言いづらいことを言わされて困った顔だ。

「よくぞ言った」孫権は、両手を打ち合わせて大喜びだった。

彼の妹は、評判のじゃじゃ馬娘だったのである。

 

さて十一月、公安の劉備陣営は、悲しみごとの連続に打ち沈んでいた。

十月には、劉表の忘れ形見・劉gが病没していた。彼には子供が無かったので、その部曲は全て劉備に吸収されたのである。劉備の政治的立場からすれば慶事と言えよう。劉備自身も、劉gがそれほど好きではなかったので、内心では快哉を叫んでいた。しかし、『仁君』として乱世を行きぬく戦略を持った今は、その感情を素直に出してはならない。彼は悲しみに浸って物事が手につかない演技をしつづけた。

すると、今度は本当の悲しみごとが起きた。沛国時代に知り合った糟糠の妻・甘夫人が、熱病に罹って病没してしまったのである。しっかり者の甘夫人は、お嬢様育ちの麋夫人や腕白坊主の劉封を支えながら、激動の人生を歩む夫に良く付いてきてくれた。しかし、その気丈な笑顔ももう見られない。劉備は、本当に悲しかったが、『仁君』としては、家庭の私事であまり大げさに悲しむべきではないと思って、葬儀も簡素にして冷静な表情を保ちつづけたのである。

そんな主君の様子を見て、桂陽太守の趙雲は、自分の縁談を取りやめた。前の桂陽太守・趙範(降伏して趙雲の副官となっていた)が、未亡人となった美貌の兄嫁を新任の太守に勧めてきたのだが、真面目で一本気な趙雲は、悲しみに埋められた主君の心事と、自分の政治的立場を思い見て破談にしたのである。趙範は、何を勘違いしたのか、恐れて交州に逃亡した。彼は、あるいは、趙雲を抱き込んで謀反を起こすつもりだったのかもしれない。

そんな折、孫権の使者が公安に縁談を持ってきたのである。

「これは絶好の機会だな」劉備は、喪服に包んだ心のうちで快哉を叫んだ。「孫権と義兄弟になれば、我儘も言い易くなるわい」

彼は、妻を失った悲しみよりも政治成果を優先する自分の心の冷たさが、あまり好きではなかった。しかし、乱世を生き抜くためには、自分の嫌いな部分も武器にしなければならぬ。

群臣を集めて審議した結果、満場一致で賛成と決まった。さっそく、公安に花嫁を迎える手はずが決まったのである。

会議が終わってから、諸葛亮は、すました顔で劉備に言った。「東呉の兄の知らせによれば、花嫁の渾名は、『弓腰姫』と仰るそうですな」

「ほお」劉備は嬉しそうだ。「腰が弓のようにしまっているのか。楽しみだなあ」

「いいえ」諸葛亮は、笑いを浮かべた。「いつも腰に弓をぶらさげているから付いた渾名なんですって」

「なんだとお」劉備は、さすがに青ざめる。

「性質が、父や長兄(孫堅と孫策)にそっくりで、三度の飯より武芸が好きなお方だとか。中でも騎射が得意で、百発百中らしいですぞ」

鐙が発明されていないこの時代、馬の上で両手を使うためには、太腿の力だけで馬の背中をがっしりと締め付けていなければならない。女性でそれが出来るというのは・・・。

劉備の顔はますます青ざめ、諸葛亮は思わず吹き出してしまった。

 

十二月、奇妙な新郎新婦が華燭の典を挙げた。遠方より輿入れしてきた少女は、心配していたような大女でも醜女でもなかった。少々、色が浅黒いだけで、小柄で目元がぱっちりした美女である。

「なあんだ、案ずるより生むが安しだな」劉備は、最初あまり期待していなかっただけに大喜びだった。

「私の妻よりましじゃあないですか」諸葛亮も、おかしそうに言う。

「いやあ、女は中身だよ。君の奥さんみたいに賢女ならいいが」

「中身は、東呉の密偵でしょう」

「それを言うなよ。興ざめするから」

主従は、笑顔を交わした。劉備も諸葛亮も、質素な礼服姿である。この当時、結婚式はそれほど派手なものではなかった。庶民の中には、式を挙げないものも多かったのだ。

さて、いよいよ初夜である。劉備は、鼻息も荒く花嫁の寝所に向かったのだが、途中の廊下で左右に居並ぶ花嫁付きの侍女たちの姿に仰天した。全員、巨大な矛を斜めに抱えている。まるで閲兵式のようだ。

気もそぞろに、なんとか帳に潜り込んだが、花嫁と対面しても事に及ぶどころではない。

「どうしたのです」薄絹を纏った弓腰姫は、不思議そうに尋ねる。

よくもまあ、初夜で落着いていられるものだ、と劉備は呆れる。可愛くないぞ。

「お前の侍女たちが怖くて・・・」と、正直に言うと、花嫁は口に手を当てて笑い出した。

「百戦錬磨の左将軍なのに、武器が恐ろしいのですか」

「左将軍だから恐ろしいのだ」劉備は、悪びれずに言った。「男は、一歩外へ出れば百人の敵がいる。せめて、家の中では安心していたいのだ」

すると花嫁は、無言で両手を二度打ち鳴らした。衣擦れの音がして、侍女たちが退出していく気配がした。

「これで大丈夫」嫣然たる笑みを浮かべた少女は、その可憐な唇を夫の大きな耳に押し付けた。

この年末、劉備と孫権は、互いの婚姻関係を天下に公表し、またそれぞれ荊州牧と徐州牧を新たに名乗り、互いに承認しあったのである。二人の同盟は、ますます堅固になった。

曹操は、鄴城で新たな布告を作成していたが、その知らせを聞くと、思わず持っていた筆を取り落としてしまった。

 「玄徳め・・・」曹操は、これまで弱小だったライバルが、見る見るうちに強大になっていく予感に怯えた。「この同盟は、俺が想像した中で最悪の局面だ・・・」