38.成都進撃

 

建安十七年(二一二)正月、中華の戦乱は小康状態を迎えていた。

曹操は、鄴で、その政治的地位を着々と高めていた。天子から、賛拝不名(天子から呼び捨てにされない)、入朝不趨(天子の前で小走りに歩かなくても良い)、剣履上殿(武装したまま拝謁できる)の特権をたまわり、その地位は、今や完全に天子に次ぐものとなった。

孫権は、その矛先を南方に向けて少数民族を宣撫し、また、交州刺史・士燮を恫喝し、この地を無血で傘下に入れることに成功していた。また、首都を建業(後の南京)に遷し、その長江対岸に濡須砦を築き、曹操の南下に備えたのである。

劉備は、葭萌関に駐屯したまま漢中との戦端を開こうとせずに、この地方の民衆や新たに傘下に加わった兵士たちに恩徳を施し手なづけることに懸命であった。

劉璋の配下たちは、客将の怪しい挙動に神経を尖らせたのだが、益州牧は涼しい顔であった。彼は、客将を信頼していたのである。

というわけで、劉備は身動き取れない状態に陥っていた。張魯を攻めても仕方ないし、かといって劉璋に刃を向けるのも躊躇われる。

「何しにここまで来たのです」呆れた法正が、唇を尖らせた。

「口実が無ければ、裏切りは出来ない」劉備は、悪びれずに言った。「俺は、大義名分のない戦はしない主義なんだ。大義を守らなければ、人は付いて来てくれないだろう」

「だからって、こんなところで居すくまっていたら、荊州が狙われますぞ」

「そのときは、仲謀(孫権)と子敬が助けてくれるさ。そのための政略結婚だろう」

劉備は、荊州に孫夫人を残してきた。もしも曹操が荊州を攻撃したら、孫権は、妹を守るために援軍を出さざるを得ないだろうと思案したのである。しかし、孫夫人はこの処置に不満だった。益州への同伴を拒まれた彼女は、夫の愛が信じられなくなったのである。

劉備は、人心の裏表に通じているが、それは、あくまでも理性によって知的に認識しているのに過ぎず、もっとも大切な思いやりが、どこか欠落した人間であったのだろう。

孫夫人は、もはや人質同然で荊州にいることが耐えられなかったので、兄の使節団が江陵を訪問したときに、その船団に紛れて呉に逃げ帰ろうと考えた。

「でも、手土産が必要ね」男勝りの彼女は、兄のために人質を手に入れようと目論み、五歳になったばかりの劉禅を、一緒に連れて行こうとしたのだ。

幸い、この企図は未然に防がれた。密かに孫夫人を監視していた趙雲が異常に気付き、長江に封鎖線を張って劉禅を取り戻したのである。ただし彼は、孫夫人の帰郷は好きに任せた。

さて孫権は、益州への共同出兵を拒んだ劉備が、自分に断りなく単独出兵したことが許せなかったので、妹の帰郷を大いに喜んだのである。

「あの、ぺてん爺め、今に目に物見せてくれるぞ」

だが孫権は、荊州に兵を出すわけにはいかなかった。北方の脅威が、ますます重みを増してきたからである。

建安十七年(二一二)十月、曹操は、自ら十万の軍勢を引き連れて合肥に向かった。彼は、一気に孫権と雌雄を決しようと考えたのだ。まずは江西砦を陥落させて、守将の公孫陽を捕虜とした。

「さいさき良し」曹操は、さらに軍を南下させた。目指すは、孫権の本拠地、建業である。

孫権は、負けじとばかりに七万の軍勢で江を北に渡った。これは、東呉のほぼ全軍である。劉備に荊州を貸し与えたお陰で、このような軍の集中が可能となったのであるから、劉備を甘やかすという魯粛の方針は、この時点では完全に成功していたと言える。

「益州に使者を出せ」碧眼児は、馬上叱咤した。「劉備に援軍を要求するのだ。そのための同盟なんだからな」

戦いは、孫呉の築いた濡須要塞を巡る攻防となった。

この辺りは、水路が多く、糧道が通しやすい。また、曹操軍の後背地である合肥と寿春は、数年前から大規模な屯田を営んでいるため、物資が豊富であった。これが、曹操がこの地方から大攻勢をかけた主な理由である。

しかし、孫権軍は頑強に抵抗した。総大将自らが陣頭に立って敵陣に突撃し、多大な戦果を挙げたのである。長江の中洲をめぐる攻防戦では、曹軍三千の退路を絶ってこれを捕虜とした。

「たいした奴だなあ」曹操は感嘆した。歴戦の彼の目からも、碧眼児の奮戦振りは端倪すべからざる素晴らしさだ。「息子を持つなら、孫仲謀みたいなのが良い。景升(劉表)のせがれ(劉j)なんぞは、まるで豚みたいなもんだ」

いつしか戦いは、持久戦に陥った。

 

そのころ葭萌関では、孫権からの援軍催促状を前に、劉備とその幕僚たちが沈思黙考していた。

「揚州が破れたら、次は荊州だ」劉備は重々しく言った。「引き返そうか」

「せっかくここまで入り込んだのに」法正は歯軋りした。「左将軍は、天の与えた絶好の機会を逃すのですか」

「また、機会は巡ってくるでしょう」龐統は、鼻毛を抜きながら平然と言った。

法正は、腹だたしげに劉備の軍師を睨みつけた。

「ただし」龐統は、そんな法正を横目で見ながら語気を強めた。「これまでの謝礼として、益州牧から相当の贈り物をいただきませんと」

法正は、その意を悟って喜色を浮かべた。

劉備の使者は、成都に参上して撤退の意思を表明し、また莫大な謝礼を要求した。

「張魯は守勢の賊だから、何も心配いらぬと言ってきた」劉璋は、劉備の手紙を群臣に見せた。「曹操と決戦するために、装丁一万と戦車百乗、強弩一万張を要求されたが、どうしたものかなあ」

満座は、笑いさんざめいた。帰ってくれるのは大いに結構。謝礼は、形ばかりのものを送れば良いというのが大方の意見であった。

こうして、葭萌関に送られたのは、老兵四千と強弩百張のみであった。

劉備は怒った。いや、兵士の士気を盛り上げるために、怒った振りをしたのである。

「劉璋の奴、俺を何だと思ってる。このような不誠実を見せられては、真面目に働けぬわ」

「これで、大義名分が出来ましたな」軍師は、会心の笑みを浮かべる。

「次は、どうする」劉備も、笑顔を見せた。

「三つの策があります」龐統は、右手を掲げて指を三本立てた。「上策は、全軍で間道伝いに成都に殴り込みをかける。中策は、この南にある白水関を占領し、ここを策源地として徐々に益州を侵食していく。下策は、いったん荊州に引き返し、全軍で益州に侵攻する」

「上策は、失敗した場合の危険が大きすぎる。中策で行こう」

こうして劉備軍は、戦闘隊形を整えて南へ進んだ。寝込みを襲われた白水関は、一日で無血占領され、守将の楊懐と高沛は捕虜となって斬られた。

法正は、劉備の鮮やかな手並みに驚いた。彼は、劉備の正体を優柔不断な愚物なのかと思って失望しかけていたのだが、決断と同時に野獣に豹変する姿を見て、初めてその愁眉を開いたのであった。

しかし、成都の張松は、劉備の権謀を信じることができなかった。彼は、劉備の撤退を彼の本音だと思い込み、考え直すようにと手紙で説得しようとしたのである。

不運なことに、彼の兄・張粛は、劉璋の忠臣であった。たまたま弟の家を訪問して書斎に入った彼は、書き散らされた反古の中身を盗み見て、一大事を悟ったのである。

「信じられぬ」報告を受けた劉璋は、頭を抱えて蹲った。

「劉将軍を、信じていたのに・・・永年(張松)を信じていたのに・・・」

張松とその家族は、即座に逮捕されて斬首された。兄の背中を追い続けた野心家は、最後まで目標に辿り着くことができなかったのである。

とにかく、こうして成都のクーデター組織は壊滅し、劉備は正面から劉璋を戦い破らねばならなくなった。ただ、法正の築いた諜報組織が、成都城内で健在であるのが唯一の救いである。

「従事の鄭度が、劉璋に戦略を提言したそうです」法正は、白水関の会議室で情報を開陳した。「白水から成都に至る道筋の全ての住民を強制移住させ、田畑を焼き払うべきというのです。我が軍を、枯れ死にさせるつもりなのですな」

劉備は、青ざめた。

「そうなったら、たいへんだ」

「でも大丈夫」法正は、笑顔を見せた。「そのような大掛かりな作戦は、小心者の劉璋には採用できないでしょう」

法正の予言は的中した。劉璋は、民衆を苦しめて戦に勝つのは下策だ、と言い放ち、あくまでも正攻法による迎撃を命令したのである。

しかし劉備軍は、敵の抵抗を次々に粉砕しながら、成都目指して南下した。

劉璋が派遣した呉壱を主将とする二万の軍は、涪城を拠点にして劉備軍を抑止しようとしたのだが、龐統は、彼らの布陣を見て笑いを漏らした。

「なるほど、長いこと戦場から遠ざかっていたために、時代遅れの陣法ですな。これなら、恐れるに足りませんぞ」

龐統と法正が立案した作戦に基づき、黄忠と卓膺が攻撃すると、劉璋軍は為すすべも無く敗走し、呉壱は抵抗を諦めて降伏したのである。

劉備軍は意気揚々と涪城に入り、この地で音楽を盛大に鳴らして大宴会を催した。

「連戦連勝だ」劉備は、杯を片手に大喜びである。「こんなに楽しいことはない」

考えてみれば、劉備の人生は負け戦の連続であった。これほどの鮮やかな連勝は、生涯で始めてのことではなかったか。酔いに任せて、ついつい本音が出てしまったのである。しかし龐統は、そんな主君の心事を知りつつも、やはり言い返さざるを得なかった。

「他人の国を征伐して喜んでいるとは、仁君とは言えませんな」

何気ない一言は、劉備の肺腑をえぐった。彼が、もっとも気にしている勘所を突かれた形だ。劉備は、唾を飛ばして叱咤した。

「周の武王の兵は、殷の紂を討つ時に歌い踊ったが、あれは仁者の戦ではなかったか。お前の言葉は的外れだぞ。出て行け」

龐統は、顔色を変えて、後ずさりしながら座を立った。

劉備は、すぐに後悔した。彼は、仁君を演じつづけよという孔明の言いつけに背いてしまった。そして龐統は、もともとその類の偽善が嫌いな自由人であったから、彼の無愛想な返答も、立派な個性の発露として受け止めてあげるべきだった。

劉備は、従者に命じて龐統を呼び戻させた。

軍師はしばらくして戻ったが、主君の前に座を据えて黙って飲み食いを始めた。

主君は、その有様を黙って見つめていたが、やがて決まり悪げに切り出した。

「なあ士元、さっきの会話は、いったいどちらが間違っていたのかなあ」

龐統は、魚の小骨を歯から引きずり出しながら答えた。

「君臣ともに、間違いでした」

両者は笑顔を見交わして、高笑いした。

 

年が明けて建安十八年(二一三)、劉備軍は、今や三万の大軍となって綿竹関へと迫った。

劉璋は、二万の軍を発してこれを食い止めようとしたのだが、主将に任命された李厳と費観には戦意が欠けていた。無理も無い。李厳と費観は、共に豪族出身者であり、東州兵とそれを贔屓する劉璋に反感を持っていたのである。このような人物たちを総大将に任じたのは、劉璋の政治能力の限界であろうか。

法正は、敵の士気の低さを感得すると、さっそく誘降の密書を敵陣に送った。

李厳と費観は、喜んで降伏し、劉備軍に合流したのである。

部将の張任は、生き残った配下を連れて南の雒城に逃れ、かくして綿竹関は陥落した。

劉璋は、大いに狼狽した。雒城は、成都北方の最後の防衛線である。ここが落ちたら後がない。

度重なる裏切りに失望した彼は、もはや士大夫や豪族は信用できないことを知った。

「頼りになるのは、やはり東州兵だけか」

劉璋は、息子の劉循に東州兵を預け、一万五千の兵で雒城を守らせたのである。部将の張任、冷苞らは貧しい侠客出身者であるから、劉璋に対して個人的な強い忠誠心を持っている。

四月に入って雒城の前面に達した劉備軍は、頑強な抵抗に攻め倦んだ。

「敵将・張任は、卓越した名将です」法正が心配げに呟く。

「ならば、策を講じて彼を捕らえましょう」龐統は、事も無げに言った。

その翌日、劉備軍は、黄忠と卓膺を先鋒に立てて雒城に接近した。

張任は、自ら五千の兵を率いて迎え撃った。

強弩を撃ち合ってから、互いに戦車と歩兵を繰り出して押し合う。

騎射の達人・黄忠は、自ら陣頭を左右に駆けながら的確な一撃を見舞っていった。

「あの白髯の部将は誰だ」本陣の張任は、側近を振り返った。

「旗印から察するに、南陽郡の黄忠漢升と思われます。元は劉表の部将で、赤壁戦後、劉備に帰順した猛者です」

「あいつを倒せば、敵に目ぼしい部将はいなくなるわけか」

張任の、侠客の血がたぎった。

彼は自ら馬を駆ると、五十名の側近を連れて陣頭に出た。

「あの白髪首を取れ」

雄たけびをあげながら突撃する総大将の剣幕に、全軍の士気は大いに盛り上がり、戦局は大きく動いた。黄忠軍は圧倒され、我先に敗走していく。白髪首は、乱軍の中に見えなくなった。

「まだだ、まだ退くな。今日はあくまで追い討て」張任は、刀を頭上に打ち振って、自ら先頭に立って追撃した。

いつしか雁橋という隘路に差し掛かった。左右から湧き出る伏兵。

「しまった、策に嵌ったか」

黄忠の退却は、擬態だったのだ。

歯欠けの口を大きく開きながら、老将は大音声で反撃を指示した。

慌てて馬首を翻す張任は、いつのまにか退路にも敵が入り込み、完全に包囲されている形勢に気付いた。矢の雨の中、部下たちは次々に朱に染まっていく。

「くそ」

振り返った彼の前に、赤毛の馬に乗った赤ら顔の大柄な青年が寄せてきた。

「俺は、義陽郡の魏延、字は文長だ。いざ、尋常に勝負せよ」

「下郎めが」

張任は、戟で打ちかかったが、なかなかどうして魏延は手ごわい。青年の両手から繰り出される撃剣の一撃は、張任の手から戟を叩き落したのである。

捕虜となって眼前に引き出された張任に向かって、劉備は帰順を呼びかけた。しかし、

「二君に仕えるほど落ちぶれちゃあいねえぜ」虜将は、そう喚くと唾を吐いた。

劉備は、張任の瞳の中に侠客の心意気を深く感じ取ったので、それ以上の説得は無駄だと悟った。

「そうか、残念だ」劉備は嘆息すると、張任を刑吏の白刃に委ねたのである。

劉備は、その足で兵舎を訪れた。

勝ち戦の興奮が止まぬ兵士たちは、主君の不意の訪問に大いに喜び歓声を上げた。

「文長はどこだ」劉備は、兵士たちの声を片手で受けながら、大手柄を立てた騎兵を探した。

魏延は、仲間たちと鍋を囲んで手柄話をしている最中だったが、主君の来訪に驚いて顔を上げた。劉備は、満面の笑顔でその前に立つ。

「お前、良く頑張ったな。明日からは騎兵卒(隊長)を任せる。頼んだぞ」

「あ、ありがたきお言葉」

魏延はその場で平伏し、感動のあまり肩を震わせた。庶民出身の彼は、腕っ節一筋で社会に出ようと志し、日夜、努力を重ねていた。まさか、主君から直接声をかけてもらえるなんて夢のようだ。

身分の高低に拘らず、対等に人と接する劉備の長所は、今でも健在だったのだ。

兵士たちの歓声は、ひときわ高く魏延を包んだ。

そんな主君と兵士たちの様子を本営から望み見て、龐統も法正も満足げに頷いていた。

 

そのころ、江東の戦役では和平が成立していた。

孫権軍を攻め倦んだ曹操は、江北の住民を北方に強制移住させて孫呉の経済力を破壊しようと考えたのだが、それを知った民衆は、争って長江を南に渡り、かえって孫呉に移住してしまったのである。江北の民衆は、慣れない北方に住むよりは、気候が同じ南方に移住することを選択したのだ。

こうして万策尽きた曹操は、孫権に休戦を申し入れた。

戦いに疲れた孫権は、快くこれに応じ、返書をしたためた。

「春の水は急ですよ。これに乗って帰ってください。いやあ、親爺さんがいるうちは、枕を高くして眠れないよ」

曹操は、大笑いして軍を北に返したのである。

さて、密かに新王朝の樹立を狙う曹操は、次なる政治的布石を打った。

五月、魏公の位に就き、九錫(天子が臣下に与える最高の礼物)を賜ったのである。

また漢朝は、冀州に属する十郡を割譲して魏公国に与え、丞相以下の官職の設置すら認めたのであるから、漢帝国の中に、いわば鄴を中心とする独立国家が樹立された形となった。

当然、保守的な士大夫や漢朝の忠臣たちの怒りと不満は高まった。しかし、彼らが内心で頼みとしていた高官・荀ケは、昨年暮に寿春で病死していたのである。

曹操が暗殺したのだという噂が、広く伝えられた。

噂の真偽はともかく、もはや曹操を止められる者はいない。

そのころ西方では、正月に馬超が再挙し、涼州の冀城を拠点に勢力を強めていた。

怒った曹操は、許昌で衛尉の職務にいそしんでいた馬超の父・馬騰と、その二人の息子を反逆罪で処刑したのである。しかし、罪の無い彼らを殺すのは、やり過ぎだったろう。短気で感情的な曹操の欠点が、復活したのであろうか。

 

劉備は、雒城を相変わらず攻め倦んでいた。

雒城は、河川と丘陵に囲まれた天然の要塞であるうえに、これを死守する東州兵たちの戦意も極めて高く、容易に攻め落とせる情勢ではなかった。

また、そのころになると、態勢を立て直した劉璋軍は、各地で劉備軍の後方を切り取ろうと活発に動いていた。葭萌関などは、霍峻がわずか数百の兵で、数次にわたる襲撃を撥ね返すという危うい状況であった。

「やはり、この一手だけでは無理がありますな」龐統は、冷静に分析した。「敵は、面の広がりを利用して、我が点と線を脅かしております。ここは、我が軍も面の広がりを持たねばなりますまいて」

「なるほど」劉備は、それだけ聞いて全てを理解した。彼は、法正の諜報網を利用して荊州に急使を発したのである。

当時、荊州の情勢は比較的静穏であった。

曹操軍は、楽進が中心となってしばしば牽制攻撃を仕掛けてきたのだが、その都度、関羽が迎え撃って撃退していた。

内政も充実し、内患は一つも見当たらない。戸籍調査も無事に終了し、兵員と財政も飛躍的に安定した。

だが江陵では、諸葛亮が主君からの手紙を前に沈思していた。

「主力を巴蜀に入れよとのご命令だが」諸葛亮は、集まった幕僚の面々を前に言った。「留守のことが心配だ」

「楽進のことなら案じることはありません」関羽が胸を張った。「俺の敵ではない」

「問題は、東呉のことだ」諸葛亮は溜息をついた。「孫夫人が東に帰った今、いつ裏切られるか分からない」

関羽は髯をしごいた。「三万あれば、防げます」

「うむ」諸葛亮は、関羽の瞳をまっすぐに見つめて頷いた。「髯どのなら、きっと守りきれるだろう」

意を決した諸葛亮は、自ら張飛と趙雲を連れて、二万の軍で長江を遡った。留守を守るのは、関羽を筆頭に、周倉、麋芳、士仁、潘濬、廖立といった武官たち、馬良、王甫、蔣琬といった文官たちである。

三峡を越えて四川に入った諸葛亮は、軍を三つに分けた。自らは西方、趙雲は南方、張飛は北方から、成都を囲む形での進軍を命じたのである。敵の抵抗は、それほど激しくなかった。もともと豪族たちは、劉璋の統治を快く思っていなかったため、戦わずに降伏する勢力が多かったのである。

ただ、江州を守る厳顔は、激しく抵抗した。彼は、張飛の軍勢を二ヶ月足止めすることに成功したのだが、援軍は現れず、兵糧も尽きたので最後の突撃に打って出た。

しかし張飛は、敵の出方を予想していたので、伏兵を使ってこれを散々に打ち破り厳顔を捕虜にしたのである。

「俺に拝礼せよ」張飛は、虎髯を震わせながら上座から怒鳴った。

「我が州には、断頭将軍(斬首される将軍)はいても、叩頭将軍(拝礼する将軍)は、おらぬのだ」老将・厳顔は、後ろ手に縛られながらも堂々とした態度を崩さない。

「なんだと、てめえ」

「さっさと斬ればよい。何も怒ることはあるまいて」

「望み通りにしてやらあ」張飛は衛兵の刀を取ると、厳顔の背後に回った。

しかしその刀は、降将を縛る縄を断ち切ったのである。

意外な成り行きに呆然とする老将は、前に回った張飛に両手で抱きかかえて立たされた。

「あんたは、たいした男だ」張飛は、子供のような目で言う。

「・・・斬るのじゃなかったか」厳顔は、なぜか敵の猛将の優しい目が気に入った。

「あんたの心を縛る縄を絶ったつもりだ」柄にも無い台詞を吐いて、赤面する猛将。

大笑いした厳顔は、こうして張飛の賓客になったのである。

一方、綿竹関の劉備は、諸葛亮たちが破竹の進撃を続けていると知って大いに喜んだ。これで、背後や後方を脅かされることもない。

「孔明が来る前に、なんとかして雒城を落としたいのだが」劉備は言った。

「孔明が来て成都の後方を衝けば、雒城は自動的に落ちますよ」龐統は、相変わらず超然と答える。

雒城は、年を越えても健在であった。広漢郡のこの城は、今や劉璋軍の戦意の象徴である。

長期戦の様相を案じた法正は、投降を勧める手紙を成都に送ったのだが、これは梨のつぶてに終わった。

それでも、ようやく四月に入って戦局が動いた。

諸葛亮、趙雲、張飛の軍勢は三方から成都近郊に達し、戦略的役割を失った雒城守備軍は浮き足立った。

「今こそ、総攻撃」劉備の号令のもと、黄忠、卓膺、魏延、李厳、費観、呉壱の軍勢が襲い掛かる。軍師の龐統と法正も、陣頭で指揮をとった。

丸太を組み合わせた攻城機械が、堅く閉じられた北門をこじ開けるべく、門扉に激しくぶちあたる。城外に高く組んだいくつもの櫓からは、強弩兵が城内に矢の雨を浴びせた。

「ようし、もうすぐだぞ」法正は、思わず満面の笑みを漏らした。彼は、戦争が好きで好きで仕方がない。策を考え、その策が図に当たるときほど楽しいことはないのだ。

傍らで駒を進める龐統は、そんな法正の横顔を見て複雑な気分を味わっていた。見渡す限りの大地には、無数の死体が横たわって腐臭を放っている。自分の策が当たれば当たるほど、死体の数は増えていく。そんな状況は、もう飽き飽きだった。

「孝直どの」龐統は、鼻をほじりながら言った。「成都が落ちたら、俺は隠居するよ」

「えっ」法正は、口を大きく開けて同僚の目を覗き込んだ。「士元どのは、まだ三十六歳ではありませんか。隠居してどうするのです」

「俺は、もともと風来坊だ」自嘲気味に答えた。「重苦しい官職にはもう飽きた。諸国を漫遊して、学問の道に進むことにするよ。後のことは、君に任せた」

「そんな・・・士元どのの代わりは、とても勤まりません」法正は、手綱から両手を離して打ち振った。

「いいや」龐統は、馬から降りて兜と鎧を脱ぎながら、冷ややかに言った。「君のほうが、軍師向きだ」

そのときである。

一本の流れ矢が、龐統の胸に突き立った。

「そうか」血の泡を唇に浮かべながら、醒めた口調で呟く。「これが、俺の運命というわけか」

軍師は、音を立てて崩れ落ちた。

衛兵たちが盾を抱えて駆け寄り、法正が必死の形相で抱き起こしたとき、龐統士元の息は絶えていた。

悲報を知った劉備は、城攻めを中止させて綿竹関に引き返し、龐統の遺骸に取り縋って大声で泣き喚く。

そんな劉備の脳裏に浮かぶのは、涪城での不仁問答であった。

「間違っていたのは、この俺だ。士元、いつかきっと、そう言おうと思っていたのに」

龐統の遺骸は、付近の山に葬られた。落鳳坡と呼ばれたその地には廟が建立され、彼の早すぎる死を悼む人々によって末永く祭られた。

劉備は、その後も龐統の名を聞くたびに目頭を潤ませたという。

 雒城が陥落したのは、それから十日後のことである。