41.都安堰

 

成都に帰った劉備は、漢中情勢の逼迫を知ると、黄権の一軍を北に発向させた。巴中に逃れた張魯を迎え入れるためである。

しかし、黄権は間に合わなかった。十一月、張魯は一族を連れて曹操に降伏したのである。彼は曹魏に優遇され、『五斗米道』の維持発展に成功。今日の道教の始祖として歴史に名を残す。

それにしても、曹操軍漢中占領による巴蜀の動揺は大きかった。

曹操軍が四川に侵入したとの流言飛語が飛び交い、避難民が続出する有様となったのである。荊州を分割して、即座に成都に戻った劉備の決断は正しかった。彼の帰還があと一ヶ月遅れていたら、反乱を起こして曹操軍を迎え入れる豪族も出ていたことだろう。

さて、漢中在陣の曹操は、張遼が孫権を撃退したとの確報を得ると、真剣に四川侵攻を検討した。しかし、劉備の帰還によって四川の民心が安定するのを見て、十二月、当初の計画どおりに鄴に引き上げることにした。漢中には夏侯淵と徐晃を残して守備させ、さらに巴中の異民族を懐柔し、ここに腹心の張郃を入れて守らせたのである。

巴中は、漢中と四川の中間地点に当たる要地である。ここさえ確保しておけば、四川侵入の恰好の基地として機能するだろう。

劉備としては、この地を敵手に委ねるわけにはいかない。

「益徳、頼んだぞ」劉備は、信頼する義弟に節(専行権)を与えた。

勇躍して出陣した張飛は、黄権と力を合わせて張郃と戦った。山岳地帯で、異民族を交えた激しい攻防が続く。

張郃は、三つの要塞を武器に持久戦を図ったのだが、黄権が巧みに現地人を調略したため、その補給路を脅かされる事態に陥った。

「ここは、一時撤退して、漢中の入り口を守る他はない」張郃は、唇を噛んで軍を纏めた。

狭い瓦口の山道を、直列の行軍隊形で進む張郃軍。北方の平野で生まれ育った彼らは、このような深い山中での行軍に疲労の色を隠せない。

そんな彼らを、予期せぬ敵が襲った。現地の異民族の案内で抜け道を知った張飛が、一万の軍勢を率いて横腹を衝いてきたのである。

「我こそは、燕人張飛なり」大音声が木霊する。「さあ来い、死ぬまで戦おうぞ」

張郃軍は、不意を打たれて壊滅状態に陥った。張郃は、乗馬も部下も置き捨て、徒歩で粗道伝いに漢中に逃げ延びたのだが、彼の軍勢一万は全て捕虜となったのである。

かくして、巴中は劉備に占領された。曹操の漢中遠征は、画竜点睛を欠く結果に終わったのだった。

 

建安二十一年(二一六)、政局は再び小康状態に入った。

劉備は、諸葛亮と力を合わせて内政整備に勤しんだ。『蜀科』を施行し、戸籍調査をやり直し、氐や南蛮といった異民族の懐柔に注力した。また、劉巴の献策に基づいて、貨幣価値を統一し、物価の安定に努めた。

「我が州の人口は、九十万」諸葛亮は、堂々と報告書を読み上げた。「帯甲兵士は十二万二千ですが、その多くは荊州から流入してきた者たちです。これを維持するためには、財政基盤の強化が当面の急務です。益州名産は、何といっても蜀錦(絹)ですが、塩と鉄の価値も馬鹿になりません。よって、これらを国営事業に位置付けて、租税の助けとするべきです」

「うむ」劉備は頷いた。

「なお、昨年の凶作によって、米の備蓄が激減しております。よって、酒の醸造を当面禁止すべきと考えます」

「・・・うむ」酒好きの劉備は、一瞬躊躇したが、やむなく頷いた。

この禁酒令の施行は徹底され、酒の醸造道具まで摘発される事となった。醸造道具を隠し持つ者は、容赦なく豚箱に放り込まれたので、酒屋は大いに困った。

「いくらなんでも、道具まで取り上げるなんてあんまりだ」

「厳しすぎるわい」

窮した酒屋連中は、簡雍のところに泣きついた。出世しても侠客の心を無くさない簡雍は、庶民たちの希望の星だったのである。

「おいらに任せな」気さくな昭徳将軍は、笑顔で胸を叩いた。

彼は、劉備を誘って街に散歩に出た。

「劉さん、どうして四川には霧が多いのかなあ」

「『蜀犬、日に吼ゆ』っていうもんな。それだけ太陽が珍しいわけか」

「ここの庶民は辛いものが大好きだけど、これって霧と関係あるのかなあ」

「ははは、お前、研究してみろよ」

そのとき、若い男女が、にこやかに語らいながら歩いてくるのが見えた。

「あっ、劉さん、劉さん、早く逮捕しないと」

「・・・何言ってるんだ」

「あいつら、淫らなことをするつもりですぜ」

「・・・どうして、それが分かるんだ」

「だって、その道具を持ってますもの」

しばし、きょとんとしていた劉備は、やがて大声で笑い出した。

こうして、酒の醸造道具の保有は許可されることになったのである。

さて劉備は、簡雍との会話がきっかけで、四川の歴史に興味を抱いた。

「大昔は、湖だったって本当か」

「ええ、地殻変動で長江が貫通して、湖水が全部東に流れるまでは湖だったといいますね」答えるのは、物知りの黄権だ。

「随分とでっかい湖だったんだなあ。だから、霧が多いのか」

「秦の時代まで、国中が水浸しだったそうですよ」

「ああ、恵文王のときに大治水工事をしたんだっけ」

「そのとき出来たのが、都安堰(現在の都江堰)です」

「そうか、見に行きたいな。連れて行ってくれ」

こうして劉備は、黄権と劉封を伴って成都北西の都安堰に出かけた。

とうとうとした流れを割るように中洲が広がり、そこから川上に向かって突き出た突堤が、激しい流れを三つに分ける。小さくなった流れは、灌漑水路に導かれ、広大な田畑を潤していく。

三人は中洲に上って、堰の全景を眺め渡した。

「これは凄い」劉備と劉封は、思わず嘆声を上げた。「大昔に、よくこんなものが造れたなあ」

「李冰と、その子・李二郎が起工したそうです」黄権はお国自慢ができて嬉しい。「残念なことに、彼らの事跡は伝わっておりません」

「なんともったいない」劉備は唸った。「湖を豊かな田畑に変えるなんて、まさに英雄の業績じゃあないか」

「父上、英雄とは、大げさじゃないかい」劉封は、口を尖らせた。「英雄てえのは、乱れた世の中を平らげる人物のことだろう」

「それは乱世の英雄だ」劉備は、笑顔で答えた。「治世の英雄というのもあるんだよ」

彼の脳裏には、懐かしい盧植先生の顔が浮かんだ。先生の言葉の意味が、ようやく理解できる自分が嬉しかった。

「軍師将軍なら、これくらいは造れるんじゃないの」劉封は、大きく伸びをした。

「孔明か」劉備は、緑色の田園の彼方にぽつりと浮かぶ成都城を望み見た。「あいつもきっと、後世で英雄と呼ばれるのだろうな」

その諸葛亮は、太陽も見ずに執務に明け暮れていた。その脳は、難しい統計資料や算式に埋め尽くされているかの感があった。そのせいか家庭を顧みず、未だに子宝に恵まれずにいた。

心配したのは、東呉に仕える兄の諸葛瑾である。彼は、次男の喬を、弟の養子にするよう申し出たのである。諸葛亮に否やはない。こうして諸葛家は、腕白坊主を迎えて賑やかになった。

「少しは、子供に顔を見せてくださいな」妻の黄氏は、不満そうに頬を膨らます。

「うん、もう少しで片付くからさ」夜遅くに帰宅した夫は、息子の安らかな寝顔を眺めながら微笑んだ。

清貧を理想とする彼は、地位や富貴に溺れる事無く、ひたすら国事に打ち込んだ。その地味な仕事振りは、彼の死後、「生きているうちは、どこにでもいる普通の人だと思っていたけれど、死なれてみて初めて、その偉大さが分かった」と、蜀の人々に言わしめるほどであった。

法家思想を厳密に適用する彼の施政は、非常に厳しいものであった。税は重いし、処罰は厳格だ。それでも人々が諸葛亮を信じ尊敬した理由は、その姿勢が公正無私だったからである。彼は、政治の世界に私情を一切差し挟まなかった。民衆が貧しいなら、自らも貧しい生活を送り、民衆が忙しく働くなら、自分はそれ以上に刻苦精勤した。こんな彼に触れた人々は、彼の愛国心を強く信じ、彼とともに働けることを誇りに思った。

諸葛亮は、質素な屋敷に住んでいた。黄夫人と喬くん、それに時々遊びに来る弟の均らとの、慎ましい暮らしに心を預けるときが一番の幸せだった。

そのころ、主君の劉備も、幸せな家庭生活を手に入れていた。彼は、呉壱の妹・呉珂と結婚したのである。

呉氏は、もともと益州に根付く大豪族である。かつて入蜀した劉焉は、政略結婚によってこの勢力を取り込むことを考えた。そこで、四男の劉瑁に呉珂を娶わせたのである。

呉珂は少女のころ、予言者から「皇帝の妻になる相がある」と言われたことがある。それを聞き知った劉焉は大いに喜んだ。しかし、この家庭には愛が無かった。粗暴な劉瑁は、しばしば暴力を振るって妻を傷つけ、最後は発狂して死んでしまった。

こうして呉珂は未亡人となった。

群臣は、呉珂の性質の良さと家柄に着目して劉備に推薦し、こうして劉備は、三度目の再婚を果たした。今度の奥さんは、物静かで心の優しい女性だったので、左将軍はようやく家庭の幸せを手に入れることができたのである。

 

そのころ鄴の曹操は、帝位簒奪の野望を、更に一歩推し進めていた。

五月、群臣の推挙を受けて魏王の位に就いたのである。

魏王国の成立。もはや、漢帝国は有名無実の虚像と化した。

この国号は、春秋戦国時代の魏王国に由来する。曹操の本貫地である鄴が、かつて魏王国の領土だったことから採用された名であった。

「孟徳め」劉備は、知らせを聞いて愕然とした。「あいつ、本当にやる気なのか。本当に簒奪するつもりなのかよ・・・」

彼の脳裏には、若き日の颯爽とした忠臣の姿が浮かんだ。董卓の乱に際して、ただ一人命懸けで戦った熱血漢の姿が宿った。歳月は人を変える。俺も変わっただろうか。

「これは、好機かもしれません」諸葛亮は、冷静に分析した。「漢朝の朝臣たちや保守派士大夫は、決して黙っていませんぞ。漢朝復興の機運は、かつて無く高まるはずです」

この観察は、正鵠を得ていた。曹操は、漢室を擁護する士大夫たちを、次々に殺害するという暴挙に出ていたのである。

「よろしい」劉備は頷いた。「孟徳との決戦の日は近い。孔明、準備を頼むぞ」

 宿命のライバル対決の時は、刻々と迫った。