44.関羽の進撃

 

樊城の包囲網は、まだ完成していなかった。

曹仁の部将・龐悳が、二千の兵を率いて樊城の西北に連なる山地に布陣し、外部との連絡路を堅守していたからである。関羽軍は、しばしば龐悳に攻撃を仕掛けたが、その度に撃退されていた。

「龐悳め」関羽は怒った。「あいつは、もともと馬超の部将だろう。兄の龐柔も蜀に住んでいる。どうして投降してこないのだ」

龐悳は、樊城内でもその忠誠を疑われていた。彼が自ら志願して城外に駐屯したのは、そんな空気から自由になりたかったからである。しかし、誇り高き武人である彼は、関羽に降る意思は持っていなかった。忠誠を疑われたことから逆に発奮し、何としても関羽を倒す決意だったのである。

八月上旬、于禁の軍は龐悳に合流し、山を降りて積極的に関羽に挑んだ。

「しゃらくさい」関羽は、自ら一万の軍勢を包囲陣から抽出して、これを迎え撃った。

魏軍の先鋒は龐悳である。白馬に乗った偉丈夫は、猛烈な勢いで関羽の本陣に突っ込むと、すかさず矢を放った。その矢は、関羽の兜の正面に命中し、衝撃でその巨体は大きく揺らいだ。

「仕損じたか」龐悳は舌打ちしたが、効果は十分だった。

総大将の負傷に驚愕した蜀軍は、戦意を無くして敗走したのである。

こうして、樊城の包囲網は解け、関羽軍一万五千は南方に退いた。于禁は、龐悳とともに樊城東方十里の平地に駐屯し、関羽の反撃に備える。

「父上、大丈夫ですか」関平が、切なげな眼差しを向けた。

「軽い打撲傷だ。恐れることはない」頭に包帯を巻いた関羽は、余裕の笑みを愛児に返す。

「雲長さまは、かつて、左の肘に毒矢を受けたことがありましたけど、医者に麻酔なしで骨を削らせても泰然自若としてましたものね」傍らに控える周倉が言った。

「昔のことだ。そんなことより、工事は順調か」

「今日明日中には完成です」

そのとき、天幕に音が鳴った。

「おお、雨ですぞ」周倉が喜声を上げた。

「ふむ、例年よりも早かったな」関羽は膝を打った。

漢水の渡し場に陣取る関羽軍は、堅く陣地を守って于禁軍と対峙した。于禁軍は、しばしば挑戦したのだが、関羽は相手になろうとしない。そのうち雨が激しくなって、自然に休戦状態となった。

「関羽め、動きが鈍いが、存外矢傷が重いのかもしれぬ」于禁は、ほくそえんだ。

「それよりも、この雨が心配です。この辺りは低湿地ですから、洪水の恐れがありますぞ。山地に陣を移してはどうでしょうか」この土地に詳しい龐悳が進言した。

「そうかな、河の水かさは、大して上がっていないぞ」参謀の成何は首を傾げた。「もう、十日も降り続いているのに・・・」

「そういえば」龐悳は、眼を見開いた。「確かに変だ。おかしいぞ」

そのときである。西の台地の方角から耳を劈く轟音が響き渡った。

「まさか、こ、この音は」

「て、鉄砲水だ」

手遅れだった。突如として氾濫した漢水の流れは、怒涛の勢いで魏軍の屯営を押し流したのである。

激流は、樊城にも達した。当時の城壁は、土煉瓦で組まれていたから、水にはいたって弱いのである。城壁は数箇所で崩壊し、城内は水浸しとなった。城下の人々は、一斉に高い建物に避難しようとしたが、逃げ遅れて溺死する者が後を絶たない。

「な、何と言うことだ」

曹仁は、政庁最上階の窓から東の平野を見やった。そこは、もはや平野ではなかった。巨大な湖水である。そして、そこにあるはずの于禁軍三万の陣営は、今や跡形も無い。いや、良く目を凝らしてみれば、冠水を免れた小高い丘が点々とあり、それぞれに数十人規模の兵士たちが張り付いているではないか。

「おお、文則(于禁)の将帥旗が見える。董衡、董超、成何、それに龐悳の旗も見えるぞ。そうか、上級将校は、丘の上に陣幕を張っていたので助かったのだな。良かった、不幸中の幸いというやつだ」魏の征南将軍は、安堵した。

「関羽は、どうなったのでしょうか・・・」満寵が、南の空に目をやった。

「関羽の陣営の周辺には、高い丘が一つも無いはず。と、いうことは、今ごろ蜀軍は全滅しているだろう。なにやら後味の悪い勝ち方だったな・・・」

だが、曹仁の笑顔は、たちまち引きつった。

南方から、軍兵を満載した大船団がその勇姿を現したからである。その旗艦に掲げられているのは、見間違いようもない、関羽の旗だ。

「なんだと、馬鹿な。信じられぬ。まったく無傷ではないか。どうしてそんなことが」次の瞬間、曹仁は全てを悟って、手のひらに顔を埋めた。「そうか、全て罠だったのだ。これは関羽の作戦だ。于禁たちは、平野に引きずり出されたのだ。・・・ああ」

関羽は、もともと樊城に水攻めを仕掛けるつもりで、数ヶ月前から漢水上流に堰を築かせていたのである。たまたま于禁が攻めて来たので、これをついでに覆滅させるべく、陣地を明け渡して漢水の渡し場に退いたのである。ここには、渡河に使った船が勢ぞろいしている。十分な雨量を見極めて、堰を決壊させた関羽は、直ちに全軍を船に乗せて、水かさが増していくのを待ったというわけだ。

「降伏しろ」関羽の大船団は、丘の上にへばり付く魏軍将兵に呼びかけた。「命までは取らぬ」

丘の頂上に屹立する于禁は、唇をへの字に曲げていた。彼は、曹操が最も信頼する部将の一人である。もとは鮑信の部下だったのだが、主の死後、主の親友だった曹操に仕えて活躍した。その性格は沈着冷静で、厳格だった。いついかなるときでも状況を冷静に計算し、合理性に欠けた行動は一切取らなかった。そしてこのときも。

「降伏するぞ」于禁は、大音声で叫んだ。「降伏する、降伏する、降伏する」

龐悳たちは、この有様を呆然と見ていた。

関羽軍の闘艦が接近して、丘に接岸した。于禁とその側近が乗り込む。続いて、于禁直属の兵士たち。しかし、龐悳、董衡、董超、成何は、丘の上に腰を据えて一歩も動こうとしない。彼らと、直属の兵士三十余名は、降伏を断固拒否したのである。

「なぜだ、なぜ、俺の方針に逆らって無駄なことをするのだ」

于禁は、次第に遠くなる丘を見つめた。丘の上の龐悳たちは、四方を取り囲む関羽水軍に、矢の雨を浴びせられていた。兵士たちは、見る見るうちに倒れていく。

「無駄ではないか。無駄死にしてどうなるのだ」

于禁を乗せた船は、まっすぐに南へと進む。捕虜を江陵に収容するためである。影法師のように遠くなった丘の上で、ついに動きが止まった。戦いが終わったのだ。

最後の于禁軍は全滅し、虜将は舷側に顔を埋めて嗚咽した。

だが、龐悳は生きていた。彼は、死んだ振りをして敵の隙を衝くと、小船を奪って樊城に向かったのである。しかし、船の操舵に不慣れな彼は、途中で転覆させてしまい、溺れかけたところを関羽軍の兵士に捕まったのである。

関羽は、龐悳を旗艦の甲板に引き据えた。

「令明どの」髯を撫でながら優しく語りかける。「貴君の兄は蜀におられる。俺は、貴君を部将として登用するつもりなのに、どうして早く降伏しなかったのだ」

「小僧めが」龐悳は怒鳴った。「なにが降伏だ。魏王は、百万の軍勢を擁し、その威光は天下に轟き渡る。それに引き換え、お前んとこの劉備なぞ凡才に過ぎぬ。どうして敵対できるというのだ。俺は、国家の鬼となっても賊の将とはならぬぞ」

関羽は、赤ら顔を憤怒で黒く染めた。

「ならば、思い通りにしてくれるわ」

龐悳は斬首され、一世の義士の名を残した。

一方、合理主義者の于禁は、降伏することで後世に悪名を残し、三十余年の功績を無駄にすることとなった。

人生にとって、本当に大切なこととは何なのだろうか。

 

樊城は、絶体絶命の窮地に追い込まれた。援軍は文字通り全滅し、城壁は各所で崩落して冠水している。さすがの勇将・曹仁も、その胸を絶望で埋め尽くしていた。

「開城しようか」こけた頬を震わせる。「これ以上、兵士や民衆を苦しめたくはない」

しかし、満寵が首を横に振った。

「私の見た限りでは、水位はこれ以上にはならず、これから引いていくはずです。また伝え聞くところでは、左将軍(于禁)の敗戦によって許昌以南の郡県は一斉に謀反を起こして関羽に付いたそうです。そんな関羽が、敢えて許昌に進撃しないのは、我々に背後を衝かれるのを恐れるがゆえです。もしも我々が、この城を明け渡したなら、黄河以南は悉く劉備のものとなってしまいますぞ。魏王国の運命は、我々にかかっているのですから、命懸けで最後まで戦い抜きましょう」

「ありがとう、伯寧どの。よく言ってくれた」曹仁は参謀の手を押し頂いた。「だが、兵士たちの士気はガタガタだぞ。厳しい篭城戦に耐えられるだろうか」

「私に、腹案があります」満寵は、その唇を守将の耳に近づけた。

この翌朝、曹仁は、自分の白馬を城壁の上に引き出した。そして、兵士たちを集めてこう言った。

「今から、白馬を沈めて水神さまにお祈りをする。これで水が引けば、天は我々に味方してくれるということだ。みんな、心を込めて祈るのだぞ」

そして、愛馬を城壁から城外に突き落としたのである。白馬は悲しげに嘶くと、その姿を水中に没し去った。

この翌日、水は急速に引き始めた。これは、満寵の予想に基づく単なる自然現象だったのだが、迷信深い兵士たちは、そうは思わなかった。天が自分たちに味方してくれるのだと信じて、勇気百倍したのである。

こうして、樊城は持ちこたえた。

 

しかし、于禁軍全滅の知らせは、鄴を震撼させていた。

「梁郟と陸渾は、関羽に印綬を貰って謀反を起こしました。荊州牧の胡脩と南郷太守の傅方も、関羽に寝返りました。大侠客の孫狼も、数万の部曲を連れて関羽軍に合流した模様です」鍾繇は、声を落として報告した。

「許昌以南は、今や完全に関羽のものというわけか」玉座に座る曹操は、額を押さえながらうめいた。「もはや予備の兵力は無い。樊城が落ちたら、許昌は終わりだ。今のうちに、天子を北に御移しするしかない・・・」

持病の偏頭痛が悪化した曹操は、極めて弱気になっていた。満座は、予想だにしなかった王国の危機に直面してざわめいた。

そのとき、司馬懿が進み出た。

「大王、予備の兵力はいくらでも御座いますぞ」

「何を言っているのだ、仲達」曹操は腫れぼったい目を向けた。「第十二軍の動員は、まだ完了しとらんぞ」

「そうではありません」司馬懿は、声を高めた。「東呉を動かすのです。孫権に、関羽の横腹を衝いて貰うのです」

「私も、仲達どのに賛成です」蒋済が発言した。「呉の都督になった呂蒙は、昔から有名な反劉備派です。孫権自身も、関羽の娘を自分の息子の嫁に貰おうとして断られたことがあって、関羽に好意を持っていません。第一、劉備が強くなって困るのは、孫権だって我々と同じなのです。東呉を動かす。・・・これは、妙策ですぞ」

「うむ」曹操は、ようやく愁眉を開いた。「さっそく、碧眼児に使いを出せ」

 

関羽シンパは、膝元の鄴にも根を張っていた。

西曹掾の魏諷は、文武両道の有能な士大夫だった。彼は、生まれた時代を間違えたと考えていた。もう少し前に世に出ていれば、曹操や劉備に負けない英雄になれたはずだと信じていたのである。

「なあに、今からでも遅くはない・・・」

彼は、曹操政権内部の不満分子を糾合して、謀反を起こそうと企んだ。鄴を占領して曹操を倒し、関羽を呼び寄せようというのだ。

この策謀を察知して彼に協力したのは、江陵の馬良である。『白眉』は、調略の天才だった。河南の豪族たちの寝返りも、全て彼が背後で糸を引いた成果だった。彼は、『襄陽学派』のコネを使って、鄴で不遇な暮らしをしている旧劉j政権下の士大夫を動かそうと考えていたのである。

魏諷は、先ほどの会議に参加していなかったので、散会後に親友の鍾繇の口から曹操の東呉同盟戦略を聞いて驚いた。背後から攻撃されたら、関羽とて一たまりも無いだろう。これは、馬良に知らせてあげねばならぬ。

魏諷は、荊州に密使を飛ばした。

「やはり、その手で来たか」関羽は、馬良から警戒情報を入手して唇を歪めた。

美髯の勇将は、さっそく手を打った。呉領の陸口から江陵に至るまで、高地を選んで狼煙台を築き、王甫の手勢一千を樊城から分派して、ここを守らせたのである。呉が事を起こしても、狼煙台を通じてたちまち防戦準備が整えられるという寸法である。

このころ呉の呂蒙は、三万の軍兵を率いて陸口に駐屯していたが、関羽のこの措置に面食らった。

「髯め、気付いたのかな・・・」呂蒙は、苦しい息の下で呟いた。彼は、昨年から肺結核に冒されていた。これは、当時としては不治の難病である。

「隙を見て荊州を奪ってやる心算だったのだが、これは難しそうだ。逆に、こちらが隙を作る必要がある・・・」

呂蒙は、病気療養を理由に、引退して建業に帰ることにした。後任になったのは、無名の偏将軍、陸遜であった。

「陸遜だと」関羽は、首を傾げた。「聞いたことないな。どんな奴なのだ」

江陵の馬良が、陸遜からの貢物と書状を届けてきた。そこには、「若輩者で勉強不足なのですが、なにとぞ宜しくお願いします」と書いてある。

「なんだ」関羽は笑った。「魯粛派で、しかも若造か。それなら安心だ」

同封されていた馬良からの手紙には、陸遜の出自や東呉での立場について克明に記してあった。それによると、陸遜伯言は、江東の名族、陸氏の首長である。もとの首長の陸康は、袁術と敵対したため孫策に攻め殺されたのだが、このとき一族の過半数が命を落としたという。陸遜は、陸康の子・陸績とともに江南に逃れて無事であったが、当然、孫策に恨みを抱き、彼の在世中は呉に仕えようとしなかった。孫策が非業に倒れた後を継いだ孫権は、陸氏との和解を模索した。何しろ陸氏は名族で、強大な部曲を有しているから、これを懐柔しなければ東呉の未来はありえない。そこで、亡兄の娘を陸遜に娶わせて、賓客待遇としたのである。そして、陸遜が四十歳になる今まで、呉の対外活動に関与させなかった。

「ふふん、つまり東呉政権内のお邪魔虫か。コネだけで生きているような奴か」関羽は嘲笑した。「どうやら、運が向いてきたようだ」

関羽は、江陵と公安を守らせていた兵力を、少しずつ樊城方面に移動させていった。この方面には、もはや脅威はないと考えたのである。いつしか、樊城の兵力は五万近くに膨れ上がり、逆に江陵や公安の兵力は数千単位の少なさとなった。

「子明よ」建業の孫権は、寵臣の肩を叩いた。「予想通りの展開だな」

「伯言なら、きっとやり遂げるでしょう」呂蒙は、青白い頬に笑顔を浮かべた。

孫権は最初、魏の動揺を衝いて徐州を奪取しようと考えていたのだが、呂蒙がこれに反対した。彼は、平野がちの徐州を占領しても簡単に奪還されるだろうから無意味である、むしろ荊州を占領すれば、魏や蜀に対して長期持久の構えを取れると主張したのだ。

陸遜も、呂蒙のこの考えを強く支持した。

こうして東呉の戦略は、魏と協力して荊州を取ることに一決したのである。折りよく、魏から同盟を求める使者が来た。

 しかし、関羽はこの事態を軽く見た。呂蒙がいなくなれば、呉の襲撃も無くなると楽観したのである。