46.曹操の死

 

関羽の死と荊州失陥は、中華の政局を一変させた。

燃え立った漢朝復興の炎は、冷水を掛けられたかのように沈静化した。

蜀の政庁では、生還した馬良によって詳細な状況が語られると、もはや悲劇的な事態に疑いを差し挟む余地が無くなった。益州全土に漲っていた熱狂はこの反動で静まり返り、道行く人々は不安な眼差しを政庁に向けた。こんな時こそ、漢中王の腕の見せ所である。

しかし、王は無策だった。具体的な発表も行なわず、檄を飛ばすこともせず、成都政庁に閉じこもり、静かな毎日を送っていた。

諸葛亮も同様であった。彼は、何事もなかったかのように日常の政務に勤しんでいた。

そんなある日、安漢将軍・麋竺が、奇妙な恰好で政庁に現れた。

彼は、後ろ手に縄で縛った喪服姿を群臣に披露したのである。そして、王座に進み出ると深く叩頭し、申し述べた。

「私の弟(麋芳)が、国家の大事を誤らせてしまいました。全て、私の至らぬ所以であります。覚悟は出来ています。どうか、厳罰をお与えください」

そして、頭を床に打ちつけ始めた。いつしか頭皮は破れ、真っ赤な血が流れ出す。

劉備は、放心した表情でそんな有様を眺めていた。

諸葛亮は、すかさず目配せして主に注意を促した。しかし、劉備の視点は未だに定まらない。見かねた法正が咳払いして、ようやく主の瞳に光を取り戻させた。

「おお子仲、何をしているのだ」

「八つ裂きにされても当然なこの身、どうか獄門に落としてくだされい」

「お前には、関係ないだろう」劉備は、放心した表情のまま静かに言った。「誰か、子仲を立たせて縄を解いてやってくれ。・・・弟の不始末を愁うなら、俺のためにもっと働けば良い。働いてくれ、子仲」

「ありがたき、お言葉。臣麋竺、粉骨砕身いたしまする」

孫乾に助け起こされた麋竺は、落涙しながら政庁を退出していった。しかし心痛の余り病気に罹り、一年後に病死する運命にあった。

劉備は、再び放心状態に返った。その日の議題は法正が取り仕切り、なんとか形にして散会となった。

帰り際、法正は諸葛亮を呼び止めた。

「孔明どの、何とかならぬのですか。この通夜のような雰囲気では、国家が成り立ちませんぞ」

「・・・王と関羽どのの関係は、常人には計り知れないほど深く熱いのです。王の悲しみを癒すことが出来るのは、ただ時間のみと申せましょう」

「いつかは、立ち直ってくれるのでしょうな」

「あの方は、強い人です」諸葛亮は、それだけ言って口をつぐんだ。実を言うと、彼にも自信が無かったのである。

諸葛亮は、気力を振るって劉備の私宅を訪れた。

「おお、孔明」居室に迎え入れた劉備は、しかしその視線を相変わらず定めていない。

「大王・・・」諸葛亮は、生唾を飲み込んだ。「臣が、力になれる事が御座いましたなら・・・」

「いくらでもあるよ」事も無げに言う。「新しい戦略を教えてもらいたいのだ。天下三分の計は、もう終わりだ。これに代わる、新しい戦略は無いのか」

諸葛亮は、何となく安心した。劉備は未だ、政治家としての自分を捨ててはいない。

「恐れながら、三分の計はまだ破綻しておりません。魏呉は、一時的に手を組んだに過ぎず、再び抗争を始めることは必定。付け入る隙は、まだまだ御座います。一歩後退と、思し召しくだされ」

「ありがとう孔明」劉備は、ようやく視点を合わせた。「少し、心が楽になったよ」

主従は、しばし無言で見つめ合った。

「俺は、自分という人間が良く分からないのだ」劉備は呟いた。「この胸の悲しみは、荊州を失ったからなのか、それとも関羽を失ったからなのか。いや、むしろ雲長には怒りすら覚えるのだ。東呉にまんまとしてやられた愚かさに、腹が立ってならぬのだ。三分の計を危地に陥れた責任も取らぬ傲慢さには、愛想が尽き果てるわ」

そして、不意に落涙した。王は椅子から立ち上がり、軍師に背を向けて窓際に足を運んだ。その肩の震えは、止みそうにない。

諸葛亮は、主君の後姿に一礼すると、静かに退出していった。

 

曹操は、洛陽城の北門の前に立っていた。

ようやく復旧できたこの場所こそ、彼が官界に乗り出した想い出の地であった。

「俺の初仕事は、ここの門番だった。俺はここで五彩棒という道具を抱え、禁を破って時間外に通行するものを片端からぶん殴ったのだ」

遠い目をして側近に語る曹操は、己の死期を悟っていた。寿命のあるうちに、董卓の乱行によって崩壊した旧都を復興できて、ようやく、全ての仕事を終えた気になれたのである。

その翌日から、魏王は横になったまま起き上がれなくなった。

「もう六十六だ。お迎えが来ても、決して早すぎはしない」

彼の脳裏に浮かぶのは、自分が書き溜めてきた詩や文章のことである。例えこの身が滅びても、あの作品は決して色褪せずに後世の人々を感動させてくれるだろう。そう考えると、死など少しも怖くなくなる。

 

 神亀は長寿といえども、終る時あり

 騰蛇は霧に乗るといえども、ついに土灰となる

老いたロバは飼葉桶に倒れても、志は千里に在り

烈士は年老いても、壮心は巳まず

盈縮(寿命)の期は、ただ天に在るのみならず

養怡(鍛えた)の福は、永年を得るべし

幸い甚だ至れるかな 歌いて志を詠ぜん

 

「烈士は年老いても、壮心、やまず・・・壮心、やまず・・・」

かつて作った詩の中で、最も彼が気に入っている『歩出西門行』の一節である。

老いたロバであっても、志が後世に残れば、それは神獣を超える存在となれる。そしてそれこそが、人間存在の本当の素晴らしさではないだろうか。人間の本当の価値は、地位でも財産でもない。その志をいかに後世に残せるかにあるのだ。

魏王は、自分の激動の人生を振り返り満足であった。後悔は一つも無い。彼は、精一杯に自分の信念を貫いて生き抜いたのだ。

曹操は、どんなに成功を重ねても、決して奢り高ぶったり怠惰になったりしなかった。どんなに多忙の時でも、身辺から書物を離さずに勉強を続けた。自分の短所を良く自覚して、多くの人材の意見を積極的に取り入れた。いつまでも初心を失わず、子供のようなバイタリティで天下に君臨したのである。まさに、壮心、やまず。

そんな彼にして、ついに天下統一を達成できなかったのは、天意によるものとしか言いようがない。長い分裂の時代に出帆しようとする中華は、一人の天才の力で纏めきれるものでは無くなっていたのだ。

もっとも、曹操が中華に強制移住させた異民族たちは、やがて固有の武力を磨いて蜂起し、中華を五胡十六国の大乱に陥れることとなる。そういう意味では、彼には分裂時代への幕を開いた重い責任がある。

そんなことは夢にも思わず、病人の思念は、なぜか劉備へと移った。

「玄徳のやつ、今ごろ、関羽を思って泣いているのだろうな。不憫なやつだ。俺という男がいなければ、天下人となれる器量の持ち主だったのに。あいつ、生まれて来る時代を間違えたのだ。・・・俺が死んだら喜ぶだろうな。でも、少しくらいは寂しいと思ってくれるだろうか」

許昌で共に酒を酌み交わした日々が脳裏に蘇る。

曹操の意識は、次第に混濁した。

そのまま、眠るように息を引き取った。

建安二十五年(二二〇)正月二十三日、『乱世の奸雄』『超世の英傑』は、その身を地上から没し去ったのである。

その遺言に曰く。

「埋葬を終えたら服喪をやめよ。兵を統率する者は部署を離れるな。官吏はその職につとめよ。遺体は平服に包み、金銀財宝を副葬するな」

後を継いだ次男の曹丕は、父の質素な遺言を実行した。そのためか、曹操の墓の所在は現代でも不明である。

主の死を聞いた青州兵の多くは、軍営を離れて故郷に帰っていった。老いた彼らは、この機に引退しようと考えたのだろう。曹丕は、彼らを止めようとしなかった。

新たな魏王は、元号を建安から延康に改めると、亡父の政策を継承する旨を天下に宣言したのである。

 

関羽、呂蒙、そして曹操。

三国の英雄は立て続けに没した。あたかも、英雄の時代の終焉を意味するかのように。

「これで、安心して眠れるわい」

孫権は、曹操の死に接して大いに喜んだ。呂蒙を失った痛手が、急激に挽回できたような心地であった。

一方の劉備は、むしろ放心状態となった。

「俺は、あいつに追いつこうと思って頑張ってきた。あいつを倒すことが、いつのまにか俺の生きる目的になっていたのだ・・・。あいつが、俺より先に逝くなんて、夢にも思わなかった・・・」

王が暗い顔なので、群臣も今ひとつ喜べない。

もっとも益州では、曹操の死を喜ぶどころの話ではなかった。疫病が流行し、多くの有能な人材が相次いで病没したからである。

まず二月、梓潼太守・霍峻が倒れた。享年四十の若さである。

続いて四月、後将軍・黄忠が没した。この人は六十五歳の高齢ゆえ、その死はむしろ当然と受け取られた。

さらに五月、尚書令・法正が亡くなった。この人は、享年四十五歳である。あまりにも惜しい、早すぎる死であった。

「雲長どの、何も味方に祟らなくてもいいじゃないか」

「冥府はそんなに寂しいのかなあ」

民衆は、口々に噂した。

それにしても、劉備にとっては大打撃である。軍師・法正、先鋒・黄忠という、必勝の戦闘序列は、もはや使えなくなったのだ。それに代わる人材も、思い当たらない。蜀は、戦闘国家としての能力を急激に喪失しつつあったのだ。

六月、今度は領土を失った。

荊州西北部の上庸は、敵地に突出し孤立する形となっていた。ここを守る孟達は、己の身の安全のため、覇気を失った劉備を見限り、魏に寝返ったのである。主将の劉封は、孟達を抑えようとしたが、副官の申耽が孟達に付いたために逆に孤立し、上庸城に包囲された。孟達軍には、徐晃と夏侯尚も加勢する。

「おのれ孟達、俺が軍楽隊を横取りしたのを恨んだのか」

そういう問題ではないのだが、大局観の無い劉封には、それくらいの事しか考えつかなかったのである。

包囲軍中の孟達は、孤立無援の劉封に手紙を書いた。

「君の立場は不安定だ。王太子が劉禅に決まった以上、養子という中途半端な地位にある君は非常に危険だ。いつか口実を設けて誅殺されるに違いない。今ならまだ間に合う。俺と一緒に魏王に降伏しよう」

「ふざけるな」劉封は、一読して破り捨てた。「あの優しい父ちゃんが、そんな事するはずがねえ。あの逆賊め、よくもこんな出鱈目を」

だが、多勢に無勢である。劉封は城を追い落とされて、ほとんど身一つになって成都に逃げ帰ってきた。

しかし、劉封を見る人々の目は冷たかった。関羽が死んだのは、劉封が援軍を出さなかったためという世評が一般的だったからである。

諸葛亮は以前より、勇猛果敢でありながら見識の乏しいこの青年を危ぶんでおり、いつか必ず、国家に仇なす存在になるだろうと考えていた。そして、世論が彼に辛い今こそ、絶好の機会である。

彼は、主君に養子の誅殺を進言したのである。

「関羽殿の死を無駄にしないため、彼に極刑を与えるべきです。世論は、大王の不退転の闘志を感得して安心することでしょう」

「あの子を、生贄にするのか・・・」

「それが、政治というものです」

劉備は、大きな溜息をついて天井を見上げた。あの子と一緒に釣りを楽しんだり、狩猟に出かけた昔を、昨日のことのように懐かしんだ。だが今は違う。漢中王になったのだ。私情よりも政治を優先させなければならぬ。

劉封は、関羽を見殺しにした上に、孟達と不和を起こして敵側に追いやった罪で自殺を強要されることとなった。

「嘘だろう・・・」青年は、唇を振るわせた。「信じないぞ、孟達が正しいなんて、信じたくない」

彼の切なげな眼差しは、息絶えるその瞬間まで、政庁の劉備の窓を見つめ続けていた。

「死だ」劉備は、私室の机の上に突っ伏してうめいた。「どこまで行っても、死が満ちている。死が付きまとう・・・」

そして、最大の死が彼のもとに襲い掛かった。

 漢帝国の死である。