47.帝位に就く

 

 延康元年(二二〇)十月、四百年の長寿を保った帝国は、その魂の炎を消し去ろうとしていた。

皇帝劉協は、自らの自発的意思に基づいて、帝位を曹丕に譲るという形式を踏むことを強制された。いわゆる禅譲革命である。魏王曹丕は、儀礼上、二回断って三度目にこれを受諾した。

曹丕の衛兵が宮廷に乱入し、伝国の玉璽を持ち去ろうとしたとき、最後まで彼らの前に立ち塞がったのは、皇后の曹節だった。

「この不忠者」

「いや、皇后陛下、我々は魏王の命を受けて・・・」

「ならば、兄を呼びなさい兄をっ」

曹丕は、やむを得ず妹の前に駆けつけた。

「妹よ、もはや茶番は終わったのだ。早く家に戻って来い」

「無礼者、それでも漢朝の臣下なのですか。このような無道をなしては、天は福を授けませんぞ」

「・・・いい加減にしないか」

そのとき、高い声が両者の間に割って入った。

「もう良い、后よ、もう良い」急を知ってやって来た劉協なのだった。「后よ、そちのその気持ちだけで朕は満足じゃ。もう良い・・・」

夫婦は、抱き合って涙を流した。

曹丕は、そんな有様を冷ややかに眺めていた。

こうして、歴史の貢はめくられる。

魏帝国の成立。元号は黄初元年。帝都は洛陽。

玉座の曹丕は、亡父曹操に魏の武帝とおくり名した。

玉座を奪われた劉協は、献帝とおくり名され、山陽公の地位に就けられた。その封土は一万戸もあり、曹植や曹彰のものより豊かで大きかった。猜疑心の強い曹丕は、自分の地位を脅かしかねない弟たちを、徹底的に弾圧して押さえつけたのである。しかし、同族を弾圧するこの政策によって有力な連枝を欠いた魏王朝は、後に司馬一族の簒奪に対して無力になるのだから、政治というものは実に難しい。

さて、曹丕の即位を知った建業の孫権は、したり顔で祝辞を送った。あくまでも、魏朝の臣下としての分限を守ったのである。

「劉備の爺様は、こうは行くまい」碧眼児は、くすくすと笑った。「どう出るか、お楽しみだ・・・」

噂の蜀は、全土を挙げて喪に服していた。劉協が、殺されたとの情報が入ったからである。これは誤報だとすぐに明らかになったが、国民の手前、今更引っ込みがつかない。まあ、漢朝のために喪に服すということにして誤魔化していた。

暗いときには暗い事件が重なるものである。

彭恙が、馬超を抱き込んでクーデターを起こそうと企んだのだ。これは、馬超が直ちに訴え出たために未然に防がれ、彭恙は処刑された。だが、この事件は、暗い事件の連続で蜀内部のモラルが壊れかけていることを示唆している。

漢朝復興の大義は、今や完全に空文と化してしまった。蜀は、新たなスローガンを掲げる必要に迫られていた。

「大王、どうか勘考してくだされ」諸葛亮は、熱い眼差しを向けてくる。

「山奥の霧の多い盆地でか」劉備は、首を横に振る。

「このまま曹丕の即位を認めてしまうのですか」

「それは認めない。しかし・・・」

「大王にしか出来ません。これは、大王にしか出来ないことなのです」

劉備は、切なげに両耳を引っ張った。曹丕ごときに、人生を翻弄されるのが耐えられないのだ。

「大王は、漢室の末裔としてこの世に生を受けました。これは、天の道理に則した当然のことなのです。また、士大夫たちが大王に従って苦難に耐えてきたのは、恩賞が欲しいからです。立身を求める彼らの気持ちを汲んでください」

「孔明よ、あの曹操は、中華の三分の二を制しながら、なおも帝位に就かないだけの余裕があった。今の俺には、そんな自由が許されない。ああ、完敗だ。俺は、最後まで曹操の足元にも及ばなかったのだ」天井に向かって絶叫する。

諸葛亮は、両手で両耳を塞いだ。くだらない愚痴など、今は聞きたくなかった。

諦めた劉備は、太傅の許靖、安漢将軍の麋竺、軍師将軍の諸葛亮、太常の頼恭、光禄勲の黄柱、少府の王謀らの上奏を受ける形で、成都の武担山麓で天帝に文を読み上げた。

「これ建安二十六年四月丙午(六日)、皇帝劉備は玄き牡牛を用いて、皇天の上帝と后土の新祗に明白に報告いたします。漢は天下を支配し、天命は無限であります。先に王莽が簒奪をなしたとき、光武帝は怒りを振るって処罰し、社稷はふたたび存続することになりました。いま曹操は武力を頼んであえて残虐を行い、皇后を殺め、天にはびこり国を乱し、天の明らかな道を顧みる事もありませんでした。その子・曹丕は、その凶逆の心に任せて、神器を盗み取りました。我が群臣と将兵は、社稷が破滅したからには、私がこれを整え、二祖(高祖と光武帝)のあとを継承して、謹んで天罰を行なうべきだと主張いたしました。私は徳なく、帝位を辱めることを懼れ、人々にはかり、外は蛮族の君長に及ぶまで意見を聴取しましたが、こぞって『天命に答えないわけにはいかない、祖先から伝わった事業は長く放置してはならない、天下には支配者がなくてはならない』と申しました。全国土の望みは、私の双肩にかかっております。私は天命を畏れ、また漢の天下がまさに地に墜ちんとすることを懼れ、謹んで吉日を選んで、百僚とともに壇にのぼって、皇帝の印璽と印綬を拝受しました。天地の神々に対する礼を整え、そのことを天帝に報告いたします。神々よ、漢家に幸いを授け、長く四海を安泰にしてくださいますように」

劉備玄徳は、ついに漢帝国の皇帝になったのである。この国家は、現代人から「蜀漢」あるいは「蜀」と呼称されるが、同時代人からは「漢」ないし「季漢(末の漢)」と呼ばれることになる。

新しい漢皇帝は、広く大赦を行い、元号を章武と改めた。皇后に呉氏を立て、皇太子に劉禅を立てた。

次に諸葛亮を丞相、許靖を司徒とし、張飛を車騎将軍、馬超を驃騎将軍、魏延を鎮北将軍、呉壱を関中都督、劉巴を尚書令、馬良を侍中にそれぞれ昇進させた。

また、広く百官を置き、宗廟を建立して祖先を祭ったので、一応、帝国としての形式は整ったのである。

ただ、誰が見ても場当たり的な建国であった。曹丕の簒奪に押される形で、無理やり即位した状況が明白である。暗い事件の連続に翻弄される蜀は、このような景気の良い話を造らなければ、やっていられない状態だったのだ。

前部司馬の費詩は、最後まで反対した。曹丕を誅殺せずに帝位に就くのは、道理に外れると言うのである。これは正論であったが衆議には受け入れられず、費詩は左遷された。

玉座に座った劉備は、故郷の桑の木を思い浮かべた。

「子供のころの夢が適ったというわけだ。あのような形の天蓋の付いた馬車を、自由に乗り回す身分になったわけだ」と、自嘲気味に呟く。

生活は、以前にも増して不便になった。群臣は、無闇に頭を下げて小走りに歩くようになり、丁寧な口調で「陛下」などと恭しく言う。玉衣は窮屈だし、御簾は邪魔っけだ。

「こんなことの、何が楽しいというのだろう」天性無欲の劉備は、皇帝になりたがる人間の気持ちが理解できなかった。

そんなある日、車騎将軍・張飛が、昇進祝いを申し述べに任地の巴西からやって来た。仮ごしらえの宮殿に参上した彼は、衛士に剣を預け、小走りに進み出て、畏まった口調でお礼を申し述べた。

弟よ、そんなに堅くなるな、と、劉備はよっぽど口にしたかった。

その日の朝議がつつがなく終わり、群臣が退出した後、張飛と簡雍だけがその場に立ち尽くしていた。

「朕の私室に参れ」劉備は、玉音を発した。「ゆっくりと話そう」

人を遠ざけて三人だけになると、劉備は玉衣を脱いで昔の侠客の風情に返った。

「兄貴は、どうして皇帝なんかになったんだ」張飛も、昔ながらの口調に戻った。

「俺に、皇帝になって欲しい人間が大勢いたからだ。孔明をはじめ、士大夫の連中だ」

「劉さん、気の毒に・・・」簡雍は、窮屈な環境に置かれた主に同情的だ。

「気の毒がる事はないだろう。普通は、羨ましがるもんだぜ」劉備は笑った。

「それで、これからどうするんだ」張飛は、目つきを光らせた。「仇討ちは、いったいいつになったら始めるつもりだい」

「仇討ち・・・」劉備は、ぽかんと口を開けた。

「雲長の仇討ちだよ、しっかりしてよ、劉さん」

「お前たちの気持ちは分かる。だけど、今の俺は皇帝なんだぞ。それも、曹丕を倒すために仕立てられた皇帝なんだ。東呉と軽々しく戦うわけにはいかんだろう。仇討ちは、まず曹丕を誅殺してからだ」

「生きているうちに、出来るのかな」簡雍は、指折り数えた。「みんな、もう六十になるんだぜ」

劉備は沈思した。正直なところ、彼は漢朝復興が可能とは考えていなかった。荊州が陥落して関羽が死んだ時点で、蜀の勝利の芽は摘まれて無くなったという事実を、冷静に洞察していたのである。彼が、ここ数年沈みがちだったのは、もちろん関羽の死の悲しみもあるが、人生の目標をなくした喪失感によるものが大きかった。

劉備の人格は、二つに引き裂かれていた。政治家としての劉備と、侠客としての劉備。

彼のこれまでの成功は、孔明に教えられたとおり、政治家としての己を演出してきた賜物である。だが、もう疲れた。政治家としての成功に自信を持てない今なら、昔のように侠客に帰っても良いのではないだろうか。

「兄貴」張飛が、潤む目を向けた。「もう一度、昔の俺たちに戻ろうよ。みんなで、一発でかいのをかまそうぜ。雲長兄貴だって、きっと冥府で喜んでくれるさ」

「そうだな」劉備は、弾けるような笑顔を見せた。こんな笑顔を人に見せたのは、何年ぶりだろうか。「やってやろうぜ、益徳、憲和」

三人は、互いに抱擁を交わし、手に手を取り合って誓いを立てた。人生の最後に、侠客の魂を大きく花開かせるのだ。

 

六月の朝議において、漢帝国皇帝は呉への遠征を発議した。

満座は黙り込んだ。これは誰がどう見ても、戦略的状況を度外視した無謀な策である。呉は、魏との同盟関係を強め、全力で迎え撃つことだろう。魏も、この情勢に乗じて漢中に攻め寄せるかもしれない。すなわち蜀は、漢中の防備を厳重にした上で、二線級の部隊を用いて呉の主力と戦わなければならないのだから、その勝算は極めて乏しい。

しかし、満座の士大夫は反対意見を述べることができなかった。皇帝が、全てを承知の上で発議していることが明白だったからである。関羽の仇討ちと荊州の奪還は、劉備の心事を知る者にとって、避けては通れない関門であった。

しかし、趙雲は敢えて言わずにはおれなかった。

「国賊は曹丕であって孫権ではありません。しかもまず魏を滅ぼせば、呉はおのずと屈服するでしょう。早く関中を我が物とし、黄河、渭水の上流を根拠地として逆賊を討伐すべきです。そうなれば、関東の正義の士は、弁当を持ち馬に鞭打って官軍を歓迎することでしょう。魏を放置して、先に呉を討ってはなりません。ひとたび戦争となれば、互いの胸に恨みを残し、解くことができなくなるでしょう・・」

玉座の劉備は、無表情である。彼の心は決まっている。何を言われても、雑音にしか聞こえない。趙雲も、長年仕えた主の気持ちは十分に承知している。しかし真面目な彼は、漢室の忠臣としての発言を抑えることができなかったのである。

従事祭酒の秦宓は、そんな機微が分からずに、厳しい語調で趙雲の意見を支持した。

「天の与える時期を鑑みれば、敗北は必死ですぞ」

劉備は怒った。

「不吉な事を申すな」

秦宓は退出を余儀なくされた後、牢に放り込まれたのである。

丞相・諸葛亮は、終始無言のままだった。彼の心境は複雑だった。天下三分の計を成就させるためには、荊州は必須の土地である。だが、有能な人材を欠いた今の蜀の戦力で、奪還が可能か否かは五分と五分だ。肯定も否定もしかねるのが、今の彼の立場だった。

こうして、呉との血戦が決まった。

 

車騎将軍・張飛は、勇躍して任地の閬中に帰ってきた。巴西郡で一万の兵を動員し、江州で劉備軍主力に合流するためである。

「楽しみだな。最後の一暴れができるぞ・・・それも、一介の侠客に戻ってだ。雲長兄貴は、羨ましがるだろうなあ」

だが、帰還した彼を待っていたのは、予期せぬ悲報であった。

信愛していた長男の張苞が、事故で死んだというのだ。

「ど、どうしたというのだ」

「山岳行軍の訓練中、乗馬が急に暴れ出し、そのまま崖下に・・・」副官が答える。

「うおおおおお」張飛は、人目も憚らずに泣き出した。

二十歳になったばかりの張苞は、諸葛亮すら認める文武両道の英才だった。そんな息子の成長を、何よりの楽しみにしていた張飛の嘆きは、傍目にも痛々しいばかりであった。

この悲しみを癒す術は、仕事に打ち込むほかに無い。

もともと張飛は、その部下への扱いが厳しい事で有名だった。顧問の厳顔が存命中のうちは良かったが、彼が昨年に病没してからは、その厳しさに歯止めを掛ける者はいない。そもそも張苞の事故だって、張飛が設定した訓練課程が異常に厳しいことから生じたことなのだ。それ以前にも、訓練で命を落とす兵士が引きもきらなかったのである。

しかし、張飛は反省しなかった。息子の死の悲しみを紛らわすために、より一層厳しい訓練を、部下に強要したのである。

疲労困憊し傷だらけの部下たちを見かねて、大隊長の張達と范彊が、部下たちを労わるようにと張飛に意見した。しかし彼らは、激怒した主君に鞭で叩かれ、部下たち以上に疲労し傷を負う運命に見舞われたのである。

「あれは、気違いだ・・・」「このままでは、みんな殺されてしまうぞ・・・」

鳩首した二人は、夜陰に乗じて張飛の寝室に忍び込むと、泥酔して寝ていた恨み重なる乱暴者を滅多斬りにして、その首級を抱えて小船で長江を下った。呉の孫権のもとに逃亡したのである。

一世の英傑は、こうして無残な横死を遂げた。張飛益徳、享年五十九。

 

劉備は、自ら三万の兵を引き連れて江州に達した。しかし、先着しているはずの張飛軍の姿がない。

「どうしたんだろう」

簡雍と二人で首をかしげているところへ、張飛の副官からの上奏文が届けられてきた。

「ああ、張飛は死んだか・・・」

劉備は、上奏文を読むまでもなく真相を察した。張飛は、上奏するときは自分の名前で行なうのが常であったから、副官からの上奏ということは、張飛の身に何かあったに違いない。

「部下を労わるようにと、あれほど言ったのに・・・聞き分けのない愚か者が」劉備は事情を聴取すると、満面の怒りを見せた。「あの馬鹿は、最後まで人の上に立つ器量を養えなかったのだ。者共、もって己を戒めよ」

帷幕に集う諸将は、顔を上げることが出来なかった。皇帝の頬を滂沱として流れる涙を見たくは無かったのである。

「馬鹿者が・・・どうして先に逝ったのだ。これからと言うときに・・・」

 劉備の怒声は、いつのまにか涙声に変わっているのだった。