1221日(日)

 


 

 

8時くらいに起きた俺と御子ちゃんは、しばしテレビを眺めつつ、9時くらいにホテルの朝食バイキングに行ったところ、メニューはなかなか充実していて、中華饅頭や中華スープがとても美味かった。イタリアでも感じたことだが、やはり本場の味は違うよな。

 

それから、館内電話で、在室中の戸丸さんを呼び出して、「一緒に行動しませんか?」と誘ったところ、二つ返事でやって来た。彼女は、ほとんど半べそだった。どうやら、同室の花井女史に虐められたらしい。「最近の若い者は気が利かない」とか、そういう小姑みたいな虐め方をするようだな、あの人は。

 

ともあれ、「若者トリオ」が出来上がったので、タクシーを拾って最初の目的地、豫園へ向かう。車内で話を聞いたところ、戸丸さんは、中国に何度も来た事があるらしいから、これはなかなか心強いぞ。

 

街の東南にある豫園の入り口でタクシーを降りて、後はブラブラと土産屋を物色しつつ目的地を目指した。豫園というのは、上海の成金が建てた美しい庭園だ。上海の街は歴史が新しいので、東京以上に観光スポットが乏しいから、そういうところを周るしかないのだ。・・そもそも「歴史研究部」の取材旅行なのに、そんな街を訪れたのは正解だったのだろうか?と、部長の立場としては悩んでしまう。

 

沿道に大きなサツマイモの屋台を見つけたのだが、日本と違って、ムチャクチャに大きい芋だった。少なく見積もっても5倍くらいあるんじゃないのか?こういうのにも、国土面積の大小が影響するのであろうか?戸丸さんが「これは美味しいよ!」としきりに薦めるものだから、俺と御子ちゃんは巨大なのを1個買って分け合いつつ、モグモグと味わいながら歩いた。確かに甘くて美味いのだが、どんなに食べても減らないので、だんだんと飽きてくる。そこで戸丸さんにも薦めたところ、「あたしは、おなかいっぱいだから要らないもん」とのお答え。なんだ、そりゃ、あんたが薦めたんじゃないのかよ!結局、芋は食べきれずに、沿道のゴミ箱に捨ててしまった。

 

俺は御子ちゃんに、「戸丸さんって、石原姉さんに似ているね。同期だと、そうなるのかな」と耳打ちしたところ、真っ正直な彼は、少し先を歩く戸丸さんに追いすがって「戸丸さんって、石原さんに似てますね!」とご注進に及びおった。俺は、長年の経験から「まずいなあ」と思っていたら、案の定、戸丸女史は不機嫌になって黙り込んでしまった。女同士というのは、仲が良さそうに見えても、こういうことがあるから面倒くさいよね。

 

そうこうするうちに、楽しい繁華街を抜けて豫園にたどり着いた。

 

美しい庭園の中で迷路のような回廊を歩いたり、大きな池の噴水を観賞したりと、豫園は意外と風光明媚なナイススポットだった。

 

一通り遊び終えてから、庭園の外れに大きな本屋を見つけて入ってみたら、ここは1FがCD売り場、2Fが書籍コーナーといった具合で、ヨーロッパ風の間取りになっていた。CD売り場では、勝手知ったる洋楽歌手の名前やアルバムのタイトルが全て、漢字の当て字で表記されていたのが愉快だった。

 

また、書籍コーナーで「世界偉人伝」という子供向けの本を見つけたのだが、文字通り、アレクサンダー大王やらナポレオンやらケネディやら、全世界の歴史上の偉人の事跡が分かりやすく書かれた本だった。でも、文字は全て漢字だから、人物によっては誰のことだか良く分からない。それでも、注意深く本文を読むと、意味が理解出来るのだから面白い。これは、パズルゲームみたいな楽しさが満載だぞ。そこで、この本を購入しちゃった。これは、帰国してからも仲間内で使える素敵なアイテムとなったのである。

 

ちなみに、この本の中で、日本人は昭和天皇と田中角栄が「偉人」として紹介されていた。角栄は「日中国交正常化」に功績があったから分かるけど、昭和天皇を偉人扱いしている理由はよく分からないな。彼は、中国にとって憎むべき敵手だったのでは?意外と、中国の知識人ってリベラルなのかもしれない。そういえば、ヒトラーやスターリンも偉人扱いだったな。

 

店を出た我々は、大きな寺院の境内を抜けて(お香がかぐわしかった)、豫園の南に位置する市場(上海老街)に向かった。ここは、市民のための日用品や食料品を売っている楽しい市場である。狭い路地の左右に、いくつもの屋台が密集し、大勢のお客さんでごったがえしている。ここを例えるなら、上野のアメ横をパワフルにした感じだ。生きたままの鶏や魚がそのまま売られていたりして、躍動感溢れる雰囲気は大好きだな。お店の人や行きかうお客さんたちは、みんな幸せそうな笑顔で溢れていた。こんな場所なら、一日いても飽きないだろう。でも、そのうち「再開発」の美名の下で、この市場自体が取りこぼされてしまうのだろうな。中国は、日本と同じで、古いものを保存することに興味を持たない文化だからなあ。

 

その後、3人組はいくつもの路地を散歩しながら大通りを目指した。街頭で、大きな鍋を囲んだ人々を見たので、何かと思えば飴の即売会だ。出来立ての香ばしい臭いに誘われて、一袋買ってしまった。歩きながら食べたけど、やっぱりムチャクチャに美味かった。

 

次の目的地は、御子ちゃんが提案した「大世界」だ。大通りでタクシーを拾って大きなビルの前で降りた。このビルの中が、全て遊戯施設になっているのだ。

 

ただ、時計を見るともう12時を回っているから、館内に入る前に腹ごしらえをしなければなるめえ。近くをウロウロして安そうな定食屋を発見し、3人でそこに乗り込んだ。その店は、入り口のレジで食券を買うシステムになっていたのだが、レジ裏の壁に大書してあるメニューは、当然ながら全て漢字表記で、ほとんど何の料理なのか分からない。まあ、適当に選んでみるしかないだろう。どれを注文しても、きっと人間が食えるものに違いない。楽天的に考えた俺は、ホテルからくすねて来たメモ帳とボールペンを取り出すと、みんなに食べたいものを出鱈目に(笑)選んでもらい、それをメモしてレジに渡した。中国は漢字文化圏だから、言葉は通じなくても文字で意思疎通できるのである。俺自身は、メニュー表の「咖厘面」をカレーラーメンのことだと解釈し、面白半分にそれを注文した。

 

最奥のテーブル席に占位した我々だったが、御子ちゃんと戸丸さんが選んだ料理は、そのほとんどがイメージと違うものだったのだ。小さなシウマイが1個とか。まあ無理もない。漢字表記のみのメニューから、山勘を頼りに注文したのだから。結局、俺が頼んだカレーラーメンが、いちばんまともな料理だったので、御子ちゃんと戸丸さんと3人で回しながら分け合った。「1杯のかけそば」ならぬ、「1杯のカレーラーメン」ってか?うわー、絵にならねえ。

 

このカレーラーメンは、しかし、意外なことにほとんど「タンメン(湯麺)」であった。かすかにカレー味がするのは、カレー粉をパラパラと振りかけてあるからだろう。つまり、カレー粉をかけたタンメンというわけだ。広東料理では、カレーはこの程度の扱いしか受けないらしい。これは意外な発見であった。まあ、それなりに美味かったけど。

 

さて、我々のテーブルは、実は相席であった。俺の左横に若い母子連れがいて、ずっと前に食事を終えたはずなのに、じっと座ったきり動こうとしない。そこは店の最奥なので、俺がどかないかぎり席を立てないのだ。俺は、母親が席をたつ素振りを見せようものなら、ただちに動いてあげようと心組んでいたのだが、いっこうにその素振りが見えない。仕方ないので、こっちから立ち上がって「どうぞ」という仕草をしたら、母親は安堵の表情で子供の手をひいて去っていった。いやあ、奥ゆかしいんだな。「中国人は図々しい」というステレオタイプの見方は、修正が必要かもしれない。でも、もしかすると、あの親子は、日本人を50年前のような「鬼」だと未だに思って怖がっていたのだろうか?俺はどうやら、外国人に怖がられやすい風貌の持ち主らしいからなあ。

 

さて、なんとか腹ごしらえも済んだので、「大世界」に突進だ。全館共通チケットを買って入ったら、何のことはない。これは浅草「花やしき」だ。

 

入り口から入ってすぐのところが中庭で、そこには巨大な球状の鉄籠が鎮座していた。その中に立つバイクレーサーは、周囲の歓声に手を振って応えると、モトクロスを開始した。全力疾走でバイクを走らせ、鉄籠の中をグルグルと走り回るのである。その軌道はどんどんと籠の上方に達し、バイクの位置は観衆の頭上高くを天井に届きそうになるまでに至り、やがて減速して降りてくる。無事に降り立ったレーサーに、観衆は声援を投げかけた。

 

館内に入ると、ここはいくつものエリアに分かれていて、それぞれに違った遊びが出来る部屋がある。ダーツ投げとか、占いコーナーとか、大衆劇場(素人歌手のステージ)、果てはディズニーランド風の乗り物アトラクションまである。ダーツ投げでは、あまりにも俺の腕が下手なもので、係員のオバサン(国民服着用!)に睨まれてしまった。素人歌手のステージは、大勢の観客で大賑わいだった。アトラクションは・・・値段を考えたら文句は言えまい。

 

まあ、ここを総括するなら、一昔前の下町遊園地だね。きっと、昔の日本人もこの程度で満足していたのだろう。そういう意味では、上海の庶民は、まだまだ純朴なんだなあ。それでも、俺は満足だった。日本ではもはや味わえない「古き良き娯楽」に、何か不思議な懐かしさを感じたのである。

 

さて、次の目標は「上海博物館」だ。いちおう「歴史研究部」なのだから、歴史博物館見学は当然だろう。大世界から少し西に歩くと、近代的な立派な建物が見えてきた。これぞ、上海博物館だ。館内では、偶然、奥井&花井タッグに出会ったが、多少の情報交換のあと「別行動」路線を貫くことにした。

 

この博物館は、主に江南地方の歴史をテーマにしている。歴史教科書の写真でしか見たことのない戦国時代の貨幣(刀の形をしている)の実物には感動した。やはり、中国4千年の歴史は侮れない。立派な装飾品の展示に、BC2500とか、普通に書いてあるんだものなあ。そういう点では、大英博物館を遥かに凌駕していると思う。

 

歩き回って堪能したので、次の目標について思案する。今夜は、某監査法人・上海事務所の高部夫婦と会食をする予定なのだが、約束の時間まで多少の余裕があった。すると戸丸さんが、「お買い物したいー」と言い出したので、それに即決した。

 

戸丸さんには、事前に目をつけていた店があるらしく、地下鉄やバスで、あちこちのホテルやスーパーマーケットをハシゴした。それに素直に付き合う男二人は、なんとなく間抜けであったが。

 

それにしても、上海の若い女性は綺麗だなあ。日系ホテルのお土産屋などに行くと、信じられないほどの美女が日本語で話しかけてくるのである。俺がそう感じた理由は極めて単純で、上海の女性はみんな美しい黒髪の持ち主で、化粧も慎ましやかだ。それに引き換え、当時の日本では、「茶髪ガングロ厚化粧」が当たり前。はっきり言って、化け物屋敷みたいになっていた。俺は、「東洋の女性は黒髪で慎ましやかでなければならない」という信念の持ち主なので、当時の日本の風潮が大嫌いであった。そういう意味で、上海の女性たちが東洋美女の理想形のように見えたのだろうな。

 

ちなみに俺は、東洋人の幼女には興味がない。ロリコンの対象となるのは、白人(特にスラヴ系)のみである。したがって、今回の旅行記には「ロリコン話」はいっさい出てこない。期待していた人(そんな奴いるのか?)は、ごめんなさいね。

 

馬鹿なことを考えながら、上海の街を散策する。

 

今や「お買い物姉さん」と化した戸丸さんは、「世界中のマクドナルドでグッズ集めをする」という訳の分からない大望を抱いている人なので、マクドナルド(麦当労)を発見するたびに全力疾走ですっ飛んでいく。中国のマクドナルドには、他国と違うメニューが多い。たとえば、ドリンクメニューに中国茶があったりするのだ。マックに限らず、ケンタッキーやダンキンドーナツもそうだった。それに引き換え、日本のマックなどは、イギリスやアメリカと同じメニューが多く、自主性が乏しいように思う。少しは、中国人の自主性を見習ったらどうだろう。

 

やがて戸丸姉さんの買い物熱も冷めたので、3人組はタクシーでホテルに帰った。

 

しばし各自の部屋で休憩したあと、約束の6時半、ロビーに再びメンバーが勢ぞろいした。

 

中村先生は、黄浦江の反対側(東岸地区)に渡り、上海の証券取引所とかヤオハンの跡地を見学したのだそうだ。さすが国際派の会計士は、凡俗とはやる事が違う。

 

そこに、高部夫妻が現れた。中年になりかけの、優しそうな夫婦だった。高部氏は、とても会計士には見えないような温厚で実直な人だった。奥さんは、控えめで聡明な人だった。

 

みんなでタクシーに分乗して高級料理店(名前は忘れた)に向かう。本当に、こういうのって経費で落ちるのだろうか?我々は、中華料理のフルコースを堪能したのだが、何しろ食べきれないくらいに「上海蟹」が出てくるのだ。こんな贅沢、したことない。

 

でも、上海蟹はあまり俺の舌には合わなかった。小さすぎて、殻をむく苦労に比べて食べる部分が少なすぎるのだ。蟹味噌の部分は、確かに美味かったのだけど。・・・俺は、昔から、あまり贅沢な食い物が好きじゃないからなあ。

 

高部夫妻には、中国ビジネスの展望とか、現地駐在の苦労などをいろいろと聞かせてもらった。この二人は、もう4年近く上海にいるという。奥さんは、さすがに帰りたがっているようだが、彼らに代われるような優秀な人材が東京にいないのだろう。監査法人というところは、人事が出鱈目なので、下手するとこの夫妻は一生、国に帰って来られないかもしれない。でも、他の国に行かされるよりは、上海で良かったんじゃないのかな。日本と風土が似ているし、治安は日本より良いくらいだし、物価も安いし、食い物は美味いし、女性は美女ばかりだし・・・。最後のは、単なる俺の私見なんだけど。

 

さて、食事を終えてみんなで記念撮影をしてから、我々は酔い覚ましに散歩した。高部夫妻が、近所のお土産屋を案内してくれるという。俺は、お土産屋で、一包み2000円もする高級ウーロン茶を買ってみた。国に帰って飲んでみたら、やっぱりムチャクチャに美味かったなあ。さすがに、本場の高級品はレベルが違うぜ。

 

その後、高部夫妻に丁寧なお礼を述べてから、歴史研究部ご一行はタクシーでホテルに帰った。それから、花井女史の部屋で軽く1杯やってから、各自の部屋に引き取った。明日は、蘇州に遊びに行く日である。