第十七話 スメタナの交響詩『我が祖国』

 

「ボヘミアの川よ、モルダウよ♪」のフレーズで有名な歌曲「モルダウ川の流れ」は、チェコの作曲家べドジフ・スメタナ(18241884年)の連作交響詩『我が祖国』(2曲目のヴルタヴァ)がその原曲です。

私は、数あるクラシック音楽の中で、『我が祖国』が最も好きです。全6曲のそれぞれが、たいへんに深い詩情に彩られているからです。

私がこの曲を聴いて最初に感じたのは「分かり易さ」です。交響詩というのは、物語や情景を曲に映したものですから、訴えたい情景やテーマが必ずあります。その中でも、『我が祖国』の分かり易さは際立っています。その理由は、この曲が、チェコの「民族復興運動」の過程で生まれたことと無縁では無いでしょう。

ニェムツオヴァーは、文章の力でチェコ文化を復興させようとしました。スメタナは、音楽を用いて、失われかけたチェコ文化の素晴らしさをみんなに訴えたのです。だから、自己陶酔や自己満足ではない、誰もが共感できるような分かり易さになっているのです。

それでは、全6曲について解説しましょう。

@ 高い城(ヴィシェフラト);

王妃リブシェの予言(第三話参照)で有名な「高い城」が第一曲のテーマです。『我が祖国』全体で語りたいメインテーマが、ここに集約されているので、私は、これが最も重要な曲だと考えています。

ハープの美しい旋律で始まる最初のメロディは、全曲のメインテーマです。これは、荒れ果てた古城を訪れた吟遊詩人を表現しています。やがて回想シーンに移り、この城を舞台にした舞踏会や戦争などの過去の栄光が語られます。しかし、ラスト近くでメロディは沈うつとなり、廃墟となった「高い城」の惨めさが浮かび上がります。これは、チェコの国が陥った運命の象徴なのです。でも、ラストで高らかに管楽器が鳴り響き、未来への栄光を予感させる主旋律が堂々と語られるのです。

スメタナはこの曲で、過去の栄光と未来の栄光を結びつける勇気をチェコ人たちに与えたのです。

A ヴルタヴァ;

チェコ最大の大河であるヴルタヴァ川(ドイツ語ではモルダウ川)がテーマです。南ドイツの水源からチロチロと水が湧き出すところ(ピチカートで表現)から始まる曲は、やがていくつもの水流が集まる壮麗な主旋律へと移行。この流れは、村祭りや夜の妖精たちの語らいを伴いながら聖ヨハネの急流を越えて、ついにプラハに至ります。ラストで長調に転調し、そして「高い城」の主旋律を伴いながら、川はプラハを越えて遥かなドイツへと去っていくのです。

美しく、ドラマチックで、それでいてとても分かり易い曲です。

Bシャールカ;

これは、チェコの年代記(昔話)にある伝説がテーマです。男に裏切られた女傑シャールカが、仇の盗賊ツチラトとその一味を罠にかけて皆殺しにするまでの顛末を、起伏の激しいドラマチックなメロディで表現しています。盗賊たちの寝息をオーボエで表現するなど、スメタナのコミカルで分かり易い演出はますます冴えています。

Cボヘミアの森と草原より;

これは、ボヘミアの豊かな自然がテーマです。基本的には同じコードの牧歌的なメロディが、手を替え品を替えしながら繰り広げられ、チェコの豊かな四季と自然の素晴らしさが聴衆の胸に染み渡ります。作曲家としてのスメタナの手腕が、存分に発揮された名曲と言えるでしょう。

Dターボル;

スメタナは、最初は4曲で止めようと考えていたのですが、聴衆の圧倒的な支持のもと、第5曲目を発表します。その「ターボル」は、言うまでもなく、フス派戦争の栄光がテーマです。主旋律は全て、当時のターボル軍のテーマソング「神の戦士たる我ら」から取られています。いくつものフレーズに分断された「神の戦士・・・」は、最後のクライマックスで結合され、激しい戦闘と勝利の中で高らかと謳われるのです。

Eブラニーク;

全曲のラストとなるこの曲のテーマは、チェコ中央に聳えるブラニーク山です。この山には、「聖ヴァーツラフとその騎士たちが眠り、そして祖国の危機に際して再び立ち上がる」という伝承があるのです。スメタナは、「ターボル」や「高い城」のメロディを効果的に用いて、祖国の復興の時を高らかに宣言したのです。

 

さて、熱狂的な愛国者と思えるスメタナですが、彼は都市部の中産階級に生まれたため、ドイツ語しか話すことが出来ませんでした。彼がそれを恥じてチェコ語を勉強しだしたのは、なんと50歳を過ぎたときだったそうです。

『我が祖国』の他にも、チェコ史を題材とした『リブシェ』『売られた花嫁』『ダリボルカ』などの名曲を生んだスメタナですが、晩年は梅毒に苦しめられます。既に『我が祖国』の2曲目「ヴルタヴァ」を発表したとき、耳が聞こえなくなっていたのです。つまり、スメタナ自身は、あの美しいメロディを自分の耳で聴くことが出来なかったのです。

そんな彼は、『我が祖国』全曲を書き上げた直後、ついに発狂して精神病院に入ります。そこで寂しく息を引き取るのでした。

スメタナの命日5月12日は、「プラハの春音楽祭」が始まる日です。我が祖国チェコを深く激しく愛したスメタナは、今でもチェコ人の誇りなのです。