上島敏昭の大道芸見たり、聞いたり、演じたり・・・<2003年9月>
奥能登のろうそく祭 −輪島市・金蔵の万燈会ー

 能登半島の先端近く、輪島市の山の中に、金蔵(かなくら)という集落がある。そこで8月16日にロウソクをいっぱい灯す祭をやるんだが行かないかい、と猿まわしの村崎修二さんから誘いがあり、久々に遠出した。
 金蔵馳駆に入ったのは、八月11日。金沢市から海岸線に沿って車で走ること2時間。能登半島は長い。ここは輪島市の中心からでも40分はかかる、山あいの集落だった。たいへんな僻地。でも能登では有数の米どころといい、ゆるやかな傾斜地は一面、棚田で、実る直前の緑色の稲の葉が、目にまぶしい。その稲葉をサワサワと波立たせ、風がはるかに渡っていく光景は、絵に描いたような豊かな日本の農村だ。戸数は80戸。そのうちに寺が5軒。「ヘンな村じゃろう」と村崎さんは言う。戸数の割に寺の数が多すぎるというのだが、私にはよくわからない。でも、その寺の堂宇の大きさにはたまげた。どの寺も東京本願寺ぐらいある。室町時代、全村が焼き討ちされたという伝説が残り、また、平家伝説や埋蔵金伝説もあるというから何か歴史の闇を感じさせる村ではある。
 さて、問題のロウソク祭だが、その由来を尋ねて、唖然とした。去年、村崎さんをまじえて村の人たちが宴会した際、暗かったので、ロウソクをワンカップの空き瓶に入れていくつか並べてみた。それがきれいだったので祭を起こしたというのである。名付けて、金蔵万燈会(まんとうえ)。京都・念仏寺や東京・百観音のロウソク祭を知っている私は肩透かしをくらった。いくらなんでも安直すぎる。人をばかにしてる。
 ただ、わずか数箇月で5千個のワンカップを集め、その夏には祭をでっち上げたという、その行動力には驚かされた。2回目となる今年は昨年の3倍、1万5千個のワンカップにロウソクを灯すのだという。業者に頼めばガラス容器に入れたロウソクを用意してくれるのに、一年かけてわざわざワンカップを集め、手間ひまかけて洗い、ロウソクを一つ一つ入れて、火を灯そうという、その情熱はいったいなんなのか。私には理解できなかった。
 祭までの数日間、近隣の祭やイベントをまわって滞在費を稼ぎ、いよいよ当日。それまで連日、雨だったのに、運よく晴れた。聞けば、この日は晴れの特異日で、祭をこの日に定めたのはそのためだとか。用意周到である。昼間一日かかって1万5千個のロウソクを並べ、夕方、合図とともに着火。とにかく数が多いので、さぞ時間がかかるかと思いきや、新聞やテレビで紹介されたのを見てやって
きた人たちが、「私にも火を付けさせて・・・」と、協力してくれたおかげで一時間足らずで点灯は完了した。
 祭にやってきた芸能は、越中八尾・おわら風の盆、琵琶、虚無僧の尺八流し。村崎一行は、八丈太鼓囃子の演奏。私と村崎さんは、この日は太鼓の介添えに徹した。ステージは二つの寺とメイン会場の3つ。芸能はそれを巡って演じていく。
 集落には街灯ひとつない。月明かりと星明りのした、ロウソクの炎が揺らめくさまは、いかにも幻想的で、遠く微かに尺八の音が聞こえたりすると、勝手に室町時代の焼き討ち事件を思ったりした。
 ところで、1万5千個の明りとはどんなものか想像できるだろうか。集落全体がロウソクの明りに包まれていると思ってほしい。メインステージは、その明りが一番たくさん見えるポイントに設定されていた。道路や集落よりちょっとくぼ地の、田圃の真ん中にあるこのステージに立つと、周囲は360度ロウソクの明りで、しかもその明りはユラユラしているので、まわりをぐるりと見渡すと、方向感覚を失い、自分のいる場所がよくわからないような、不思議な感覚に襲われた。演奏者にとっては、その感覚は我々以上で、演奏中に感情が高ぶって、気を失いそうになったほどだったという。
 ステージにはほとんど照明がない。ほの暗い闇の中で演じられる芸能は、村に埋もれていた数々の怨霊の揺らめきにも見えた。去年はじめたばかりのでっち上げイベントとは、とても思えない、密度の濃い祭で、主催者の手腕に舌をまいた。
 祭りの翌日は、また雨。主催者はびしょびしょになりながら、1万5千個のロウソクを、一日かかって回収してまわっていた。