★浅草雑芸団とは・・・
坂野比呂志大道芸塾の実演ユニットの名称。
坂野比呂志大道芸塾は、1985年、大道芸で遊ぼうという趣旨で集まった
有志十数人で結成した「大江戸観光倶楽部」を母体に、
当初から大道芸の指導をお願いしていた坂野比呂志師の要望により、
87年1月に正式に発足。
それを機に、大道芸で遊ぶだけでなく、大道芸の実践、研究も目的に掲げ、
浅草木馬亭を拠点として活動を展開している。
★坂野比呂志とは・・・
明治44年(1911)、東京・深川生まれ。平成元年(1989)没。
活動写真の弁士(無声映画の説明者)・熊岡天堂の弟子となって芸能界に入り、
以後、浅草オペラ、軽演劇、漫才、漫談、司会など、スタイルを変えながらも、
浅草から離れることなく芸能活動をつづけた根っからの「浅草芸人」で、
浅草の生き字引と呼ばれた。
昭和57年度(1982)文化庁芸術祭に、
「大道芸=坂野比呂志の世界」公演(於・木馬亭)で参加、大賞を受賞した。
がまの油売り、バナナの叩き売り、物売り口上など、演目は三十数種を数え、
『新版 香具師口上集』(室町京之介著、創拓社刊)は、
受賞公演の実況CD付きの口上記録集で、
現在も日本の大道芸・物売り芸を実演する人たちのテキストとなっている。
★坂野師以降の指導者の皆さん・・・
バイオリン演歌の桜井敏雄師、ちんどん70年の菊乃家〆丸師の直接指導を受け、
また、人間ポンプの安田里美師、三味線ロックの国本武春師、猿廻しの村崎修二師、
バナナちゃん節(バナナ競り売り)の北園忠治師、ジャグリングのクラウンKAJAさん、
南京玉すだれ仙助流家元の芝辻たかし師、豊年玉すだれの和田勇市師、
編み竹おどりの大瀬雅和師、東京コミックショウのショパン猪狩師
などとも交流を深め、現在にいたる。
★2004年までの主要な活動・・・
@「大道芸フェスティバル」
1986年より毎年、7月9日、10日の浅草ほおずき市に、浅草木馬亭で公演。
最近のタイトルは次の通り。
2004年=「へなちょこまつり〜日本の道化芸を求めて」
2003年=「エノケソまつり」(エノケン生誕100年祭・江戸開府400年祭参加)
2002年=「放浪芸日本紀行〜津々浦々に流れ着いた大道芸をたずねて」
2001年=「踊る大道芸 木馬の夜」
2000年=「全国玉すだれサミット〜伝承すだれ芸大集合」
A機関誌『大道芸アジア月報』
A4版表裏、毎月発行。
大道芸情報の紹介と実践活動、見物記などを会の内外に発信している。
B浅草ロック青空大道芸
91年より96年まで5年間、毎月1,2回ずつ、
浅草六区(現在、ブロードウエイ通り)の路上で街頭公演をつづけた。
Cはるこま7七福神めぐり
2001年より、毎年正月、東京・向島の隅田川七福神をめぐって新年を寿ぎ、
祝福芸「春駒」の門付けを行い、大団円は三囲神社の奉納演芸会で終了する。
★研究公演、主催公演など・・・
◎主催公演
・1991年10月、「最後の見世物・人間ポンプ=安田里美リサイタル」
(文化庁芸術祭参加 於・浅草木馬亭)
・1995年10月、「最後の見世物・人間ポンプ 安田里美肉体リサイタル」
(文化庁芸術祭参加 於・浅草ロックンロック)
・2000年7月、「全国玉すだれサミット」
(ほおずき市大道芸フェスティバル特別企画)
・2001年7月、「東京コミックショウリサイタル」
(ほおずき市大道芸フェスティバル番外公演)
◎共催公演・公演協力
・1993年6月、「地獄の縁日 えときの世界」(説話文学会主催)
(共催=絵解き研究会ほか、於・深川江戸資料館ホール)
・1998年4月、「見世物小屋の文化誌」(早稲田大学文化週間企画)
(早稲田大学文学部演劇専修主催 於・早稲田大学大隈講堂)
・1999年7月、「見世物・世紀末大放談」(見世物学会発足プレ企画)
(於・新宿西向天神社)
・2003年11月〜12月、「大見世物」展(たばこと塩の博物館・開館20周年記念)
見世物口上風展示解説