馳
星周(はせ せいしゅう)
作家「不夜城」で作家デビュー。香港映画フリークとしても有名。
「僕はここで服を脱いで裸にならなくちやいけないのかな?」馳星周氏と取材スタッフが待ち受ける部屋に入ってくるなり、チョウ・ユンファはそう言った。その言葉にスタッフは一瞬、戸惑った。何の事だ?もしかすると彼は暑がっているのか。ならばエアコンを調整しなければ・・・・・・。こちらの狼狽を見透かしたように、彼はいたずら小僧の表情を浮かべながらこう続けた。
「いや、今日は『プレイボーイ』での対談と聞いてたから僕もヌードにならなきゃいけないのかと心配してたんだよ(笑)」.....大スターを迎えて緊張気味だった室内の空気が彼のジョークで一気に和らいだ。対談は、そんな雰囲気の中で始まった。
馳・僕は昔から香港映画が好きで、もちろんチョウ・ユンファさんの大ファンでした。最初に見たのは「男たちの挽歌」でしたけど、それ以来、あなたの出演した作品は多分全部見ていると思います。
周・そうですか。それはどうもありがとう。
-記者-彼のペンネームは"周星馳(チャウシンチー)"を逆さにしたものなんですよ。
周・なるほど。(馳氏から贈られた中国語版"不夜城"を見ながら)あっ、本当だ(笑)。
馳・あなたが最後に香港で撮った映画は『和平飯店』でしたね。僕は香港映画好きの友人と「『和平飯店』はチョウ・ユンファが香港で撮る最後の映画で、いわば香港における彼の"遺書"みたいなものだから記念に香港まで見に行こうと盛り上がって、本当に香港まで行ったんですよ。
周・そうだったんですか!?
それは本当にありがとう。
馳・だからハリウッドであなたが撮るという新作をずっと楽しみにしてました。でも、最初の映画を撮るまで4年かかりましたね。なぜ、そんなに時間がかかったんですか?
周・ハリウッドのプロデューサーや監督、脚本家といつた人に会わなきゃいけなかったんです。向こうで映画を撮るためには、まず自分のことを知ってもらう必要がありますから。こんなやり方は時間はかかるし、繁雑だから、ほかの人はそうしないかもしれない。だけど、僕は不器用だから、そういう方法をとらざるを得ないんです。
馳・ハリウッドに行って映画を撮るというのは、何か特別な目的があったんですか?
周・ひとつは、向こうへ渡って自分の視野を広げたいという気持ち。もうひとつは、長年働き続けてきてあまり休みもとれなかったから、この機会にじっり休もうという気もあつたかも(笑)
馳・ユンファさんだけでなく香港映画の監督や俳優がハリウッドに進出していますが、その傾向は今後もk続きそうですか?
周・それは才能や資質にもよるし、あとはハリウッドのマーケットが受け入れるかどうかということにも関わってきますからね。ただ、個人的にはアジアの映画人全員がハリウッドにいければ理想的だと思います。
馳・監督としてはジョン・ウーは成功したけれど、俳優としてはユンファさんがパイオニアですよね。あなたが成功するか否かで事情も変わってきます。そういう責任感やプレッシャーは感じませんか?
周・ハリウッド側がプレッシャーをかけてこない限り僕は大丈夫。だから、彼らが僕にプレッシャーをかけないように、あなたからも働きかけといて下さい(笑)
馳・そのハリウッドでの第1作が『リプレイスメント・キラー』なわけですが、ハリウッドと香港では映画の取り方に違いはありましたか?
周・ハリウッドの方がシステマチックですよね。現場の分担も細かく分かれていて、しっかりしている。あとはやはり、かける予算のバジェットがちがう。機材も多いし撮影するスピードも早い。でも、映画に傾ける情熱は香港もハリウッドも同じなんじゃないかな。
馳・僕が書いた『不夜城』が映画化された時、リー・チーガイ監督に「日本と香港のシステムがちがって大変じゃないか?」と聞いたら、彼は「もちろん違いはあるけど"映画言語"は世界共通だから、みんなが思ってるほど苦労はしない」と言ってました。
周・僕もハリウッドでは、言葉に苦労した点を除けば、あとは香港で撮るのと同じだと思いましたよ。
ー記者ー・でも、ハリウッドと香港とでは、できあがった映画のテストみたいなものが変わってくるんじゃありませんか?
周・そうだね。料理にたとえると、香港映画が100%の中華料理だとすれば、こっちはカリフォルニア風に味付けされた中華料理で、しかも日本の寿司も入っているような"国際五目炒め"みたいな感じといったらいいかな(笑)
ー記者ー・苦労されたという言葉、つまり英語のセリフの言い回しに関してはどうでしたか?
周・以前、『ブラック・レイン』という映画に日本から高倉健さんと松田優作さん(故人)が出演した時、松田さんは日本語だったけど、健さんは英語でしゃべってた。その時にアメリカ人が受けた"英語をしゃべる日本人"という印象と、今回の映画での僕の受け止められ方というのはけっこう似てる部分があるんじゃないかな。日本では言葉と言葉の間に「あのー」とか「えーと」という言葉が入るでしょう。健さんが日本語で「あのー」と言うのと、英語で「Andthen・・・」と言うのとでは全然ニュアンスはちがいます。そういう微妙な違いがどう受け止められるか、親しみを感じてもらえるのかもらえないのか。僕がハリウッドで経験した言葉の部分の戸惑いというのも、そういうことだと思いますけどね。
馳・それでいうと、『不夜城』で主演したのは金城武という日本人と台湾人のハーフの俳優なんですが、彼が日本語をしゃべるシーンでは、やはりネイティブの日本語ではないのでセリフ回しに違和感はありました。僕も映画の中で言葉にかかる比重にはすごく重いものがあるなと感じていたところなんです。
周・そうでしょう?彼は香港では皆に好かれているけれど、でも彼がしゃべる広東語に関しては、みんな「あれ?なにかおかしい」と思ってる。台湾では彼は北京語をしゃべるんだけど、でも、これもちょっとちがう。やはり言葉というのは重要なポイントになると思いますね。
ー記者ー・言葉ではなくチョウ・ユンファとしての雰囲気、カッコよさのオーラみたいなものはハリウッドでも伝えられる自信はありますか?
周・今の質問は僕に対して失礼だね。その自信がなかったらハリウッドには行かないよ。ハリウッドでもどこでも僕はカッコいいに決まってるじゃないか(笑)
馳・僕も『リプレイスメント・キラー』は基本的にはユンファさんがこれまで香港で撮ってきた、いわゆる"2枚目路線のアクション映画"の延長線上にあると感じました。
周・そうですね。ただ、興行的にはアクション映画も必要なんだけど、僕自身は小さな文芸映画のような"人間性の描写"を多く取り入れた映画が撮りたいんです。僕は自分自身、俳優としていろいろな面を持っていると思っているから。
馳・僕はあなたのアクション映画も好きだけど、恋愛ものも好きだし、実はコメディだって大好きです。僕があなたに魅かれているのは、ただ単にカッコいい2枚目俳優でなく、いろいろな演技をできる多面性を持った役者だからなんです。ハリウッドでもいつかそういう面を見せてほしいですよ。
周・ホメてもらってうれしいけど、それ以上はホメないでくださいよ。中国人て"ほめ殺し"に弱いから(笑)
ー記者ー・馳さんは、ご自分では香港映画のどんなところに魅せられたと思っていますか?
馳・簡単に言えば、男も女も俳優がカッコよくてカリスマ性があるところ。今の日本の映画会って魅力的な俳優が少ないんですよ。だから、『男たちの挽歌』を見たときも、まず「チョウ・ユンファ、カッコいい!」と思ったし。
周・「魅力的な俳優が少ない」とおっしゃったけど、それは経済や社会の状況の変化ということとも関わりあいがあるんじゃないかな。日本も香港も経済が発達して豊かになると、子供たちも役者やスターを目指すより、いい大学に入って、いい就職をして、生活を安定させようと考えるのかも知れない。役者って、実は大変な仕事だから。
馳・ユンファさんは、なぜ役者を目指したんですか?
周・僕の家は貧しかったから、役者になって、テレビ局と契約して、まず生活を安定させたかった。それで、収入が上がればお母さんの面倒も見れるし、家を建てることもできる。非常に単純ですよ。
馳・それで"亜州影帝"と呼ばれるような香港映画の大スターになった。そういう自分の姿は想像できましたか?
周・いや、いまだに自分はなにか夢を見ているんじゃないかという気持ちですね。
馳・その気持ち、すごくよくわかります。僕も小説を書いて、それがとっても売れちゃつたんだけど、こんなことになるとは思ってもいなかった。あなたと同じように「これは夢なんじゃないか」と思いなが日々、生きているんですよ。
周・それは(馳氏の腕時計を指して)あなたがしている腕時計を見れば、言われなくてもわかりますよ(笑)。でも、香港に来る時ははずして来た方がいいと思うね。腕ごと切られちゃうから(笑)。
馳・気をつけます(笑)。
馳・僕の友だちにもあなたのファンはたくさんいて、ユンファさんが「ハリウッドに行く」と発表した時は、ハリウッドでもがんばれというのと、香港を離れるのは淋しいようなと、矛盾したふたつの気持ちがあったんですよ。
周・僕の気持ちもファンの皆さんと同じ。「やるぞ」と「淋しいな」というのが両方ありましたよ。
馳・でも、僕はハリウッドで本当に頑張ってほしいんです。どこに行こうと、あなたの、チョウ・ユンファの魅力は不変だと思ってますから。ただ、香港映画には香港映画のティストがあるから、すぐにとは言わないけれど、10年に1回くらいは香港映画を撮ってほしいと思いますね。
周・僕も8年とか10年かけてハリウッドで勝負をかけたいと思ってる。でも、その後は香港で映画を撮るより、日本で映画を撮らなきゃ。サムライ映画を(笑)。その時、僕に刀を持って戦う力がなかったら"寅さん"の役をやるよ(笑)
馳・ユンファさんは日本の映画はよく見たんですか?
周・70年代には日本の映画やテレビ・ドラマをたくさん見ましたよ。女の子が主人公だった水泳教室のドラマ・・・。
馳・「金メダルへのターン」
周・それから、女子バレーボールのドラマで、"東洋の魔女"みたいな・・・。
馳・「サインはV」だね。
周・後は柔道の話。
馳・「柔道一直線」だ。
周・80年代は「おしん」、最近は「ロング・バケーション」も見ましたよ。
馳・ロンバケまで(笑)。僕がなぜ馳
星周というペンネームにしたかというと、香港の映画関係者が本を見た時、「なんだ、これ、面白い名前だな」と関心を示して、それで香港で映画化してくれないかなぁと思ったからなんですよ。
周・けれど、あなたの夢はみごとに叶いましたね。
馳・ええ本当に。
周・あなたの「不夜城」は面白い小説だったから売れたんでしょう。でも、それ以外に運もあったと思いますよ。役者も運に大きく左右されるんです。僕よりいい役者は香港にも世界にもたくさんいるけれど、なかなか有名になれない。たまたま香港映画が見たくて、それにチョウ・ユンファが出ていた。本を読みたいと思った時、たまたまあなたの「不夜城」があった。そういう不思議な運命の巡り合わせもあったんじゃないかな。
馳・そうかも知れませんね。
周・でも、あなたのつかんだ夢のほうが僕のより大きかったみたいだね。
馳・なぜそう思うんですか?
周・だって、あなたのその腕時計は僕のよりずっと高そうだもの(笑)。。。。