■商店街■
目つきの悪い男が辿り着く場所:-)
■高野山■
悲しみが永遠に始まった空
■播磨■
思いが綴られし最初の地
■通天閣■
仰げば尊し姉の胸(^^)
■博多湾■
母子の始まりの地
□山道入り口□
甘南備山と書かれていますが、神奈備山とも呼ぶそうです。
山のふもとまで車で乗り入れられ、駐車場もあります。ですが山道はやっぱり人の足で登ります。
そうでなくては史跡巡礼の旅の意味がありませんよね:-)
□周囲地図□
地図の端っこには、”がおがお”した恐竜さんはいないです(笑)
頂上の社は標高200mくらいです。その周辺には川や寺社跡もあります。
地図には書いてないですが、西側には”氷室”って地名もあり、昔は氷室があったようですね。
エピソード通りかな。こうやって、氷を食べていると。。って裏葉の声が聞こえてきそうです。
□分かれ道1□
半分くらい登ったところで、舗装された道と山道の分岐点があります。
やはり雰囲気を味わうなら山道を通りましょう。
□分かれ道2□
さっきの分かれ道からもうちょい行くと、急な山道になります。
逃避行もこんな道を通ったのででしょうか。
あと、足元にはドングリが転がっていて秋を感じさせてくれました。
□急な坂道□
この坂道を登りきると、頂上に出ます。こんな低い山でもそこそこ急な坂道なので、普段運動
してないと結構まさに足下すくわれます(^^; 雨の日だと滑りやすくなっているので、
素直に分かれ道1の舗装道の選択もありかもしれません。初夏とか木々が青々していて気持ちよさそうです、もちろん暑いですが(^^;
□展望台□
頂上付近には展望台としてやぐらがあり、ここからは四方が見渡せます。標高は低いながらも結構な眺めでした。
―京田部市方面を望む―
登山口はこの方向にあります。写真真中に田畑と神奈備山から発した川の流れも見えます。その川を
横切る橋のように見えるのは、京奈和自動車道になります。川は木津川にそそぎ、木津川は天王山付近で淀川で合流し、はるかな旅を終えて大阪湾に行きつきます。これも一つの旅でしょうか。
―京都方面を望む―
平安京の南は、この神奈備山を目印にしたそうですから、ここから平安京が見えていたことでしょう。
柳也は京で任官してここに下ってきたと思います。
―奈良方面を望む―
ここから生駒山地を通って高野山を目指してましたね。
途中、街道に出ましたが、日数や行程的にも”山城路”を通ったと思います。
木津に入ると”山城路”は、三つの街道”上ツ道”(現在R169)、”中ツ道”(R24)、”下ツ道”(県道5)に分かれますので、
その手前で関が設けられたと考えることができ、平安京と平城京を結ぶ街道だったので、
市が開かれるには十分な行き交いがあったと推測できます。
その関を避け、西の生駒山地を行き、南を目指したので、作中の斑鳩を通った記述に合っています。
最後には、上述の三つの街道が南で合流した巨勢(こせ)道を通って、高野山に向かうことになったと思います。
□神奈備山神社□
先ほどの展望台から、山の背を歩いていき、再び登り道を登りきった先に神社がありました。
頂上付近なのにうっそうと森に囲まれています。先ほどまでの展望台付近とは雰囲気があきらかに違いました。
□神奈備山神社の伝承□
一般的に高山や険しい山が信仰の対象となることが多いように思いますが、この神奈備山はそれほど高くありません。
ですが、平安京造営にあたって目印にされるほどの山ですので、風水的にも重要な意味があったのでしょうか。
また、神の拠りつく山だそうですから、神帰月の11月に登山したのは正解だったと思います:-) 多分10月の神無月には神様もいないかも(^^;
□社殿□
ちょっとさびれた感じがする趣がしますが、正月には大層にぎわうそうです。
でもやはり平素は山頂の神社の宿命か参拝者は少ないようでした。それは作中の翼人信仰が廃れたようにも感じ取れました。
囲いがしてあり、近づくことができませんでしたが、参加メンバそれぞれお祈りしていたと思います。
全員とも最後までのTRUE ENDまでクリアしているので、今回参加したわけです。
□神奈さま奉納□
拝観したのち、展望台まで戻り、そこで昼食を取りました。
そして、昔編の奉納を行ってみました。写っているのは、よっきゅんさん:-)
この後向かう南への旅路を暗示しているように、プレイしている場面は街道の市付近でした。
□菓子”神奈備山”□
神奈備山を後にして、奈良の上ツ道を通り、明日香村まで行きました。
目的は菓子”神奈備山”!作っているのが奈良明日香村だとWebで知り、一路ここまで来ました。
めちゃくちゃ遠かったです。この先の高野山までは作中では逃避行を続きながら1ヶ月かかったのもなんとなく頷けます。
―神奈備山直売所―
ここは石舞台遺跡に一番近いコンビニのそばにあった直売所です。
でも今日は休みで観光客も多いはずなのに休み!?
とりあえず、看板の電話番号に電話してみると、石舞台遺跡そばの”夢市”で販売中と聞き、直行。
―”神奈備山”拝観―
”夢市”という共同販売所にてやっと会えました♪ 確かに”神奈備山”と書かれており、
どらやきに似た形状のふくらみが神奈備山の形を表している。。。んじゃないかと(^^;
名づけのいわれは聞かずじまいだったので、そのうち調査してみます。
ばら売りしていたので、箱売りを探しましたが残念ながらありませんでした。
とりあえず、みなさん感動をあらわに〜♪
購入後、ついでに石舞台遺跡も行ってみました。ちなみに蘇我馬子の墓と言われております。
特にAirとは関係ないですが(^^;
―飛鳥坐神社―
明日香村の石舞台古墳よりも少し北に位置するところに、この神社があります。名称からもAirを彷彿させるものがありますが、特に翼人伝説はないようです。私は”神奈さま滞在=京田部市の神奈備山”説を推すので、こちらは特に記述することはないです。
□呪縛?□
高野山まで詣でたかったのですが、みなさん体力的にも精神的にも疲れたというわけで、
北上しましたが、、、、見事に渋滞にはまってしまいました。それも絶望的な渋滞でした。
これは巡礼を途中で止めた呪いなんででしょうか?(^_^;
□ラーメンセット□
渋滞でどうしようもなかったので、主人公の威光による呪縛解除をはかるため、食事としてラーメンセットを
食べてみました。うまく巧を奏した模様で後は順調に帰れました。ラーメンセットはそういう意味があったのかな?(^^;
ちなみに食べたのは、天下一品のラーメンセットでした。
□商店街□
―商店街〜霧島診療所を望む〜―
―商店街〜お隣のお店〜―
私が行ったわけではないので詳細はわからないのですが、往人が人形やっていた商店街です。
コミケのときに時間作って行ってみようかな。
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【巡礼日】:2001年2月5日(日)
【巡礼者】:松原葵(代役)
―国立の地―
JR国立駅です。ここから歩いていけます。なんでこの映像をのっけたかと言うと、近々改装してしまうのでその前にってわけです。P.S.姫ちゃんのリボンの聖地でもあります。
―岐路、三本の道―
駅を背にして南に向くと、南に一本、その両側に南西と南東へ道が延びています。
ここは迷わず、南東の道を辿っていきましょう。映像だと南と南東が見えていますので、一番左の道です。
―この道〜♪どこまでも〜♪まっすぐにつづいている〜♪―
駅からの道をてくてくひたすら歩きます。五分くらい歩いて、本当にこの道であっているんだろうか?と不安になり始めた頃にこの辺に辿り着きます。道の左はじのコンビニ、貸し本屋が目に入ったら、もうそこです。ちなみにこの写真を撮った位置くらいにお米屋さんがあります。旅の記念に”お米券”はいかがでしょうか:-) 私が行ったのは日曜だったので閉店していました残念(^_^;
―人形使いが佇む場所―
今まで歩いて来た方向に向くと、この場所に出会えます。ゲーム中では閑散な場所というイメージでしたが、車道に面しているので人通り&車が結構通ります。もうちょい大きな映像っと。あとここは診療所なので迷惑なことをしないように(^_^) 特に人形を操ったりしないこと(苦笑)
(中略)高野山へ向かう山頂付近では雨が降ったり、晴れたり、霧いや雲をくぐったりとしていた。
空に見える雲の動きがとても速い、台風が近づきつつあるのかな?
そして、雲間に見える月が、太陽のように眩しく輝いている。
そんな中、高野山に到着。深夜三時なので店もお寺も開いていない。
うーん、このときはまだ観鈴のFirstしかクリアしてなかったので、史跡とは知らず(^_^)
来年でも行こうかと思います。
そういえば歴史上において、正暦五年に落雷により高野山の仏閣が消失して、その後しばらく衰退していたそうで、
ちょうど重なっていたりします。
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【巡礼日】:2001年1月8日(日)
【巡礼者】:みさき先輩、田中ようこ、松原葵(代役)
―高野山への第一歩ー
昔は歩いて詣でるしかなかった(それ自体に意味があるわけ)のですが、今では列車などで簡単に行けてしまいます。
神奈さまに不粋よのぉって怒られそうですが(^^;
―金剛に封じ込められるー
途中の駅に”金剛”ってありました。作中で金剛に封じ込められるって話のときは、この付近の地名の金剛かなって思ったりしたなと思い出しながらも、どんどん列車は南へ
―下界と霊場の狭間ー
ここからケーブルカーに乗って高野山に上ります。ケーブルカーはかなり急角度で、山頂付近は霧?雲?で曇っています。それに一月だったのでとんでもなく寒いです(x_x)
それにしても女性の脚でこの急勾配な山を登ったんだなぁっと思いひとしおでした。
―霊場入り口ー
ケーブルカーの登りつめた先は、乳白色の霧の世界でした。ここからはバスに揺られて向かうわけですが、車中ではどこの世界に迷い込んだんだ? もしかしてこれが結界かーとか思いつつもバスは急なカーブをゆっくりと進んでいきました。
―金剛峰寺ー
高野山にやってきたのはいいのですが、結界が張ってあった場所はさすがにわからないので、神奈親子にとっては宿敵たる金剛の力を持つところ(^^;ですが、金剛峰寺に行ってみました。霧につつまれたお寺というものはなかなか厳かな雰囲気がさらにましていました。それに加えてここは数々の政治的敗者を受け入れた場所でもあり、殺生関白と呼ばれた豊臣秀吉のおいが自害した部屋などもありました。確かに幽閉されべきところなんだなと思い、神奈の母君も連れられてくるときの心情を思ってみました。でもそんなに暗いとこだけという印象だけでもなく、部屋にはいろいろな花鳥風月や人物の襖絵があり、途中の大広間ではお菓子とお茶が振舞ってもらい、なかなか楽しめました:-)
・柳也と裏葉をかくまってくれた高僧は、実はその昔、安部清明と対決してトホホな負け方をした方で、 播磨の西部に住んでいたそうです。 播磨の西部ってことだけはわかっているのですが、どこの寺社がわかりません。 多分、密教系だとは思うのですが。
・その高僧 智徳は、安部清明ものに何度か登場してきます。智徳は、蘆屋道満の弟子か、または同じ播磨国の出のため関係があったようです。、そもそも播磨は、京の加茂家や安部家と並んで、陰陽師などを輩出している土地柄であり、出身の陰陽師で繋がりが深かったようです。とするとそういう史跡もあるのではないかと現在調査中です(2001.4.15)。
□通天閣□
霧島姉のいつも着ている”通天閣Tシャツ”を探しに行きました。
□通天閣Tシャツ□
通天閣の最上階の売店です。残念ながら、”通天閣Tシャツ”なものはなく、観光風に通天閣のイラスト入りでした。
通天閣の付近の商店街でも探してみましたが残念ながらありませんでした。
―玄海灘ー
初穂が最初にいたのはここだと思うのですが、博多湾のどこまでかはしぼりきれてないです。実際は博多から唐津、松浦と長崎の方まで幅広く攻め寄せてきたのですが。
とりあえず、元が攻めてきたときに主戦場になった百地浜から玄海灘を望んでみました。
福岡ドームから見てみました。なんか憂鬱な曇天でした。写真真中右は能古島です。
博多湾の入り口は北から志賀島、能古島、糸島半島間になります。
また、元が攻めてきたときに史実では、海路の途中の島は女子供とも容赦なく虐殺したようです。志賀島でも激戦が繰り広げられたようです。